how?

"so-whatical" music review

ライヴ・アット・ザ・ニューポート・フォーク・フェスティバル1963ー1965~ボブ・ディラン

2008-01-13 23:37:26 | 音楽
 これは、昨年末位に発売になったDVDだが、今まで、断片的にしか見れなかったディランの「ニューポート伝説」をしっかり見れる映像ソフトと言う点で、とても嬉しい一枚である。

 「ニューポート伝説」と言えば、当然、1965年の「エレキ転向事件」だろう。ロック史上最も重要な出来事とされているこの事件だが、これによってフォークファンからブーイングされて…といった今まで語られていた伝説は、この映像を見る限りあまり感じられない。

 むしろ、この映像を順を追って見ていけば分かるのだが、ディランの曲が、このフェスティバルの出演者達(PPMとか)にカバーされたのをきっかけに有名になって、実際、このフェスティバルに出る事でスターになっていった様子が年代を追ってよく分かるし、だから、ディランはこのフェスティバルには何らか特別な想いで唄っているし、心から楽しんでいる様子が伝わってもくるのである。

 で、問題の1965年だが、映像を通して僕が感じた事。それは、ディランのこのフェスに対する特別で誠実な想いと「確信犯的な想い」そのものである。

 「僕が今からやるパフォーマンスは、必ず後世に語り継がれるに違いない。だから他では無く、ここニューポートでやるんだ!」

 意外にも、その想いの方が多くの聴衆に届いている。当時のフォークファン、ディランファンは、決して「エレキなんかでやりやがって!」なんて言う了見の狭い人達なんかじゃないし、むしろ「ディランのファン」だから、彼の気持ちがよく分かっている!

ウエスト・サイド・ソウル~マジック・サムズ・ブルース・バンド

2008-01-07 12:46:00 | 音楽
A①ザッツ・オール・アイ・ニード②アイ・ニード・ユー・ソー・バッド③アイ・フィール・ソー・グッド(アイ・ワナ・ブギー)④オール・オブ・ユア・ラヴ⑤アイ・ドント・ウォント・ノー・ウーマン
B①スウィート・ホーム・シカゴ②アイ・ファウンド・ア・ニュー・ラヴ③エヴリナイト・アンド・エヴリデイ④ルッキン・グッド⑤マイ・ラヴ・ウィル・ネバー・ダイ⑥ママ・ママートーク・トゥ・ユア・ドーター

「彼は、パーティーが大好きで毎晩のようにパーティーに行ってたよ!」

 マジック・サムについてオーティス・ラッシュはそう語っていたが、きっと、彼は、その短い生涯を相当なハイ・テンションで生きたに違いない。そんな散々、馬鹿をやっていたであろう彼が、果たして、遠い日本の京都という街で、自分のレコードがチャート1位になっていたなんて知っていたのだろうか?もし、知らなかったなら、ホント教えてあげたかったと思うよなぁ…。「こんなにアメリカから遠く離れた、しかも人種も超えた人達に愛されたレコード、愛されたブルース。それが、アンタのブルースなんやで!」って!

 しかし、十字屋(京都のレコード屋)のアルバムチャートでこのアルバムが1位だったという伝説を打ち立てた70年代初めという時代は、紛れも無く、関西でブルースブームが吹き荒れた時代である。で、その痕跡は少なくとも、僕が高校生位の頃(80年代終わり頃か)にもまだ残っていて、レコード屋の看板にもよく、マジック・サムが登場していたものだった。彼は、僕のイメージでは、「ブルースの街京都の顔」みたいな存在。その筋の所へ行けばいつでも彼と逢える様な、そんな気がする位、彼は看板、その他に出没していた。京都人はホント彼が好きだったんだろうなぁ。

 そう言えば、堺に本店があった「サムズ・レコード」(文字通り!)ってまだあるのかなぁ。そこにブルースのレコード買いに行ったら、いつもマジック・サムの話で店員と盛り上がったのを想い出すなぁ。で、「マジック・サムが好きならこれもきっと…。」なんて言われて、バディ・ガイなんかを買わされたりしたものだった。懐かしい!

 しかし、このレコードが僕にとって特別な意味を持ったのは、実は、大学生になって関西を離れてからの事だった。

 意に反して群馬の大学に行く事になってしまった僕。しかし、僕が入った大学の軽音楽部の先輩は、群馬の大学とは思えない程のブルース好きの集団だった。で、僕がサークルで初めて先輩方と組んだバンドは、ブルース系のロックバンドだったけれど、音だけで言えば、今でも、僕の音楽キャリア最高のバンドだったと自負出来るバンドだった。その位、今でも面白い事をしていたバンドだったと思うし、今でもバンドが辞められない原因は、きっと、このバンドでの音体験があったからだと言っても過言では無い。
 しかし、バンドは僅か一年で解散。原因はきっと、僕の演奏技術がついていけなかったからだろうし、メンバー間の「このバンドで何をやりたいのか?」っていうビジョンがズレてきたからだろうと思う。 
 解散間際にプロの方に演奏を見て貰った事があったけど、「何をしたいのか分からない。」って言われた。けれど、それは、メンバー本人達が一番感じていた事だった。

 今だから言えるけど、僕には「このバンドで何をしたいのか?」という答えが見えていた。「僕らのバンドは日本語でやるブルースバンドだし、ヴォーカルバンド」。それが答えに違いなかった。解散直前にスタジオで何気に録音した、マジック・サム風に演った「スウィート・ホーム・シカゴ」はそれを確証させた素晴しいテイクだったのを、僕は今でも忘れない。
 「俺等、プロみたいやな!」僕とギターを弾いていた先輩はそう言って、自分の車のカーステでこのテイクをずっと聴き続けていた。自分で言うのもって感じだけど、ホント素晴しかったな。


 僕らが、かつて目指したブルースを今でも想い出させてくれるのが、僕にとってのこのレコード。ブルースに憧れて京都を彷徨っていたあの頃から、バンドでのホロ苦くも素晴しい音を共有出来たあの頃を想い出させるのも、きっとこのレコード。

 パーティー好きの「彼」がくれたパーティーへの招待状が、きっとこのレコードだったんだろうなぁ。おかげで、この「バンドというパーティー」はまだまだ終わらないみたいだな!マジック・サム!


 

フル・サークル~ロジャー・ニコルス&スモール・サークル・オブ・フレンズ

2008-01-04 14:30:53 | 音楽
①トーク・イット・オーヴァー・イン・ザ・モーニング②ザ・ドリフター③あなたの影になりたい④アウト・イン・ザ・カントリー⑤愛し続けて⑥ウィナーズ・テーマ⑦ユーア・フーリン・ノーバディ⑧ウォッチング・ユー⑨オールウェイズ・ユー⑩アイム・カミン・トゥ・ザ・ベスト・パート・オブ・マイ・ライフ⑪アイム・ゴナ・ファインド・ハー⑫ルック・アラウンド

 昨今の再結成ブームだが、嬉しい反面、「辞めときゃよかったのに。」と思ってしまうものも少なくない。要は、再結成する事に何らか必然性があるのかどうかって事だろうなぁ…。勿論、必然性というのは、あくまで作品やライヴステージの質の問題。再結成でお金が儲かるなら、きっと、レコード会社も本人も乗ってくるだろうが、でも、それだけでは、ホント再結成なんてして欲しくないという事であって、それが、ホントのファンの意見というものである。

 本作品は、この作品が世に出ると分かってから、期待半分だが悪い予感もプンプン臭ってしまう要素があった。なにせ、唯一の不滅のアルバムから40年振りの再結成。しかも、日本で再評価されたレコードという事もあって、今回、この企画を持ち込んだのが日本のレコード会社。ロジャー・ニコルス以外のメンバーは、音楽から遠ざかって久しいらしい…。大丈夫なのか?

 案の定、発売直後のレコード屋には、大々的な宣伝と共に試聴コーナーにCDが積まれてあった。「渋谷系のルーツ」「渋谷系が最も影響を受けた」…。何ともなキャッチ・コピーの下に僕は居た。「お願い。期待を裏切りませんように…」。そう心の中で呟きながら、試聴のヘッドホーンに耳を傾けた瞬間、全ての不安は吹っ飛んだ。

「彼らは、まだまだこのメンバーでレコードを作る必然性があった。だから、このレコードが世に出たのだな!」僕は、1曲目だけ試聴して、すぐ購入した。40年前の作品と変わらぬ、素晴しいアレンジとハーモニーは健在だったのだ!

<レコード評>
 厳しい批評をすれば、相変わらず素晴しい名曲②の再録は、敢えて無くても良かったのかもしれないなぁ。これが、いかにもファンサービスっぽい感じがしてしまうけど、まぁ、良しとしておこうか。
 僕が最も泣けたのは、カーペンターズの③。このアレンジ、ハーモニーはあまりにも素晴しい!もう20回位聴いて、20回位泣いたな!