2012年10月30日。親父が亡くなった。享年69才。
ホント若過ぎた。生きていれば、これからもっと楽しい事が沢山あっただろうにとも思うし、いや、思い残す事はきっと無かっただろうとも思うし…。
うーん。そんな複雑な思いは1周忌を過ぎた今も変わらないけれど、当ブログに関して言えば、親父の事を書かないと更新出来ない気もしたし、書こうと思うまで、結局、1周忌過ぎるまで掛かってしまった。
更新が滞ってたのは「なるほど。喪中だったんだなぁ。」と思って下されば幸いです。読者の皆さん。すいませんでした。
音楽ブログなので、音楽と親父の想い出について書こうと思ったけれど、そう思うと、親父は、音楽には、あまり関心が無い人だったなぁ。一言で言えば「仕事とゴルフの人」。だから、僕がロックに興味を持ち始めて、ステレオやらギターアンプやらで、やかましい音を出し始めた頃は、ホントよく怒られた。
「やかましい!」
怒鳴り声も今ではとても懐かい想い出だ。
うーん。音楽と親父か…。
で、レコード棚をチェックして、しばし考えた。そして思い出した。
「そういえば、このレコード!」
話は遡ること、僕が中学2年の正月。
正月の2日か3日辺りは、デパートの初売(最近は元旦から空いてるけども)だが、我が家行事で言うと「初売の日は必ず西武百貨店」と決まっていた。そう。当時、滋賀県で唯一の百貨店と言えば、大津の西武百貨店だったのだ。で、この初売の僕の最大の楽しみは、当たり前ながら「お年玉で何を買うか」。当然、この頃の僕は「何のレコードを買うか」。
当時、レコードを1枚買うのは、決して失敗の許されない大冒険だった。エアチェックで気に入った曲やアーティストを書き出し、正月の何ヶ月も前から吟味する。そしてお年玉で何を買うか決めるのだ。後は、当時、西武百貨店に入ってたレコード屋「新星堂」の品揃え次第という訳で…。忘れもしない、この年の正月に買うと決めたレコードの第1希望は、レッド・ツェッペリンの「聖なる館」だった。
西武百貨店に着くや否や、一目散に3階の新星堂へ向かう。果たして「聖なる館」は…。「あったあった!」
まぁ、でも当たり前ながら、あったからと言って直ぐに買わない。レコード屋を、一応くまなく全部チェックしてからの最終決定となる訳で…。そして長いレコード屋チェックが終わり、ようやく購入の1枚が決定!
「うん。やっぱり予定通りツェッペリンにしよう!」とレコードを持ってレジに行こうとした時、突然、背後から親父に捕まった。
「おい。何のレコード買うねん!」
「(何で親父に言わなアカンねんと思いながら)言うても分からん奴や!」
「まぁ、エエわ。お金渡すから、ついでにこれも買うてきてくれ。」
「何や。面倒臭いなぁ…。」
渡されたレコードは紫色のジャケットの「越路吹雪のすべて」。
「うーん。ツェッペリンとこれを一緒にレジに出す中学生っておかしくないか?」
恥ずかしさ半分でレジに差し出したのを思い出す。
そしてツェッペリンの「聖なる館」は、今でも好きで時々聴くけれど、この時買った、もう1枚のレコード「越路吹雪のすべて」。この1枚は実家ではなく、現在、僕のレコード棚にしっかりと収まっている。いつの間にか、僕もこれを「いいなぁ!」と思える歳になっていたのだな!
僕は親父に似てきたのだろうか?いや、似てない!多分!
今だから書けるし、あの時の事を記憶に留めておこうと思う。
親父が死んだ時、そして葬式の時、2回泣いてしまったけれど、葬式の時、何であんなに泣いてしまったのだろう。
喪主の兄貴が素晴らしい弔辞をスピーチしてくれたから?
そうだな。僕以外にも沢山の人が泣いてたもんな。
話は変わって、確か友部正人さんの曲だと思うけど「はじめ僕は一人だった」っていう歌がある。僕がこの曲を知ったのは、僕が大学1回の時に一緒にバンドを組んでいたヴォーカルの先輩が、バンドを解散してからのある日のあるステージで、たまたま、この歌を歌っているのを聴いたからだった。
その先輩のヴォーカルが凄く良くて、心に響いた。そして、それ以来、僕の頭の中で「はじめ僕は4人だった」っていう歌がずっと唄われ続けてきた。歌はいつの間にか、すり変わっていた。
「はじめ僕は4人だった」
僕がもし、自分の家族の系譜や自伝を書くなら、書き出しはこれに決まっている。はじめ僕は4人だった。両親と15ヶ月離れた兄貴と僕の4人。僕には5歳離れた弟がいるけれど、弟は後からやってきた。で、弟が生まれた時、僕はもう5歳だったから、その時の嬉しさは今でも強烈な記憶だし想い出。だから弟が生まれた時は「そして僕は5人になった」という感覚だ。
「はじめ僕は4人だった」
兄貴のスピーチを聴いていたら、そのフレーズで頭が一杯になった。そして、「僕のはじめの4人の中の1人だった親父」が居なくなってしまったという喪失感が、溢れ出して止まらなくなってしまった…。これが涙の真相だった。
という訳で喪中は終わり!
ホント若過ぎた。生きていれば、これからもっと楽しい事が沢山あっただろうにとも思うし、いや、思い残す事はきっと無かっただろうとも思うし…。
うーん。そんな複雑な思いは1周忌を過ぎた今も変わらないけれど、当ブログに関して言えば、親父の事を書かないと更新出来ない気もしたし、書こうと思うまで、結局、1周忌過ぎるまで掛かってしまった。
更新が滞ってたのは「なるほど。喪中だったんだなぁ。」と思って下されば幸いです。読者の皆さん。すいませんでした。
音楽ブログなので、音楽と親父の想い出について書こうと思ったけれど、そう思うと、親父は、音楽には、あまり関心が無い人だったなぁ。一言で言えば「仕事とゴルフの人」。だから、僕がロックに興味を持ち始めて、ステレオやらギターアンプやらで、やかましい音を出し始めた頃は、ホントよく怒られた。
「やかましい!」
怒鳴り声も今ではとても懐かい想い出だ。
うーん。音楽と親父か…。
で、レコード棚をチェックして、しばし考えた。そして思い出した。
「そういえば、このレコード!」
話は遡ること、僕が中学2年の正月。
正月の2日か3日辺りは、デパートの初売(最近は元旦から空いてるけども)だが、我が家行事で言うと「初売の日は必ず西武百貨店」と決まっていた。そう。当時、滋賀県で唯一の百貨店と言えば、大津の西武百貨店だったのだ。で、この初売の僕の最大の楽しみは、当たり前ながら「お年玉で何を買うか」。当然、この頃の僕は「何のレコードを買うか」。
当時、レコードを1枚買うのは、決して失敗の許されない大冒険だった。エアチェックで気に入った曲やアーティストを書き出し、正月の何ヶ月も前から吟味する。そしてお年玉で何を買うか決めるのだ。後は、当時、西武百貨店に入ってたレコード屋「新星堂」の品揃え次第という訳で…。忘れもしない、この年の正月に買うと決めたレコードの第1希望は、レッド・ツェッペリンの「聖なる館」だった。
西武百貨店に着くや否や、一目散に3階の新星堂へ向かう。果たして「聖なる館」は…。「あったあった!」
まぁ、でも当たり前ながら、あったからと言って直ぐに買わない。レコード屋を、一応くまなく全部チェックしてからの最終決定となる訳で…。そして長いレコード屋チェックが終わり、ようやく購入の1枚が決定!
「うん。やっぱり予定通りツェッペリンにしよう!」とレコードを持ってレジに行こうとした時、突然、背後から親父に捕まった。
「おい。何のレコード買うねん!」
「(何で親父に言わなアカンねんと思いながら)言うても分からん奴や!」
「まぁ、エエわ。お金渡すから、ついでにこれも買うてきてくれ。」
「何や。面倒臭いなぁ…。」
渡されたレコードは紫色のジャケットの「越路吹雪のすべて」。
「うーん。ツェッペリンとこれを一緒にレジに出す中学生っておかしくないか?」
恥ずかしさ半分でレジに差し出したのを思い出す。
そしてツェッペリンの「聖なる館」は、今でも好きで時々聴くけれど、この時買った、もう1枚のレコード「越路吹雪のすべて」。この1枚は実家ではなく、現在、僕のレコード棚にしっかりと収まっている。いつの間にか、僕もこれを「いいなぁ!」と思える歳になっていたのだな!
僕は親父に似てきたのだろうか?いや、似てない!多分!
今だから書けるし、あの時の事を記憶に留めておこうと思う。
親父が死んだ時、そして葬式の時、2回泣いてしまったけれど、葬式の時、何であんなに泣いてしまったのだろう。
喪主の兄貴が素晴らしい弔辞をスピーチしてくれたから?
そうだな。僕以外にも沢山の人が泣いてたもんな。
話は変わって、確か友部正人さんの曲だと思うけど「はじめ僕は一人だった」っていう歌がある。僕がこの曲を知ったのは、僕が大学1回の時に一緒にバンドを組んでいたヴォーカルの先輩が、バンドを解散してからのある日のあるステージで、たまたま、この歌を歌っているのを聴いたからだった。
その先輩のヴォーカルが凄く良くて、心に響いた。そして、それ以来、僕の頭の中で「はじめ僕は4人だった」っていう歌がずっと唄われ続けてきた。歌はいつの間にか、すり変わっていた。
「はじめ僕は4人だった」
僕がもし、自分の家族の系譜や自伝を書くなら、書き出しはこれに決まっている。はじめ僕は4人だった。両親と15ヶ月離れた兄貴と僕の4人。僕には5歳離れた弟がいるけれど、弟は後からやってきた。で、弟が生まれた時、僕はもう5歳だったから、その時の嬉しさは今でも強烈な記憶だし想い出。だから弟が生まれた時は「そして僕は5人になった」という感覚だ。
「はじめ僕は4人だった」
兄貴のスピーチを聴いていたら、そのフレーズで頭が一杯になった。そして、「僕のはじめの4人の中の1人だった親父」が居なくなってしまったという喪失感が、溢れ出して止まらなくなってしまった…。これが涙の真相だった。
という訳で喪中は終わり!