葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

西欧文化と日本文化―4

2012年05月24日 21時42分36秒 | 私の「時事評論」


やや話が広がりすぎたが

 さてさて前回はずいぶん大きなテーマまで展開をしてしまった。私の意とするところは、我が国に押し寄せる西欧文化の勢いに対して、「日本文化の育んできた独特のセンスを見失うな」というだけで良かったのだが、書いている私の文が著者のコントロールを越えてやや暴走をした感がある。
 ただ、今回の文を書こうとした当初のきっかけは、原子力発電を利用して良いか否かというテーマに続き、その後も目の前に重要な問題となり得ると予想されるネルギー資源の確保、あるいは急増する世界人口の膨張を前に食料確保、さらには地球温暖化や環境汚染などの諸問題に、独自の判断を示し得る日本人として、考えなければならない基本があるのではないか、という問題意識だった。そんな自分の着眼点を思い出し、その課題に「日本文化の育んだ貴重な発想の復活が大切だ」と思っていたので、原点に還り、そんなところにちょっと触れて、結論の進むべき方向を求めて、この文を締めくくることにしよう。


 日本と西欧文化には、前提の違いがある

 以下私の述べる文は理屈くさいので、関心の無い方はここからは飛ばして、次の小見出しまで飛ばして進まれたい。
 戦後わが国では、個人が思うままに活動し、欲望のおもむくままに生きることが新しい時代の新しい生き方であるとの教育が行われてきた。まるで野獣のように本能的に生きるのが理想という発想に近い。私はその考え方そのものの大前提が日本的でないと受け取る立場にいる。

我々が戦後、普遍的原則であると教えられた「人は生まれながらにして平等だ」との原則、「個人の自由は天が与えた権利である」という自由・平等の原則を、人間社会に最初から存在しているものだと無条件に信じるのは、私は非現実的だと思う。生まれつき頭の良いもの悪いものはいる。体力に恵まれたもの病弱のものの格差もある。意志の強いもの弱いもの、特殊の才のある者ないもの、敏感なもの鈍感なもの、持って生まれた不平等は明らかに存在するし、生まれた環境にだって大きな差がある。それが最初から存在しないなどという断定は一般では通用しない。

 こんな法則が無条件に西欧(日本を占領した米国)において教えられ、日本人にも同じように教えようと計画された背景には、米国がプロテスタントのキリスト教文化の国であり、全国民にキリスト教の信者相互の間に共通の文化の土壌があったから通用したことという条件を見落として日本に教えようとしたミスだったと思う。言葉を換えれば、全員が全能の神・ゴッドの信仰者であるという共通の土壌が存在する上でのみ、これは教育の原則としてありえたのである。

 だが日本は彼らにとっては異教徒である別の「日本の神」の信仰の基に作られてきた社会である。彼我の文化の差を明瞭にわきまえないで、こんな教育を押し付ければ、それは迷信を強制的に教え込ませて、その国の文化を破壊することになってしまう。

 人間には一人とて他人と同じに生まれるものはいないし、平等は現実ではなく我々が追求すべき理想の姿にすぎないと解釈するのが、一般的には冷静な観方だ。それが既に存在すると西欧人が言えるのは、聖書における全能の神・ゴットとその信者の関係を前提にしているからだ。それは全能のゴットとゴットに選ばれた選良=信者の間で、ゴッドに与えられたという論理の上の作られていることに気づかねばならない。だが、日本を占領した米国はその違いを見落として、そのまま日本に彼らの思想を押し付けようとしたし、前回に触れたように、明治以来、急速に欧米に傾倒するようになった日本在住の「洋魂洋才」にいつしかなってしまった知識人たちも、そんな彼我の違いに気づくほど本物の西欧文化を理解していなかった。

 これを知って冷静に見れば、西欧文明の平等の思想の出発する根拠は、人の生まれた性分にはおのずから差があるし、環境や身分の差があることを否定したものではないことにも慎重に考えれば気がつく筈だ。ただ違いがあっても人間相互の能力差などは、ゴッドと自分らとの圧倒的な違いに比べれば、ほんの僅かな凸凹に過ぎないではないかといっているのに過ぎないのだ。ただ地上に住む人々の間の能力差や環境、財産などの高低の格差は、天にある全能のゴッドと地上の信者たちの間にある想像を絶するくらいの差に比べれば、ほんの僅かのちょっと高い低いなどという小さなものになり、もうそれは誤差とみなしてもよい細かな差にすぎないというのがキリスト教などの捉え方だ。

 ゴッドと人間との格差をみる視点の前では、信者相互の格差がいくらあっても、それはゴッドとの距離との対比で見れば、あまりにも小さく、無視してほぼ平等の距離とみなしてもよい。平等の方程式はそこからが成り立ってくる。だから人々(ただし信者たちどうしに限る)はおのずから平等であるとの論が生まれる。

 その発想が基になり、西欧では自然法などの論理概念も生じてきた。それには同じセンスがあるのだが、その捉え方は、我々日本人の抱いてきた神道や哲学とは、発想法においてかなりに違っている。


 我々日本人の文化は、この大自然のあらゆるもの、動物ばかりではなく、草木も山も川も石も天気も太陽も星もすべてが霊性を持つ混沌の中から宇宙を生んだ結びの神の作られたものと受け取る神話に基づく発想から成り立っている。それら作りなされたものはお互いに八百万の神々という霊性につながっており、調和しあって我々の環境・大宇宙ができている。人間だってそれらの一部分としてそんな調和の中に存在しているのは勿論のことだ。そんな哲学が先祖たちによってたてられて、我々はこの認識に立って生きてきた。だから全てのものが結びあっているこの世界は、我々の神が作られた宇宙であるから、その構成要素である我々も、あるがまま、組成を壊さず大切に次世代に引き継いでいかねばならない。またそんな万物それぞれに霊性があるのだから、それらの霊(神)が満足されるようにひたすらまつりをして、神々にあるべき姿に落ち着いて機嫌よくしていただく。我々は良き恵みを求めてまつりをするが、それもそんな調和を作られた神々の御機嫌を取り、精一杯の配慮を戴きたいという儀式なのだとする。ちょっと神道の解釈としては雑だが、また理屈の世界に入って分かりにくいかもしれないが、大まかにいえばそんな発想から出発している。

 西欧の自由の原則は、全能のゴットがひたすら信仰する自分の形に似せて作った人(信仰する人間)との関係で語るところを基本としている。そしてゴットに絶対的に服従する、ゴットが格別に可愛がる人間に、造物主として特別に万物に対して支配する権限を与えたという信仰につながっている。


西欧的常識がなかったので

 さて、敗戦で占領軍によって過去の日本の思想教育が否定され、国への忠誠心ばかりではなく、日本の神々や、家庭の習慣、そこから生まれた集団の秩序意識、家族主義や長幼の序列や先輩への接し方までがまとめて教育を禁止されたので、日本では国民の社会意識の解体、集団を構成する秩序意識崩壊の傾向などが一挙に進んだ。在来の日本人の暮らし方は、ことごとく反動的な古いものとされ、個人の自由を束縛する封建的な遺物だと否定されたので、日本人の集団として生きていく暮らしは一変した。私はこれにより、日本人社会は集団から、ただそこに集まる「群れ」にすぎないものに変質したと思っている。

 人間の幸せを求める心を、他人を押しのけてでも求めるのが自由だと教えられ、さらにこれとは論理はつながらないのだが、別に平等教育も行われた。平等教育では競い合って努力することまでを否定し、無差別に平等を徹底させる教育で、幼稚園や小学校での運動会で、皆が手をつないで一緒にゴールするようなおかしな競技風景までが導入された。平等思想の基本に、日本人はキリスト教倫理の教徒の持つ生活常識などは持っていない。たとえば「男女同権」などは、役に立つべきところはほとんど何もなく、勘違いした日本人が急増して混乱し、おかしな日本を作り上げる結果となった。

 また戦後の日本が敗戦により、物質的にも食べるものも着るものも不足し、寒風に飢えているような中にあって、当時の米国の豊かな生活ぶりを見せられ、アメリカのまねをして生きていけば、こんな豊かな暮らしができると言わんばかりの宣伝は、日本人の心を大きく揺さぶった。日本が先輩や親や集団の指導者などが率いる家庭や地域集団、会社や国などのことを優先し、自分の贅沢を本気で求めなかったからこんな米国みたいな生活ができなかったんだと教えられ、日本人は好況への道徳や仲間に対する配慮、将来に向けての蓄積なども考えずに、ただものをたくさん使用することが幸せだと思う日本人の判断基準が固まってしまった。
 それまでの「贅沢は敵」というスローガンから「贅沢や無駄遣いすることが幸せ」という使い捨て文化の発想、単純なものの考え方が社会の中に強く意識されるようになった。日本人の生活感は日本文化の「子孫のために美田を遺す」という精神風潮とも結びついていたが、この構造が占領政策として破壊されたために、国民はただ現在の物質的贅沢と享楽を求める姿勢が著しく強くなった。社会が集団から単なる群れになったような状態であった。

 先輩や先祖の作った遺風を否定し、今を楽しむ。日本人はそれまで国の総合面の発展のためにと懸命に国民教育の徹底、今のぜいたくよりも未来の発展を目指して勉強し、蓄積をして励んできたが、その力がすべて現在の生活の物的向上に向けられるようになってきた。それは敗戦によりすべてを失い、壊滅的な状態にあった日本経済の回復には一つの力になった。日本には敗戦まで、国の急速な成長を目指して勤勉に働く教育が徹底され、技術能力を磨くための教育にもかなりの力が入れられて来ていた。それらの大きな生産力も戦後の経済復興の大きな力になった。朝鮮戦争の勃発による特需による景気をきっかけにして、戦後の日本が急速に経済成長を果たし、明治以来の日本が夢見ても果たせなかった大きな国際的進出を果たし得たことはいまさら説明する必要もないだろう。


日本らしい個性が消えてしまって。

 明治時代の初め、日本が鎖国を解いて開国したためにやってきた多くの西欧人は、整然とした日本の風景に感心して、多くの記録を残している。それらに共通する大きな驚きは、日本人が自然環境と密着した生活し、日本には自然の破壊がないことだった。江戸のような大都会でも、山から流れてきた美しい水が市街を潤し、人はその水で生活している。洗濯や調理、糞尿などは見事に再利用され、畑の肥料などに回されていたし、街にごみなどはあふれていない。家は木造だが古いものでも大切に維持されていて、無残な廃墟や荒れ地などは見当たらないし、森や林、野や畑も青々と生きている。神社や寺は生きているし、人々は質素だが、自然を楽しみながら暮らしている。そんな姿が描かれている。

 日本人の文化意識、自然と人の共生の姿が見事に生き生きと再生され続けていた。

 日本人は自分らも自然とともにその一部として生活をしてきた。それは西欧文明が日本に大量に取り入れられるようになった近代日本社会においても変わらなかった。人々は助け合い、共に働き、自然の恵みを大切に使って、また自然を味わいながら生活をしてきた。
 だがそれが急変したのは戦後のことである。日本社会に生きていた日本風の価値観が崩れて、自然と共生していくのではなく、人々に自然と競い、それを押しつぶし破壊してでも欲望を満たす生活の傾向が濃厚に出てきた。

 いまの日本人の生活は、自然を大切にし、自然を掌る神々に祭りをし、その恩恵の中に我々も生きていくという謙虚な姿勢が見られなくなったと言われる。自然の恵みを大切に生きる姿勢もだんだん影が薄くなってきた。日本人は昔から連れ立っての旅が好きだ。新しい風物に接し、新しい郷土の味を楽しみ、土地の風情を楽しむ民族である。だが今の日本の観光事情を見るがよい。かつては土地土地の匂いを感じさせた郷土料理などは見る影もない。看板こそは同じものが掲げられているが、過去の日本そばなどがおいしく有名だったところに行って郷土名物の山菜そばを注文すれば、中国産のそば粉をこねて、同じく中国輸入の山菜を載せた「山菜郷土料理」を食べさせられる。多くの人が土産に買う名物が、外国や大都市で造った、訪れた郷土とは似てもつかない土産品だ。個性的な日本の良さは、いつの間にか資本主義化、西欧化の流れの前に消えてしまった。

 こんなことになったのも、日本の地方都市は軒並み人口や産業の大都会での集中の前に崩壊し、実は街そのものが無くなってしまいつつあるからだ。人々の各地の消費生活を賄っていた商店はなくなり、ところどころに残る無機質なコンビニが、残った人々の日々の暮らしを大量生産の無国籍食品などでつないでいる。地方特有の個性を残す産業もつぶれ、伝統技術も怪しくなった。若者たちは村を捨て、残るのは行くあてのない僅かな老人だけになった。ところどころに「観光地」と称する街は残っているが、もう、郷土の個性を残す産業は消えてしまって残っていない。

 翻って人の集まる大都会を見ても、いまの日本には昔のように個性を残す商品はまれだ。均一化された使い捨て商品と、どこでも手に出来る大量生産品の飽食の中に暮らす文化に変質してきた。ファッションの宣伝に「オリジナル」とか「個性的」などという言葉がひどくはやる。こんな言葉は昔は手作りの注文生産時代の商品を指していた。だが今はこんな言葉が大量生産の売り言葉にされ、個性的商品といわれるものだが何十万も売られている。同じ「個性的」という宣伝で売られた服を着た何万人の人が並んで歩く大都会だ。


 おかしなものの考え方

 そんな中、日本を失ってきた日本でも資源の枯渇、来るべき時代の食糧危機などが騒がれるようになってきた。自然(地球)全体のバランスが人間の需要のために枯渇して、深刻な時代が目の前に来たというデータがそろいだした。先に触れた原発に頼らねば電力の需要を満たしきれないという問題なども、大地震で偶然起こったように見られているが、偶々こんな事故があったために表に出た、日本のかつてのリサイクル経済からはみ出し、神の知らないものを人間が作り始めた特殊な部門のその一つだ。こんな問題が起こると、需要が大きく増加して、このままでは我が国は深刻な時代になるとの危機をあおるような宣伝が起こっているのがいまの日本だ。

 これを聞いて、将来の日本を限りなく汚染して、深刻な問題を巻き起こすことを知りながら、原発は続けるのもやむを得ないなどという国民の声も強いという。


 需要はほしいままに放置すれば際限もなく増える。それは人間には際限もない物欲があり、当然のことと思われる。昔の我が国では集団生活方式でいたから治安も恐ろしく良かったし、開放的な家を建て、夏は涼しい風を取り入れ、冬はちょっぴり厚着をして、林業で余った間伐材などを用いて炭などを作り、こたつや火鉢で過ごしていた。だが最近はどの家も戸をしめ切り、夏は冷房、冬は暖房で暮らすようになった。家の外に、夏は冷房で周りをいっそう暑くして部屋の中だけを極端に冷やし、吸い取った熱をまき散らし、冬は寒風をまき散らす。町中舗装して道路も建物も、水も通さず木立ちも枯らし、暑いときには周りを温め、寒い時にはその反対だ。どこででも元気に表で遊んでいた子供たちは、家にこもって電気をつけて、ゲームやテレビなどに興じている。街を歩いても子供の遊ぶ姿はめっきり減った。どこの家でも食料を大きな冷凍冷蔵庫に入れて、冬でも豊富な電気で冷やしておいて、食べるときには加熱する。家の明かりも街灯も、昼間のような明るさだ。工業生産で膨大な電気を使うその上に、こんな需要も年々増える。

こちらに手をつけることが無くては、電力など、足りなくなるのが当然なのだ。だがこんな事態を需要はそのままに確保して、それを大前提にしたままに供給だけを確保しようとする電力問題の検討など、発想自体がおかしいのではないか。

 こんな話は増え続ける人口を前に、資源問題全体に、急速に我々に覆いかぶさってくるだろう。時代は自然環境のことを考えずに、人間がこれ以上、暴走することを許さぬ時代になってきたのだ。
 他の宗教を批判するのは本意ではない。西欧的発想を変更するのは大変だろう。だが、それらも時代の流れを見て人間が、これからも穏やかに生き続けられるものに代わっていってくれることを望んでいる。
 ただそんな中に、自然の動きを最も大切な柱として、その中で人間の暮らしを調和させ、いやさかに暮らしていくことを基本にしてきたわが文明が、たった一つでも消えるところの寸前で世界に残っていたことが、大きな今後を狙う切り札になるのではないか。

 日本の文化意識の基本になる神道は、西欧からは時代遅れの「アミニズム」として過去の文化の遺跡であるかのように言われてきたものである。だがこの自然を眺め、自分らの生き方を眺める謙虚な姿勢が、私は今後の人類が生きていく中心になると確信している。

 人間は過去の時代の地球を一時は制覇し、そして突然滅びて行った恐竜やマンモスと同じコースをたどってはならない。絶滅危惧種になってはならない。まだその知識の集積は地球全体の雲一つを動かすだけのものになっていないけれど、これからは従来の西欧文明の一部には見られたおのれの分際も知らずに思いあがる欠点を改めて、あらゆる地球と共存する道を探るべきだと私は考えている。
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西欧文化と日本文化 3

2012年05月20日 09時18分13秒 | 私の「時事評論」


 二波にわたっていた西欧文明への依存傾向

 本来は先ず最初に書くべき日本と西欧の文化の展望を後にして、原発の問題など、具体的生々しいいま話題の課題が先行してしまった。あらためてここで少しそれらの話の出てくる背景を眺めて、なぜ私がそんな問題に焦点を当てて論ぜようとしたのかを総括してみたい。頭の整理能力がピークを越した老人筆者の文だ。少々一貫性を欠き、全体を描かず必要だと思われる部分にだけ集中しているきらいもあろうが、まあ読んでいただきたい。
   ○
 日本人の生活をする基準になる価値観がすっかり変わり、無神論風の唯物的、即物的になってしまったあの敗戦の時代から、もう70年近くが経った。戦後の我が国は敗戦後に、「占領軍指導の洗脳教育で価値観までが変えさえられ、軽薄で目先のみしか見ない国民の国になってしまった」とはよく聞く評である。ただ私は、戦後の一時期の、占領政策としての洗脳工作は徹底していたが、その効果だけで単独に、こんなに簡単に日本社会全体の人心が変わってしまったのだろうかという疑問も持っている。
 終戦後の米国が意図的に行った対日占領計画に基づく「国のため、将来のために尽くす人生は愚かである」との日本への洗脳工作が大きな効果を挙げたのは事実だろう。だがこんな思想洗脳が成果を上げた背景には、終戦前に日本の受けた心理的ショックがあまりに大きかったという条件があったのではないか。戦時中、「日本はすべてをかけて戦って、敗れた時は一億総玉砕をするしかない」と国民が覚悟していたのに、突然天皇陛下の終戦の御聖断により生き残った。あの当時、まだ学童にすぎなかった私でも、万一の時は死なねばならぬかと覚悟していた。一体これからはどうすればよいのか。国民は何も分からなくなってただただ動揺していた。精神的な空白経験である。
 これに加えて、私は占領直後の時代から、米国の占領政策に多くの日本の知識人と称する人々が協力し、占領政策が欧米協力者の進歩的文化人と称する人々の基に行きわたったことを挙げたい。戦勝敵国に協力する者は、通常なら敗戦直後に「国を売る者」として国民の非難を浴びる存在だ。世界の歴史を見ると、敗戦時に戦争指導者たちが国民大衆から処刑されたり、再び独立を国が回復した時に、占領協力者が同じ目にあったりするのは敗戦国の常である。ところが日本では、多くの戦前の知識人層の連中が占領政策に追随し協力したが、彼らは日本の独立回復後も追放などされずに残った。残っただけではない。その地位にとどまり続け、政治の指導的立場にい続けるという特殊な歩みを通ってきた。それはどうして起こったのか。私は天皇を中心に据えてまとまる集団意識が優先する日本人の文化と、個々の人々が全能の神の前に個人として集まると意識されて構成された西欧文化との質の違い、対応の違いが表れていると思う。

 鎖国から開国に踏み切った日本

 昭和20年(1945)の天皇陛下の終戦の御聖断まで、わが日本はすべてを擲って米英など西欧諸国と戦ってきた。資金も物資も蓄えも乏しく、冷静に見れば勝利への希望も見えない苦しい戦いであった。だが、日本の指導者たちが戦いを決断したのには理由があった。戦わなければ日本は、独立自存の道を放棄せざるを得ないと決断した事態に追い込まれた結果だったのだ。話が大きくなってしまったが、ここで事情を理解するために、その前史としての日本の近現代史の大きな流れも見るべきだと思う。
          ○
 先ずいまから500年ほど前まで視点を戻そう。徳川幕府の時代、日本の採った鎖国政策である。この「鎖国」が戦争の一つの起因にもつながっている。
 我が国は神武天皇の建国以来、自然の環境や神々と調和して、つつましやかに生きる方針を取ってきた穏やかな国であった。周りの国々とも交際をしていたが、海を隔てた諸外国とは、海が天然の防波堤の役割を果たしていて、独立して生きる干渉はほとんど受けず、御蔭で独特の文化を維持してやって来ていた。だがそれが、海外環境が急変し、船舶の技術なども発達して、そのころ西欧諸国の異教キリスト教と世俗の王制との組んだ乱暴な圧力的攻勢にのみこまれてしまう危機を感じる時代になったので、独立を維持していくために鎖国の道を選択した。
 時は西欧キリスト教諸国が頻りに船を駆ってアジアまで膨大な富や植民地を求めて進出し、東洋的文明思想とはまるで違う方式で、異教徒などは、対決し征服すべきおなじ対象であるとの発想で、競って植民地や隷属国にし始めたいわゆる「大航海の時代」のさなかであった。そんな周辺諸国の情報が続々日本にも伝わって来ていた。
 日本は力ずくでも侵略から国土の独立を守ろうと鎖国制度を採用した。それは日本が外国とは海という天然の防壁に囲まれていたこともあって、かなりの間、安定した独自の文化を我が国が続けることを可能にした。日本の外のアジアの諸国などにも、鎖国制度はかなり採用された例があったのだが、地理的政治的条件もあり、日本のように国の防衛を自国の力で貫徹することができず、次々に西欧諸国の植民地や領土割譲などの悲惨な状態になっていったのは、世界史の当時の状況を眺めれば一目瞭然である。

 だが、そんな西欧の植民地政策を加速するように、西欧において産業革命が起こった。それまでの人力や風力などを武器や道具に利用していた西欧諸国は、蒸気機関の発明など、飛躍的に巨大な力を人間が扱える機械技術の発明により、従来とは比較にならない強力な力を得、また大量生産による物質生産の技術を手に入れると、それを用いて鎖国を固守する日本にやって来て、開国を相次いで要求するようになってきた。やってきた西欧の軍艦は、ただ一隻で相手の国を破砕するほどの大きな力を備えていた。こんな情勢の変化に、迎えざるを得なかったのが明治維新であった。
 代々続く民族集団の祀り主として天皇を戴き、まつりを中心に自然と調和のとれた文化を維持していく。そんな国体を昔から維持してきた日本の文明は大きな危機に直面した。日本は知恵を絞って東洋文明国として、すでに西欧諸国が圧倒的な支配力を持つ国際社会の中で生きていく道を選ぶために模索して、この結論として明治維新を断行した。
 西欧諸国から、属国として呑みこまれないためには、押しつぶされない力が必要だ。そのためには幕府が政治の権限を代行していた封建時代の体制から、国として強固にまとまる天皇親政を復古して団結を固め、西欧のように強い力、新しい技術も採り入れて武器として採用していかなければ、いつどこで日本の独立が侵されてしまうかもしれない。だが日本文化の美風も失いたくない。そこで「和魂洋才」で行くという基本方針を固め、培ってきた文明の精神的核(コア)をあくまで維持しながら、技術としては西欧の先進のものを積極的に採用し、その力を利用して自衛し、独自の発展を目指すことにした。これが明治以来の日本の歴史である。

 西欧に簡単に憧れる新知識人が続出

 だが、理屈でこれを語ることは易しいが、現実的にはこれは大変な事業であった。こんな新しい国家を作るには、西欧技術を身につけて、日本のために活用する知識人が大量に必要だ。明治日本は西欧の新しい技術や学問を身につけさせようと、各藩出身の優秀な人材など大量の人々を外国に送り、彼らに西欧の新知識を学ばせて新しい日本の万般運営にあたらせた。だがそんな任務を持って西欧を学んだ連中の多くは、日本の悲願である「和魂洋才」による日本らしさの防衛という意味を解せず、ただただ目の前の西欧の力に圧倒されて西欧崇拝に落ちてしまう連中を続出させた。そんな新知識人が続々日本の指導部門、政界、官界、軍、教育界、マスコミなどに増えていき、思わぬ混乱も呼ぶようになった。
 一方国際社会に進出しようとした日本の国は、それまで独占状態で世界を支配してきた西欧白人諸国の世界支配体制の中に分け入っていかなければならなかった。だがそんな有色人種の国・日本の進出は西欧陣営の既得権益に割り込むことになる。国際社会に入り込もうとする日本には各国から、猛烈な圧力が加えられた。
 外には厳しい西欧の独占的な支配体制の中に食い込まねばならぬ。そのために力として手に入れようとする西欧文明吸収は、派遣した者が、日本と西欧の二つの文化が、その基礎としている文化が、方や自然調和の日本神話を基礎にした集団生活型で、他方は聖書に基づいている個人中心主義、その違いも曖昧にしたまま、西欧礼賛に流れてしまう内面からの異端者を生む結果をもはらんでいる。日本は厳しいかじ取りを求められた。
 しかし明治日本はその難しい課題に懸命に取り組んできた。大急ぎで西欧の技術を自らも取り入れ、それと同時に西欧とは別の東洋の理想を求めて動く日本は、和魂洋才の国として見事な成長を遂げ、明治の末年には日露戦争で大国ロシアに戦勝して世界に注目されるとともに、日本に見習って独立国として世界に羽ばたこうというアジアの国々、アラブ・アフリカの国々の希望の星として期待されるようになった。
 だが、日露戦争辺りを契機に、日本と太平洋の覇権で対立する米国をはじめ西欧諸国の姿勢はいよいよ日本に厳しくなり、それは背後に「イエローペリル」などという人種差別の要素までを含み、日本にとっていよいよ厳しい時代に向かっていった。

 早くも西欧化に我を忘れる気風

日本では急速な欧風の学問や技術を取り入れようと国を挙げて進む中で、大きな問題を常に抱えていた。なぜ日本が日本らしさを維持しなければならないのか。日本国の抱く理想が分からずに、欧風一辺倒に染まってしまい、「和魂洋才」ではなく「洋魂洋才」に流れていく知識人が続出したからだ。新しい技術を西欧に求めて出かけたものの、すっかり欧風礼賛の追随者になって帰国して、特に学者や官僚、軍人、言論人などのそんな傾向を強く持つものがどんどん増える結果になった。そんな人々が増えてきた結果、日本自体の採る対外政策などにも、日本自身がまるで黄色い肌をした白人ではないかと思われるような側面も増えてきた。そんな傾向は国内で、「日本精神」と宣伝されるものの中にまで、日本的ではなく、覇権主義といわざるを得ないものまで含む数世までを生みだし始めていた。大正時代あたりから日本が行った軍事行動、国際政治活動などにも、これではまるで、日本も西欧文化的発想になったのではないか、日本はいつから「肌の黄色い二流白人になったのか」と思われるような行動も随所にみられるようになってきた。
 日本が日中戦争から大東亜戦争に走った歴史。これを冷静に眺めるためには、開戦決意の当時の日本は、明治維新当時の日本と比べてかなりに欧化してしまっていた点を見落としてはならない。もうその当時の日本はある面においては(大衆の意識は全く別で昔のままだったが)全く西欧諸国とよく似た体質に変化をさせられて来ていてしまっていた。
 大正デモクラシーの時代ころから、我が国内には西欧文明に魅せられる傾向は、かなりの層にまで広がってきた。明治維新の時代まで、日本では伝統的なつつましい生活を送るのが理想とされてきた考え方までが「過去の思想」として意識され、これからの発展は西欧的な新しい発想の基に求めるべきだと安易に信じ込まれてしまっていた。日本が急速に成長するために取り入れた資本主義化の原則が、日本の伝統的な情緒的睦みあいの思想には馴染まない弱肉強食の社会制度を基礎にしていたこともあった。その思想が強く日本にはびこることになった。当時の日本は官僚組織、学校組織、軍の組織、そして政府までも新しく国の指導的立場に就いた彼ら新知識人の影響でかなりに欧風化し、すべてを西欧論理で判断していく風潮が強まっていた。
 軍の組織は勿論、西欧の軍組織が模範になっていたし、経済格差の拡大により、大量の貧民層も生まれたが、そんな人々に同情するグループも、大半はいつしか西欧型の社会主義の影響を受けるようになっていった。新聞や雑誌などのマスコミにも欧風礼賛の空気は濃厚であったし、政府も明治初年から欧風化の傾向を強め、昭和の時代になると、西欧の混乱時に急速に力を得てきたファッショ・ドイツなど全体主義と日本の伝統的政治思想のあり方の区別さえできないほどに欧化して来た。
 「目には目を」「歯には歯を」の空気の中で、追い込まれた日本は勝ち目がほとんどない米国への戦争に追い込まれてしまった。そしてすっかり資源を使いはたして敗戦。米国の占領下にはいった。

 知識人がすでに欧化をしていたために

 現在の状況の精神的背景はこんな流れをたどって生まれてきた。現代において、日本の現状を憂うる人の多くは、この日本のたどった戦後の時代の足跡のみを見て、戦後の日本はどうしようもない道を歩いてしまったと残念がり、戦後体制からの脱却を叫び、戦前の日本への復帰を訴え続けている。
 だが私に言わせれば、日本人が日本人の心を見失ったのには明治以来の日本の新知識人たちの軽率な「和魂洋才」の形骸化や見落としも大いに力があったとも思っている。明治天皇がいつも憂えておられたように、日本人が明治の時代に、大切な日本の伝統意識を守る気概をもっとしっかり固めていたら(守るべき祖国についてしっかり学んでおいたなら)、明治以降の潮流ももう少しまともだったし、戦後にこんなに簡単に欧米追従の空気に乗せられて国の体を失うこともなかったろうと考える。
 戦後のいわゆる「民主主義化」というスローガンを掲げた占領政策が、大きな力を発揮した背景には、明治以来の日本の新知識人といわれる人々の中に既に巣くっていた欧米礼賛の空気があった。日本の国内で自由に意見を表明し合い、良き日本に発展するためには、憲法などはほぼそのままに、国内の制度改革をした方が脱線しなかったとさえ私は思う。それよりも問題にするべきは、日本精神を見失って、あるいは日本精神を見損なって、暴走してしまった人々に、日本文化の真の美点が理解されていなかったことを憂うべきだろう。新知識人、そんな一部の一部は同じ西欧でもドイツ・イタリアなどに起こった全体主義の流れに傾斜し(多くは軍部などの指導者として活動していたが)、日・独・伊の三国同盟から戦争へと、日本の進路をおかしな方向に誘導し、彼らが敗戦により失脚すると、それらの次にいた新知識人たちが、今度は戦後の官界、政界、教育界、学界、マスコミなどの指導的地位について、当時まだ欧化に汚染されていなかった日本大衆の教育洗脳に協力した。日本の戦後の終結とも言える講和条約は、米国の実質的占領状態の継続のような曖昧な形での独立となった。そこで彼らは継続した時代に、占領政策協力の責任を国民から追及されることもなく居座って、そのため日本は、占領の時代が60年以上も延長されるような形となり今まで来てしまった。
 こんな背景が日本の歴史には付きまとっていると思う。

 戦後の政治が目指したもの、

 日本が先の戦争に負けてから、早70年が近づいている。だが日本には占領中、国際法で戦勝国がしてはならないとの規定を無視してまで押し付けたおかしな憲法が、一字一句変えられることなく生きている。法律で、国会では変更できない規定された皇室典範が、強引に作り替えられたままで生きている。日本人に勤勉に働いて、隣人家族のことも大事にし、協力して良い国造りに協力しようと明治天皇が率先お示しになった「教育勅語」は、今でもその内容を呼んで世界から、理想の指針だと評価されている。だが日本では、その直後が立派な日本を作ろうと呼びかけられたものだったからだろう。占領軍の命令で、法令ではなく、明治天皇のお示しになった社会規範であったのにわざわざ向こうの決議をさせられ、これが国民の意識の荒廃、学校教育の質の低下に役立っている。これらは日本文化の西欧文化に対する屈辱のメモリアルでもある。憲法や教育勅語が、明治維新を切り開いた先駆者たち、彼らを指導された明治天皇がどんなお気持ちで造られたのか、それに関しても日本人は客観的に教えられておらずに無知のままの現在である。これでは国内がまともな方向で行くはずがない。日本はこんな状況を見る限り、まだまだ敗戦の混乱状況のままである。

 我々が戦後教えられてきたものの考え方は、西欧文化的な発想形骸化の上辺だけといえるのかもしれない。「かもしれない」と私が書くのは、文化には文化としての積み重ねられてきた伝統があり常識がある。米国人の思考には、キリスト教的道徳感がある。それは自らと同じキリスト教徒以外には原則として排他的で、自然に対する観念などでも、全能の神・ゴッドが彼らに対し挑戦して征服することをお許しになった対象である。そこが我々の自然観とは全く違う。自然ばかりではない。キリストを信じない異教徒も、彼らにとってゴットは征服をお許しになっていると解釈する。だから我々異教徒は苦労する(もっとも最近、キリスト教にも変化が出て、異教徒への対話と友好が方針として打ち出されるようになってきているが)。
 戦後占領国が我が国を洗脳しようとした米国を私は強い批判で眺めている。だがこれも、日本人が西欧文化を見て憧れた時、西欧文化の底に流れる共通の社会意識、道徳や常識、社会習慣など、制度化しなくても広くいきわたっているものがあるのを見落としたのと同様に、米国もまた、法制度の底にある日本人の常識を見落としたと考えれば、それほど悪意があったものではないのかもしれない。現にアメリカがその後、世界において力で押し付けようとしている民主主義、これが成功した事例を私は知らない。日本だけが、ある意味で彼らから見れば、唯一の成功例に映るのだろうか。
(写真は日本にやってきた黒船)

 続く 
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西欧文化と日本文化 2-- 原発の問題

2012年05月12日 21時03分40秒 | 私の「時事評論」

第一巻を都合により載せたので、続きも掲載します。


つつましやかに暮らすことは否定すべきことか

由々しき福島での事故の発生

 いま、東日本大震災で福島の原子力発電所が予期せぬ放射能漏えい事故を起こし、これが日本中の原子力発電所ストップの事態を生み、このままでは電力不足に陥るのではないかと大騒ぎになっている。
 事故の起こるまでは、国や電力会社などでは「万全の対応措置が施しており、学問的にも最高知識を結集して安全管理をしているから、どんなことがあっても安全だし、発電コストも他の発電よりはるかに安価だ」と宣伝し、国民もそれに納得、安心していた中の事故だった。
 だが、国までが加わって宣伝していた安全神話がいとも簡単に崩れ去った。
 起こりうるどんな地震や事故などには負けない安全性が確保されているとされた発電所で事故が起こり、放射能が拡散、住民が避難するもっとも由々しき事態になった。
 漏れた放射能がどれだけの量か。政府も東電も関係機関もその総量をできるだけ小さいものだと宣伝したいようだし、海外での報道とは全く違っている。日本の当局が全容を正直に発表しているとはとても思えないので、信頼すべきデータは掴みにくい。
 とにかく大量の放射能が漏れだし、地元福島県下だけではなく、日本全土に、あるいは気流や海流に乗って世界に拡散されることになった。
 原発からの放射能は、まだまき散らされているし、近寄ることもできないため、地震などによって事態は一層悪化しかねない情勢だとも伝えられている。
 政府や原発関係者は事故の後、それを「想定外の事故である」と自らの責任をあいまいにし、しかも現実に起こっている事態に驚き慌てて、ありのままの姿まで国民に知らせず、反面、依然として「原発は安全でコストも安い」との看板を下ろそうともしていない。
 しかし、彼らの考えた万一の事態の「想定」とは一体何を基準にしたものだったか。本当に国民の安全を生命を何より優先して練り上げたものだったのか。
 
 想定外れについての厳しい反省は何もない。
 
 彼らはそんな事態が起こったのは自分らの責任ではなく、起こった地震や津波の方が悪いのだ。だから我々に「責任ない」と逃れようとしているのだろうが、国民はそれを聞き、「安全だ」という彼らの言葉をまともに信ずる空気を失ってしまう結果となった。
 今回の事故は「大した大事故ではなかった」と責任者である彼らが言えばいうほど、国民の間に不安は広がり、「技術的に心配ない」と宣伝すればするほど、国民は科学や学者を信じなくなっていく。
 

 責任回避する政府など責任者
 
 最近になって政府は「事故直後に事実をそのまま知らせたら国民が動揺すると思った」などと弁明しているが、事実を知らされなかったために、却って放射能の危険の高い地域へ避難した被災者も出てしまった。後から秘密にしていた事実が漏れ出るたびに、「何でそれも教えてくれなかったのか」と、政府への不信は高まるばかりだ。こんな無責任な政府を信じていたのかと思うと、国民としてやりきれない思いは強まるばかりだ。
「自分の任期のうちには、そんなことはおそらく起こらない。起こった時はその担当であるものが責任を取ればよい」と希望的に観測して多寡をくくっていたということなのだろう。これは役人などの持つ典型的な陥りやすい心理的な傾向である。
 これでは最新の安全技術も学術知識も、迷信以下の信頼感しか与えることができないではないか。反省は国民と政府のあり方から再検討して進められなければならない。

 しかも、今の科学水準では、発生した放射能を消し去る技術はまだできていないことも忘れてはならない。政府などは放射能の除染・除染と騒いでいるが、除染といっても、放射能が消し去れないのであるからたまらない。今の技術では、一か所に集中している放射能を洗い流して、広い地域に薄めて再度ばらまくか、汚染された土を削り取ってどこかの地中に埋め込んで、そこを立ち入り禁止にでもする以外に方法はないのだ。原発燃料から出る放射能は、ものによっては数千年たっても消えないものもある。福島の今後の危険性だってまだまだ去ってはいない。考えれば考えるほど、ずさんな原子力管理体制だった。
 加えてここにきて、政府自身がこのままでは、避難している住民に復帰を認めず、数十年以上、放射能が減少するまで、放って近寄れない区域も残るだろうと発表している。
 福島の事故の、子供たちをはじめ国民へ与えた影響はどの程度のものだったのか。それはどの程度になるものなのかのデータもないのだ。それに事故対応に要する費用も、これから一体どれだけかかるかは今後の作業と汚染の度合いの兼ね合いで予想もできぬ。ただ言えることは、火力や水力発電に比べて桁違いの費用がかかるだろうということだ。
 それとこの始末は、いまいる我々が生きている間には終了しない。放射能は中には数千年かからなければ消えないものもある。それらは子や孫、子々孫々にまで引き継いで対応してもらう以外にはない厄介な遺産だということも忘れてはなるまい。



 そんな事態下でなぜ原発再開を急ぐ


 事故の影響を重視して、いま日本の原発はすべて止まっている。だが政府はじめ原発行政にかかわった電力会社や原子力技術者たちは、一刻も早く原子力発電を再開しようと必死である。これには目先の電力供給が減ることを嫌う経済界なども応援している。

 だがちょっと待てと私は言いたい。何が大事なのかをもう一度考え直してもらいたい。あの想定外の事故を起こした反省は、どこに活かされているというのだろう。国民の命を脅かすことが二度とない見直しが済んだというのであろうか。
「想定外」という事故は、福島の津波だけのことばではない。もし他の原発で地震や津波があったらどうするのか、原発に人工衛星やミサイルや流星などが落ちてきたらどうするのか。テロやゲリラが爆薬でも仕掛けたらどうなるのか。もう「想定外」などの用語は二度と使ってもらいたくない。その覚悟はできたのか。
 政府や電力会社などは「これも想定外であった」といえば自分らへの責任追及は済むのだと思っているのかもしれないが、被害の方はそんな言い訳には関係なしに起こるのだ。「ここで原発を廃止したら膨大な費用がかかる」などとの試算がしきりに発表されている。確かに原発は最初から作らねばそれがベストの方法であったと私は思う。だが、これから起こる第二の被害は、金額などより重い責任が関係者にかかり、金銭負担などでごまかしてはならないと思う姿勢、それが国の責任者のとる義務だと思う。
 原発行政は、日本自体の将来を取り返しのつかない泥沼に叩き込んだ過去最悪の行政選択だったといえるだろう。原子力行政を推進してきた政府や自民党、民主党、電力会社、原子力関係の技術者、関係業界の責任は万死に値する。
だがいまさら彼らを処罰・処刑してみたところで時計の針は戻らない。この時点でどうやったら我が国は立ち直れるか。国論を結集すべきときになったと私は思っている。
 


 無い物はないと考えるのが責任者の姿勢というものだ
 
 冒頭に掲げた図を見てほしい。図は2008年までの統計で少し古い。何でこんな古い図を用いるのか。私は最近発表される図にはちょっと作為が混ざる可能性もあると思っているからである。日本にはこれだけの電力需要がある。だから原発に頼らなければ、国内経済は破綻する。この夏以降、ちょっと暑くなれば電力需要が供給を上回り、停電になることもあるだろう。それでもあえて原発を止めろと言うのか、と、彼らの宣伝はまるで原発依存を辞めたいという国民世論への恫喝のようにも見える。
 
 我々も図を見てみよう。これは電気事業連合会のデータだが、2009年のデータから原発文を消去するとそれは1990年の総電力需要とほぼ見合った値になる。平成2年の水準である。その後原発の危機が叫ばれて、原発以外の発電量は増えているか、安全度も考慮すると、ほぼこの程度に需要を落とさねばなるまい。
 そう言いだすと不満も出るだろう。「もっと電気を使いたい」こんなわがままが出るのは当然予想される。
 だが、無いものはない。電気ばかりではない。食料飢饉などの場合を考えてみればよい。いくら食べたいと言ったって、供給以上に食べることはできない。私はそれを国民に訴えて実行するのが政府の仕事だと思う。
 日本人は敗戦以来65年以上、我儘を辛抱することを忘れてきた。だがこれからは、ある者を上手に使い、それを無駄使いせず精一杯に暮らすことが目標にならなければならないのではないだろうか。そしてそれこそが、大切な資源を大切に使い、自然の中の一員として生きていく日本文化のたどってきたものの考え方にも通ずると思う。

 以下次号
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西欧文化と日本文化ー使い捨て文化からの脱却1

2012年05月10日 11時18分43秒 | 私の「時事評論」
 
 私のブログ http://www.ashizujimusyo.com という随想を書きまくる欄がどうしたことか具合が悪い。
 そこでやむなく、本来ならそこの書き連ねる雑文をここに掲載させてもらう次第。
 論理を裏付ける資料がまだ足りないので、何かと物議が起こるかもしれないが御容赦のほど。

  はじめに――神々のお怒りか、不純な気象

 今年五月の連休は風雨に祟られ、薫風の中の散策を期待した人には気の毒な日々が続いた。
 さすがに「子供の日」の端午の節句だけは、子供好きな神の配剤か、初夏の陽気に恵まれて明るい日差し、鯉のぼりが踊る好天が訪れたが、近年、天候不順が当り前のようになってきた空模様は、
どうも純粋な自然気象学上の物理現象の上に、我々人類の営みまでが影響し始めているのではないかとの気にもなる。

 自然の持つ巨大な力に比べれば、我々人間の手にした力などは微々たるもの、人間の力では今でも雲一つ動かす力さえ持っていない。天災地災の克服などは及びもつかない状況である。

 だがそんな無力な人間も数が増え、個々がバラバラで、各地で無計画な乱暴を繰り返す。

 するとこれが重なり、いつしか予想もできない現象を生み出してしまう。将来の環境がどうなっていくのかの不安が高まる今日である。

 自制も分別も統制もなく、緑の原野を徒に伐り払って何も育たぬ砂漠にし、数万年の間に蓄積された化石燃料をどんどん燃やし、地球を包む大気の組成までが変わり始めた。

 緑に覆われていた地上は、水も通さぬコンクリートの道路や建造物で埋めつくし、豊かだった森の緑を伐り倒し、海や河川を汚染させ、生態系のバランスを代えた。

 そんな行為がこの百年余り、加速度的に進んで、環境破壊が急速に進んできた。

 気象が不順になるのにも、そんなことが明らかに影響しているのではないかという説が次々に提起されている。

 気になる昨今の情況である。

 我が日本の現状を見よう。

 どうしたことか休日になると雨が降り、風が吹く。

 偶然だと気にもしない人はそれでもよい。

 どの日を休日にするかは我々人間が勝手に決めたこと。

 自然の神の預かり知らぬこと。だがなぜ、そんな休日になると悪天候が発生するのか。

 それは過度の都市化が、細かい地域の寒暖の差を呼び、休日の天候を不安定にするとの説が、いま、世界で主張されるようにもなっている。過開発=自然破壊が天候不順や竜巻を起こすとの論だ。

 だが、ここで不確実な説を取り上げる必要もない。

 日本人にはそれを「若しかして神々のお怒りか」と受け止めるセンスがある。

 自然を掌る神々が無分別な我々の行動に不満を持ち、我々に警告していると受け取ることもできるのではないか。

 日本には古代より、そのように受け取る自然とともに生きていく文化意識があった。




 近代化を裏から見れば。

 日本列島は、そこに暮らす人間が穏やかに生活を営む上に恵まれた立地条件の下にあった。

 そんな環境も影響したのだろう。

 この列島は豊かな立地条件に適合した環境を、破壊することなく維持しながら、自然の恵みで暮らす人々の生き続ける国だと思う生活観を文明発祥時から生み出し守り続ける慣習が定着していた。

 良き環境の下で安心していつまでも暮らすのには、自然の与えてくれた環境を破壊することなく維持し、自然と調和して生きることだ。

 我々の祖先たちは、自然の環境は万物を掌る神々のみ業と捉え、先祖伝来、神の御心を損ねぬようにと慎んで、自然と馴染んで生きる「まつり」を重んずる独特の文化を作り出し、それを守り育てて生活してきた。

 自然を、環境を壊さない。

 生活のために切り倒した木々は補植して再生するし、反乱で荒れた地域はみなで補修し、やむなく破壊したものは修復する。

 年の初めには神々に、これから始まる一年の実りの多いことを祈念して「まつり」をし、秋にはその収穫を神々に備えて一年を感謝する「まつり」をし、神人和楽、皆が生きていることの楽しみを共有して歌い踊った。

 そんな生活の中に、神社も天皇制度も、我々の価値観も、風習も、信仰も、家族観も社会規範もその基本が固まっていた。

 だがそんな日本人が生き方を百年ほど前から変えてしまった。

 自然を尊重し、それを神の営みとして受け止めて謙虚に従う心を忘れ、今さえよければと乱開発に精を出すようになった。

 ものを安易に捨てるようになった。

 我が国が、急速に力を伸ばしてきた西欧文化へ憧れて、急速に転向していったからだ。

 転向は西欧文化が近年手にした産業革命以来の急速な膨張発展の力を目の当たりに見せられて、我々も見習って手に入れることになったからである。

 だが反面、我々を取り巻く神の存在へ対して、すべての恩恵を与えてくれる源であるとの従順な姿勢から、力は自分ら人間の力により、自然を押し倒してでも身につけていくとの挑戦的姿勢にと変わることにもつながった。

 我々は自然の恵みに取り巻かれ、その恵みを戴くことにより、自然=神々と調和し共存していこうとの文明思想で生きてきた。

 それに対して西欧文化は、自然を神ではなく、人間の発展を阻むものと捉え、自然に挑戦し、それを屈服させるのが人間の発展であるとの旧約聖書以来の基本思想に従っていた。


 どちらの文明思想が人間にとって正しいものか。

 この文ではそこまで追いかけることを目的にはしていない。

 まあ通常はその二つの思考の違いを知って、その両者の配合からカクテルとしての生き方の指針を定めるというところが、社会一般の通念だとは思う。

 ただ、私個人の立場から見ると、自然や神などに対する文化意識としては、我々の持つ神を中心とした意識の方が、自然への意味もなく力まぬ愛情があって、思いあがった人間の独善や慢心の不自然さがない。

 しかも最近の自然破壊のこの地球への影響などをみると、万物に心があり霊がありすべては神々の神霊の宿る我々人間と同じように大切にするものと信じ、神(この場合は人と同じようにとらえてよいだろう)に接するように愛情と礼儀を持って接する生活感の方が、人間以外のものは人間を自分の姿に似せて作られた全能の神が、力を持って征服する対象と認めている捉える神の概念や生活感よりも、将来への行き詰まりなき存続が可能であり、日々の生活そのものが闘争的ではなく調和的になって、和やかで温かみがあるので良いように思えるが。


 国土を見守るもろもろの神が、存在するか否かの論はその人の文化概念によって違ってくる。

 私は自然を掌る大きな原則を神意と受け取り、その存在を絶えず意識して動く人間に属するので、そんな立場で説明をする。

 万物に、自然の現象にあらゆるものにある霊性(まあここではそれを神々といってもよいだろう=神々)は、我らの神を見捨てる変心に苦々しい思いをされ、

 「お前らの行動は目にあまりだした。なぜおまえらが穏やかに暮らせてきたのか、周りの環境も考えてみろ」

と警告を発せられている。私はそう受け取っている。


 それが我が国に異常気象や災害が最近多発して、しかも休日には雨が降るなどという原因になっているように感ずる。

 私の発想は西欧的な科学的目から眺めれば、まことに非科学的で、信頼できない迷信と映るものなのかもしれない。

 私自身も生まれてから今まで、かなり西欧思考に毒されているので、この文を書きながらもそのことは感じている。




 科学の持つ不確定な独断




 だが、科学的ということは、それほど排他的絶対のものなのだろうか。

 いや、言葉を代えよう。

 今の自らを科学的合理主義者だと思っている人が、本当に冷静な客観の価値観を持っているのだろうか。


 西欧の科学主義を信奉する者には、我々人類が存在を証明できないもの、はっきり確認できたもの以外は信じないという視野狭窄に陥ってしまっている人も多い。

 極端な人は非常識にも行き過ぎて、自分が証明できないものは存在しないとして否定する井の中の蛙になっている。

 だが一体、我々人間はどれだけのものを知り、どれだけの力を持っているというのだろうか。

 世界にあることの大半は未知のことだ。

 我々が動かせる力は、地震一つ起こらないようにすることはできない。

 数億年といわれる地球の歴史の中に、我々人類が生活を始めたのは原始人の文化を加えても数万年だ、

 今のように、蒸気機関から石油燃料と人工的に大きな力を出す能力に気がつき、日本人が欧風文化を取り入れてからはたかだか百年か二百年だ。

 これだけしかない知識を基に、

「世の中のことはすべて分かった。我々の知識はすべてを網羅している」

などと簡単に思う姿勢は慢心と独断ではないか。


 我々人間はそれほどの豊富な知識を持っていると言えるのだろうか。


 今の世界は、そして日本は、大きな文化をもう一度考え直さねばならない時期に来ているようだ。

 私はこの随想の欄で折に触れ、そんな問題も書いてみたい気になっている。


 西欧文化はそのまますべてを我が国に取り入れることはできないというのが私の思いである。

 日本には日本の文化の概念がある。

 そんな土壌をもう一度よく眺めて、今我々が使っている西欧的な発想を、日本文化とつながねばならない。


 私は文化の接続を植物が苦情の接ぎ木の概念に似たものと考えている。

 日本文化は木であるとすれば、西欧文化は竹である。

 木と竹をどうすれば見事につなぐことができるのか。そんなことも考えてみたい。

 以下次回

 写真はいかにも自然調和的な棚田の風景。WEBより。
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天皇陛下の御自身の御葬儀発言

2012年05月01日 22時53分47秒 | 私の「時事評論」
どこに注目したら良いのか
  −

 突然の宮内庁発表

 ゴールデンウィークの真っ最中である。野田首相はアメリカへオバマ大統領に会いに行き、閣僚や国会議員は外遊に、選挙区回りに忙しい。目前に予想される総選挙、誰もこの任期中に大きな国民に胸を張りうる政治的成果など持ち合わせていない。そんな中の選挙が近い。政治の混迷で白けきった国民に、何らかの「我こそは国会議員にふさわしい」というキーワードがほしいのだろう。

 連休に入る直前に宮内庁が天皇陛下の御自身の葬儀に関する御希望が発表してちょっとした話題となっている。天皇陛下が、内部の者に、自らの葬儀を大がかりな従来のような土葬ではなく火葬とし、陵も皇后さまとお二人を合葬する「薄葬」を希望するとの御意向を持たれている。またこれを受けて宮内庁ではない内に検討を進め、その準備も進めているし、この御威光は皇太子殿下や秋篠宮殿下などにもお伝えしてあるというのだ。
 言われてみれば、天皇陛下なら、お聞きすればそうお答えになるだろうことは国民誰でも想像がつくことだ。陛下が、「私の葬儀は盛大にして、遺体はそのまま、立派な御陵を作って盛大にしてほしい」などといわれるはずがないし、質素な葬儀を望まれるのも当然だろう。それはおそらく昭和天皇も、その他歴代の天皇も望まれたことだと私は拝察する。そこが日本の天皇という地位が、外国の王制などとは全く違うところである。日本の天皇は外国の王のような覇王ではない。
 ただ、亡くなられた先帝をどのような形で見送るのかを決めるのは、先帝陛下御自身ではなく、陛下を国民統一の象徴として仰ぐ国であり国民である。国としてどのような形で亡くなられた天皇をお見送り申し上げるか。それは国にとって国民にとって、公的にも重要な礼儀に属する問題だからだ。


 なぜこの時期にこんな発表を

 ただ、この発表を見て私が思ったのは、なぜこの時期に宮内庁がこんな発表をしたかということだ。正直に直感をいえば何らかの意図があるのではないかと疑われるような発表ではないか。
 陛下は先日、国民が均しく心配申し上げる中を、心臓の御手術を受けられた。結果は良好だと発表され、つい数日前には術後の経過良好を証明するかのように、予定よりはるかに早く、皇后陛下とともに一時間ほどテニスを楽しまれたという。私は陛下よりはるかに若く、自分では健康だと思っているが、もう70代も半ばになると、とてもテニスなどする元気もない。
 だが、手術を担当した医師団は、来月に予定される陛下の英国御訪問が無事に成功するか否かが、手術の成功を占う機会だなどと発表していた。術後もいろいろの症状が残り、国民の不安をかきたてていた。しかも近年は皇位継承問題や女系宮家の創設問題など、宮内当局周辺からは、陛下のお命を心配させるようなニュースがたびたび流されている。常識的に見れば、国民の心配が高まっているいまは陛下の万一の事態に関するニュースなどは時期的に流す必要がないと考えるのが普通のように思う。
 それをわざわざ流すのには、格別の意図があるのではないだろうか。どうもこんな風に勘繰りたくなる私の心理は、我ながら嫌になってしまうが、私はとっさにこんな気持ちが私の心をかすめたことを正直に告白しよう。「これは陛下の万一の時を考えての、我々への事前の牽制攻撃ではないか」。
 昭和天皇の御葬儀の際、その進め方が、政教分離の取り間違いで、その上まるで一夜漬け、おかしな行事の切り離しのような、誰も喜ばぬお見送りを企画し、「宮中の儀式を何と思っているのか」との我々伝統尊重者の怒りと呆れを買ったのが宮内庁であった。そんな宮内関係者が、わざわざ玉体の火葬という問題を持ち出して、陛下の御葬儀への変更路線を歩み出したのではないか。
天皇崩御の後、その御遺骸を土葬するのは、古代はすべて土葬だったが、仏教伝来後、その影響もあって、火葬の時代も多かった。それがすべて土葬に復古したのは孝明天皇からのことである。その後の明治維新により、土葬が復古、帝国憲法時代の皇室葬儀令で土葬が定められた経緯がある。土葬は神道的な伝統的な宮中の制度であるが、皇位が男系で一貫して続いていること、三種の神器が行為とともに伝わるように不変の皇室の伝統ではなく、切れ目のある制度なのだ。
 神道と皇室との結びつきを弱めるためには、なんでも武器にしたいのが現代の無神論的官僚の発想である。それでは皇室の持つ伝統的な権威と連続性は失われるが、それこそ彼らの狙いなのではないか。
 そういえば、あの発表には皇后との「併せ墓」をも陛下は望んでおられるとの一句も含まれていた。我々は確かに皇后に対しては皇后陛下とお呼びして格別の敬意を表するが、現人神は陛下御一人と信じている。

 杞憂であることを望んでいる。だが何とも釈然としない発表であった。
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原発問題、大体見えたのではないだろうか

2012年04月26日 11時43分02秒 | 私の「時事評論」


国民支持を失った原発利用の再開


 福島原発の大事故、放射能漏れがきっかけになり、日本中の原発が点検のために稼働を停止。国民の反対で再運転ができなくなり、一般国民の原発に対する恐怖や危険感と、政府、その周辺にいままで巣くってきた原発関連族、それを後押しする財界などの思惑が、はっきり対立する雰囲気になってきた。いまではまだ、その趨勢は決定的な形になったとは言えないように見えるが、大勢は原発廃止に向かわざるを得ないと私は観測している。国民の言い知れぬ恐怖は強まることはあっても減ることはない。ここはそんな心理面の動向も、数字のデータ以上に国民生活に密接に響くことを知るべきであろう。

 政府をはじめ、原子力発電を、何としても存続させたい連中は、放射能漏れということの及ぼした深刻な影響を、一部は国民にひた隠しにまでしながら、
「原発は安全だ。コストも安い。それに日本に原発が無くなれば、国民の電力需要にどう対決すればよいのだ。経済成長にブレーキがかかるではないか」
と国民の原発への素朴な疑念に証拠となりうる懇切なデータも出さず、問題意識を持たせぬように現状にふたをして目隠ししたりすり替えて、原発を維持していくことに必死だ。

 だが福島で、放射能というものの恐ろしさ、それがこれから何千年もそれ以上も人間の生活を蝕み続けることに気づいた国民は、今までのように簡単に学者や偉い人の発言だから聞いて従っていればよいと納得はせず、本能的に背後に隠れた放射能の恐ろしさに気付いたようだ。放射能の被害、それは今から65年ほど前、昭和天皇がと広島・長崎の惨状に接し、「全人類破滅の凶器」と終戦の詔勅を出されて、害がこれ以上に広がらぬためにと戦争停止を宣言され、全国民がそのための敗戦の御命令に従った悪魔の科学の生みだしたものであった。

この連休から全国の原発は、定期点検のために運転を停止の状態になるが、継続にはいずれも目に見えない大衆、サイレントマジョリティーの「待った!」がかかり、見動きができなくなってしまうのではないか。

 原発の構造は原爆と同じ核爆発を力に代えて発電する。通常は格納容器の中だから安全だといわれているが、炉の中などには、原爆とおなじ放射物質が残ってただ容器で密閉されているだけだ。万一原発の事故が起こってまき散らされる放射能は、私たちは勿論、将来の子供たちに永遠の被害を及ぼし続け、それこそ昭和天皇のお言葉のように人類破滅の凶器としていつまでも存続する。何千年もの半減期を持った放射能が原発からは出てくるのだ。だが、それはどんな被害だか、誰も安心できる説明などはできていない。放射能被害を瞬時に無害化する技術があればよいのだが、まだ人間の現在の知識では、放射能の無害化技術は発見できていないのだ。


 福島では、事故に伴う放射能除染の除去作業が大騒ぎで進められている。だが、放射能を無害化する方法そのものがないのだ。水で洗い流して広い地域に薄めてばらまき、海に流して一部の地域の放射能を薄めて世界中にばらまき、汚染された土を削って除去してコンクリートの厚い容器に閉じ込めてどこかに保管する方法が試みられているが、水で流すということは、問題の場所から放射能を余所に持っていって拡散するだけの作業。地球規模で見れば、何の解決にもならないことなのだが、これ以外に方法が無いし、保管するにしても、土中にせよ山中にせよ、そこは将来にわたって、人の近づけない恐怖のスポットになる。

 しかも、どんなに汚染除去の作業をしても、事故を起こした福島原発周辺には、当分は人がとても安心して暮らすことのできない地域がかなり残るだろうことも、政府自身が発表せざるを得ないことになった。
 放射能の閉じ込め対策だって、たかが百年か数百年しかもたないコンクリートや金属の素材で包んで処理しても、保存容器の寿命の何十倍もの間、恐ろしい放射能を出し続ける汚染物質を、容器の寿命が来たらもう一度取り出して処理をし直さねばならないのだが、それを取り出してどうやって処理するのか。それは未解決のまま、将来の子孫たちに厄介な負の遺産として託すほかに方法が無いのが現実なのだ。

 さらに情報を見ていくと、今回の福島の事故は、まだその後の完全な事故処理が終わっていなくて、今でも近寄ることもできず、危険な状態が放置されているという。危険な状態にあるところがあるが、公表されないのだという情報も多い。このままでは、いつまた重なる危険な状態になるかわからない状況だという。

昨年の地震と津波は、日本の豊かな国土の大きな部分を、原発があったために人が住めない土地にしてしまったといえるだろう。津波や地震の被害は痛ましいが、人々の知恵と努力で再び美しい国土に復元できる。だが、偶々我が国が悪魔の技術のような原子力発電に手を出したばっかりに起こした放射能の被害は、数千年先の我々の子孫まで、厄介で大きな負担を残すことになったという責任を我々は忘れてはならないと思う。

加えて、日本中に散在する原発が、これから危ない目に遭う可能性は、地震や津波ばかりではないことを知るべきだ。テロやゲリラの攻撃目標にされたらどうする。ミサイルが誤って飛んできたり、流星などが偶然落ちてきたら、それだけで想像もできない状態になる。そればかりではない。スイッチ一つ入れ間違えたら、原子炉の一部などで何らかのミスで傷がついたりしたら、福島と同様か、それ以上の事態になりかねないのだ。福島の原発事故では、技術者や監督者の「想定外」の事故だったという無責任な言語が繰り返された。だが、何でそんな愚かな「想定」をしたのかという、肝心のかかわり合った者たちの知恵の限界を指摘する声は不幸にして起きなかった。そんな安易な頭のままの責任者に安全だなどといわれてみても、信ずる方がおかしいと思う。

 しかし、そんな事情がだんだん国民の知るところとなってきた。大衆は残念ながら特定の問題に関して専門家ではない。だが本能的に受け取る感受性は存外鋭いものを持っている。日々の生活をしっかり生きているからだ。そんな不安が重なって徐々に国内の意識も変わって来た。いくら、原子力を飯の種にしている連中が、この事故が起こったらどうにもならない原発を「想定外のことが起こらぬ限り安全だ」と叫んでも、自分の命、我が子や孫、その遠い子孫たちのことを大切に思う国民が、薄々ながら「これはおかしい」と気付いてしまった気配が見える。それは、今の人間の知識では「絶対に安心だ」と胸を張ることのできない不安なのだ。事故が起こったら回復できない現代の頭脳。それを国民は知ることになった。おそらく不安は徐々に高まっても、消えることはないだろう。再び「原子力発電は安全だし不可欠だ」と思う時代はもう来ないだろう。それに、いま、全国にある原発は、一体どうやって稼働中止の後に、安全な状態に戻せるのだろう。中止した旧原発が、全国の「穢れの租界」になり続けないのだろうか。人間はまだその無害化の技術を身につけていないのだ。考えれば考えるほど、原発の採用は軽率な文明破壊の危険をはらんだ軽率さであった。


とらわれてはならないさかさまの発想

 こんな状態になっても、「原発が稼働中止になれば、人類文化の安定的成長は維持できない」という人がいる。需要は聖なるものだと頭を固定して、それを何とか埋めようという側面だけでものをみる考え方だ。経済界などにそんな人が多い。だがそれは理屈にならない屁理屈だ。電力不足以外の面に置き換えて考えてみるとよい。「食料が充分に国民に行きわたらない事態が訪れた」とする。それが干ばつなどの凶作であれ、為替相場などで輸入ができなくなった条件であれ、「起こった食料不足が悪いのだ」などといって見ても始まらない。それよりも、少ない食料で国民がどうやって生きていくかを必死で検討するのが我々のしなければならない第一のことである。

電力不足の事態だって、そんな問題として受け止めなければならない。それをうかうかとおかしな論に乗せられてしまい、原発継続に反対の人々には、太陽光発電やその他の発電でその発展を身代わりしようと声高に主張して、筋道が立ったと思っているものが多い。だが技術的には、これらの代替エネルギーの将来性には、現段階ではまだ問題もある。大切なのは「我慢をしてでも悪魔の狂気に身を任せるな」と主張することである。それが無いので、見ていると「そんなものでは今後増えても減ることはないとみられる電力需要を補完することができないではないか」といわれて沈黙させられているケースが多いようにも見える。
 しっかりしてほしい。足りないものは足りないのだ。それでも大切な国民生活を精一杯守っていくことなのだ。そしてどうやって生きていくかは次の問題なのだ。


無駄を削る第二段階の作業
 
 現在の我が国の電力不足の状況が新聞などにはよく発表される。眺めると不足する電力量は存外に少ない。この電力需要の総量を少し圧縮して、やがてその不足が埋まるときまで待つというのは、そんなに苦労なことではないのではないか。いまほど大量に電気エネルギーを使いまくらねば、人間社会は維持できないのかということを前提にした論議にはもう少し内容を考えて踏み込んでいくべきだと思う。人間は周りの環境に目もくれず、なんでも使いまくることを許されているのだろうか。そんな姿が電力消費には見えるからだ。それは生きる姿勢をどうとらえるかの問題とも絡んでいる。

 最近の我が国では、近年特に猛烈に電気使用量が増えている。工業の技術革新は勿論だが、これに加えて家庭用の電気需要も著しい。我々の日々の生活はまるで電気漬けのようになってきている。生活環境は電気の力で、夏は涼しく冬は暖かく、しすぎるようにエアコンなどを入れて生活しているし、温めた部屋には冷凍庫や冷蔵庫があって、食品は冷たくして保管されていて、食べるときにはそれを逆に熱くする。いたるところに使われている用具は電池で動くし、家から出たらすぐに車で動く。テレビや携帯電話、パソコンなどは使いっぱなし。夜は昼より明るいようなライトアップも進んでいる。私は最近、あまり飛行機に乗らないが、空から見ると、夜でも人の住むところは、まるで昼間ではないかと思うほど、まばゆい電気が煌々とついている。これらのエネルギーは元をただせば太陽エネルギーや地球の持つエネルギーから消費されている。天地万物、その他が集まるこの大きな世界を、それらの動きに逆らって、最近、急速に使い尽くし始めたこの行為、人間だけが横暴に無視して、こんなに暴走して許されるものだろうか。

 街中にも最近子供を見かけることが少なくなった。人間だってこの世界に生きる動物の一つだ。そこら中を駆け回り、身体を使い仲間と交わり、経験を積みながら育っていた子供は、いまではテレビやゲームなど電気漬けで、自然環境など無縁の日々を過ごし、自然人としての素質はすっかり退化し、機械とエネルギーの膨大な供給がなければ生きられない姿になっている。天然自然の生みだす力で、それを上手に利用しながら自然と調和しては生きられない生物にどんどんと変わって来てしまっている。この傾向を安易につき進めることが、果たして人類の進化ということができるのだろうか。ここでは一例として子供たちの例を挙げた。だが現実には子供だけではなく、我々すべてがこんな傾向を著しく強くしている。

 人々の考え方もおかしくなってきた。我々人類は、独特の知恵を集積するという技術を習得し、その積み重ねで様々のものの理屈を、一代限りで習得した技術を充分に子孫に継承できない生物たちの中にあって、この地球の支配的な独占権を揮うことができる力を身につけて、我々よりも力が優れ、生命力が強い連中を抑えて地球での支配権を維持し続けてきた。だが、人間の習得した知識には限りがある。身につけ得た力にも限度がある。

 原子力について、まだどう扱うかもわかっていないのも事実なら、物理化学が、自然の姿を充分に解き明かせていないのも事実である。空に漂う雲一つ、人間の力では追い払うこともできないし、天災などを予知し制御することなどは当分の間我々には不可能だろう。そんな程度の知識しかまだ身につけていない人間が、未知の力の多いことを知り、慎んで生きてきたのが最近になって、すべてのことを知っているような慢心に溺れ、世界が見えなくなってきた。

 原子力発電もそんな発想の一つの姿なら、人間がわがまま勝手に生きるためには、なんでも勝手に利用して、この世界を使いつぶして良いと思う傲慢な発想におかされて来ているのも、溺れてうぬぼれた現代人の姿なのではないか。

 われわれは、おのれのできる範囲で暮さねばならないし、その力を冷静に見てその範囲で暮らすことが人の生き方である。我が国の電気使用量などは、我々の今の状況で再生産のできる範囲を想定し、その範囲で需要を抑制するのが本来の姿でなければならない。現在の我が国電力の需給論は、完全に逆立ちしているといわねばなるまい。


日本人の育んできた思想

 自然とともに暮らす、自然の声に耳を傾ける。自然を大切にし、自分も自然と調和して生きる。これが我々日本人の文化の特性であった。以上あげたような概念は何も日本文化だけにではなく、世界の文化にあることだという声もあるだろう。その通り、人間も自然の中から生まれた生き物であり、どこでもだれでもそんな要素は持っている。だがその中で、自然を最も大切に思い、自然と調和して生きてきたのが我々の文化だった。

 欧米などでは、自然を人々と対立したものと捉える考え方も強いのだが、そんな中で我々は「常に共生」の意識を持って自然に接してきた。太陽も月も星も風も雨も嵐も山も木も水も原も川も水も沼も海も、我々はそれぞれに聖なる存在感を持ち、それをつかさどる神がいると信じ、そんな中に我々も同じように暮らし暮らさせてもらっていると信じてきた。そんな生活を続けるにあたって、我々は祖先の代から自然の神々へのまつりを行い、自らの生活のために農業や漁業などを行うに当たっても、神々をもてなすお供え物やまつりをして、神々へのまつりをして、神々の恩恵の基に万物と調和して生きようとの姿勢で人生を送ってきた。

 生活のために木を伐るときは、木の神さまにあいさつし、切った後には必ず木を新たに植えて自然を復元し、むやみに自然を壊さずに自然も我々とともに美しく維持することを心がけてきた。そんな我々の意識は、この我々の住む国土を戦う相手だとして、暮らしのために征服するとしてきた文明とはかなり違った特性がある。

 これからの文明をどう伸ばし、発展させていくときには、そんな我々が先祖から受け継いできた感性を生かしたものを目指したいと思っている。

 現代の我々は、とかく明治以来の要学思想におかされて、我々が身につけてきた発想とは違った方向を目指しているようなところが多くなっている。この原子力発電の問題もそうだが、基本から、考えてみる必要がありそうである。

 スペースが限られたこの欄で、すべてを述べることはできないので、それはこれからの文に委ねるが、終末思想などが訪れがちな洋学を離れ、「我々も自然の一部なのだ」という日本的なものの考え方を生活にもっと復活させたいものである。

写真は事故に遭った福島原発。
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ヘドロであがくドジョウの姿は

2012年04月22日 19時15分43秒 | 私の「時事評論」


 何ということだ

 国会の様子を見ていて有明海のドロドロの沼沢地にぬたくっているムツゴロウの姿を思い浮かべた。

泥、泥、泥。見渡す限りの汚泥の中、そこをぬたくるように動くムツゴロウのような首相。泥土の中で動いてきたので、目は退化して、周りをしっかり眺めることはできない。
我が総理大臣は就任時に自分を謙遜してか「ドジョウ」だと宣言した。ずいぶん自分を卑下しているとその時思った国民も今は納得。国会は汚泥に埋まった泥沼なのだよ。田んぼの土壌だってもう少し濁っていない。首相が自分をドジョウだと表現したのは自分だけでなく、政界の現状に感ずる実感も含んでいたのだ。いま、ドジョウ首相はそれこそ泥沼の中でもみくちゃにされて、何が何だか分からなくなったらしく。閣僚二人の問責決議案の採択なんて、サッカーでの反則カードをもらっただけのような顔をして、妙にすっきりした表情をしている。

内閣として掲げる政策は、以前の民主党内閣から見ても、政策を論じあうような目標は次々に先送りして、今やこれまで進んできた前例を踏襲しようと思っているのみに見えるのだが(若干の思い付きだけの空想論も混ざっているようだが)、それでもなかなかまとまらない。
国会は、ヘドロの中で首相をはじめ閣僚や並みいる国会議員がムツゴロウのプロレスのように、周りが見えずに絡み合い、泥だらけでぬたくっている状況だ。泥海ばかりで周りも見えないから案外のんびりしているのかな。

現代の政治家はいったい何を目指しているのだろうか。私は最近、かなり注意してニュースや国会中継を見ているのだが、報道機関などに具体的政策に触れずに語っているものなどは信用せず、彼らが実際行っていること、議論している様を見れば、「あの人はまだ政治家だ」と思うことがほとんどなくなってしまった。汚泥の中の泥仕合、あれでは今後が全く期待できない。

 野田首相は民主党政府内のビジョンの不統一と野党との違いの無さに苦しんでいる。加えて国会内の各政党の混乱迷走状態だ。どの党も際立った特徴というものが無いのだからたまらない。どの党も似たようなもの。野党の国会への姿勢は、政府が言いだしたことは、内容は俺らの主張とさほど変わらぬが、俺らが出したものではないから賛成するなという姿勢、加えてこの無責任は与党民主党内の派閥対立にも及んでいる。党内で、あれは反対派の首相の提案だから潰してしまえといった調子だ。政府は、こんな情勢に次々に政策を先送りして、将来の消費税の増額だけに焦点を絞り、なんとか提案が通過する実績だけは作って見たいとしているが、呆れたことに、これはつい最近まで、与党民主党ではなく、自民党の掲げていた政策なのだ。

だがそれを野田内閣が持ち出すや、当の自民党がごねて、これ一つだって通りそうにない。

 もともと現在の国会には決議能力なんて、とうの昔に無くなってしまったことを知らなければならない。議会は機能を失い衆愚政治の最終段階にまで来てしまっている。これでも昔は論争して法律などを作ってはいたのだが。選挙制度の改革などで、おかしな細工を重ねた挙句、議員の質も国会の質もここまで低下した。もう、すべての議員や政党を入れ替えるか、新しい制度でも作らない限り、こんなところで政策は決まらない。通る議案は殆ど全会一致かそれに近い議論の余地ない案件ばかり、それ以外のものは、ほとんどの議員が議案にはほぼ賛成で、通した方がよいと思われる案件であっても、国会内で各党各派が論理でではなく、お互いに感情的にいじめあっているばかりに通らない。こんな機関に政治を委ねなくてはならない国民こそ哀れである。

 消費税を出した背景

野田首相はそんな事態を少しでも改善しようと、国会の決議さえあれば、予算を伴って政治が機能できる基盤作りとして、金を調達するために歳入増=消費税の将来的増額を掲げ、国会の決議が国政の運営の基礎に対応できる最低限の条件を作ろうとした。政府がこれを提案する背景には、金をかけてもやりたい目標があるのが自然だ。だが、福祉に使うなどといって、目標はあいまいだ。今の日本は歳入歳出の不均衡が続き、その結果日本の円がギリシャやイタリアみたいに急に安くなって、将来国家の運営がショートする日が近いことだけは常識だ。歳入増加をはからねば国がつぶれる。しかしそれでも今の国会を通すのには国会内の環境が悪い。

いまの景気では法案が通っても歳入増加があるかどうかもわからない。でも、国会が何かを決議する能力をもう一度これで取り返さなければと思ったのであろう。だが今回のに閣僚への問責決議などで、この消費税までも危うくなってきた。

原発をどうするか、このままで被害を何千年、何万年増加するのか。この被災地を含む震災地では、もうこの分では放置されたままで二年が来てしまう。増える高齢者対策はどうするのか。円の価格が危なくなっている。国として打つべき対策はないのだろうか。沖縄問題はどうするつもりだ。大阪や東京などから、国の姿勢を真正面から批判する声が上がり始めている。政治の権威をどうやって取り戻すのか。国会や公務員の経費の節減はどうなったのか。選挙制度はこのままで良いのか・・・。

課題は恐ろしく多い。こんなことを続けていては、日本が集団ヒステリーに巻き込まれてしまうのではないだろうか。

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目先だけしか見えないのか―その3 日本に欲しい独特の展望

2012年04月11日 11時16分07秒 | 私の「時事評論」

天皇陛下と政府や自治体、被災者

震災の後、満足な救済策が取れず混乱する政府に、被災者たちの不満は高まった。首相・閣僚や国会議員などが被災地の視察などにくると、被災者は「視察に来るより、東京での小田原評定をやめ、実質的救済策を打ってくれたらどうだ」と詰め寄るシーンが続発した。政府が機能マヒし、国会も何から手をつけるかわからない上にまとまりがない。テレビなどを見ても、責任者は「可及的速やかに抜本的な対応を」など口先ではいうが、具体性の無い形容詞ばかりだから、被災者の不満が出るのは当然であった。

そんな中で天皇陛下は、震災直後にお見舞いと国民を励ますビデオを作られ「救助活動や事故報道に支障にならぬよう配慮して被災者や国民に伝えてほしい」とお伝えになり、自ら災害地にお出ましになるのは、自衛隊・消防隊など救助活動の支障のない時期までお待ちになった。

陛下はお見舞い金を届け、栃木の御用邸を開放し食料やお風呂などを提供され、事故後は首都圏に避難してきた被災者のお見舞いなどをされていたが、事故後の救急活断で混乱の時期が過ぎると、津波の被害のあった千葉・茨城から宮城、岩手、福島と被災者たちを見舞いに出かけられた。被災者たちは真心を持って両陛下をお迎えした。被災者を心からいたわり、力づけようとされる両陛下のお姿に、被災者たちは感激に涙し、手を合わせて感激した。政治機構の代表と天皇さまの全く違う国民たちの受け入れ方、そこに日本という国の伝統的に変わらぬ陛下への姿勢が明瞭に示されていた。


時の政治と天皇のしろしめす統治


日本は三千年ほど前の建国以来、一貫して万世一系の天皇陛下のしろしめされる国である。この「しろしめす」という言葉は今の用語で説明するのが難しい。統治という用語の概念が、政治的権力行使に限定されて解釈される現代では、統治と簡単に言い切ることができないからである。現憲法ではそんな天皇の地位を象徴と表現している。この言葉は本来法律用語ではないが、それも一面で天皇の権能を説明しているが、天皇の権能を説明し尽くしていない。しかも最近の憲法学者などは、わざわざこの概念を歪めて解釈する東大などの歪んだ解釈に取りつかれていて、現実に日本にあった史実をまともに見ようとしない。

天皇はその昔、日本国が国として意識される以前から、国民と神々の中間的な存在・現人神として意識されてきた。現人神などというと、今の連中は今の知識だけでものを見て、非常識で意味もないものだと簡単に決めたがる。それは間違っている。人々がその時の知恵を出し作り上げているのが文化である。自然科学の分野や数学は現代とは違う意識が支配的な時代であった。だが、そんな今とは違う条件の中でも、人々がまとめ上げた精神構造の中には、我々が今では、見落としがちになっている重要な要素や側面も含まれている。それをその当時の人の立場に立って考えて学び、大切なものを継承していくのが歴史である。

たとえば、我々は現代で、福島原発の大事故という厳しい経験をした。放出される放射能の有毒性は人間が生きていくために遮蔽しなければならない。関係者はそれをコンクリートなどの遮蔽物で囲んでしまおうと考えているようだ。だが、放射能は長いものでは千年も万年も害を出す。これを覆うコンクリートは百年少々しかもたないだろう。だが今の我々はそうする以外にはない。将来の人が研究の末に、もっと優秀な新技術が見つけたとする。新しい世代の人はそんなことも知らなかった我々を評して、「愚かなバカ者だったから、彼らの歴史などは継承すべき価値もない」といって、過去とはすべて断絶した生活を求めるとしたらどうだろうか。歴史は生活が過去とは関連性の無い断絶したものになり、人類文化の停滞を避ける学問であるべきものだ。


己を捨てて民のために祈る三千年

そんな思いで歴史は見なければならない。所で話を戻すが、日本という国の母体となる統一された社会が出来上がった時、数千年前の日本は農耕生活を中心として人々が生きる社会であり、その基礎である自然の現象を、天気も気象も自然条件もその他のことも、すべてそれを司る神々のお心によると我々の祖先は畏れ慎んで生きてきた。日本の社会は、何よりも自然を司る神々のお心に合わせて生きるように努力して生きなければならない。それを人々の神々へのまつりにおいて神々に誓い、神々がお心を安らかに人々に豊作や幸運などをお恵み給うことを願ってきた。日本には今でも全国に神社があり、そこには変わらぬ自然万象を司る神々がまつられており、人々はそれを大切にしながら生活をしているが、そんな神々への人々のまつりを行うに際して、最も大切な中心・祭祀王であったのが、建国以来変わらぬ万世一系の天皇であった。

天皇は我が日本の精神文化において、神々がお住まいになると信ずる天上の高天原の親神さまである天照大神の直系の御子であり、大神の命により、この地上の国を安らかで穏やかな浦安の国にするために、地上へ降りてこられた直系の御子であると信ぜられてきた。その御自覚のもとに代々神々へのまつりを、国民の代表として続けてこられたのが天皇である。精神伝統は三千年も守り続けられてきた。新しく作ろうとしても作ることのできない歴史の重み、それが天皇にはある。

三千年の長い歴史の間には、すべての国民の生活が祭祀王たる天皇の基に、行政も文化も道徳も公共事業も統一されていた時代、あるいはその後の社会の中に、行政能力や実力が優れていて、時の天皇から国の様々な権能のうち、政治の権限を行使することを認められた武家の将軍、後の首相などが天皇から辞令をもらって暫時政治の実権を行使したこともある。だが、天皇はこの日本をしろしめすという継続した国民精神は、三千年前の日本文化の精神体質として、今では我が国の不文の基本法となっている。日本文化の体質は、その間一度も変わったことはないと私は考えている。

今もそれは変わっていない。そう私がいうと、「新憲法の時代ではないか」と首をかしげる人がいるかもしれない。だが上辺だけでなく深く現実を見るがよい。日本の今の国民生活のうち、世俗政治の側面は天皇陛下の認証(委任の辞令)を受けた総理大臣以下の大臣が行使している。三権の長も同様である。しかも大臣という言葉自体が天皇の家臣であるからはじめてわかる称号である。政治はそれを行使する天皇の委任を受けて、あの最初の武将であった頼朝以来、天皇が委任された指導者が主として担当してきた時期と、それが天皇に戻され天皇の直接統治になった事故の連続だった。日本には歴史を見て、天皇を無視して政治を行ったものが出てきた例はない。いまもそれは変わっていない。

しかも日本人の国民生活はもちろん政治だけではない。もっと広い面にまで社会生活は広がっている。国民は今でも熱心に神社の神々に首を垂れる。初もうでなどは今でも国民の大半は神社に初もうでをする。家を建てるのには地鎮祭をするし、神々がいつも身近にいる生活をしている。災難が降りかかりそうになった時、病気にかかったものがいるときはお祓いや神もうでをする。三千年間と今ではずいぶん変わったという見方もできる。しかし精神文化はそんなに変わっていないと言えるのではないか。


天皇さまの生活

三千年前から現代まで、百二十五代の間、一貫して天皇という地位につかれた方々の経験とはどれだけ人柄に影響するか。己を捨てて全国民のために祈るのが御自分のおつとめと信じて、国民からも期待されて生きてこられた蓄積の効果は途方もなく大きい。そしてそれを信じ従ってきた国民の天皇に対する信頼もまた同様に大きい。その蓄積が政府への震災後の国民の意識と、天皇陛下に対する意識の背後には存在している。比べ物にはならない質の違いだ。

さらに天皇陛下には三千年来の精神的継続の重みがある。それは日本の特徴的史実を見ればはっきりする。先に少しふれたが、天皇は現実の世俗政治の面では時の実力者に、神々からゆだねられたとされる権限のうち、政治俗務の執行を行う権限をお認めになったことがある。だがそんな時も、宮中の最も大事な勤めである神々へのまつり、祈りの面での天皇のまつり主としての権限は自らの手にお持ちのままであった。三千年の間には、様々な日本の国民にとって災難だと思われることも多かったし、お任せになった俗権行使を認められた連中への神々のお怒りと思われるような事態もたくさんあった。そんなときでも、天皇は国をしろしめす責任者として、神々への不徳はすべて我が責任として精一杯のまつりをされ、神々へのお詫びも重ねてこられた実績がある。国民は様々と漏れ聞こえる話によってそのことをよく知る立場にいる。

今回の東北地震も、平安時代の地震災害が襲った時代に「生き写し」だという指摘は多くの人に提起されている。問題の資料となる書は『三代実録』だが、古典にはその当時の天皇がいかに御心痛であり、自らの政治の責任とひたすら神にわびられて、その罪は住民の罪ではなく己が罪だと祈られたことが出てくる。天皇は率先して宮中生活の切り詰めをされ、余裕はすべて被災地の救済に回され、当時の記録には天皇を見習い、百官の役人たちがそろって報酬を大幅に削って、陛下に従ったことなどが記されている。そんなお気持ちは一貫して皇室に伝統として引き継がれ、昭和天皇、今上陛下にも生きている。


大切なのは国家百年の計を政治が持つことだ

日本の今の政治は先にも指摘したように、国家百年の計を忘れ、目先だけに一喜一憂を繰り返す中に、これからの我が国をどのような方向に引っ張っていけばよいのかも見えなくなってしまっている。だがすべてを本来は委ねられたお立場にあると国民が意識する天皇に対しての国民の信は、一時一局で消えるようなものではない本能的ともいえる信頼感に支えられている。それを見て、多寡が70年弱の政治をみるだけで、失望すべきではないと私は思っている。

日本には天皇のしろしめす国としての特徴的な性格がいまでも強く残っている。言葉を換えれば、政治の分野は社会生活のごく一部門にすぎず、そんな政治の部門が少々混乱したところで、日本の精神文化の核である天皇文化が変更しない限り、若干の苦しい時期はあるが、日本は必ず立ち直ることができる。現に今回の災害に対しても、天皇陛下のお示しになったすべてに優先し被災地を救済する姿勢は、日本人の中に日々強くいきわたり、政治の無責任を補い始めているように見える。

ただそんな日本の回復への道をしっかり確保するためには、戦後のわがままに走る日本人自身がたどってしまった危険な風潮がこれ以上、跋扈しない社会を作っていくことが必要であると思う。日本は戦後の時代に、我々を蝕んできた日本の将来の社会を考えないことにした風潮にすっかり汚染されて今まで来てしまった。現代の我が国には、先祖の残した伝統を忘れ、「今だけ楽をすればよい」と将来を持考えぬデカダンスの風潮にある。

それにはその前の明治維新から進んできた日本が、独自の文化の色彩を持ちながら、世界の中にはっきりした生存権を確保するとした目標が大東亜戦争の敗戦により潰されて、国民の自信がついえ去ってしまったことが大きかったということができよう。何でこんなことになってしまったのか。それに関しては私も強く思うところがあるが、今回は触れない。ただ、あの戦争の時の政治指導者に、国家百年の計が不足していたことだけは確かだと思う。

だが、日本は、「もうどうにでもなれ」と将来を考えないデカダンスの風潮におかされない限り、あすの日本に期待できる空気は必ず育つと私は期待している。

読者に分かりやすいように具体的に言おう。我々は天皇の存在の下、過去から現在、そして未来へと一貫して流れる祖父母→両親→我々→子供→孫と通ずる将来のために、いかなる犠牲に耐えながらも、より美しい国土を残すという家族精神を基本として生きてきた。それは日本的な文化の美風であり大切なものであったが、敗戦ののち、それまでを怪しくさせる風潮になってしまった。

国には将来を見て、目標を定めて進んでいく計画が必要だ。日本の文化を守っていくためには日本らしい国家百年の計が必要なのだ。それをしっかり考えるべき時期になっているのではないだろうか。


先も見えぬのに長期の変更などすべきではない

少々蛇足に見えるかもしれないが付け加えておきたい。今の政治や国会は、こんな日本の続いてきた歴史を忘れ、今の欲望の赴くままに生きることしか考えられない次元に終始している。だから大きな課題に直面すると、たちまち愚かさを表に出してしまう。これは計画性の無い戦略なき戦術しか考えられない今の政治の致命的欠陥に基づいている。

極端なのは、将来の問題などは真剣に考えているとは思えないのに、その愚かさのままで目先の便宜の感覚のみで、日本の歩んできた過去の道を変更しようとする傾向も目立つ。それだけの見識を一体今の国は持っているのだろうか。

日本の精神文化を支えてきた皇室の制度を、軽率な感覚のみで、やたらに変えようとする動きがある。単なる思い付きのみで、三千年の蓄積をさらにしのぐ知恵があるとでも思っているのだろうか。原発に走ってしまった我が国の行き方にも、批判もせずに、「良くないことだが続けよう」と動く空気、これだって、なぜそれをしなければならないのかという、暮らし方に対する面まで検討し尽くし、百年の計に合致するとの柱が立っているのだろうか。

我が国は目先のことのみに幻惑されて、日本の百年の計を考えない愚かな行動が乱発してきた数十年の歴史がある。日本全国に広がっていたその土地土地の磨き抜かれた共同社会を見捨てて、いずこも同じような廃屋の群れとコンビニばかりにしてしまったのも、目先ばかりに幻惑された結果だった。日本中の街路には、昔とは比較にならない街灯が増えたのに、どうして治安が悪くなったのか。それも目先ばかりを追いかけて、安らかに日々を暮らすことをおろそかにした経済政策のもたらしたものだった。

こんな問題が数えきれないほどに漂っている。何のためにこんな道を我々はたどったのだろうか。政治はそのことに気がつかなければならない。そんな冷静さを政治が取り戻した時、そこから日本再生のカギがいくつも出てくると私は思っている。

終り
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>目先だけしか見えないのかーー2 地震処理も場当たりで

2012年04月06日 08時37分36秒 | 私の「時事評論」
 国政に取り組む人は

 今後を自己責任で考えることをなくしてしまった日本の国を、これからどうして再び、真剣に将来を展望し、設計図を持って臨む国に回復するか。これは口で言うより、かなり骨の折れる仕事だと考える。だが、最近は多くの人が、日本の世界でも異常な姿に気がついてきた。私も未来に期待をしたい。

 そこでそれにつながる現状改革案から始めよう。手はじめに、私は国政への展望を持たないものが安易に員数揃えのように国政に出てくる現在の空気を正す国論を育てるべきだと思っている。国へのビジョンもない人が国会議員などになり、議員報酬などを生活の手段とし、無駄金を使って国政を混乱させることの無い環境を先ず作るべきだと思っている。国政を論ずる議員は、少数精鋭で充分だ。衆参合わせて千人に近い現在の国会議員は、まず半分ほどにでも圧縮し、どの議員も「あの人はこんな意見を抱いている人だ」と国民に顔が分かる精鋭に絞ってよいと考える。政党本位の現在の小選挙区制などは国会には不要である。

 そして日本の将来に夢を持ち、国政の将来像を描ける人、政治で食う政治屋ではなく、政治に夢を託する政治家が国民注目の中で、より存分に論議する場に国会をすべきだと思っている。さらに、国会議員など国政の中枢にある人は、国よりの報酬などはあてにしない人、その人を支持尊敬する国民の拠金か、政治以外の社会的収入によって生活をできる人に絞った方がよい。議員の職を、自らの生活の収入を得る場所にしてはいけないと思う。お金のほしい人は企業などに職を求め、国会議員や政治家になるべきではない。

 議員経費も徹底的に絞るべきだと思う。これは現在の膨大な税金の乱費防止につながるし、議員が、官僚の無駄遣いに、その他の不当な収入を得る者に厳しいチェックをする力を増すことにもつながる。政治は清事(せいじ)であるという意識を国民に徹底して印象付けるのだ。国会議員の行動には厳しい社会のチェックが必要だ。政治屋は不要、政治家は国の発展に力を入れて、国民に尊敬される人を目指さねばならない。
国会での日常の論議の中には、直接将来展望は出てこないものかもしれない。日常の国会審議は、毎日取り組んでいる行政全般の百般に分かれた一つ一つの部分的問題が多いし、それらは全体が統一されて初めて、その国がどんな青写真に向けて進もうとしているかの全体像が見えてくるものであるからだ。だが、国のあるべき理想が基本にあり、そんな目標に向かって我々は進んでいる自負がなければ、国というものがどこに向かっているのかがわからない。

 私は日本のあるべき将来を思う者が、蓄積した見識を訴えて選挙に臨み、国民の信を得たものが議員になるというすっきりした姿を目指すべきだと思う。掲げてみてもこの理想は遠い。しかし、目指さなくてはいつまでたっても同じだ。


 政党は表舞台の存在ではない

 また政党などというものは、何も国が応援すべき公的な存在ではないと思う。憲法にも政党は直接出てはこない。それはただ目指す政治の方向の共通の人々が私的に集まって組織する団体にすぎない。しかし、現実の議会政治は数が最終的に勝敗を決めるので、議員たちが党派を組み活動するのが便利である。こんなところから憲法には何の規定もない政党というものが、議会制度には必ず顔を出すことになる。

 それが放置すると、日本のように国の資金をもらったり、特別の便宜を与えられたりの過分の扱いを受ける場合も出てくる。これらの援助は本来不要なものだと私は思う。

 政党は民間の私的団体であるべきものだ。賛成する者から資金を集めて活動をすればよい。ところが日本においては、国民の政治へのチェックが甘いので、こんな政党までが勝手に国費まで使い、国民に対してどんな政治を目指すグループであるかも明らかにせず、しかも公金だけは湯水のように使って、国会内の議会規則を定めたり、本来は議員らが話し合うべきところに顔を出したり、政治を商売になるものに代えてしまっている。民主党を見ても自民党を見ても公明党を見ても、彼らは国民がどこに互いの違いがあり、何が目的なのかを示すことができないままで、議員以上に動きまわっている。

 ところで政党の目指すべき目的こそ、本来は国家の展望や理想の姿の追求するものであろう。ところが今の我が国の政党にはそんな展望も何もなく、その上に、何を求めているのかはっきりさせない表面に出て、選挙制度までがいつの間にか、政党を国民に選ばせるゆがんだものに代わってしまった。どんな政治を選択するか、国民は選挙で投票の機会を与えられても、候補者の属する政党のあいまいさに邪魔されて、政策に直接意思表示ができなくなっている。これではまるで政党は、民意と政治の間のカーテンのようなものだ。なぜこの前、民主党内閣ができたのか、そして結果は国民の望む通りになっただろうか。私は、何も政党を否定しようと思っているわけではないが、政治の表舞台に政党が出てくるのは賛成しない。今のように、政党とそこに所属する議員の主張が合わないようなことになると、政党は混乱させるばかりの存在になる。


 政府の震災復興に対する姿勢

 日本の国が将来活力を回復して、自分の力で「国家百年の計」を描くことができる状態に戻るのには、百年の計を考え、それに向かって積み上げる苦しみを放棄した70年近くになろうとする過去の歩みから決別し、もう一度あの明治の時代のように、日本国の繁栄のために、国を挙げて努力する姿勢が必要だと前章では指摘した。

 国政論議の場である国会ばかりではなく、あらゆる社会の場において、もう少し、国家の理想を眺める論が論じ合われ、それに対する論議が交わされ、その論議が国の方向を定める力になる環境がほしいものである。

 かといって、私はすべての問題を長期的視野にさえ立てば、万事がうまくいくなどと空想的なことを考えているのではない。今の政治は何より先にとにかく動かない、機能をしなくなっている。一日でも早く国や政府が動かねば、国の対応の遅さによって多大な迷惑が国民に及ぶ。現在の政府や国会議員、各政党を見ても、自分らが責任者ならば、こんな間の抜けた怠慢に終始していてよいのかと腹が立つことが多すぎる。今回の震災よりの復興などをみるがよい。壊滅的な破壊を受けた東北地方、今でも災害の後は膨大な何もない広場のままで放置され、復興計画ひとつ出来ない中に被災者は一年を越えてしまっている。中でも原発の放射能漏れによる被災地は片づけはおろか、被災者は居住していたところに戻ることもできないでいる。これに対して国会は、お互いにののしり合うだけで一年間、なんら対応策が打ち出せない。なぜ動けないかを考えなければならない。

 少々脱線するが、大正時代(12.09.01)に首都東京を始め横浜、首都圏などを破壊し尽くした関東大震災を振り返って見る。首都圏で全壊11万戸、消失21万戸、津波で流失1300戸、死亡及び行方不明10万5000人の被害が出たが、時の政府は全力で回復に取り組んだ。その詳細はすでに書いたが、4週間後の9月27日には後藤新平・帝都復興院総裁(内相が兼務)が首都東京の復興計画を発表した。これは政府に、将来の日本の進路を描く設計図があったからだった。

 東京の被災地は国が買い上げる。路地のような道を100メートル道路にし、学校のそばには被災者が集まれる公園を造る。種々震災に強い首都の姿を計画し、今後は災害に強い首都を作るという大計画であった。この案は、当時が不景気の真っただ中で、厳しい政治・経済の環境下だったので、国会などでかなり小さいものに縮小されたが、こんな基本がただちに政府によって示され、基本となる長期プランが政府によって迅速に出されたので、その計画が基礎になって復興が急速に始まった。

 今回の被災地では、津波の後の膨大な廃棄物の処理が騒がれ、それらが復興の妨げになるのだが、処理できないなどと騒がれている。だがこれらのごみも、関東大震災のあとは、国による復興計画の中で速やかに除去された。復興計画では避難所として都市公園の整備が図られ、今は横浜の名所となっている山下公園などは、横浜でできた膨大な塵芥を海岸に埋め立て、海岸隣接の記念公園としたことなども忘れてはなるまい。
 より重要なのは、今回の災害のごみ処理の問題なども、マスコミで宣伝されているのとは別の視点から眺める必要があることだ。今回、全国自治体に引き受けを求めている塵芥は、全体の2割程度にすぎない。もちろんそれらは全国に引き受けてほしいと依頼されたら、全国の自治体は万難を排して即座に引き受けて対応すべきことで、それを住民が拒否することなどは困った状況といわなければならないだろう。だが、それができれば震災復興が完成するというものではない。8割の残りの塵芥の処理ができずに残されるからだ。

 これは、大きな処理工場を災害地の海岸でも埋め立てて大至急に造り、いっきょに処理する方が結果として安くつき合理的だ。僅かなごみを、態々輸送費をかけて運び、全国で補助金を大量に出して焼却し、輸送費をかけて送り返すというのでは、輸送業者や処理する自治体を潤すだけで、目的が違うような気がするではないか。景気も悪く、ただでさえ予算に不自由している現在、ほとんどの復興作業が手につかず、行政の確固とした計画性がないために、この種の無駄があまりにも多そうな気がしてならない。


 終戦のご詔勅と原子力発電

 さらに今回の震災は、福島原発の破壊による放射能問題を引き起こしてしまった。原発は壊れれば放射能漏れ災害という予想もつかない事故の危機と隣り合わせである。その予測できない地震や津波の事故に対して、慎重に対応をせず、わざわざ原発を作るに際し、用地の岡を20メートル以上削って海に近い高さにまで下げ、原発の設置を認めたのは日本の政府であった。

 昭和天皇は終戦の御裁断の時、なぜこの戦いをやめると仰せになったのか。それは広島長崎の原爆を見て、原子力というものが、今までにない凶器であり、このまま戦争を続けては、日本ばかりではない、世界人類破滅の危機が来ると断定されたからだった。

 その放射能の恐怖をどうやって安全なものにするかの技術を我々人類は未だに発明していない。原子力発電所を設けることは、今回の震災が証明したように、人類にとって命の危険を持った放射能が今後は一万年もここから出続けるということなのだ。
 
 それは他の原発でも地震や津波、その他の事故によって容易に起こりうる危険のある問題だし、地震や津波ではなく、ミサイル攻撃やテロ、飛行機などの墜落やその他の事故でも容易に起こりうるものだ。しかも我々にそれに伴う放射能を消す技術はない。

 そんな危険を二度と起こすまいと、わざわざ昭和天皇が65年前に世界に向けてお示しになった重いお気持ちを無視して、何と日本政府が原発を安易に認めてしまったことの重さが全く政府には感ぜられない。日本の国はこんなところまで無神経になってしまったのかとため息が出る事態である。

 私には、日本国政府には、この福島原発の事故は、日本国に対するこの日本の国土を見守る神々のお怒りになった神罰といってよいものであるように思えてならない。日本国は、いつの間にやら、しょうらいのことをかんがえることをわすれ、とんでもない道を走り始めている。

 福島の事故に関しては各方面から様々な報道がなされている。日本では政府も原発関係者も報道機関も、これに関しては報道しないことにしているようだが、海外から漏れ伝えられる情報は多い。それにだいいち、福島は今後も放射能は出し続ける。物質不明の法則というのがある。政府は除染すれば安全と説明しているようだが、除染使用がふたをしようが海に流そうが、危険はなくなるものではない。中には一万年もじっと待たねば自然に戻らぬ危険なものも含まれている。

 さて次回は、長期ビジョンなき日本の悲劇に触れよう。

                  続く     
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目先だけしか見えていないのか―その1 展望を失っている日本

2012年04月02日 21時36分33秒 | 私の「時事評論」


  何かがおかしい

 四月に入った。新年度だから新しい気持ちで出発したい。だが国会をはじめ政局は眠っている。眠っているというのは不穏当かもしれない。ワイワイやっているのだが、論議に方向性がなく、大切な日本の将来への展望などは無きにひとしく、議員たちは自分が何を論じているのかも分かっていない。見ている国民はもう諦めの境地だ。喚きあってガチャガチャ茶碗の中の水を掻き混ぜて、水を跳ね散らかすだけで、自分で自分が何を論じているのかもわからない始末だと言ったら正確だろうか。

これから日本にどんな時代が来るのか、さすがに国民の中には不安になっている者も少なくない。いつの間にか、時代が変わり、世界に大きな転換期に来たのかもしれない。今のままの日本では、うまくいかない問題点が次々に表面化す危険性がある。

一年前の東北東関東の大地震、大津波、原発事故からの回復はさっぱり進まない。それどころでない。加えて今までは想像もしなかった大地震や津波が次々に我が国を襲って、全国の主要都市が水没する恐れもあるという恐るべき情報までが発表された。福島原発の事故は、大事件だが事故前の状態に戻ることができず、「たいした事故でない」と政府は発表を続けているのだが、その隙間から、報道されなかった深刻な被害の状況が続々流れでてくる。
「このままではあと一万年ほど、我々は福島の原子炉崩壊の後遺症に悩まねばならない」、「汚染は洗浄すると言っても、放射能は消えないのだし、その汚染はどこに行くというのだ」、「福島東部はしばらく使いものにならない」、「今の破壊された原子炉も近寄れない危ない状態のままだというではないか」、「他の全国の原発にも、大きな事故の可能性がある」などという情報が信憑性を帯びてきた。「原発依存など、何という大きな国策の失敗か」。日本の景気はすでに頭を打ち、「このままでは日本経済は回復しそうもない」との観測、「日本が老人ばかりの国になる」、一体だれがどうやってそんな老人を食わしていくのかという不安、「食いつぶした国債の債務はどうなるのだ」、「消費税はどこまで上がるのだ。だいたいこれで税収が上がる方程式は経たないではないか」。こんな後ろ向きの暗い展望ばかりが次々に出てくる。どうして日本はこんな時代を迎えてしまったのか。

我々日本人は明治以来、独自の壮大な夢を描いてそれに向かって進んできた。だが20世紀の半ば、昭和20年(1945年)年に米国との戦争に敗戦して以来、これですっかり気力を失い、いらい国家百年の計などというものを描いて、自分らの努力によって切り開くことも忘れてしまったのでこんな状況になったのだという説は、残念ながら当たっているようだ。

敗戦ののち、最初のうちの日本は、戦争で日本に勝ち占領国として進駐した米国の「日本国を弱体化する」目的に沿った命令によって強制的に規制され洗脳され、その後はまるで飼い馴らされた犬のようになってしまった。しばらくして形の上では独立国としての主権を再び回復したのだが、もう気力を失っていた日本は、同じように戦勝西欧諸国についていけばよいとそれ以来、いつも時の空気に流されてきた。

 こう書くと反発する向きもあるだろうが、全体の風潮は、大きく見ればそんなものだった。わが国にも、本来ならば国家百年の計を考えて、独自の力で日本らしい道を求める努力は必要だったのだと思われるが、そんなものを大切なものと受け止め、真剣に考えて生み出すという努力そのものを日本文化が失って歩いてしまった長い時代であった。
 今年は西暦で2012年、敗戦の我を忘れた亡失から67年も経過した。国民もその間に親から子、子から孫中心の社会へと時は流れた。敗戦時の昭和20年に、まだ小学校に入ったばかりの私が今年はもう75歳、いわゆる後期高齢者の仲間入りすることになった。その間、日本は流されるままに安易な対米従属と言われる中で動いてきた。
 敗戦までの日本は、世界とは異質の構造を持ったユニークな文化を目指してきた。日本には西欧文化と異質の要素が多くあったし、それを知り、日本の将来を本気で考える人がいたからだ。鎖国のままでは海外の国々との交渉が避けられなくなり孤立する。日本は世界の国々と親しく交際しながらも、西欧を追従するだけでは日本文化は守れない。我が国文化の持つ独自性を残して、独特の国として発展しようと決意して、明治維新からの道を歩いてきたはずだった。

だがそれは、決して平たんな道ではなかった。世界の文明は、もう白人たち先進国の独占状態にあった。そこに日本は割りこもうとしたのだから。結果として有色人拒絶の厳しい世界のすう勢に苦しめられ、結果は追い詰められて起こした戦争に、力不足で負ける結果になった。その歴史は苦難の道であった。
だが、そんな苦しさにも耐えてきた日本は、戦争に敗れたのちも、ノックアウトにならず立ち治るべきだった。明治以降の日本には多くの後進の有色人国家も期待していた。だが、我が国三千年の歴史で初めて経験した敗戦の精神的ショックが、国民の持っていたあらゆる理想も捨てて無気力にしてしまったのも、やはり日本の力であったのか。何もかも、占領軍の言われるままに従って、思考停止をしてしまったのだ。
努力してユニークな国を存続させるより、流されるほうが楽だと洗脳されて、歩んでしまった長い歴史。真剣に独歩で国の行方を本気で考えた者がその間、国内に生まれなかったとは言わないが、そんな難しいことをいうものはだれも相手にしないのが日本文化の大勢だった(だがここで、日本の歩んできた道を見て、世界の有色人国家が日本と同じような道を歩もうと決意し始めたことは見落とせない。それらの国はその後自分の力で体上がる。だが日本は自信をなくして挫折した)。

これからはやりたい放題の自由主義の時代である。国の在り方などを堅苦しく論ずることは不要である。そんな思いに取りつかれ、歩んでしまった半世紀以上の歴史が、日本から、国家百年の計などを真面目に考える層を絶滅させてしまったのだ。それが大きな目で見たこの半世紀の世界史である。かくいう私もそんな時代を生きてきた。このままではいけない。そんな思いは持っていた。そして生涯、それを主張し続けてきた。だがそれがどんな成果をもたらしたか。日本のたどってきた歴史を見れば明らかだ。社会の皆がたどりつつある道を批判し、その流れの中で食ってきた。そう言われてしまえば返す言葉もない。
 
 
 豊かな享楽の日は続かなかった

 だがやはり、そう勝手な生き方ばかり続けていては、続かぬ時代がやってきたようだ。言われるままに米国の日本文化の異質性を脱色する洗脳政治に従順に従い、国の安全は米国が守ってやる、経済の安定はドル経済が守ってやる、好き勝手にのんびり暮したらよいと言われてきたのだが、米国は日本国のことを思っての親心ではなく、日本が再び米国の脅威に回復させないための手段であった。それがその後に日本を衛星国・同盟国として使う方針に転向したので対日保護は長引いたのだが、なにも余計なことを考えず、国防や経済政策に無駄な費用をかけず、うまくやっていけば楽ができる。米国の傘の下でのんびり太平の世を満喫していればよいさ、米国はそんな国だと最初は思っていた我が国も、いつまでもそうとばかりはいかなくなった。
 その上、今までは世界を支配する軍事力を持ち、世界経済を牛耳るドルの威力を誇っていた米国の世界への威信もぐらついてきた。ドル経済も日本のこれ以上の寄りかかりを支えられなくなってきた。米国の我が国への対応が少しずつ変わってきたのは最近のこと、そんな中にこの数十年、日本の基礎的文化とは異質のもので何とかやってきた日本の国の体質が、やはりこれ以上のんびり考えずにやっていたら、おかしなことになりそうな気配になってきた。それが現代の世情のようだ。
 
 
 混乱する政局

 以上は本論の口上で、これからが現実の話である。
 ここ数年、国会では税収不足の中でどうやって国家財政を定めていくかをめぐって紛糾が続いている。常識でいえば税収を得て、節税につとめてその範囲内で国の財政をいかに運営していくかを苦心するのが国民に選ばれた国会というものの仕事である。議会制度が始まった当初より、議会はそれを基本的な務めとして発足した。
 だが我が国の状態は変だ。政治を行うのに国の経費を監視し無駄を省くより、国会議員が再選されるために、国民の機嫌を取ろうと金もないのに将来への借金である国債をばらまいて借金し、ない金までをばらまいてきたのが国会だ。挙句の果てはもう借金は税金などを少々多めに取って見たところで、そんなものでは絶対に埋まることの無い額にまで増えてしまった。

 こんな状態が現在であると思って、冷静に眺めると分かりやすい。政府や国会は、戦後の日本が米国の傘の下で、右肩上がりに成長してきたので、これからも成長すれば税収は上がり、多少の国債などは何とかなると思っていたのだが、後見人の米国までが躓いて、そういうわけにはいかなくなった。それに我が国内でも人口比率が急速に高齢化した、新しい産業が育たなくなった、企業活動が変化して失業者が増えた、企業が外国に逃げて税収が上がらなくなったなど、次々に問題も生じてきた。
それで結局は増税をしなければならなくなって、消費税を5%から10%に増やす案が政府や野党から求められて論議をされているのだが、これにも多くの問題がある。先ず、その程度の増税では、国の借金が減るどころか、いよいよ苦しくなるのは目に見えているということ。そんなことは国民だってよく知っている。消費税を20%か30%に増やしても、今の赤字体質は変わるまい。そればかりではない。消費税増は、すっかり元気をなくしてきたわが国景気をいよいよ落ち込ませ、税収は逆に下がるとも見られている。

それだけではない。我が国は今、急速に人口構成が変化し始めている。過去に生まれた老人ばかりが増加して、将来を担う若者は結婚もせず、子供も設けなかった。将来に夢が描ける状態ではなかったのだろうが、その結果、我が国人口構成は、典型的な文化の安楽死型に近付いている。景気は夢が無いのでいよいよ落ち込み、人口も若いものが増えずに老人のみを残して急速に減少することが予想される。

おかしなことに今までのドル安や最近のユーロ安などが国債相場を不当にゆがめ、日本は不当ともいえる円高に苦しんできたが、これとても世界が日本を真正面から見なかったからにすぎない。気がつけば日本円は売られて急速な円安に流れるのは確実とみられる現状でもある。国債乱発に歯止めがかからぬ日本が、急に円安に市場が移行したら、たちまち日本の金融環境は挫折する。
加えて最近は中国やインドなど、アジア経済の急成長が、日本の命取りになりかねないと見られている。
 こんな中で、国会は手はじめの5%の消費税果皮で大騒ぎだ。上げれば、なんとか我が国はうまく当面の危機を乗り切れるかのような国会論議が進行している。だがそんな論議をだれが本当に信ずるだろうか。世界は日本がとうめん20%の消費税で行き、その負担を乗り越えて経済成長すれば生き延びるとみているようだ。だが、そんな力と決断力がどこにある。65年前の敗戦のとき、何と教えられて日本がいまの日を歩むことになったのかを振り返ってほしい。
 何なのだ、この国会は。国民という主人にはほとんど知らせないうちに、高利貸から目いっぱいに借金をしてしまって、このままでは家も家財も明日にでも差し押さえられて一家離散して夜逃げか一家心中でもしなればならないような事態に追い込まれて、おたがいに「お前の小遣いを少し減らせ」と喚きあっているようなものではないか。もう少し我々国民が、本気でニュースを読むようなまともな審議はできないものなのだろうか。
――続く
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