珈琲アトリエアズ・・・昔の名前で出ています。

振り返りながらも前進あるのみ、伴に時を刻もうよ友。
想うがままに、徒然に。

カトリーヌ通信 2月号 最終号

2016-02-03 17:38:11 | カトリーヌ通信


『カトリーヌ通信最終号に寄せて。』

カトリーヌにとって、珈琲アトリエA's は『人生を変えた珈琲屋』だ。店主との出逢いは1998年9月。夫の転勤で東松山に移り住み、買い物帰りにふらっと入ったのが最初だったと記憶している。

当時、知り合いが誰もいないこの地で、丁寧に淹れてくれた一杯のコーヒーと店主とのささやかな会話に癒されたものだった。

その後、クローズするまでの14年間は、年月を追うごとにA'sは単なるカフェという場所ではなく、わたしにとって、代わりのない唯一無二の居場所、心の拠り所となった。

彼女はガイア(大地の女神)というニックネームにふさわしく(カトリーヌが勝手に名付けたのだが)実にさまざまなチャンスや恵みをわたしに与えてくれた。

わたしがイタリア語の世界でなんとかなれたのも、東松山を離れたくないとまで思ったのも、珈琲についてこれほど詳しくなったのも(おかげで今も珈琲豆を求めて行脚している日々だ)、たくさんの方々との繋がりができたのも、カトリーヌ通信がやれたのも、珈琲アトリエA'sがあったから、そこに彼女がいてくれたから。もはや店主と常連客というのでもなく、なんと言うのだろう… お姉さんというわけでもなく、近所のおばちゃんというのでもなく、友人とか、そんなありきたりのことばでは表現できない大きな存在。そうだ、わたしにとって彼女は『レジェンド』なんだ。


カトリーヌ通信は今月号をもちまして終了させていただくことになりました。

2012年2月の創刊号から早4年、今回で vol.50 となりました。これまで続けてこられたのも、ひとえに皆様のおかげと、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。


『珈琲アトリエA'sとカトリーヌの歴史』

イタリア料理教室
イタリア展
イタリア語個人レッスン
ポストカード展
A'sブログ登場
A's パンフレット制作アシスタント
カトリーヌのコラージュ展


カトリーヌ通信 1月号

2016-01-10 15:31:43 | カトリーヌ通信

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
ちょっぴり知的創造空間ただようフリージャーナル。

『好きなことにはまっしぐら。』


イタリア語通訳デビューのきっかけは「日本におけるイタリア2001」。
2001年3月~2002年初夏まで一年以上に渡り、
日本全土で376ものイベントを開催した
イタリアと日本両国の過去最大プロジェクト。
イタリア語教室に通って7年目を迎えた頃である。
当時のわたしはイタリア語とイタリア文化を学ぶ一生徒。
週一回2時間、異なる職種や年齢層の「イタリア好きたち」が集い語らい学ぶ場所。
どのレッスンも楽しかった。
『好きなことにはまっしぐら』のわたしは、
子育てと主婦業の合間を縫って、とにかくよく勉強したものだ。
レッスンで習ったことは帰りの電車内で復習、その日のうちにノートにまとめ直す。
宿題は早め早めにやっておく。
一週間なんてあっという間に過ぎてしまうものだから。
手っ取り早くイタリアに行ってしまえば、上達するのも早かったのかもしれないが、
留学などありえなかった。
『日本にいても必ずできるようになってやる』秘めた決意と情熱があった。
息子が小学校を卒業するころには仕事ができるレベルになりたい、
そんな目標をかかげていた。
イタリア語検定も進んで受けた。
1999年からは年数回イタリア関連のイベントでアルバイトをするようになった。
最初はレセプションやバリスタの仕事。
日本に居ながらにして気分はイタリア。
わたしが淹れたエスプレッソを「日本で一番美味しいエスプレッソ!」と褒めてくれたイタリア人。
笑ってしまうが、大げさで褒め上手なイタリア人のおかげでここまでやって来れたような気もする。
結局2005年までの約10年間、入門から最上級まで、
文法、会話、美術、建築、映画、文学、ガストロノミー、
マスメディアに至るまで様々なコースを修得した。
日本人にありがちな「書く」「読む」が比較的強かったわたしだが「話す」「聴く」が弱点だった。
日本ではイタリア語を使う機会が極端に少ない為、その強化訓練を自ら課した。
体のいい理由だが、イタリア一人旅をライフサイクルに組み込んだ。
年2回イタリア滞在時、脳内をイタリア語だけの回路にする。
文化や風土に直接触れ、現地の人たちと生きたコミュニケーションを取る。
これには家族の理解、応援が必要だった。
わたしの頑張る姿をずっと見ていた両親や夫、息子も全面的に協力してくれた。
本当に感謝している。こうして、様々なジャンルの通訳や翻訳業、旅行代理店への情報提供、
イタリアの宿泊施設やレストランのプロモーション、イタリア語個人レッスンなどもさせていただいた。
趣味で始めたイタリア語がこんなふうに仕事にリンクするなんて、ましてや通訳になるとは夢にも思っていなかった。


カトリーヌ通信 12月号

2015-12-06 22:32:45 | カトリーヌ通信

 

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
ちょっぴり知的創造空間ただようフリージャーナル。

 

 

『ローマの休日。』

 

1985年、わたしと母は欧州6か国の旅に出た。

イギリス、オランダ、スペイン、イタリア、スイス、フランスを2週間で回るという強行軍。

添乗員同行3食付、フリータイムなし、総勢25名がぞろぞろと一緒に動くツアー。

それでも初のヨーロッパはどこも素敵だった。

旅の中盤、マドリードから空路ローマへ。

バスに乗り込み観光名所を回る。

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂では「ミケランジェロのピエタ」とご対面、

サンタマリア・イン・コスメディン教会では

オードリー・ヘプバーンよろしく「真実の口」に手を突っ込んだ。

その後、市内中心部に入りランチタイム。
「近くに革製品の店がありますから、よろしければいらしてみてください」

添乗員の誘導に、わたしと母はすぐさまショップへ。

いかにもローマらしい重厚な建物の扉を開けると、

なんと目の前に、懐かしい友の姿があるではないか。

まさかこのローマの、しかもこんな路地裏で友との再会があるなんて! 
彼女はある時期病いに倒れ、以来逢えないままになっていた。

わたしたちは抱き合って「どうしてここに?」「どうしてたの?」「元気でよかった!」と

奇跡の再会に感極まった。一年前からその店で働いているのだという。
「明日、時間ある?ローマを案内したいの」添乗員に事情を話し、

予定していたナポリ・ポンペイツアーをキャンセル。

彼女と語学留学中のAさん、コック見習いのYくんも連れだって

ナボーナ広場やパンテオン、ローマ一美味しいと評判のジェラテリア『ジョリッティ』にも。

夕食はYくんの仕事場トラットリア『Tavernetta(タヴェルネッタ)』で。

ナスの重ね焼き、トマトのファルシー、サラーミ盛り合わせなど、どれもこれも絶品だった。

ツアーに組み込まれていた食事はいまいちだったので感動はひとしおだ。

ワインはラツィオの銘酒である「フラスカーティ」さらりとして飲みやすくこれまた美味。

女4人で「ローマの夜景を見に行こう!」タクシーを拾い、ローマの七つの丘のひとつに繰り出した。

待ち時間、運転手さんも一緒に夜景を楽しんだ。イタリア人って陽気だなぁ。

運転手さんと彼女たちが話す会話に聞き惚れた。

今思えば、友人たちのイタリア語は片言だったのかもしれないが、

そのやり取りはわたしには「音楽のような響き、心地よい音」に聞こえたのだ。
「イタリア語を話してみたい!!!」
わたしの『ローマの休日』はその後10年のときを温めて、

イタリア語教室の扉をたたくことになったのだ。

 


カトリーヌ通信 11月号

2015-11-01 15:40:54 | カトリーヌ通信

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
ちょっぴり知的創造空間ただようフリージャーナル。


『ドルチェな午後。』

山形から「ラ・フランス」が届きました。
食べきれないほどあります。
このままではどんどん熟してしまいます。
そうだコンポートを作ってみよう!
材料を探してみます。
ちょうど飲みかけの赤ワインがありました。
グラニュー糖も蜂蜜も、しかもバニラアイスも。
Che fortuna!
ラッキー!
今日のおやつに間に合います。


たくさんできたので瓶詰めにしておすそ分け。  
おすそ分けはいいですね。
いただくのもするのも嬉しいものです。
ラッピングをちょっと工夫して。
どうぞ、召し上がれ!


Photo)カトリーヌ特製「洋梨のコンポート」バニラアイス添え


カトリーヌ通信 10月号

2015-10-07 21:55:09 | カトリーヌ通信

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
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『禅寺丸。』

歴史を遡り、物事の起源や由来を調べるのが好きです。

今月号の話題は秋の味覚「柿」について、とりとめのないおはなしです。
今から800年前の鎌倉時代、日本最古の甘柿が現在の川崎市麻生区で偶然発見されたそうです。

王禅寺という寺の山中に自生していたことから「禅寺丸柿」と名付けられました。

それまでの日本の柿木は渋柿のみだったようですから、

その大発見は大いに人々を喜ばせたに違いありません。

いったいどんな味わいだったのでしょうか。

後にその地は「柿が生まれた村」ということで柿生村と呼ばれましたが、

現在では小田急線沿線の柿生駅という駅名のみ残っているということです。

そう言えば、友人の実家がその辺りだったなぁ。

王禅寺本堂前の庭にはこの「禅寺丸柿」の原木が保存されていますから

(国登録記念物/かながわの名木100選)出かけてみるのもよいかもしれません。
今では柿にもたくさんの品種があるようです。

日本生まれの甘柿は「KAKI」と呼ばれ世界でも食されるようになりましたが、

やっぱり柿は日本のイメージでしょうか。
柿といえば正岡子規の名句が浮かびます。
『柿食えは鐘が鳴るなり法隆寺』
柿と寺って似合いますよね。
一句とはいきませんが一品拵えました。

まだ熟していない柿を使った「柿の白和え」。
豆腐の滑らかな舌触りとしゃきしゃきした柿の食感がいいですよ。


カトリーヌ通信 9月号

2015-08-31 23:26:50 | カトリーヌ通信

 

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
ちょっぴり知的創造空間ただようフリージャーナル。


『洋食器のおはなし。』

器にもトレンドがある。画像は70年代に発売された日本製の皿。

実家で普段使いされていたものだ。
可愛らしい花模様が、ちょっと不釣合いで異色な存在だった。

(2012年10月号「和のある暮らし。」参照)
親元を離れて大学生活に入るとき、初めての一人暮らし用にと、

自分テイストの器を選び揃えていくのが嬉しかった。

当時は北欧やドイツのデザインに惹かれていた。

基本は白、それにブルーやグレーが効かせ色になっている極々シンプルなものが多かった。

少し変化をつけたくなるとそこに色物、柄物が入ってくる。
イギリスのボーンチャイナやフランスのリモージュ磁器に憧れたときも。

オランダやスペインに旅行したときには、

ぽってりとした質感のデルフト焼きやマヨルカ焼きにも興味を持った。

元来、凝り性なので「西洋食器の本」など買い込んで、熱心に勉強もしたものだ。

 

 

「テーブルコーディネーターになりたい!」そんな夢を描いたこともあったっけ。
なんということか洋食器にまったく興味がわかない時代もあった。

その間は「和のある暮らし。」を楽しんだ。
時代は進み2015年、わたしの中でのムーブメント。

長いことしまってあった懐かしい古い皿やカップ、

今ではもう製造されていない廃番品なのだが、そんなモノたちが新鮮なのだ。

蓋が割れてしまったノリタケのティーポットには花を活け、

ローゼンタールの手付きプレートにはポストカードを無造作に並べてみたり。
どう使うかは思うがままに。

      


カトリーヌ通信 8月号

2015-08-01 07:05:10 | カトリーヌ通信

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
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『かわいがる。』

暮らしのなかに草花があると気持ちが豊かになります。
特に今の季節、室内のグリーンは涼しげで見ていて心地よいです。
花は一輪でも空間を明るくしてくれます。
日々の暮らしには華美なものよりもさりげない草花が似合います。
フラワーベースにこだわる必要もありません。
空き瓶でも欠けたカップでもグラスでもなんでもいいのです。
素材や形の違うものをあえて組み合わせて並べてみるのも楽しいです。
置き方に高低差を付けると動きが出て、賑やかで華やかな印象になります。
最近のお気に入りは、多肉植物やエアープランツ。
育てやすい可愛い子たちですが、水やりや日あたりに気を配ります。
風通しにも要注意。
多肉植物は、伸びてきたら先っぽを取って別の鉢や容器に植え替えます。
エアープランツは、ミスティングやソーキングをしてあげると嬉しそうに元気に育ちます。
ベランダでは、強い西日にもめげずオリーブやユーカリたちが頑張っています。
ツゲ・エレガンテシマのトピアリーは、植木職人のようにちょきちょき刈り込みをします。
ショートヘアーの女の子みたいに、お手入れをして可愛さをキープ。
以前のわたしは、植物を育てるのが苦手でした。
すぐ枯らしてしまったり、根腐れさせてしまったり…でも今は違います。
草花に優しくなれているから、みんな生き生きと育ってくれます。
『かわいがる』という心が生まれたからでしょう。


カトリーヌ通信 7月号

2015-07-02 23:27:31 | カトリーヌ通信

 

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『食いしん坊のメス猫と仲間たち。』

 

 

イタリア語で 『gatta golosa (ガッタ・ゴローザ)』

ガッタはメス猫。ゴローザは「食道楽の」「食い意地の張った」という意味ですが

「お菓子に目がない」、お腹いっぱい食べた後でも「デザートは別腹よ〜」というときにも使います。

まさにカトリーヌがそれです。

このイタリア語をメールアドレスにしているくらい。

猫が好きなことと、自分の性格は猫的だなぁ〜と思うから付けました。

食いしん坊カトリーヌは幸せです。

「美味しいものを食べて喜んでもらいたい」と日々、食に対して真摯に取り組んでいる方々が身近にいることです。

安心安全で新鮮な食材に努力と腕、それに、愛と真心が込められているのですから。

いつもありがとうございます。


カトリーヌ通信 6月号

2015-06-08 14:52:22 | カトリーヌ通信

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。
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『無題。』

 

風景の色がそうであるように、その季節に似合う色がありますね。カトリーヌは月ごとにイメージする色があって、衣食住に取り入れています。ルールなどはなく自然に発するがままです。何かひらめくとムズムズしてきます。夜でも疲れていても、アイデアが浮かぶといても立ってもいられずやってしまう性分です。例えばこんな感じ。
三月はミモザ色。ミモザの花はカトリーヌにとっては春の訪れと同義語。今春はたっぷり枝ごといただいたので、リースや投げ入れにして飾りました。室内もベランダもイエローに染まり明るい印象に。ミモザ色のスカートはいろんなトップスと合わせやすく大活躍。
四月になると桜を待ちわびるかのように、我が家の風景はサクラ色に変わります。部屋の小窓に、天井から床までの白いカーテンを取り付けてみました。100円の端切れを買ってきて手縫いした自作。カフェカーテンとの重ね使いは新鮮でこれまた良いです。白い背景に薄桃色の花やフクシアピンクのクッションがよく映えます。食卓ではペールピンクのお皿がヘビーローテーション。
五月、白い花とグリーンの清々しさに惹かれる季節。ランチにニース風サラダなんていかがでしょう。レタス、ベビーリーフ、いんげんやアスパラなどの緑野菜をふんだんに。茹でたジャガイモ、ツナ、アンチョビ、固ゆで卵、オリーブ、トマトを加えてボリューム満点。
六月は薄紫色に憧れます。クロアチアのロヴィニというまちで、パープルのディスプレイがとても素敵なお店に出逢いました。我が家の味気ないベランダをなんとかしたいとずっと思っていましたが、アジサイ色という名のペンキを見つけ、これだ!と決めました。旅ではヒントになることがたくさんあります。古いテラコッタの鉢を7個塗り替えましたから、梅雨時の景色も新鮮に映ることでしょう。
さあて、これからの季節は何色になるのかな。


カトリーヌ通信 5月号

2015-05-04 09:31:59 | カトリーヌ通信

 

 

東松山在住のカトリーヌが大好きな素敵なモノや暮らし。

ちょっぴり知的創造空間ただようフリージャーナル。

 

 

『原体験。』

 

小学校の低学年、6-7歳頃の写真だと思う。緊張していたせいなのか直立不動で笑顔はない。この頃のわたしは親にとって、手のかからない聞き分けの良い娘であった。下には甘えん坊の弟がいたから、わたしはお姉さんぶって、いかにも長女らしく振舞っていたことを想い出す。可愛い弟をいじめる奴がいようものなら、身体をはって守ったものだ。あまり感情を顕に出す方ではなかったが、芯は強い少女だったと思う。故郷は豊かな自然に抱かれた田舎町。漁師町としての風情もあった。こうした環境ゆえ、子供時代の遊びは今思うに、多様性に富んでいたと言えるのかもしれない。遊びには、空間・時間・仲間が必要だ。港、船、神社の境内、田んぼ、畑、水辺、旧家の離れ、蔵、路地、学校の裏山…冒険するスペースはいっぱいあった。夕刻までの時間を惜しんで遊んだものだ。男の子に混じって秘密基地も作った。大人が知らない自分たちだけの特別な場所があるというのはわくわくでどきどきだった。

子供だけの世界で遊ぶ一方、わたしは大人の働く様子や振る舞いを観察することに興味を持った。ちょっと変わった女の子だったのかもしれない。鍛冶屋さんが真っ赤な鉄をかあんかあんと打っているのを立ち止まっては眺めていた。熱くないのかなぁ…いったいなにができるのだろう…見つかると怒られそうだったからこっそり覗いていたのだと思う。よく通ったのは船大工さんの作業場だ。まだ背が低かったわたしの目に入るのはカーブした船底の部分。子供心にその造形美に感心したものだった。カンナでしゃあかしゃあかと削る音は今でも記憶に残っている。母に連れられて呉服屋さんに行ったときは、反物をはらりと広げては、またくるくるくると巻き戻す手さばきに見入っていた。織物業で栄えた集落でもあったから機織り機のばたんばたんという音がそこかしこで響いていた。

こうした子供時代の五感に触れた体験は記憶として蓄積され、わたしが生きる過程で何らかの影響をもたらしているに違いない。大人になっても好奇心はあった方がいい。実物に触れ、実際に行う直接体験はいくつになっても必要だ。幼少期の『原体験』を振り返り、再生してみるのも悪くない。人生をもう少し先に進める愉しみが待っている。

 

母手作りのワンピース。

襟と袖口には刺繍が施されている。

当時、わたしの通学服は、母の服を

リメイクしたワンピースが定番だった。