東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

円通寺坂~山王坂(2014)

2014年02月14日 | 坂道

円通寺坂上 円通寺坂上 円通寺坂中腹 円通寺坂下 前回の一ツ木公園から出て三分坂下を左に見て、その坂上へと上り、横断歩道を渡り、そのまま直進する。 ちょっと歩いてから右折すると、細い道が東へ延びているが、ここが円通寺坂の坂上である(現代地図)。

坂上に一枚目の写真のように、坂の標柱が立っている。 このあたりは赤坂の台地で、標高が高いが、範囲は狭く、ちょっと歩くとすぐに下りとなる。この手前は先ほどの急坂(三分坂)で、ここを直進すると、まもなく薬研坂の下り、その手前を右折すると、稲荷坂の下り、左折しちょっとすると、もう一つの稲荷坂の下りである(二つの稲荷坂)。台地というと平らで広いイメージがあるが、そうではなく、小高い山の頂上を押しつぶしたような、切り取ったような地形で、意外と狭く、そこに谷が入り込んで、複雑な地形になっている。

ここも右折してまだ平坦であるが、まもなく下りとなる。坂上右に、坂名の由来の円通寺(圓通寺)の門が見えるが、ここまで来ると、坂下が見える。二枚目は、門前手前の坂上から坂下を撮ったもので、中程度の勾配で下って、緩やかに曲がっている。

三枚目は中腹から坂下を、四枚目は坂下の標柱を入れて坂上を撮ったもので、かなり細い。

同名の坂が四谷三丁目にある。新宿通りへ上る坂で、坂下に同名の寺がある。

永井荷風の「断腸亭日乗」大正13年(1924)2月24日に次の記述がある。

「二月廿四日。午下高木井阪の二氏来り、兼子伴雨初七日の法事赤阪円通寺にて営まるゝ由を語らる。倶に同寺に赴き、法会終りし後一木町なる其家に赴き、蔵書画を一覧す。伴雨子は去年十二月半中風にて卒倒し、本月に入りて病いよいよ革み、去十八日世を謝したり。円通寺に葬り謚して梨花庵好雨日居士といふ。」

兼子伴雨とは、演芸記者で、芝口土橋際の米問屋の息子であったが勘当同様となり、内縁の妻と向嶋柳畠の辺りに侘び住まいをしていた頃、後に荷風の二番目の妻となる藤蔭静枝(内田八重)と向嶋で知り合いになって、静枝に密かに恋心を抱いたのだという(「断腸亭日乗」昭和15年12月1日)。明治40~43年頃のこと。

伴雨が亡くなり、その初七日の法事にこの赤坂の円通寺に来て、その後に一ツ木町のその家に行き、蔵書画を見ているが、次の日の日乗に「故兼子伴雨の蔵書若干を購ふ。」とある。

円通寺坂下 黒鍬谷 黒鍬谷 丹後坂下 一枚目の写真の円通寺坂下を東に向かう。この坂下がこの辺りの谷底と思われるのであるが、左を見ると、さらに下りとなっている。この辺りを黒鍬谷とよんだが、その谷底であろう。坂下から進んで三本目を左折し、谷底への坂を下る(二枚目の写真)。

先ほどの坂上の道を薬研坂の方に北へ向かい、その手前を右折すると稲荷坂が下っているが、その道と、円通寺坂の道との中間に地形上の谷底があることがわかる。

谷底への坂を下り、突き当たりを右折し、次の突き当たりを左折すると、三枚目のように、小路の上りとなる。小路からでた通りが稲荷坂から続く道で、ここを右折しちょっと歩くと、左手に階段坂が見える(現代地図)。ここが丹後坂で、四枚目のように、かなりの勾配がある。

山王日枝神社 山王坂下 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 今井谷六本木赤坂図(文久元年(1861)) 丹後坂下を左に見てそのまま進み、赤坂の繁華街を通り抜けると、外堀通りに出るが、ここを横断し、山王日枝神社に入り、一枚目の写真の階段を上る。

境内に入って、東側の階段を下り、左折し右折すると、ちょっと下りとなっていて、その坂下から向こう側に坂が上っているのが見えるが、山王坂である。そのあたりから山王坂を撮ったのが二枚目で(現代地図)、まっすぐに東へ国会議事堂の裏の方に上っている。

三枚目は御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図で、上左側にエンツウジが見え、その前の道が円通寺坂で、その途中で左折し右折して行くと、クロクハタニ(黒鍬谷)とあり、その左に多数の横棒の坂マークがあり、タンゴサカ(丹後坂)とある。その下側に、堀が見えるが、溜池である。この溜池を挟んでその向こう(東)に山王権現が見える。溜池があった頃は、赤坂側から山王神社に直接行くことができなかった。神社の東側(下)に見える坂道が山王坂で、ここが表参道であったことがわかる。

四枚目は、尾張屋板江戸切絵図 今井谷六本木赤坂図(文久元年(1861))の部分図で、多数の横棒の坂マークとともに各坂名が記されている。中央下側に、円通寺サカ、その左に、ヤケンサカ(薬研坂)がある。円通寺坂の道を左折し、突き当たりを右折し、次の突き当たりを左折するクランク状の道筋が見えるが、ここが先ほどの谷底の道かもしれない。そこから出た道に、黒鍬谷とあり、その先に丹後坂が見える。

以上のように、このあたりは江戸から続く道がかなり残っているように見える。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)

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