東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

けこぼ坂(けころ坂)

2013年09月11日 | 坂道

なべころ坂下の右 けこぼ坂上 けこぼ坂下 けこぼ坂下 前回のなべころ坂の坂下にもどり、坂下の右の坂を上る(現代地図)。

一枚目の写真のように、ゆるめの坂がまっすぐに上っている。突き当たりを右折し、次を左折し、ちょっと勾配のある上り坂を上って、直進すると、庚申道にでる。

ここを右折しちょっと歩くと、広い通りに出る。駒沢通りであるが、このあたりがけこぼ坂の坂上である(現代地図)。山手通りまで下る長い坂である。

二枚目の写真は、そのあたりから坂上側(祐天寺方面)を撮ったもので、ほぼ平坦である。

以下、坂下から写真を並べる。

坂下近くから山手通りとの交差点(現代地図)方向を撮ったのが三枚目で、直進すれば、目黒川、新道坂橋を経て、鎗ヶ崎の交差点へいたる。

四枚目は、坂下の緩いカーブの手前から坂上側を撮ったもので、左側に正覚寺の門が見える。

けこぼ坂下 けこぼ坂下 けこぼ坂中腹 けこぼ坂中腹 一枚目の写真は坂下のカーブの先から坂上側を撮ったもので、この先で左に緩やかにカーブしている。二枚目はそのあたりから坂下側を撮ったもので、まだ緩やかである。

三枚目はさらに進んでカーブの先のあたりから坂上側を撮ったもので、このあたりから勾配が少しずつ付いてくる。四枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。

目黒区HPに次の説明がある。

「正覚寺から中目黒小学校と目黒区総合庁舎の間を通り、祐天寺に上る坂道がけこぼ坂である。同坂道は祐天寺道の一部であり、古くは下渋谷から別所坂を下り、さいかち橋で目黒川を渡り、この坂道を通って祐天寺前から碑文谷に至る交通の要衝であった。

そのため古くから何回となく急な箇所を切り取る工事を繰り返し、同坂の距離はかなり長くなり、頂上部の勾配も緩やかなものになった。道路面の変化は、両側の土手の法面にも変化を与え、高い法面は崩れやすく、赤土のかたまりがざらざらこぼれ、道幅を狭めていたことさえあったという。この状態を古い目黒の方言で「けこぼ」と称し、名前の由来になったという。けこぼ坂は駒沢通りとなり、現在も主要な交通路である。」

この説明によれば、法面から崩れた赤土のかたまりがざらざらこぼれ落ちた状態を目黒の方言で「けこぼ」といったのが坂名の由来である。

御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 石川は、「けころ」は蹴転ばし、の略語で、江戸天明末期ごろまであった水茶屋の私娼の名称であるとしている。左の御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図に見えるように、坂下の正覚寺の鬼子母神が大きく記され、市民に人気があったことが知られるので、おそらく正覚寺の門前に水茶屋があったのがけころ坂の起こりになったと推測している。

『目黒区史跡散歩』によれば、「けこぼ」とは、赤土の面が崩れて、その痕が浅い洞穴状になって凹んでいる状態をさし、それが「けころ」に転訛したとし、この辺は目黒の観光圏のはずれで、眺望もぱっとせず、水茶屋が開業しても商売にならないとし、水茶屋の存在を否定している(岡崎)。

「けころ坂」の由来が、「けこぼ」の転訛か、水茶屋の私娼の名称か、不明であるが、後者の理由が結局、鬼子母神の存在だけのようで、文献にもなさそうであるので、転訛説が本当らしく思われる。

けこぼ坂中腹 けこぼ坂中腹 けこぼ坂標識 けこぼ坂中腹 一枚目の写真は坂中腹のバス停の手前から坂上側を、二枚目はその先の歩道橋の手前から坂上側を撮ったもので、このあたりから上側で勾配がついている。道の両側に切り通しの名残であろうか、石垣が所々に見える。

三枚目は、一枚目の写真の近くに立っている金属板からなる標識(東京都)を撮ったもので、坂名が見えるが、その上の説明文は判読困難である。「東京23区の坂道」で読むことができるが、上記のHPの説明とほぼ同じである。

中腹の横断歩道を渡り反対側から坂下を撮ったのが四枚目である。

上記の御江戸大絵図を見ると、正覚寺の門前の道を辿ると祐天寺があるので、この道がこの坂で、上記のHPで云う「下渋谷から別所坂を下り、さいかち橋で目黒川を渡り、この坂道を通って祐天寺前から碑文谷に至る」祐天寺道の一部と思われる(ただし、祐天寺の位置が道に対し現在と違う)。別所坂は新富士の近くにある。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図を見ると、正覚寺・鬼子母神の前から目黒小学校の脇を南西へ延びる道があり、この坂と思われる。昭和16年(1941)の目黒区地図にも同様の道筋が見える。

けこぼ坂上 けこぼ坂上 けこぼ坂上 けこぼ坂上 一枚目の写真は歩道橋の上側から坂上側を、二枚目はさらに上側から坂下側を撮ったものである。

三枚目はその上側から坂上側を、四枚目はさらに上側から坂下側を撮ったもので、このあたりは緩やかになっている。

この坂も、なべころ坂などと同じように台地から目黒川の流域の谷地へと北東に下る坂である。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、400m、22.4m、5.05で、かなり長い坂で(目黒区で新茶屋坂の次に長い)、また、かなりの高低差がある。

今回は、代官山と中目黒の間の鎗ヶ崎から別所坂上まで目黒川の北東の永峰とよばれる台地を歩き、別所坂を下り、目黒川に沿って下流側に歩き、新茶屋坂を上り、その坂上(永峰)から茶屋坂を下り、目黒川を渡って、十七が坂を上り、永峰と反対側の目黒川の南西の台地にいたり、その台地から谷地へと下る馬喰坂なべころ坂、けこぼ坂を歩いた。

中目黒駅から出発し、けこぼ坂下の山手通りから中目黒駅にもどったので、目黒川の両岸の台地と谷地との間にできた坂を巡りながらぐるりと一周したことになる。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)

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