東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

富士見坂(西日暮里)

2012年07月29日 | 坂道

富士見坂上 富士見坂上 富士見坂上 富士見坂上 前回の地蔵坂上から神社の境内を通って諏訪台通りにもどり、南へちょっと歩くと、右手に富士見坂の坂上が見えてくる。

一、二枚目の写真は坂上から撮ったもので、三枚目はちょっと下ったところから坂上を撮ったものである。坂上に二枚目のように坂の標識が立っていて、次の説明がある。

「富士見坂(ふじみざか)
 坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称「花見坂」、または「妙隆寺坂」と称された。
 都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である。
  荒川区教育委員会」

ここは、都内に数ある富士見坂の内で、いまでも、富士山を眺望できるところという。四枚目は富士を望めると思われる方向を撮ったもので、手前の二つのビルの間、その向こうのビルの右わき近くに見えると思われる。そのような写真を新聞で見たことがある。山手線の新大久保駅と高田馬場駅との間に建設が計画されているビルが完成すると、ここからも富士が見えなくなると問題になっているらしいが、最近、3・11大震災のためビル建設計画の変更があるかもしれないとの報道があった。

富士見坂上 富士見坂中腹 富士見坂中腹 富士見坂中腹 この坂は、坂上でちょっと曲がってから、一枚目の写真のように、ほぼまっすぐに西へ下っている。坂上でちょっと勾配があるが、坂下に行くにつれ、次第に緩やかになる。上野台地の西向き斜面にできた坂である。

中腹から坂下の左側(南)は法光寺で、その煉瓦造りの壁がよく目立ち、石板からなる坂地面とあいまって独自の雰囲気をつくっている。 ここは、一見、歩行者専用道のように見えるが、車道である(以前の記事)。

尾張屋板江戸切絵図 根岸谷中日暮里豊島辺図(安政三年(1856))にはこの坂はのっていない。近江屋板にもないが、妙隆寺、修性院が見える。明治十一年の東京実測地図を見ると、諏訪神社のちょっと南に、この坂と思われる道がある。寺と寺の間に江戸時代から細い坂道があったのかもしれない。

富士見坂中腹 富士見坂下 富士見坂下 富士見坂下 三、四枚目は坂下から坂上を撮ったもので、四枚目の右上の坂の標識がよく目立っている。

富士は、秋から冬の空気が澄んでいる晴れた日が見頃とのことである(荒川区HP)が、条件が重ならないとなかなか見えないと思われる。

富士見坂、潮見坂(汐見坂)、江戸見坂横見坂などは、坂からの眺望が坂名となったものであるが、それはむかしのことで、それらの眺望はすでに失われている。しかし、ここだけは、奇跡的にまだ見ることができ、その意味で貴重なところである。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「江戸から東京へ明治の東京」(人文社)

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