ART&CRAFT forum

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「結ばれていくこと」 榛葉莟子

2016-10-25 10:13:34 | 榛葉莟子
2001年4月1日発行のART&CRAFT FORUM 20号に掲載した記事を改めて下記します。


 台所の戸をガラットと開けたすぐそこの空き地に火の見櫓が在る。その名前から想像する木材を組み合わせた櫓ではなく、鉄骨製銀色がすっくと背骨を伸ばし立っている。四方が尖った小さな屋根は四角い布のまんなかを天がつまみ上げているようだ。天に延びたその先端には一本の矢が北に向かって静止している。銀色の塔とも呼びたくなる。今でも火の見櫓というのかしら、知らない間にカタカナ語にでも‥‥ふと、怪しみ辞書を開いてみるとあった。姿形を変えようとも火の見櫓は火の見櫓のままだった。けれども矢倉とも言うとある。と、いうことは先端に象徴の矢を射したここのヤグラは武器などを納める矢倉の方をとったのかもしれないし、単にデザインなのかもしれない。それにしても櫓の漢字の木と魚と日との組み合わせは面白い。結びつきの意味が気にかかり、じっと見ているとかすかな波音や潮の匂い、人々のざわめきが聞こえてくるようで櫓の漢字がくっと揺れたような気がした。あっと思い辞書を引く。やっぱり船のろの、ろは櫓だった。漢字や読み仮名を案外忘れている。忘れているものを思い出すのに辞書は便利ではあるけれど、便利を超えて、字そのものになにか独特な匂いを嗅ぎとると、背後に隠れている物語というか息吹が気にかかる。たとえば闇という字の音はなぜかと、気にかかる。虹という字の虫と工の関係の背後も気にかかる。

 或る時、歯医者の待合室で手にした雑誌をぱらぱらめくっていて、闇の字の原点をひも解いている箇所に引き寄せられた。闇という字には音が入っている。なぜ明暗の中に音が入るのか。闇というのは単に暗いと言うことだけではなく、暗い中にほんとうの実存があるので、それをどのように聞き出すかということなのです。闇は神が現れる世界であり、神の啓示を聞くことのできる世界である。だからここに音が入る。神の現れるときにはかすかな音があるのだという考え方があったのです。と、はじまる闇の字を解剖する話は、ふと、日頃空想する、童話的神話的な気配が含まれていると感じられる。文字が生まれる以前、ましてや観念などではない直感の世界を生きていた古代の人の心の在処が闇の字の発生源という話しは、興味深く妙に納得のスイッチと接続したような気になっていく。はてな?の体験を通して、そうではないだろうかの考えの尻尾と触れたように思えた。

 さまざまな、不思議と感覚する体験は、奥底の記憶のあちこちに散らばり、ちかりちかりとその生命は結び合いながら静かに点滅しているのではないかしらと、夜の空、遠く近くに瞬く星ぼしとを重ね合わせたりする。ここに暮らし始めた頃、草の匂いの充満する空間に立つ銀色鉄骨製の火の見櫓のそぐわなさに異和感を抱いていた。ところが、その陳腐な感想をケシゴムで消した或る冬の夜があった。あんまり月があかるくて、そのあかるさは青白く庭を染め、周りの裸木らはくっきりと切り絵のような黒い影をつくっていた。ついふらふらと寒い庭に出た。磨いた鏡のようにいま、ここを写し照らしていると感じるほど、こうこうと光る満月は頭上にあった。青白く透き通っているあたりをぐるりと感じながら立っていると、芯だけになってしまったような感覚があり、底の方からは、ひたひたと冷たいものがはい上がって来て、ここは水の中かと思わず足下を見た。門をくぐり道に出た。しゃわしゃわと川の流れの水音がしている。それから青白い月光のなか冷たく硬い土の上に立つ火の見櫓の変身を見た。青白い透明な硝子を幾層も重ねたようにいっそう青いその一角にすっと立つ火の見櫓は、鉄骨製銀色でもなく、火の見櫓でもなく、在るべき場所に在るひとつの美しい三角柱だった。

 いよいよ寒くなるねえと口々に言い交わす頃、夜も更けて立ち上がる湯気の湯船の中、ゴーン‥‥ゴーン‥‥と鐘の音を聞く。毎年冬の始まりから立春にかけての夜、消防団の人たちが毎晩交代で火の見櫓に上り鐘をつく。火の用心の鐘の音の声掛けなのだ。ここに住み始めた頃は、火の用心の声掛けは人だった。冬に入ると小振りの鐘を渡され集落を一周するのだ。我が家にも番が回ってきて、懐中電灯のあかりを頼りに、真暗な道を鐘をふりふり歩いた真冬があった。危険だからとの理由もあったのかそれから二、三年で火の見櫓に役は渡され、実際ほっとしたことがある。それにしても何しろ鐘の音は、打つ人の咳払いが聞こえる程すぐそこから聞こえてくるので、音と音の間合いがせっかちだったり、間延びしていたりで、時には打つ人の心持ちを想像して面白いけれども、遠くの集落から少し遅れて聞こえてくる鐘の音がいい。ゴーンともカーンとも言い表せない余韻の音と言ったらいいのか。それは音の尻尾の震えの残響のようでもあり、あるかなきかに薄くなって拡がっていくのが心のなかに結ばれ見えてくる。


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