歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ホグウッド、マンロウ、ガーディナー

2009年03月30日 | 音楽について
イギリスの古楽のリーダーたち。クリストファー・ホグウッドは1941年生まれ。とうに亡くなったデイビッド・マンロウが1942年生まれ。そしてジョン・エリオット・ガーディナーが1943年生まれ。ホグウッド、マンロウ、ガーディナーはこういう年回りで生まれていたんですね。マンロウだって、生きていればまだまだ現役でやれてたかもしれません。ホグウッドはさいきん静かだけど、レオンハルトやアーノンクールはもっと年上なわけですから。

ただし、もしマンロウがいま生きていたとして、どういう音楽をやっていたかは分かりませんよ。もともと、映画の音楽も担当したりしてマルチな才能を持った人でしたからね。プレイヤーとしても、中世からバッハあたりまでレパートリー広かったわけだし。一時期のガーディナーみたいに古楽は開店休業で、モダンオケに呼ばれてブリテンあたりを演奏してた、かもしれません。

テッサ・ボナー

2009年03月29日 | 音楽について
ちょうどタリス・スコラーズの演奏を聴きながらネット上をうろうろしていて偶然知ったんですが、タリス・スコラーズのソプラノとして、またその他の声楽アンサンブルやソリストとしても活躍していたテッサ・ボナー(Tessa Bonner)が、昨年末の12月31日に癌で亡くなっていたそうです。57歳とのこと。詳しくはギメルのサイト内に。BoySの雰囲気を濃くただよわせながら表現力は豊かで、アンサンブルものはもちろんですが、モンテベルディやパーセルあたりの17世紀もののソロにはぴったりの人でした。

うちにはテッサさんのCD、たくさんありますよ。そしてその多くがいい仕事だった。タリス・スコラーズとしての録音のほかにもたとえばパロット指揮のモンテベルディ『晩課』やバッハ『ロ短調ミサ』、マッキントッシュ指揮のパーセル『インドの女王』など。

それにしても、タリス・スコラーズによるジョスカンのミサ全集の完成に立ち会わずに逝かれたのが残念。今日はテッサさんの歌っているCDをあれこれ聴いてすごします。いまは『インドの女王』を聴いています。

ヘンデルで25年(続き)

2009年03月28日 | 音楽について
オラトリオとオペラ以外の声楽曲では、まとまったものとしてはザ・シクスティーンの『シャンドス・アンセム』ですね。これは名曲の名演ですよ。その名も英Chandosレーベルから出たCDですが、話題にのぼらない。それから詩編曲や、英語によるアンセムやオードの類は、『ディクシット・ドミヌス』や『祭司ザドク』のようにそこそこ有名なものもあれば、ほとんど聴く機会のないものもある。『ディクシット・ドミヌス』なんかはいまや有名曲で、いろんな人がいろんなブログでいろんなCDを推薦している。しかしかつては「知られざる名曲」の部類でした。わたしはどちらかと言えば『シャンドス・アンセム』のような、人があまり触れない曲や演奏の話をしたいです。

イタリア語によるカンタータ、デュエットの類いは最近も録音がわりと活発ですが、わたしはザードリ&エスウッドのフンガロトン盤の復活を強く望みます。それから、かつてオワゾリールから、カークビー、ネルソン、クウェラなどが歌ったイタリア語の声楽曲集が出てました。カークビーとネルソンによる二重唱など、端正で絶品──わたしはYouTubeで聴きました──。これも復活を。

『水上』『花火』はガーディナーで決まりだと思うし、Op.6、Op.3についてもいい演奏がいくつか出ていて、満足しています。オルガン協奏曲は、やや古いけどフィリップスのコルゼンパのがチャーミングでいいです。このコルゼンパのも、わたしのほかにだれも褒めないので、大いに書かんといかんですな。ややさびしいのは『二重協奏曲』で、ガーディナーは2番と3番のみ、ホグウッドのしかない。もちろんホグウッドのはいいんですが、コープマンとかマンゼあたりで聴いてみたかったです。

ヘンデルの室内楽については、以前はこれもヘンデルだからまあ聴いとこうか、というくらいの軽い気持ちでしたが、30代の後半くらいから面白くなってきました。バラでいくつか買った後にレコール・ドルフェの「ほぼ全集盤」が出ました。特にトリオ・ソナタに関しては、あのレコール・ドルフェ盤は強いです。6枚組のうちCD3枚分がトリオ・ソナタで、3枚とも繰り返し聴いて、飽きない。ソロ・ソナタについてはマンゼとかフェアブリュッヘンとかで買い足してます。合奏曲にくらべるとハープシコードの独奏曲についてはまだそんなに目覚めていません。ロスの2枚組と、ソフィー・イェイツの全集のうち1枚買っただけ。

ヘンデルで25年

2009年03月27日 | 音楽について
『レコード芸術』で「第2特集」がヘンデル。やっぱり気になります。久しぶりに買ってみようかしらん。「第2」ってところがなんともヘンデルの微妙な立ち位置をあらわしてるね。『レコード芸術』をずっとリサーチしているわけではありませんが、ヘンデル単独の特集は1985年以来ではないでしょうか。

わたしはヘンデルのCDに関してはもうほんとに、購買意欲がなくなってきています。もうあらかた、聴くべき曲は聴いた、という気がするんですな。なんせもう、ざっと四半世紀のあいだ、ずぶずぶに聴いてきましたからね。

いちばん熱心に聴いてきたのはオラトリオで、これは80年代から90年代にかけてすぐれた演奏の録音が次々に出たのでだいぶ買い込みました。ホグウッドの『復活』『アタリア』『メサイア』、ガーディナーの『メサイア』『ソロモン』『サウル』『エイシスとガラテア』、アーノンクールの『イェフタ』、ピノックの『ベルシャザル』、キングの『ヨシュア』、パロットの『エジプトのイスラエル人』、マーティン・パールマンの『メサイア』等々、好きなCDを書き出したらキリがないです。あと、ぜひ聴きたいものでまだ買ってないのは『ユダス・マカベウス』。これは老後の楽しみに取っておこうと思います。それから晩年の二大傑作、『テオドーラ』と『イェフタ』については、すぐれた演奏はすでにあるにしても、まだ決定盤といえる演奏は出てないように思うので、このさき期待しています。

オペラはまだまだ聴いてない曲が多いですが、ヘンデルのオペラはもういいです。カーティスの『アルチーナ』でもう打ち止めにしようとなかば本気で思っております。あとは、すでに手もとにCDのある曲で新しい録音に食指が動くことがあれば、あらたに買い求めるかもしれませんが。『アルチーナ』に加えて、『アグリッピーナ』『リナルド』『ジューリオ・チェーザレ』『アリオダンテ』『ロデリンダ』『タメルラーノ』『セルセ』。これだけ聴いていればわたしにはもうじゅうぶんなんですね、オペラは。オペラとオラトリオは人によってほんとに好みが分かれるようで、それはつまり、オペラとオラトリオの間にはなにか本質的なところで違いがあるからだと思うんですよ。それをいつか、文章にまとめられたらと思っています。

フレットワーク『バイオルのための音楽-17世紀イギリスの-』

2009年03月26日 | CD バロック
Music for Viols
Purcell, Lawes, Locke, Jenkins
Fretwork
3 95164 2

1995年(CD1)、1986,90,91年(CD2/3)、1990年(CD4)、1994年(CD5)録音。78分03秒/65分32秒/64分10秒/66分57秒/54分43秒。Virgin。フレットワークのVirginへの旧録音のうち、17世紀のイギリスものをまとめた廉価盤。5CDで2,000円足らずでお得でした。フレットワークのメンバーはギレスピー、キャンベル、ブースビー、ハント、ホジソン、ペル。これにポール・ニコルソンのオルガンまたはスピネットとナイジェル・ノースのリュートが参加。

CD1からCD5まで、作曲家の生年順に並んでいるんですが、正直言ってジェンキンズからパーセルにいたる作風の変遷、みたいなものはよく分かりませんでした。まあ、最初のジェンキンズはなんとなくルネサンスぽい雰囲気が濃いんですが、後のほうのロックやパーセルも、このCDに収められた曲に関するかぎり、バロックらしい派手さはありません。まあ、CD5枚どこをとってもおだやかな聴き心地のよい音楽なので、全体として、17世紀のイギリスのビオール音楽の雰囲気を味わえばいいのだと思います。

CD1。John Jenkins(1592-1678)《Conort Music》。これは一回ですぐ好きになりました。ルネサンスものらしい人なつこさがただよう曲集。それでもところどころに初期バロックらしい音を感じさせるところもあり。

CD2,3。William Lawes(1602-1645)《Consort Setts in 5 & 6 parts / Airs and dances for lyra viols》。ジェンキンズより10歳年下で、ジェンキンズより30年以上前に死んだウィリアム・ローズですが、この人の音楽はバロックらしい立体的な音がします。

CD4。Matthew Locke(c.1622-1677)《Consort of Fower Parts / Two Duos for 2 bass viols》。"Fower"は原文のママ。ロックはパーセルより一世代上のバロックの作曲家でいろんな曲を書いてるんですが、この曲集はまたルネサンス風味が濃いなあ、と思って聴いてると、ああやっぱりバロックだと思ったり。どういうのがルネサンスで、どういうのがバロックなのか、人に訊かれてもわたしは答えられないですけどね。

CD5。Purcell《The Fantazias & In nomines》。これは繰返し聴くごとにじわじわと味が出てきました。パーセルの若いころの作品だそうです。それにしてもこのパーセルの《ファンタジア》という曲は演奏意欲をそそるのか、いろんな団体の演奏が出ています。わたしとしちゃ、《3声/4声のソナタ》ももっといろんな演奏が出てきてほしい。

わたしはガンバは弾けませんが、こういう曲種の醍醐味は自分で演奏するところにあるのかもしれません。いづれにしてもじつに趣味のよい音楽で、BGMとしては最上のもの。

サバール『モンセラートの朱い本』

2009年03月25日 | CD 中世・ルネサンス
Llibre Vermell de Montserrat
Hespérion XX
Jordi Savall
5 61174 2

1978年録音。59分12秒。Virgin。14世紀のカタルーニャの古謡を収めた《モンセラートの朱い本》。わたしが西洋の中世音楽に足を踏み入れた最初がこのCDでした。《朱い本》のほかの演奏をあれこれ聴いているわけではないんですが、サバールははるかむかしの音楽に現代の血をかよわせてじつにエネルギッシュな音空間を造りだしています。なんだかこう、スペインの大地そのものから湧き上がってくる、民衆の音楽、って感じがするのね。

およそ一時間、すべてが聴きどころです。器楽はサバールのほかコワン、スミス、ディッキーなど管弦打の各奏者が参加していてにぎやか。フィゲーラスはボーカルのソロと声楽のリーダーを務めています。フィゲーラスのハスキーな声質はこの場合ぴたりと決まって、それぞれの曲の魅力をじゅうぶんに引き出しています。ほかのボーカリストたちもへんにきれい過ぎず適度に古雅で陽気で、このへんはやっぱり地元の音楽ならではの説得力なんでしょうねえ。

恐らく楽譜はとてもシンプルなもので、プレイヤーの裁量でいかようにも演奏できるものなんでしょうが、サバールのこの演奏は地味すぎず、かといって過度に大袈裟すぎず、じつにいい具合のリアリティで聴かせてくれる。それにしてもこの録音ももう30年以上前のものなのですね。しかしぜんぜん古さを感じさせません。

小説家・曾野綾子

2009年03月24日 | 本とか雑誌とか
曾野綾子の代表作というと、以前は『無名碑』(1969)ということになっていたんぢゃないでしょうか。曾野さん自身そういう思いを匂わせる発言をしていたし、実際読んでも、曾野さんの小説中、丈の高さでやはり群を抜いていると思いました。しかしあれは旧約のヨブ記にもとづく、現世的には救いのない人生を送った男の話で、読んで幸福な気分になる話ではありません。その後、『湖水誕生』(1985)という長編が出ました。この小説はいろいろな意味で『無名碑』と共通点が多い。ダム建設。心身のバランスを崩してしまう妻。でも読後感は『湖水誕生』のほうがいいです。まだ救いがある。その分テーマの峻烈さは薄まってしまったけど、それも含めて、作家が成熟したということかもしれない。つまり『湖水誕生』は『無名碑』の改訂版とみていいのではないかとわたしは思っています。よりポリフォニックな構造になって手が込み、余裕のある書き方になっています。また一面、土木の世界とのかかわりもより深くなって、この人はこのまま突き進んだらどこに行くのかなという不安も感じさせた。その先にあったものが、こんにちの、社会批評家としての曾野綾子、なのでしょう。曾野綾子の思想は、『曾野綾子作品選集』のころと変っていないと思います。ただ、年を取って、本音を言うことに遠慮がなくなったのね。わたしとしては、エッセイストとしても、昔の、つつしみのある言い方をしていたころの曾野綾子のほうが好きです。

曾野さんのアフリカものでは、ルワンダの大虐殺を扱った『哀歌』(2005)よりも、マダガスカルの修道会が運営する産院を舞台にして、そこではたらく日本人修道女を主人公とした『時の止まった赤ん坊』(1984)のほうがいいです。『哀歌』のほうは民族虐殺という現実が重すぎて、文学作品としては消化できていない。最後の、並行して走る二輌の電車の窓越しの出会いは印象的だけど。『時の止まった赤ん坊』のほうがマダガスカルという国の時間の流れ方、マダガスカルのひとびとの生きてゆき方をより濃密に──肯定でも否定でもなく──描いて、アフリカの日常を感じさせてくれる。

いま調べて知ったんですが、『時の止まった赤ん坊』と『湖水誕生』は立て続けといっていいほど近い時期に書かれていたんですね。この時期以降、曾野さんの小説の質は落ちたと思います。すべて読んではないんですが、『夢に殉ず』(1994)とか、なんてことなかったよ。

曾野綾子の長編小説の代表作は『湖水誕生』、ついで『時の止まった赤ん坊』、とわたしは考えています。若いころのものでは『無名碑』のほか『たまゆら』(1959)、『リオ・グランデ』(1961)など。しかしいま曾野さんの小説は品切れのものが多くて、古い作品はほとんど新本では読めません。最近の時事エッセイより、80年代までの小説のほうがよほどいいんですけどねえ。

エマ・カークビーの肖像

2009年03月23日 | CD バロック
Emma Kirkby──A Portrait
UCCD-9145

1978-91年録音。75分54秒。Decca/L'Oiseau-Lyre。カークビーのオワゾリール録音からのピックアップ。17~18世紀のまるまる200年間のさまざまなスタイルの独唱曲を収めています。ヘンデル《復活》からの華やかなアリアに始まって、パーセル、アーン、ダウランド、ヘンデル、ディンディア、トロンボンチーノ、ビバルディ、バッハ、ハイドン、モーツァルト。最後は《Exsultate Jubilate》K.165を全曲収めています。これはまあ全曲っていっても13分くらいですけどね。

カークビーは各社に録音があってベスト盤も数種出てますが、このオワゾリールのは特におすすめ。カークビーの一番のホームグラウンドはオワゾリールだったんだなあということがあらためてよく分かります。共演はルーリー、ホグウッドらで万全。オワゾリールらしいピュアなサウンド。

最初のヘンデル"Disserratevi, o porte d'Averno"(from《La resurrezione》)の超絶技巧、アーンの劇音楽《テンペスト》からのアリア"Where the Bee sucks their lurk I"の愛らしさ、ヘンデルの"Gentle Morpheus"(from《Alceste》)のみずみずしさ。なにしろいい曲が選んである。

最後のモーツァルトももちろんいいんですが、わたしはハイドンの声楽曲(《天地創造》からのアリア)って、このCDではじめて聴きました。さすがに大作曲家と言われるだけのことはあるなあと思います。ハイドンのCD、実は1枚も持ってないんですけど、でももうこの先あんまりCDの数は増やしたくないのが本音なので、ハイドンはあんまり聴かずに死ぬかもしれません。

MacBookの色味

2009年03月22日 | MacとPC
勤め先で使っているMacBook2号なんですが、画面の色飛びに悩まされていました。全体に白っぽくて、色が薄い。いつからこんなことになったのか、それが思い当たらない。実はこの2号はAppleStoreの整備済み製品だったのでありまして、セコハンだとこういうこともあるかも、という気もちょっとしていました。家で使っているMacBook1号(これは完全な新品で買ったもの)ではこんな色飛びはないんですよ。ふつうにMacらしい、ほどほどに品のよい色で出ます。

このまえ、これも勤め先で使っている東芝のノートパソコンを久しぶりに開いて、事のついでにこのブログを見たらものすごく色が濃く出ているのでびっくりした。色飛びしているMacBook2号とくらべてみると、同じブログの同じ画面とは思えないほど色が違う。Macでは標準のガンマ設定が1.8だけどWinでは2.2で色の出方が違う、とかいうそういうレベルぢゃないんですよ。

ところが先日、まったく思いがけない方法でこのMacBook2号の不調を改善する方法を発見したんです。画像をプレビューで開いてスライドショーを実行する。これやるだけで、MacBook2号の色飛びが改善されるんです。スライドショーやる前とはモニタの色味がまるで違う。しっかり色が出るようになる。ド素人であるわたしにもはっきりと分かるほど。

これは再起動してしまうとまたもとの白っぽい画面になってしまうので、MacBookを立ち上げるごとにプレビューのスライドショーを実行しないといけないんですが、とりあえず善後策が見つかってよかった。結局これはソフト的な不具合なんだろうか。分からないけど、そう思っておくことにします。ちかぢか、いったんハードディスクをまっさらにして、いよいよLeopardを入れようと思っているので、その節にはちゃんと色が出るようになってるといいなあ。

お相撲アナ

2009年03月21日 | メモいろいろ
いまNHKのお相撲アナウンサーといえば、東大相撲部出身で頭の回転の速い岩佐さんと、なんとなく愛嬌のある吉田さんが面白い。お相撲アナウンサーの養成過程についてはぜんぜん分かりませんが、岩佐さんは緒方喜治さんの弟子筋、って感じがするのですが、違うでしょうか。

昔は、お相撲の仕事しかしないお相撲アナ、がいましたね。少なくとも視聴者側からすると、お相撲番組でしか見たり聴いたりしないアナウンサーというのが、いました。北出さんとか、杉山さんとか、向坂さんとかね。(立子山さん、てアナウンサーもいたけど、この方はお相撲アナではありません。)ああでも、北出さんは東京オリンピックでも何かの中継をしたんでしたっけ。リアルタイムではなくて録音で、北出さんの東京オリンピックの実況をなにか聞いたような気もするんですけど、まあとにかく、物心ついてからのわたしにとっては北出清五郎さんは完全にお相撲中継のアナウンサー、でした。

今はそういうわけにもいかなくてどのアナウンサーもお相撲とそれ以外の通常業務と掛け持ちですね。たとえば岩佐さんも、お相撲以外のスポーツ実況もするし、スポーツ以外のふつうのニュースも読みます。まあレスリングとか柔道とかの格闘技はお相撲と関わりもあるから分かるけど、この人は、サッカーの実況もノリノリで、巧いと思いました。

そして最近は、相撲の解説する人がほんとによく喋るようになりました。北の富士さんも舞の海さんも、解説が上手、というのか聞いてて面白い解説する、というのか、とにかくサービス精神旺盛なのがいい。わたしは、ラジオで、北の富士さん&吉田さん、舞の海さん&岩佐さん、て組み合せがいいんぢゃないかと思います。まあ最近はそんなにラジオのお相撲も聞けませんけどね。それと、めったに出てきませんけど、琴錦。この人がしゃべりものすごく巧いんですよ。