ぼくらのありのまま記

ぼくらは
こんな大人になりました。

板長 戦跡ツアー 2

2014-01-05 18:13:48 | ありのまま記 一話完結編。
父島、板長の戦跡ツアー。に行ってきました。



道かどうかわからない道を進んでいきます。


ここは島の通信室の本部。
壁が厚いです。
「ずいぶん厚いですね」
「70センチありますからね。」
どんな質問にも即答してくれる板長。


第三国人(当時はそう呼んだ、台湾、朝鮮、インドネシア、
日本が占領下においた国の兵士の防空壕。一緒に戦っていたみたい。)


ここは50名の香川県の兵士からなる部隊の本部。
香川隊は島の周りの尾根で、見張りをしていた部隊だそうです。
8年前、香川隊の方や、親族の方が戦後初めて、訪れて
くれたそうです。

ここの山の下にダムがあり、そこから、
米兵が登って来て、上から迎え打つという
想定のもと、訓練もしていたそうです。




当時のやかん。







12ミリ砲台



鉄砲玉がいまだに内部に埋まっていて、
サビが流れ出ているヤシの木



防空壕からの眺め。


父島にも、硫黄島と同じく、
約2万人の兵士が駐在していたそうですが、
戦争で約5000人の方が亡くなり、
死因のほとんどは栄養失調や、
伝染病からくる病死だったそうです。

戦場でもなく、大きな空襲もない島で、
4分の1の兵士が亡くなるということは
とても過酷な生活を強いられていたということです。


兵隊さんは軍の命令で座って寝ていたそうです。
栄養も十分ではないし、寝そべると体温を奪われ、
神経痛になる可能性が増えるから。


水がないので

錨のマークは海軍

☆は陸軍

一升瓶で本土から水を運んで、
配給されたそうです。



そんな話しの途中ですが、
景色のいい丘にたどりついたので、
手作りのお弁当を頂きました。

美味しい!!奇麗な海!!
そういうのが申し訳ないような
場所に思えてきましたが、やっぱり
美味しかったです。


10年近く料理の仕事もしていたそうです。
今は息子さんも一緒に戦跡ツアーをしています。



「戦争中はこんなきれいな景色をみて、どう思っていたんでしょうかね?」と一緒にまわっていたお客さん。

「きれいで、びっくりしたそうですよ」と板長。

そうだよね、海はきれいだ。今も、昔も。

板長から貴重な話しをいろいろ聞いて思ったこと。
それは板長のなかで、戦争のいろいろなことが
いまだに全然終っていないということ。


いまでも、島に残された遺骨も、
発見されていない遺品も沢山あります。

誰かが謝ったり、保障してくれたから
全てが解決するということでもない。

板長は奥さんとけんかになると決まってこう言われたそうです。

「あなたは第二次世界大戦と結婚したようなもんよね。」
笑いながら教えてくれました。



戦争があって、全員がその経験や、
出来事を引きずって生きているわけではないですし、
忘れて生きている人。忘れられないけど、
記憶を封印して生きている人。いろんな人がいて。

いろんな人がいるなかで、
板長は忘れられない事があったり、
忘れちゃいけないと思っている人で。
さらに、自分にできることを仕事に
していて、もうすごくかっこよかったです。
今も山に入っています。


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