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大いなる海人の系譜。

 
 神話において、邇邇藝命と木花之佐久夜比売は火照命、火須勢理命、火遠理命の三子をもうける。兄弟のうち、三男の火遠理命(彦火々出見尊)が海幸山幸説話における山幸彦で、長男の火照命が海幸彦である。
 海幸山幸の兄弟はそれぞれの猟具を交換、山幸彦は漁に出て釣針を失くす。海幸彦に釣針を返せと責められ、困り果てた山幸彦は塩椎神(しおつち)に教えられて、綿津見の宮へ赴く。そこで海神の女(むすめ)、豊玉姫に失った釣針と潮干珠、潮満珠を与えられる。
 山幸彦はふたつの珠の霊力で海幸彦をこらしめ、海幸彦(火照命)は山幸彦(火遠理命、彦火々出見尊)に忠誠を誓い、隼人の阿多君の祖となる。


 薩摩半島の西岸、金峰町の阿多郷は海幸山幸の説話にいう隼人の阿多(あた)君の本地とされる。
 縄文晩期から弥生、古墳期にかけて、琉球や奄美産のゴホウラ、イモガイなどの貝輪が西日本各地で出土する。その時代、貝輪は支配層の人々によって邪を払う呪具として珍重され、南西諸島から九州西岸を経て、北部九州や山陰、瀬戸内にまで齎された。
 また、肥前、伊万里の腰岳産の黒曜石が琉球、奄美にまで流通し、それらの事象は南西諸島から北部九州を繋ぐ「貝輪の道」と呼ばれる海上の交易ルートを想定させた。

 南薩、金峰町の高橋貝塚は縄文晩期~弥生中期の貝塚。籾痕のある土器や石包丁などの出土は早期の稲作を示し、鉄鏃など最古級の鉄器が出土して、九州南端の文化様相を明らかにしている。この貝塚から加工途中の貝輪が大量に出土して、阿多が琉球や奄美産の貝輪の加工、交易の拠点であったことを示した。

 神話において、海幸彦に由来するのちの阿多隼人とは海人。そして、この海上の交易ルートは、南薩、阿多を基点として南西諸島から北部九州まで、潮流にのって自在に移動した海人集団を想起させる。金峰町の中津野遺跡では日本最古、弥生前期後半の準構造船の部材が出土、外洋航海を示す傍証とされた。
 そして、阿多海人が系譜的に九州西岸を北上した痕跡がみえる。


 九州西岸、八代海の北端、宇土半島の郡浦(こうのうら)で奉祭される蒲池比売命(かまち)の存在がある。蒲池比売命は八代海の海神、潮干珠、潮満珠で潮の満ち引きを操る女神とされる。潮干珠、潮満珠の玉とは豊玉比売由来。

 郡浦の蒲池比売命は阿蘇の母神とも呼ばれ、阿蘇神社の元宮ともされる阿蘇北宮、国造神社にも祀られる。
 阿蘇の古族、山部氏族の存在がある。姓氏家系大辞典は山部を隼人同族とし、新撰姓氏録は山部を久米氏の流れとする。久米氏族は邇邇芸命の降臨を先導した隼人系の海人とされ、阿多の上加世田遺跡の墨書土器には久米の名がみられる。

 そして、山部の初見が「景行天皇の九州巡幸の折、葦北の小嶋で山部阿弭古が祖の小左(長)に冷水を求めた」という日本書紀の記述。葦北の小嶋とは八代の水島。古く、南方や大陸との交易の拠点であった。
 阿弭古(あびこ)とは阿彦。葦北は阿多海人の地ともされ、「阿」の郷、阿蘇の山部が阿多海人との拘わりをみせる。
 また、水島の対岸が天草の阿村。「阿」の名をもつ港は古く、天草第一の港湾であった。そして、阿村の航路の先は蒲池比売命の故地、郡浦。


 古墳期の有明海に在って、大陸交易で活躍したとされる水沼氏(みずま、みぬま)の存在がある。
 水沼氏は禊の巫女を出す神祇の家柄。古く、有明海は三潴(みずま)のあたりまで湾入して、水沼氏の三潴は東シナ海交易の拠点であったといわれる。
 水沼氏はのちに日下部(くさかべ)を称する。日向の都萬神社で木花之佐久夜比売を奉祭する日下部神主など、九州の古い日下部氏族は中南九州の海人に纏わる神祇の氏族とされ、新撰姓氏録は日下部を阿多御手犬養同祖、火闌降命之後也とする。火闌降命とは阿多君の祖とされる火照命、海幸彦。
 そして、阿蘇古族、山部氏族がやはり、日下部(草部吉見)であった。


 また、筑後の名族とされる蒲池氏において、祖蒲池(あらかまち)と呼ばれる古族が水沼氏族と重なり、祖蒲池は宇土半島、郡浦の蒲池比売命(かまち)を祖にすると伝わる。
 そして、有明海沿岸には與止比売命(よとひめ)の存在がある。有明海沿岸にはこの與止比売命を祀る社は多く、中でも嘉瀬川流域には6社が鎮座する。
 與止日女命も潮干珠、潮満珠の玉で有明海の干満を司る海神とされ、ともに鯰トーテムの比売神であることで、蒲池比売命と重なっている。

 水沼氏はのちに始祖を玉垂神(たまたれ)として筑後国一宮、高良玉垂宮(久留米、高良大社)を奉祭している。高良玉垂宮の元宮ともされる三瀦総社、大善寺玉垂宮では玉垂神は比売神ともされ、玉垂神の名義とは潮干珠、潮満珠に纏わるという。
 そして、高良玉垂宮には玉垂神の裔を称する日下部神主(草壁、稲員)の存在があり、古く、高良(こうら)は郡浦(こうのうら)の転化であり、山麓は来目(くめ、久米)と呼ばれて、久留米の地名由来とされる。(古代妄想「高良玉垂神の秘密。」参照)


 水沼氏の本拠とされる高三潴の塚崎に高良御廟塚と呼ばれる円墳が在る。 弥生期の墳丘墓で、高良玉垂命の墳墓と伝承される。墳丘には貝殻が葺かれていたといわれ、周辺に白い貝殻が散在する。 当に、海人の比売神の墳墓。 
 阿多海人の系譜が九州西岸、八代海を経て、有明海の水沼氏に繋がっている。


 古く、魏志倭人伝が描く邪馬台国の風俗が、黥面文身など南方系海人のものであった。
 邪馬台国を有明海沿岸とする説は根強い。有明海の最奥、吉野ヶ里遺跡の弥生中期後半の甕棺墓からは腕に36個もの貝輪をつけ、絹の衣を着けたシャーマンとされる女性の骨が見つかっている。
 太古の有明海沿岸に邪馬台国を建国した集団とは、南薩あたりを基点として、南西諸島から北部九州まで潮流にのって自在に移動した、女神を奉祭する海人集団を想起させる。
 有明海域の地理的意義とは、韓半島からの事物と南方系の観念が出会う地であったことに由る。(了)

 

 

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◎連鎖する九州の比売神信仰。

九州には太古より続く比売神の信仰がある。その信仰に纏わり多くの比売神が習合、離散して、異名似体の女神群が生成されている。阿蘇の母神、蒲池比売や有明海の海神、與止日女、高良の玉垂媛、御井、香春の豊比売命、そして、宗像の田心姫命や宇佐の比売大神。古代九州の謎を秘める比売神の連鎖とも呼ばれる事象とは、邪馬台国の台与(とよ)の神霊に由来するとも思わせ、古代九州の謎を秘めている。

 

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