ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

パスカル・メルシェ【リスボンへの夜行列車】

2012-12-01 | 早川書房
 
「ムンドゥス」、すなわち「世界」とあだ名される教師グレゴリウスの、熱に浮かされたような旅を描いた作品。

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 リスボンへの夜行列車
 著者:パスカル・メルシェ
 訳者:浅井晶子
 発行:早川書房
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グレゴリウスは、ある雨の朝、橋の上でひとりの女性と出会い、それをきっかけに1冊の本を手にします。
『言葉の金細工師』というその本の序文が、まるで今朝の自分自身のために書かれたようだと感じたグレゴリウスは、その著者アマデウに魅せられ、なにもかもを置き去りにしたまま、彼の街リスボンへの旅に出ます。
それは、紙の上にすでに定まってから長い長い時を経た古典言語のように、揺るがず、確かで、変わることのないようにみえたグレゴリウスからは、だれひとりとして想像できなかった行動でした。
彼自身が自分に驚くほどに。
けれども、それはなかったことにして元に戻れる程度の変化ではなく、彼は戸惑いながらも変化を受け容れ、本を頼りにアマデウに近づいていきます。

作品はグレゴリウスの旅路を追いながら、その流れの中でグレゴリウスの読むアマデウの文章をたどります。
アマデウの、自分の内面をどこまでも突き詰めていくような文章は、この本自体の著者パスカル・メルシエの「哲学が専門の大学教授」という経歴に似つかわしい内容です。
時に、とてつもなく遠い事柄に感じたり、時に、とても痛いところ、無防備だったところを直撃されたり。
「考えはするけどどうでもいいなぁ、そういうことは」とか「そういうこと考えなくても生きていけるよ」と躊躇なく言えれば、とても健やかに生きているような気持ちになれる部分の話かもしれません。
痛々しいようなアマデウに「考えすぎだよ、おまえ」と言える誰かがいたら、何かは違っていたでしょうか。
ただ、それは大切な何かを引き換えにした健やかさのように思えます。

一方、グレゴリウスの旅をたどる部分は、冒頭の女性との出会いからして印象的。
自殺するかに見えたためにグレゴリウスのとっさの行動を引き出した彼女は、今捨てたばかりの手紙にあった電話番号を忘れないうちにと、彼の額にメモするのです。
分厚い眼鏡をかけた、彼が間違うことなど信じられないと学校の同僚も生徒も思っているベテラン教師のおでこに数字の行列。
なんと物語っぽい。
見知らぬ男を訪ねてゆくグレゴリウスの旅は、地図の上でも、彼の体験の上でも、意識の上でも、何もかもが未知の領域へのものであり、さまざまな出会いの中で新たな自分を見出していくグレゴリウスの、うらやましいような、こわいような冒険です。
アマデウを知る人々を訪ね歩くことで次第に明らかになる彼の姿と独裁時代のポルトガルという背景。重みを増してゆく出来事ひとつひとつに惹きつけられ、白昼夢のような旅の物語につい夢中になってしまいました。
アマデウは何を体験し、何を思い、綴ったのか。
アマデウを人々はどのように見つめ、何を思ったのか。
アマデウを記憶の中でよみがえらせることは、グレゴリウスと彼らに何をもたらすのか。
この旅の終わり方がどのようなものかとても気になります。
けれども、決して急いで読みたくはない。
グレゴリウスが自分の変化を丹念に追い、アマデウと彼のことを語る人々に心を寄せたように、ゆっくりと作品につきあいたい。
そんなふうに思える作品です。









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2 コメント

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いつの間にリスボンに?! (かもめ)
2012-12-03 15:06:23
本が好き!の年間ランキングにこの本がノミネートされていることに気づいて,推薦者をまじまじと見たら,きしさんじゃありませんか!!
慌ててこちらにお邪魔しました。
きしさ~ん。
本が好き!の方にも書評あげてくださいよ~。
そしてぜひポルトガルブームをw
実は今丁度ポルトガル人作家の本を読んでいまして…ちょっと手こずっています。面白いんですけどね(^^;)
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かもめさん (きし)
2012-12-04 00:18:28
はいー。行く、行くと言いつつ、先送りにしていた夜行列車にようやっと乗りこみ、帰ってまいりました。
良い旅になりましたので、年間ランキングに書名だけでも出してあげたいと思って。
…だって、かもめさん、推さないみたいだったからw
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