SFの古典のひとつだそうです。
渚にて 新版
著者:ネヴィル・シュート
訳者:佐藤 龍雄
発行:東京創元社
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第3次世界大戦が核兵器使用により、勝者なく終結した後の世界。
すでに北半球との連絡は途絶。
残った南半球でも、放射性物質の降下を防ぐ手だてはなく、世界は終末へ向けて、緩やかに、けれども確実に歩を進めていました。
とても静かな雰囲気の作品です。
作品の舞台となっているのは、今となっては過去になっている未来ですので、現在では兵器自体が異なっているかもしれませんし、作品の設定がもっと未来でスペースオペラふうの作品であったりすれば、地球を離れるということもあったかもしれません。
けれども、この物語の中では、致死量の放射線を避けるすべはありません。
あるのは、最後の日までどのように生きるか。
言いかえれば、どのように死を迎えるかの選択肢だけ。
生まれたばかりの赤ん坊を育てている夫婦は?
すでに死の大陸となった故国を確認し、それでもなお家族を想う米軍潜水艦の艦長は?
築くべき将来を失った者たちは?
他の土地に生存者がいるかを確認しにいく任務の命令の中に、もし生存者がいてもこちらの存在は知らせるなとあって、それが切なかったです。
死の訪れの確実さの前には、どこにいるかもわずかな誤差でしかありません。
無駄な希望は持たせない。
利己的、排他的ですが、この物語の中ではそれは正しいことのように思えます。
とにかく生きる、生き延びる。希望は捨てない、絶対に自分から死を選んだりしないという人たちは登場しませんでした。
世界のどこかにはいたでしょうけれど、でもそれはまた別の話。
この作品に登場するのは、やってくる死を受け入れた人たちだけです。
どう生き延びるかではなく、どう死ぬか。
いつ、どこで、誰と。
共に死ねることが幸せとなる世界の終わり。
物語の終わりも、そこから想像させられる先の時間や風景もとても静かでした。
戦火で壊滅した都市はもとより、免れた土地でも骸が腐敗して、やがて骨になり、人々が生きて暮らした町は廃墟になる。
植生も変わり、きっと海も変わる。
長い長い時間が過ぎた後には、別の生き物の時代が始まるのかもしれません。
地層の中に遺跡として見つかる人類の痕跡は教訓と成り得るのか、それとも自滅の愚かさと幾許かのノスタルジーの対象になるのか。
この作品はすでに映画化されていました。
主人公のひとり、潜水艦スコーピオンの艦長を演じたのは、ジェームス・スチュアート。
ナットク。
まさにそんな感じです。
でも映画を見たことははっきり記憶してます。
一回しか見てないのに、いろんなシーンが思いうかびます。
静かに感動が迫ってくる映画でした。
もう一度見たいです。
印象的な作品だったのですね。
機会があったらと観てみたいと思います。
切なそうだなぁ。