ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

時と場所を忘れる読書。 堀江敏幸【河岸忘日抄】

2008-09-26 | 新潮社
 
足かけ2か月は読んでいた。
つまらないから先に進めない…のではなくて、何度か読み返しながら、先に進んだからだ。
早読み、超・浅読みの私にしては珍しいことだったと思う。

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 河岸忘日抄
 著者:堀江敏幸
 発行:新潮社
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「彼」は異国の河の岸に住んでいる。
日本での仕事を思うところがあって整理し、異国の地、異国の河に繋留されている船が現在の住処。
ここにいるのは仕事でもなんでもない。
これからどうするかも決めていない。
ただ「彼」はそこにいて、日々、本を読み、音楽を聴き、コーヒーを淹れる。
ごくたまに船の持ち主である大家の老人を訪ね、ごくまれに日本にいる「枕木さん」という人とFAXを交わし、時折、郵便配達人と一緒にコーヒーを飲む。

1つの段落がそのまま1つの区切りになり、いくつかの区切りで章になる。
改行の多い文章のページが最近は多いので、文字はやや大きめの印象があるのに、文章がぎっしりつまっているように感じる。
作品の中に時の流れは厳然としてあるけれど、筋らしい筋はなく、本や音楽や老人たちの言葉から想起される「彼」の断続的な思考の流れが綴られていく。
「彼」はほとんど自発的な行動はせず、考え続ける。
河の流れの上にあって動かずにいる船の中の動かない男。
動かずにいること、むやみと流されずにいることには、それはそれなりの意志の強さが要ることだろう。

波瀾万丈の物語を読みたいときにはもっとも向かない作品だと思う。
作品は、徹頭徹尾、「彼」が何をどう思うかに終始する。
「彼」の思考に同調するかどうかは別にして、私自身はどうなのか、それを考えずにはいられない言葉が並び、静かな、低い声で語られるような文章を読み始めると、周りの音が聴こえなくなり、今、自分がどこにいるかを忘れてしまいそうになる。(危うく乗り越しそうになる。)
詩歌とも、何かを麗々しく描写する華麗な小説や、その面白さにページを繰るのももどかしいような物語とも違う雰囲気を持つ文章。
途中、謎らしきものが提示され、お、普通の小説っぽいところもあるのかと思わせられたが、読み終わってみると、さほど読後感に影響はなかった。
興味がわくとすれば、大家の老人曰く「社交的」である「彼」がこの思考の果てに何をするのかだが、この作品はそれを描くものではなく、「彼」は繋留された船であり続ける。
がむしゃらに動き回ることの方が時には楽でさえあるだろう。
けれど、何もかもを未決の状態にしておきつづける不安とともに、それでも留まり続けることに多少ならずうらやましさを感じる。





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