私が持っている唯一のサイン本。
指揮棒を振っている似顔絵入りだ。
僕はいかにして指揮者になったのか 著者:佐渡 裕 発行:はまの出版 このアイテムの詳細を見る |
佐渡裕が地元の近くに来ると聞いて、行ったこともない町に出かけたことを思い出す。
今日は残業できません!と朝から宣言していたが、周囲の反応は鈍いどころか冷たく、「誰、それ」とまで言われた。
宣言も空しく、結局、開演には間に合わなくて、1曲は聞き逃した。
…その頃の心境で言えば、聴き逃したというより、観逃した…かも。
でかい後姿だった。
コンサート終了後、人の流れに逆らって楽屋へ。
知り合いらしきご家族の子供をだっこしていたような気がする。
終演直後で、まだタキシードのままの指揮者は汗だくだった。
紹介があるわけでもないのに、楽屋に行けて、サインをもらえたのは小さい町の市民会館だったからこそだろう。
それにしても、当時の私は随分と勢いがあったものだ。
今ほど日本での知名度が高くなかった頃だと思うが、バーンスタインの最後の弟子ということで、注目されてはいたはずだ。
TV番組で観て、なんて楽しそうに振る人なんだろうと思ったのが興味を持ったきっかけだったと思う。
1995年初版発行。
少年時代からの音楽との関わり方が、ストレートな文章で綴られていく。
とにかく音楽に対する情熱に溢れている。
いっそ暑苦しいと言いたくなるほどだが、それが周囲の人たちを惹きつけるのだろう。
印象的だったのは、タングルウッドからブザンソンまでの間、著者に支援をしていた人が2人いたというエピソードだ。
毎月10万を2年間。返済の義務なし。
その時はまだどうなるともしれない青年の留学費用。
留学というより、指揮者修行費用か。
それは投資というより、夢を買うようなものだろう。
その夢をみている2年間、その人達の胸にはどんな思いがあったのだろうか。
それともうひとつ。
小澤が著者を紹介する言葉。
『斎藤先生の"さ"の字も知らないヤツでね。きったない棒を振るんですけどね、それでも、オーケストラが鳴るんですよね。』
異端であっても、きったない棒でも、オーケストラに愛されている指揮者。
それはやはり著者の溢れるほどの音楽への情熱が伝わるからか。
どうも私は、音楽そのものより、音楽を語る人々の言葉の方に惹かれるたちなのかもしれない。
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