『檀』というノンフィクションを読んでから、なんとなく檀一雄のことが目につく。
かといって『火宅の人』にまでは手が出ない。
私の散漫な読書欲と易きに流れる性分は分厚い本が並ぶ名作・有名作の棚にはめったに足を向けさせないのだ。
それはさておき、これは檀一雄のお嬢さんで女優の檀ふみさんのエッセイ。
父の縁側、私の書斎
著者:檀ふみ
発行:新潮社
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女優さんといっても、作品でいうと、昔NHKで放送した『蔵』というドラマとヘルンさんのドラマで小泉節さんを演じたものくらいしか思い出せない。
でも檀ふみさんは好きだ。
1冊にまとまったものを読むのは初めてだけれど、たまに眼にする文章にも好感が持てる。
理と情のどちらにも傾きすぎないバランスが好きだ。
そんな話になると、檀ふみさんを好きだということに「ああ、そんな感じだね。」とひどく納得されたりする。
…どういう意味かはあまり深く考えないようにしておこう。
集められているのは家にまつわる文章。
家そのものもそうであるし、その中で営まれる生活、庭の植物たち、揃えられる品々への思い入れなども。
家を建てたときの建築家とのやり取り(バトルともいえるかもしれない)もおもしろい。
天窓のくだりなどは、TVでよくある新築の家の紹介番組をみる度、これは暮らすに適した家なのだろうかと常々私も疑問に思っていたことだったので、なるほどといった感じ。
ユーモアとペーソス、とはありふれた言葉の組み合わせだが、読んでいるうちから、それを思い浮かべていた。
やや自虐的なところもあるが、世間一般の彼女に対するイメージを逆手にとって穏やかなユーモアに転換する。
雑誌に連載されていた内容に、檀一雄の思い出が差し挟まれたと思われる構成。
その部分の文章にはしっとりとした、だが、べたべたしない情感が増す。
引越しの多かった檀一雄の家に対する思いや家との関わり方が描かれていて、間取りの図などもあった。
坂口安吾が下宿していたこともあったそうだ。
「安吾さん」と書く著者に、ああ、この人は生きて動く坂口安吾を本当に知っているんだな、と、当たり前のことを改めて思ったりして。
それにしても、と思う。
テーマが「家」であるからということもあろうけれど、檀一雄の印象が強い。
家の形は変わっても、そこは父親の影が差している。
誰の娘であるかということを強く意識しながら、あるいは意識させられながら生きるというのは、辛いことなのではないだろうか。
そんなふうに思ったりもするが、父親の思い出を綴る文章は、その輪郭を愛しげに辿り、そっと内面に寄り添っていこうとしているようで、檀一雄が家族を愛し、家族も父親を愛していたことが、ごく自然に伝わってくる気がした。
エッセイ、面白そうですよね。
私は、タイトルを忘れてしまいましたが、三田佳子さんが主演で北条政子をやったときのNHK大河ドラマでの、壇ふみさんの森女役が、忘れられません。
それ以外が思いつかないのですが、昔のNHK大河ドラマは、私の中に強烈な印象を残しているものが多いようです。
>「N響アワー」
narkejpさまはクラシックファンでいらっしゃいましたね。先日の山響、会場近くを通りました。
作中でも、レコードを聴く場面がありました。私にはどちらかというと日曜美術館の壇ふみさんだったりします。奇を衒わないのに、想像力豊かな感想を楽しげにお話されていたのを思い出します。音楽のほうでもそうだったのでしょうか。
森女、思い出しました。良かったですね、あの時。
歌舞伎役者さんがたくさん出ていて、出演者も豪華だったなかでも、印象的でした。
最近ではあまりTVでお見かけしない壇ふみさんですが、この本は楽しかったです。お時間のあるときにぜひ。
自分自身の思い出を絡めながら、楽しく読んでしまいました。 良いですね~。
これからは、壇ふみさんのエッセイに本屋さんで出会ったら、手を出してしまいそうですよ。
TBもさせてもらっちゃいます。
早速、りなっこさんの記事を拝見しにまいります~。