青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

奥州街道歩き三日目

2009年11月30日 19時29分46秒 | 街道歩き(奥州街道)
三日目の朝は5時55分に目覚める。
仙台駅前から吉岡行きのバスに乗る。
6時前に起きて9時4分発。
志田吉岡バス停着10時半。歩く。
残るは二十数キロ。5時間で着く。


だが、右足の水泡が潰れた。

●三本木蟻ヶ袋地区の「山畑横穴群」古墳

昼食は道の駅三本木でカツ丼を。
カツは良いがタレがイマイチ。
鴻巣で旧街道に入り、右折、祇園神社に詣で駅へ。
古川で一時間待ち、新幹線に乗る。
仙台まであっという間だ。
今、仙台駅前の利久西口本店で
今夜は一人寂しく、
牛タン極で、生ビールを飲んでいる。
締めに麦とろ・とろろ。

奥州街道歩き二日目

2009年11月30日 18時56分22秒 | 街道歩き(奥州街道)

                ●泉中央駅前タウン


               ●まっすぐ延びる散歩道


老いたら感に頼るべからず。
半年ぶりの一人旅。

                ●牛胆の利休仙台西口本店
昨夜は、半年ぶりの街道一人歩きを
予定通り夜の街道を歩き通して泉中央駅まで歩き通した。
その嬉しさに久しぶりの祝杯・ナンパ??  
土地っこオススメの牛タン利久に三十待ちもものともせず、
運よく座れたカウンター席で隣り合わせた女性客と意気投合。
鼻の下を伸ばし過ぎたせいかもしれない。

泉中央駅前から真っ直ぐに延びる整備されたウオーキング道路を
紅葉を愛でながら小一時間歩いた。

           ●市名坂交差点。ここへ出てしまった。
           随分と逆戻りなり。 

予想通りルート4号線に出る。
左折して北東に進路をとれば良いはずだった。
山寺洞雲寺の案内板で気が付く。老感が方角を間違えたのだ。
上手の手にも水が漏れる。針路を斜逆にとっていたのだ。
晩秋の日暮れは四時半に暗くなる。

         ●バス停志田吉岡前の食堂「葡萄の丘」
         バスに乗り遅れたボクは、一時間待ちの
         寒さをしのいでここに飛び込む。
         早夕食”卵載せハンバーク定食”
         シェフは、10分も足らずで出してくれた。
         100円サービス券ももらった。
         写真は翌日撮影、開店30分前。
         100円券は、まだ持ってる。  

二日目はここ、志田吉岡で引き返す。
古川駅まで残るは20キロ余。
終車に間に合わないかも?
街灯もない夜道は、旅人には辛い?

ホテルに戻ったら両足に豆が出来ていた。
二つもだ。右の豆は、つぶれそうだった。

奥州街道歩き旅 再開

2009年11月28日 23時26分36秒 | 街道歩き(奥州街道)
                     ●堤人形「手作りの干支の虎」
                     「つつみのおひなっこや」で
半年ぶりに奥州街道歩きに挑戦です。
仙台駅を午後三時半に出発。

          ●宮城県県庁前の紅葉

國分町通りを芭蕉の辻から北へ向かう。
国道22号陸羽街道を仙台泉中央駅まで歩きました。
泉中央駅は仙台市営地下鉄と終着駅です。
今日の歩行距離合計8.7キロ。
明日は、泉中央駅から古川まで歩く予定。


        ●泉中央駅手前で<おっししのし>
        マックを見つけて、セーフ

ひろすけ子供劇場

2009年11月28日 01時46分41秒 | 日記


ひろすけ子供劇場が予想以上に出来た。
ひろすけ童話の唯一の怖いお話。
黒いきこりと白いきこりだ。
誕生会で十一年ぶりに絵本を渡した。
園長先生が、今日で三日続けて風邪をこじらへなせてお休みだったのだ。お見せしたかったな。黒いきこりと白いきこり。

ほうれん草の種まきに

2009年11月25日 00時36分08秒 | 日記
ほうれん草の種を蒔く。
丁度、10日ぶりの第2保育園の屋上野菜畑訪問だ。
第2保育園は外壁塗装工事中。
塗装工事の養生シートをくぐり抜けて
屋上まで上がるのだ。
先ず一畝完成。
サラダほうれん草の種を蒔く。



屋上に上ったとたんに雨が降ってきた。
だめかな。
空を見上げて雲を見る。
西にちょっぴり雲の切れ目。
「やむな、大丈夫」
ぱらつく時雨の畑で畝作りだ。
「やんだぞ」



「あれっ、ケンちゃんのお父さんだ?」
「ほんとだ。ケンちゃんは何処?」
「第1保育園だよ」
「なんだ。今度はいつ連れてくるの?」
「クリスマス誕生会かな」
「ほんとに連れてきてよ」
「うん。来るよ」
「ほんとに、ほんとだよ」
「ほんとに、ほんと」
ほうれん草の種は、一畝だけで日が暮れた。
帰りに門のところで子どもたちに会った。
第2保育園では、
いつの間にかボクは、ケンちゃんのお父さんだ。
「きょうは何処にいたの?」
「屋上野菜畑さ」
「そうか。こんどサッカーしようね?」
「うん。第1の子どもと試合しよう」

国立科学博物館

2009年11月23日 19時00分01秒 | 散歩

                  ●上野 科学博物館日本館で

今日は一日ぼんやりです。
昨日は上野から銀座へ
新宿へと歩き過ぎかも?

             ●銀座7丁目竹川画廊で

竹川画廊で馬さんの舞台装置展を見るはずだった。
「その展覧会でしたら、先週の日曜日で終わりましたよ」
「えっ。また間違えたんだ」
「この油絵は、亡き父の絵です。70歳で亡くなって今年で17回目の遺作展ですから、生きてれば87歳になりますか?」
「あなたが息子さんなんですね?」
「そうです。毎年ここで遺作展を。二階の絵はお弟子さんたちです」
画家の名前は石川雅雄さん。
「お茶を入れましたから召し上がって行ってください」
品のいいお婆ちゃまが、ボクに声をかける」
この老婆が石川画伯の奥様なんだ。
馬さんに会えなかったけれど、素敵な親子に会えた。
『第17回石川雅雄遺作展 油絵に描いた落語』
このグループ展も23日で終わりだ。


                ●国立博物館別館 法隆寺宝物館前で

今日の歩いた歩数 合計18,328歩。


国立科学博物館へ

2009年11月22日 10時19分53秒 | 散歩

                 ●科学博物館一階の鯨骨?を見下ろす。          

晴天ならば金時山に登るはずだった。
けれども日曜日は雨。
近頃の天気予報はよく当たる。
昨日のうちに金時山登山を上野の博物館見学に変更。
不参加は意外に少なかった。
朝九時半、科学博物館前集合。
午後一時半に国立博物館。
夕食は新宿三丁目伊勢丹裏居酒屋がで。
職員旅行は改築以来初めての試みだ。
行くも地獄、行かぬも地獄。
そこまで酷くはないが職員旅行は難しい。
先ずは費用。
いわゆる社員旅行ならば当然全額会社持ちが常識だ。
ところが保育園は役所と同じく利益を上げる営利企業ではない。
旅行目的が問われる。もちろん費用も。


              ●地球館の巨竜骨格標本


元気だしなよ 歌ってみなよ

2009年11月12日 23時10分06秒 | 俳句

おまえは だめだと言うまえに
なんで おまえは 歌はない
カルコットル カルコットル
サントバールの 月の出に
みんなで 歌った あのちかい
おまえは とうに 忘れたか
                   
トテチテタクタク 時計でさえも
夜中に 歌って はげみをつける
カルコットル カルコットル
サントバールの 月の出に
みんなで 歌った あのちかい
おまえは とうに 忘れたか
                     
元気だしなよ 歌ってみなよ
カルコットル カルコットル
みんなで 歌った あの歌を
おまえは とうに 忘れたか
                    

森繁久彌先輩逝去

2009年11月10日 00時00分00秒 | 日記
”ああ、現世(うつせみ)に
 生まれきて
 苦しきことのみ 多おかりき
 君と逢い見て
 知りにけり 男と生まれし
 喜びを ”
       
 愛妻、杏子(万寿子)夫人が亡くなったのは
 1990年(平成2年)のことだから、
 森繁先輩は、19年間もお一人だったんだ。
 享年 96歳。

”ああ、杯を 満たせかし
 憂いのかげも 消え失せて
 昨日は 昨日 明日は 明日
 今日の この日の 
 喜びを  ”
       
 この歌は、早稲田大学児童文化研究会の
 仲間たちと、
 その年、文学部聴講生として入部された
 杏子夫人に招かれて、
 千歳船橋の森繁邸にお邪魔した折、
 運良く帰宅さった森繁先輩に直々教えていただいた歌だ。
 感激したボクは、この歌を懸命に覚えたものだ。
 なぜか、森繁節なのに、
 ボクが懸命に覚えたのに、この歌は流行らなかった。
 
 ボクにとって、森繁先輩は、遙かな存在だったが、
 杏子夫人とは、同じクラブの姉御的存在で、
 ずいぶん甘えたものだ。
 就職活動で大阪朝日放送へ出かけたとき、
 就職面接のあと、
 阪神デパートに”ひさや”というブティックを
 開いていた杏子夫人に電話した。
 ちょうどクリスマスイブの前後だった。
 もちろん、イブに店長は居ないわけがない。
 「暇だったら手伝って」
 「喜んで」
 イブの前後三日間だと思う。
 ”ひさや”でセレブ夫人相手に売り子をした。
 「おおきに、ありがとうございます。一万円です」
 ”ひさや”でその日の売れ筋は、一万円のハンカチだった。
 就職活動は失敗だった。
 そのためか、
 当時、アタックしていた浪速のコイさんにも振られた。 
 杏子さんは、そのことも察していたのか、
 帰京するボクに、売れ残った1万円のハンカチを
 ギャラ代わりに包んでくれた。
 そのハンカチを、
 だれにプレゼントしたのか、全く覚えていない。
  お二人のご冥福をお祈りいたします。南無阿弥陀仏

    注:お坊ちゃまはぼんぼん。お嬢さんはこいさん。

東京散歩 銀座界隈アンテナショップ巡り2

2009年11月08日 00時00分00秒 | 旅行
日比谷公会堂には、想い出がある。
昭和30年代の日比谷公会堂で東京仏教諸団体連合主催の
毎年4月8日に盛大に花祭りが行われた。
スポンサーは博善社(中山理理社長)。
昭和60年の春、全日本仏教青年会が裏方を引き受けて
ボクも公会堂内を飛びまっわった記憶がある。
まだ学生だったボクは、
たまたま日比谷公会堂のエントランスホールに居て、
「誰か居ませんか?首相夫人がお見えです」
「はーい。ただいま」
確か、佐藤栄作総理の夫人といえば、
寛子さんだ。
和服姿の首相夫人が、spも連れずにエントランスを歩いていた。
「よくいらっしゃいました。こちらへどうぞ」
ボクは、間近に見る首相夫人に、こちんこちんになって
挨拶した。
会は、すでに開会してたのだと思う。
エントランスにも舞台裏へと続く通路に人影はない。
「仏教青年会の方ですね。ご苦労様です」
何も話せなかった。
まだ純情だったのだ。
寛子夫人を一人で先導したというだけで舞い上がっていたのだ。
たったそれだけだ。
寛子夫人は、当時、全日本仏教婦人会会長だったと記憶している。
日比谷公園の噴水の見えるベンチに座って、
ボクと牛さんは、熊本館で買った
おもいっきり団子を食べた。


公園のあちこちにバラが咲いていた。


若い二人のデートにはこちらの方がいい。
ホントは、ボクも?

日比谷公園から斜め北東方向に有楽町駅に向かい。
有楽町駅ガード下をくぐると正面にマルイがある。
左側に交通会館。
「こんなところにマルイがあったんだ。まだ新しいビルね」
「交通会館は、まだ健在だったんだ」
ここの1階に北海道と、秋田県のアンテナショップがある。
地階に、和歌山県と、富山県のアンテナショップ。
北海道どさんこプラザで、大正金時・白花豆・虎豆を買う。
秋田ふるさと館で、奥州いぶり(大根)を。
わかやま喜集館で、小梅かわしまと紀州柿二個。
いきいき富山館では、黒作りと、蕪すしを。

●富山名物かぶら鮓

「白エビとます寿司が買いたかったんだけど?」
「ます寿司は午前中で売り切れだってさ」
「まだ沖縄と岩手が残ってるんだ。控えて控えて」

●富山名物いかの黒作り(写真借用)

交通会館八重洲側に出て外堀通りの斜向かいに
銀座わしたショップがある。
沖縄県のアンテナショップだ。
いつの間にか銀座は夜。
この先は銀座1丁目。
柳通りだ。新しく植えられた若い柳の並木が続いている。
タコライス(沖縄ハム)、黒糖しょうがパウダー。
生海ぶどう、うす塩スパム、生姜、黄人参。
「大丈夫?そんなに買い込んで」
「ちょっぴりずつだから」
「これから歌舞伎座の向かいまで歩ける?」
「足じゃなくて、腿の付け根が痛むの?」
それぞれのアンテナショップで買った名物のビニール袋が、
いつの間にか10袋は超えていた。
「デパートだったら大きな紙袋に入れてくれるだろうけどね」
「トートバックを持ってくるべきだったね」

柳通を少し歩くと、銀座の柳碑の辺りに、
案内図になかった山形館があった。
通りの地下に東京メトロが走っている。
おいしい山形ぷらざ2階には、
「レストランがあるのね」
「ヤマガタサンダンデロだって、イタリアンだ。寄る?」
山形県は、この夏に旅行したばかりなので、
あつみ蕪と、晩菊と、菌床しいたけだけ買って、
先を急ぐ。
日曜日の夜の銀座は、人通りがまばらだ。
昭和通り手前で右に折れて、マロニエ通り、松屋通り、
晴海通りで昭和通りの交差点を斜めに横断する。
左手に歌舞伎座。
「歌舞伎座、まだ工事が始まってなかったのね」
「もう、少しで終着点だ。がんばって」
歌舞伎座のホントウに向かい側に、いわて銀座プラザがあった。
岩手県も、目下、街道歩きで歩いている県だ。
ぐるりと店内を歩いただけで、
目の前にある東銀座駅の階段を下りる。
「ああ疲れた」



東京散歩 銀座界隈

2009年11月08日 00時00分00秒 | 旅行
久しぶりに牛の散歩に出かけました。
ボク的にはヨウ君たちと
親子遠足に行きたかったんだ。
でも、大腸管再検査が6日にあって、
まだ結果は13日の金曜日までお預け。
バスに乗って遠足なんて気力がなかった。
それでも歩かねば。
牛の散歩もさせなきゃね
「アド街でPRしてた銀座界隈のテナントショップへ行こう」
「地方物産を買いに行くのもいいわね」
「ランチは、三笠会館でいいかな?」
「・・・・?」


               ●銀座熊本館

「熊本県のテナントショップなら、知ってるよね?」
「長津田から田園都市線で表参道乗換で地下鉄浅草行き銀座までね」
「1時間半で着く。ランチに間に合うぞ」
「車で駅まで?」
「バス停まで歩きだ。大丈夫かい?」
「大丈夫」
「銀座でランチだ。ビールが飲める」
行きは予定より10分早く着いた。
まっすぐ地下鉄銀座駅から銀座5丁目並木通りの三笠会館へ。
創業大正4年、三笠はボクにとって懐かしい老舗だ。
ボクが毎週火曜日に通ってた頃は、
一階は喫茶店だった。
火曜会は、詩人の長田恒雄さんが主催していたのだと思う。
昭和30年代の古き良き時代の想い出。
「ランチタイムに間に合ったね」
「一階はイタリアンバール ラヴィオラだって」
「昼はカフェ、夜は立ち飲みも出来るワインバールって書いてある」
「昔ながらのハンバーク。いいわね。さすが三笠だわ」
牛さんはご機嫌だった。ここまでは・・。
三笠会館1階で、ハンバーグランチ1800円なり。
を食べた。
「このスープもいいわね。サラダも」
「銀座だからね。有機栽培 産地直送さ」
「食後のカプチーノも見事だ」
生ビールもランチ特価で500円というのがいい。
通り一つ越えて外堀通りに銀座熊本館がある。
ここで有楽町・銀座周辺マップを手に入れる。
もちろん、銀座周辺のアンテナショップ案内図。
「阿蘇の青高菜と柚子胡椒ふりかけ。有明海の焼き海苔も」
「黒ごまあめと、いきなりだんごも買っちゃった」
晴海通りを日比谷方面に向かう。
数寄屋橋公園を抜けてJRのガードをくぐれば、
表通りに『かごしま遊楽館』だ。
焼酎は重いから、鰹節と水菜と霧島茶を買う。
「日比谷公園のベンチで、熊本館で買ったお団子を食べよう」
鹿児島のテナントショップかごしま遊楽館を左手に出ると、
裏の広場でラーメン屋のお祭りみたいだ。
「うへ、こんなところにゴジラが?」


広場を抜けると、すぐ向こうは右手に皇居の日比谷堀。
左側が日比谷公園。
日比谷公園角の交番前に、冬さくらが満開だった。

            ●地下駐車場入口前で満開の冬さくら

東京散歩・新宿

2009年11月03日 00時00分00秒 | 旅行
9割の病気は自分で治せる (中経の文庫)
岡本 裕
中経出版

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「カングー使ってもいいでしょ?」
「イケアへパソコンデスクを買いに行くんですって」
「いいよ。もう出るの」
「道が混むから早く出たいんですって」
「じゃあ、ボクは、箱根へでも行くかな?」
ゆっくりと朝刊を読み。
一人で朝食を取り。
洗濯物をデッキに出す。
文化の日だ。
秋晴れだった。
気温11℃。
風が冷たかった。
寒さに震えながら
高原を歩く気力はなかった。
三日後に再検査を控えていた。
こういう時は、歩きなれた街がいい。
取りあえず日本橋へ行くか。
全ての街道は日本橋から始まる。
ボクにとっての原点だ。
二階から長男が下りてきた。
「出かけるのかい?」
「ちょっと」
「駅まで乗せてくれるか?」
「いいよ。橋本駅でいい?」
「うん。ところで大きな本屋って八重洲口だっけ?」
「新宿の三越にもあるよ」
「そうか、新宿の方が近いね」
すでに正午。
京王線快速新宿行きで調布乗換新宿へ。
車中で”9割の病気は自分で治せる”を読む。

”高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満症、痛風、便秘症、頭痛、腰痛症、
不眠症、自律神経失調症などを総称して「喜劇の病気」と呼ばれています。
理由は簡単です。
 それらの疾患は悲劇のヒロインの病気には絶対になり得ないからです。「セカチュー」のヒロイン、亜紀の病気が、白血病ではなく”メタボリックシンドローム”であったとしたら、あれほど話題にならなかったでしょう。・・・”
 ・・・私の周りではこの「喜劇の病気」と「悲劇の病気」を明確に区別しています。・・・「喜劇の病気は」原則として自らの力で治すことが出来ますし、仮に医者の力が必要な場合でも、ほんのわずかなアドバイスで事足ります。・・・
 日本には「おいしい患者」が実に多くいます。・・「おいしい患者」とは、言うまでもなく、医者にとって非常にありがたい患者さんだということです。・・・
 文句も言わずに定期的に通院してくれること。・・・
 黙って薬を飲み続け、検査を受け続けてくれます。・・・
 命にかかわることもなく、さりとて完全に治らないことが、重宝するのです。・
・・・・・・。”

ボクの読書は、たいていが電車・列車内である。そして、書店での立ち読み。新宿駅東口から三越新宿店に入る。6,7,8階にジュンク堂書店がある。
確かに広いスペースにぎっしり書物が詰まっているという感じだった。書棚の脇にベンチもある。立ち読み、いや座り読み自由の書店だ。午後1時過ぎから午後3時まで高価な本を片端から坐り読みをする。
読み疲れて宿の街に出る。
空腹をアカシアで満たす。
アカシア定番のロールキャベツ中1個とライス。締めて700円也。
少し歩く。
自然と歌舞伎町に足が向く。
日暮れ前だから、ポン引きの姿もない。
コマ劇場はすでに閉館。
円形舞台が独楽(コマ)の回る姿に似ている事から付けたという。
ここで親友のポンちゃんがアルバイトで照明係をしていたので、
時々楽屋口から入ったことがある。
愛飲の”人参ジュース”は、ポンちゃんに連れて行ってもらったコマ劇場裏のスタンドバーのマスターに習ったものだ。
「団長、人参ジュースはぜったい身体にいいですから飲んで下さいよ」
ポンちゃんは、ボクのことを”団長”と読んでいた。
そのポンちゃんは、もういない。
50年以上も前の話だから、スタンドバーもない。
歌舞伎町から西武新宿駅前を抜けて、花園神社を通る。
そういえば、この辺に”クラブ踊り子”があった。
伊豆の踊子の踊り子だ。
踊り子のマダムは、あの小説家、川端康成から五十万円の帯をもらったという話を聞いたことがある。伊豆の踊子のモデルは彼女だったのだろうか?
まさか?
新宿には想い出が詰まっている。
1時間半、新宿の街を歩いて帰る。
万歩計8,309歩。


ららぽーと新三郷

2009年11月01日 17時23分15秒 | 日記

夜から雨ということで新三郷見物に行くことにした。
奥様は相模大野で夜のパーティー。
上溝の白洋舎までアッシーを勤め、
午後1時3分前、
ダイエー駐車場にカングーを駐車。
今日の行き先、ららぽーと新三郷は、
昨夜のアド街で見付けたニュースポットだ。

アド街の翌日、栃木市に出かけた時は、
アド街効果で市民バスも満員。
町中が驚いていた。
新三郷は、
さて?
さて?
さて?
そんな、
野次馬根性も老化防止に効果があるかも。
往路は、
13:09相模原-橋本駅京王線快速13:20-13:47調布1348(準特急)14:03新宿。
湘南新宿線14:09-14:24赤羽14:27(京浜東北)-14:38南浦和14:45(武蔵野線)
新三郷駅15:05到着。1時間56分・1,180円.

三郷駅西口を出ると目の前に
今年9月にオープンした”ららぽーと新三郷”が目に入る。
右手には少し離れて去年11月に進出した”イケア”の巨大な建物がある。
この辺りは武蔵野線操車場跡地だ。


ららぽーとの向こうには、三郷団地の公団住宅群が見える。
駅前一帯が無機質な新開地といったところだ。
秋風がデッキを渡るボクの帽子を奪うように吹いていた。
木枯らしの季節には来たくない。
雨の日もだ。
建物の中は、ドコモ同じアウトレット?
アド街効果がなくても、
日曜日には人、人、人で溢れていそうだった。
童心に返ってトーマスタウンを覗く。

                  ●機関車トーマス
お土産にトーマスのドーナツを買う。
一箱二個入りハンドタオルつき500円也。



食事処は、何処も満員御礼。
イケアまで歩いて、二階にあるセルフサービスレストランで
スエーデンランチを食べる。
三郷のイケアも、横浜イケアとまるで同じスタイルだった。
迷わなくていい。
ららぽーと新三郷からイケア三郷店内を
歩いた歩数合計7,924歩。

復路は、武蔵野線新三郷駅発17:00-17:49西国分寺
17:56-18:13八王子18:18-18:32相模原駅。1時間32分、1,210円。
帰宅後に雨。