青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

奥多摩むかしみち2

2008年04月30日 00時00分00秒 | 日記

●羽黒坂
青梅街道は、別名御白土街道と呼ばれていた。
徳川家康が江戸城築造の白壁用に、
奥多摩の石灰を運び出すために開かれたと聞く。
白土街道は、甲州街道の裏街道としても重要な抜け道だった。
青梅から奥多摩の山間を抜け大菩薩峠を越えて
塩山から甲府へと続く。
裏高尾の小仏峠越えの甲州街道より2里(8キロ)も短くて
甲州と江戸を結ぶ物資運搬には、表街道を行くより便利だったらしい。
ただし、奥多摩むかしみち辺りは道幅も狭く、
羽黒坂と西久保集落から中山までは勾配もきつく、
散歩には少々きつい坂道だ。
奥多摩駅前から西東京バスで奥多摩湖までバスを利用して、
逆コースで歩いた方が楽かもしれない。


●弁慶の腕抜き石
巨石につぶされそうな白髭神社を参拝したら、
道ばたにこの自然石が立っている。
岩の左下方に、腕が入るぐらいの穴がある。
「弁慶が力任せにぶち抜いたンじゃないかな?」
「きっと、そうだよ」
という感じだ。

奥多摩むかしみち

2008年04月29日 00時00分00秒 | 街道歩き(甲州街道・中央道・中山道)

しだくら吊り橋から惣岳渓谷を見る


巨石信仰の白髭神社。


散歩日和のみどりの日、
母と子が、ボクのカングーでアウトレットの花屋へ。
「ボクは一人でお散歩、散歩だ」
「どちらへ?」
「足の向く方へ」
橋本駅前でカングーを降りて、
八王子行きに乗る。
何しろ午後1時。
もう信州も甲州も秩父も無理だな。
「そうだ、奥多摩なら行けるかも」
携帯で乗換検索??
八王子から八高線で拝島経由青梅線か?
午後3時。終着駅奥多摩駅を出発。
”奥多摩むかしみち”を歩く。
駅前観光案内所で
奥多摩むかしみちコースの地図をゲット。
駅を出て大通りのすぐ左にいかにも田舎の駄菓子屋。
店の外に山葵が薄汚れた水を張った小ぶりの金だらいに二つに各五本。
金だらい半分濡れてよれよれの貼り紙!
それぞれに300円1本。400円1本と書いてある。
「さすが奥多摩。山葵のお土産なんていいね」
小窓から奥を覗くとお婆さんが背中丸めて店番?
「これ1本300円と400円ですか?」
「そう、300円、400円、500円。」
「500円のもあったんですか?」
「あれ、500円のはもうないかの」
「今日は随分売れたんでしょうね?」
「たいして売れやせんよ。疲れただけだわさ」
この山葵、何日も金だらいに浮いていたせいか、
<帰宅して早速摺り下ろしたら、
大部分はぼろぼろに腐っていて、
食べられそうなところも薫りもしなければ、辛みもなかった。>
 そんなことはここでは判らないから、
400円2本買ってカバンに詰めて歩き出す。
大通りを右折して氷川大橋を渡る。
橋の手前左に奥氷川神社。
東京都一高いという三本杉の大木があった。
樹齢650年、樹高50m。
氷川大橋を渡って酒屋の先左にみかしみち入り口の標識。
ここから”むかしみち”が始まる。
すぐに人足泣かせの羽黒坂の急坂だ。
坂の登り口に羽黒権現があるから羽黒坂だ。
坂は舗装されてきついけど歩きやすい。
坂の上からハイカーが何人も下ってくる。
登り切ったあとはなだらかな林の中の昔道。
ゴールの奥多摩湖・小河内ダムまで片道10キロ弱のコースだ。
10分も歩くと道の左下林の中に線路跡が見える。







木喰五行展

2008年04月21日 00時43分20秒 | 日記
互郎を誘って、
山梨県立博物館へ木喰五行展を見に出かける。
日曜日の午後、
カングーを飛ばしてだ。
木喰五行上人は五十六歳で回国の旅に出て、
六十歳から九十三歳迄に一千体以上も仏像を刻んだ。
現残するのは六百余体。
今日、県立博物館に展示されていた仏像は、
百四十一体。
余りの多さに集中出来なかった。
やはり、仏像はお堂かお寺で拝みたい。