大内ダム畔にカングーを置いて、先ずは大内峠に登る。
峠の古戦場迄、半時間。
手前にある一里塚は両脇に二つの塚が現存する珍しい遺跡だ。
峠から高清水と氷玉峠を指す金属製の案内板が、逆向きになっていた。
高清水への道は伸び放題の笹薮で通れそうもない。
ダム迄戻って、県道を大内宿へ下る。
もちろん、カングーは残してだ。
宿場迄約2キロ。
今日の会津は快晴。
炎天下は32度ある。
木陰伝いにもくもくと歩く。
ダム湖の下に旧街道は消えたのだ。
おかげで倍のコースを歩かされる。
蕎麦道場の角を右に入ると突き当たりに六地蔵。
六地蔵と言っても一体の地蔵の頭の部分が六面体の地蔵様が彫ってあるのだ。
左に折れると大内宿。
右に折れて直ぐにまた右に進めば田圃の左に桜木姫の塚がある。
その先は巨大な擁壁。
立入禁止のダムの壁。
大内宿は、今日も賑やかだった。
目指す石原屋も二時半だというのに食事客が四組。
玄関に入ると、右手の下駄箱に短い靴箆。
乳白色のシンプルな靴篦は、ボクの家に置いて来た無印良品のと同じ箆だ。
よかった。
ボクが、今日、持参したのは同種同色の長いタイプの靴箆だ。
玄関で二度声を掛ける。
どうぞと!
正面奥の板場から、この屋の主の声がした。
近くに誰もいない。
靴を脱いで上がり框に上がると、
暖簾を揚げて板場を一人でこなす親父さんが顔を見せた。
あちらへどうぞ!
右手に広い大内宿には珍しい改築してまだ木の香も匂いそうな座敷がある。
丸顔の純朴そうなおばちゃんが、一人で座敷の客を捌いていた。
縁側の座卓に席を取る。
梅おろし蕎麦を頼む。
梅は紀州と品書きにあった。
冷水を三杯も呑んだ所に、女将さんがおろし蕎麦を運んで来た。
早速、持参した靴箆を差し出す。
「随分探しましたが、なかなか良いのが探せなくて。
これで我慢してくださいますか?」
女将さんはオドロイていた。
不思議そうな女将さんに、去年のイヴの顛末を話す。
「実は、去年のクリスマス・イブに、ここに来て、
おそばを食べて、
帰りに玄関で靴を履こうとして、靴篦を折ってしまったのです。
お嬢さんに話したら、『問題ない』と言われて、あっさり許して貰いました。
その場は、そのまま帰ったのですが?どうも、気になって。あれからデパートやアウトレットに出かけるたびに探したのですが、見つからなくて。やっと、先週、無印で見つけました。ただ、あまりにシンプルでお宅に合うかどうか心配だったのです。でも、玄関で同じ無印の短い方の靴篦を見て、ホッとしたところです」
「・・・・・・・?」
お嬢さんが内緒にしていたんだ。
玄関にある靴篦は、彼女が無印で買ったに違いない。
恐縮する女将さんに靴篦を渡すと、ボクは、長い間、提出そびれていた宿題を担当教授に受け取って貰ったようなホッとした気分になった。
さあ、梅おろし蕎麦を食べるぞ!
大根おろしは地の物だ。
刻み海苔もたっぷり載っている。
片側に貝割れ。
梅おろしと手打が実に相性がいい。
蕎麦の後に、蕎麦がき汁粉を食べた。
軒先の風鈴が、涼風に時折鳴って、
遠い少年の頃に戻ったような気分にしてくれる。
縁側のすぐ前は宿場の本通に続く路地で、
何処へも入らないで、
ぼんやりと座り込んでいる所在ない若い男女の姿が見える。
「君たち、こちらへ来て、ご一緒しませんか?」
と、声を掛けたくなる。
そんなことを言うと、客引きと間違えられるだろうか?
「余計なお節介だ」と言われるのが落ちか?
路地の向こう側に居る男女を見ながら汁粉を食べる。
汁粉の中の蕎麦がきは、
実にとろりとして歯触りが心地良い。
白玉や、餅とは違う上品な柔らかさだ。
食通の教授に、ぜひ勧めたい?
「石臼で碾いた蕎麦粉じゃないと、こんなに滑らかな歯触りにはならないのですよ」
座敷係の小母様が、説明してくれた。
女将さんが、ビニール袋に入った茹でた玉蜀黍を靴篦のお返しにくださった。
この玉蜀黍も、
帰りの車中で囓ったのだが、実に美味だった。
というより少年の頃によく食べた玉蜀黍と同じ味がした。
囓ると水が溢れるくらいジューシーだった。
午後3時半、石原屋を後にした。
イブの失敗を二度としないように、玄関の上がり框に座って、
靴ひもを解いてから靴を履いた。
そして、靴ひもを結べば靴篦を使う必要がない。
短い乳白色の靴篦に、ボクは触れないで去った。
帰り道に六面体の六地蔵にきちんと合掌して、
石原屋さんの田圃を先にある桜木姫の墳墓にもお参りして、
蕎麦道場の脇から県道を、汗を拭き拭き登った。
宿場からダム迄の坂は、すべて上り坂である。
石原屋でのんびりとした分、半時間の上り坂はつらかった。
ダムサイトの脇の県道で、
往きには休憩中だった擁壁工事が再開されていた。
玉蜀黍と地図を片手に、
ふうふう言いながら県道を登っている男に、
関心を示す通過車も、工事関係者も皆無だ。
氷玉峠の石畳をしばらく歩き。
石原屋の小母さんに勧められた宿に
電話を掛けようとしたが、
山の中は圏外だった。
そのまま直進して本郷町を抜けて会津若松駅に出た。
駅の先のホームセンターに駐車する。
午後5時丁度。
ナビで調べると午後9時過ぎには相模原に戻れると出た。