青鬼と歩こうよ

ひろすけ童話「泣いた赤鬼」の青鬼です。青鬼と歩きませんか?
生きる元気を、さしあげたいのです。

歩かなきゃ?

2007年09月17日 01時50分00秒 | 日記

昨日の夕方は、多摩ニュータウン南大沢周辺を歩く。
今日の夕方は、立川から青梅線に乗り換え御嶽渓谷を歩くことにする。
牛の散歩だ?
奥多摩なんて中学生以来だ。
この辺りの流れで、
甥の浩太がカヌーのインストラクターをしているはずだった。
相模原駅から八王子経由で一時間半。
意外に近い。電車賃片道750円也。
青梅から先は単線になる。
何となくローカル線の旅という気分だ。
澤乃井酒造のある沢井駅で降りる。
ガイドブックは”月1回旬の道を歩く”だ。
お勧めの旬は4月だから、
景色は期待しなかったが、ひどいものだった。
”御岳渓谷遊歩道”
”激走するカヌーの傍らに桜散る渓流沿いの遊歩道”
歩行距離5km!
残暑を避けた午後の散歩には丁度良いコース?
と思ったのだが。
澤乃井酒造、ままごとやを横目で見て、
ガイドブックの勧める楓橋を渡った。
先ず楓橋のたもとに”この先遊歩道全面通行止め”の標示!
吊り橋を渡った向こう岸の寒山寺の先も通行止め。
帰りに夕食をと思った”ままごとや”も”ラストオーダー3時半。
”岩峰に建つ寒山寺のお堂?”も生気がなかった?
お堂の裏手をカヌーを担いで登っている若者の後をついて
崖の上の吉野街道に出る。
名前は洒落てるが、
要するに奥多摩へ抜ける自動車ブンブンの県道だ。
100m弱のトンネルを抜けると玉堂美術館の入り口がある。
坂を下ればままごとやの妹店”いもうとや”。
右下に御岳小橋。
橋の辺りに観光客が数人?
橋の下の濁った流れにカヌーが二艘。
何度も反転して練習をしていた。
御岳小橋の対岸も、”危険につき立ち入り禁止”の標識?
ここから先も遊歩道は通行止めだ。
先日の台風9号の被害では無いらしい?
右岸の切り立った岸壁に吊られていた遊歩道も、
影も形も残っていなかった。
海外から来たらしい大勢の外人ハイカーに出会ったが、
何だか渓谷美を期待して来ただろう彼等に、
すまないような気がした。

御嶽駅の手前で、名物の刺身蒟蒻を買う。
まあ、景色を眺めに行ったのではなく。
夕方の散歩に行ったのだから、こんなものかな?
午後7時半には帰宅。
早速、お土産の刺身蒟蒻でビールを飲む。
蒟蒻芋は群馬県の契約農家から取り寄せているそうだが。
流石に奥多摩の名水で作った蒟蒻。
包丁で切ってもすぐにくっついてしまうくらいに
とろっとした柔らかさ。
実にビールに合う!
これは収穫だった。それに安価だ。

 

 

 

 

 

 


 


横浜の水

2007年09月14日 01時26分35秒 | 日記

新設保育園工事現場の崖下に
横浜水道の浄水場がある。
3年前に林の奥を覗いたときに、こんな凄い施設があるのを見つけて
一瞬だけどきっとした。
日曜日に駿河小山から三国峠を越えて、
山中湖畔に下りて道志村に出たが、
道志村は横浜市の水源地だ。
あの道志の山から津久井を抜けて、
こんな所で横浜への水が一休みしてたんだ。
新園の工事は杭打ちも完了して、
今は、幼児棟の捨てコン打ちも済んだところだ。
昨日は基礎の木枠を組み上げて、
今日辺りは生コン車がうなりを上げているだろう。
36年前に保育園の開設計画が出来て、
何故か、敷地造成までして中断した。
その36年前の保育園のために造った
下水用の汚水マスと、
雨水用のマンホールが見つかった。
その年、作の口にむくどり保育園が産声をあげた。
中断しないで着工してたら、それから3年後の
33年前に上中の原保育園が誕生してたことになる。
幻の保育園?
当時の団地に入居した若夫婦は、
そんな風にはなしたのだろう?
横浜水道の水は、今の作の口小学校の西南の崖を流れている。
むくどり保育園の開園した頃、
「だから、作の口の井戸は干魃でも水は涸れることはないんだ」
保育園の裏山に横浜水道の土管が通ってるなんて、
凄いな!と、その時思ったものだ。
やっぱり、あの話は本当だったんだ。
今では林も茂みで覆われて横浜水道一休みの場所も、
覗くことも出来なくなった。
作の口小学校も当時は雑木林だったけど、
今ではすっかり整地されて、水の道があるなんて、
多分、校長先生も知らないだろう?
当時の水道管の上に生えていたクヌギのドングリが
大木になって、むくどり保育園の中庭に木陰を作っている。
あの木も横浜水道の古い土管からしみ出した水のお陰で
大きくなったんだろう。
「幻の保育園。早く建つといいね」
その話をしたら、誰かが、ボクを見上げてぽつんと言った。
「幻じゃないと。建つよ。今度こそね。
横浜水道だって、もう百年近くも流れてるんだものね。
36年なんて、そんな昔じゃないさ」

 





 


早太郎

2007年09月11日 00時00分00秒 | 日記


言うまいぞ。言うまいぞ。
信州信濃の光前寺。
早太郎には言うまいぞ。
てん、てん、てんつくてん!
てん、てん、つくつ。
てん、つく、てん!
てん、てん、てん、つく、てん!
てん、つく、てんつく、てんつく、てん!

 今から六百年も前の話だ。
静岡県磐田市見付の天神様の森に正体のわからない妖怪が住んでいて、毎年8月の初めになると、女の子のいる家の屋根にどこからともなく白羽の矢が飛んできて刺さったそうな。矢を立てられた家では、泣く泣く大事な娘を人身御供として差し出すしかなかった。
もし、人身御供を差し出さなければ、
見附の町中が干魃や洪水に襲われ作物が出来なくなったのだ。
人身御供とは、そう言う話に決まっていた。
8月10日の真夜中、
人身御供になった娘は白木の柩(ひつぎ)に入れられて、
見付天神の社の前に置き去りにされ、
妖怪に食い殺されてしまったというんだ。
 その夜に最初に登場して三匹の猿が、
社の前で踊って歌うのが、この囃子詞だ。
これを聞いた旅の僧(天満宮の神主とも)が、
信州信濃の光前寺を訪ねて、
妖怪が怖れている”早太郎”を探し出して見附まで連れて来る。
もちろん、最後は早太郎が妖怪、
実は狒々の怪物をかみ殺して見附の町の危機を救う。
ただ、流石の名犬早太郎も、深傷を負い。
駒ヶ根の光前寺に戻ったところで息が絶える。
もう、十年以上前のことだと思う。
保育園の職員旅行で駒ヶ岳周辺に行ったことがある。
その時、早太郎の生まれ育った光前寺を訪ねた。
早太郎の話は、まだ浅草に住んでいた学生の頃に、
浅草の緑陰子供会で、
浅草石浜町相林寺住職、中野隆雄先生の話を聞いたのは、
これが、最初で最後だった。
多分、この囃子詞は中野先生の脚色だろう。
中野先生のお仲間の口演童話には、
必ず反復繰り返し、
幼児の好む一種独特のリズムが挿入されているのが特徴だった。
一度聞いた話を、よくも覚えたものだと思う。
ちょうどお話しを聞いた子どもたちが、
口演童話特有の囃子詞を一度で覚えるのと同じだ。
数十年前のボクは、正真正銘、まだ少年だったということか?
「すごいや。流石、プロだ!」
早太郎の話を聞いた時の感動を、今でも覚えている。
もちろん、中野先生の話術を一度聞いただけで
学生のボクに再現出来るわけがない。
それでも、時々、ネタ切れになると思い出しながら話した。
同じ浅草の童話人、関口真魚先生の”童話随想”を送って頂いて、
枕元に置いてあったからからかもしれない。
昨夜、ケンちゃんの首を修理した。
そして、今日は誕生会の当日だ。
月に一度の口演童話だ。
まして、腹話術人形で口演童話?
聞かせられるネタじゃなければ、とても持たない。
「そうだ、早太郎を話そう」
今朝は、目覚めてすぐにパソコンに向かって”早太郎”を
検索した。
「あった!」
そう言えば、六年前に東海道五十三次踏破の折に、
磐田市見付の天満宮で早太郎の石像も見た。
磐田では、”しっぺい(悉平)太郎”と呼ばれてた。
駒ヶ根市と磐田市は、
早太郎伝説の縁で姉妹都市になっていた。
言うまいぞ。言うまいぞ。
信州信濃の光前寺。
早太郎には言うまいぞ。
てん、てん、てんつくてん!
てん、てん、つくつ。
てん、つく、てん!
てん、てん、てん、つく、てん!
てん、つく、てんつく、てんつく、てん!



 


三国峠・天国と地獄・生きる

2007年09月09日 00時00分00秒 | 街道歩き(東海道)

会津西街道を踏破してから、
何だか、ボケッとしてしまった。
昨夜の土曜日は、
三船敏郎、仲代達矢、香川京子が演じた映画ではなく、
佐藤浩市、阿部寛、鈴木京香のリメイク版
”天国と地獄”を観た。
今夜の日曜日は松本幸四郎とフカきょんの”生きる”を観た。
志村喬がブランコで歌った
”ゴンドラの歌”は、ボクの好きな歌の一つだ。
そろそろ、あの歌が似合う年齢になったのかも?
松本幸四郎も好きな役者だが、
志村喬のブランコのイメージが脳裏に浮かんで、
ラストシーンはブランコではなかったかと、
気になったのは何故だろう?
今日は、牛の散歩に駿河小山から山中湖畔平野への道を、
カングーを転がして、
三国峠(神奈川・山梨・静岡)まで出かけた。
峠に車を置いて、
鉄砲木の頭(明神山)迄登って、
山中湖と富士山を観ようかと思ったのだ。
行けたら逆に三国山から明神峠を越えて、
アザミ平でフジアザミの群落を観るつもりだった。
残念ながら、牛の散歩は思うようにはかどらない。
先ずはランチを登山の前に食べなければ?
御殿場インターを出たところで、
箱根へ向かってハイランドホテルでランチのつもりだったが、
”時の栖”の看板を見て、
牛の希望で地ビールランチに変わった。
地ビールを飲んだ牛が山道を歩くわけがない。
鉄砲木の頭のすぐ下まで来たところで、
三国山から雲が下りてきて、
不気味な霧がススキの草原を隠した。
「牛が一緒じゃ戻るべきだね?」
「そうね。少しのんびりしすぎたし?」
登山の鉄則は”撤収はためらうことなかれ”だ。
それに、雲に巻かれて富士山が見えるわけがない。
”日曜日のドライブは四時前に帰路に付くこと!”
これも、ドライブ旅行の鉄則だ。
平野の石割の湯も横目で見て、
道の駅”道志”迄ノンストップで下った。
それで、夜は”生きる”だ。
天国と地獄のラストシーンで、
佐藤浩市が、鈴木京香にぴったりの
ハイヒールを造った”手に職”の明るさ?
生きるのブランコで、松本幸四郎がいかにも楽しそうに
ゴンドラの歌を歌ったというラサール巡査の話。
今になって想い出すと、喫茶店で歌った聞くに堪えない
歌との違いを、うっかり見過ごすところだった。
志村喬のゴンドラの歌を、今でも脳裏に残るということは、
きっと黒沢監督のすごさだったんだなと思う。
「火曜日に誕生会があります。
けんちゃんと一緒にきてくれませんか?」
と恵美子先生からメールが来てた。
「ケンちゃんのもげた首を修理できたらいいのですが?
明日頑張ってみます」
二つの映画・ドラマに貰った元気を明日は、
ケンちゃんの首修理に注いでみようと思う。
霧で撤収した三国峠には、
今度は電車とバスで再挑戦してみよう。
まだまだしたいことは沢山あるからね?


 


脇本陣石原屋

2007年09月04日 00時00分00秒 | 街道歩き(会津西街道)
大内ダム畔にカングーを置いて、先ずは大内峠に登る。
峠の古戦場迄、半時間。
手前にある一里塚は両脇に二つの塚が現存する珍しい遺跡だ。
峠から高清水と氷玉峠を指す金属製の案内板が、逆向きになっていた。
高清水への道は伸び放題の笹薮で通れそうもない。
ダム迄戻って、県道を大内宿へ下る。
もちろん、カングーは残してだ。
宿場迄約2キロ。
今日の会津は快晴。
炎天下は32度ある。
木陰伝いにもくもくと歩く。
ダム湖の下に旧街道は消えたのだ。
おかげで倍のコースを歩かされる。
蕎麦道場の角を右に入ると突き当たりに六地蔵。
六地蔵と言っても一体の地蔵の頭の部分が六面体の地蔵様が彫ってあるのだ。
左に折れると大内宿。
右に折れて直ぐにまた右に進めば田圃の左に桜木姫の塚がある。
その先は巨大な擁壁。
立入禁止のダムの壁。
大内宿は、今日も賑やかだった。
目指す石原屋も二時半だというのに食事客が四組。
玄関に入ると、右手の下駄箱に短い靴箆。
乳白色のシンプルな靴篦は、ボクの家に置いて来た無印良品のと同じ箆だ。
よかった。
ボクが、今日、持参したのは同種同色の長いタイプの靴箆だ。
玄関で二度声を掛ける。
どうぞと!
正面奥の板場から、この屋の主の声がした。
近くに誰もいない。
靴を脱いで上がり框に上がると、
暖簾を揚げて板場を一人でこなす親父さんが顔を見せた。
あちらへどうぞ!
右手に広い大内宿には珍しい改築してまだ木の香も匂いそうな座敷がある。
丸顔の純朴そうなおばちゃんが、一人で座敷の客を捌いていた。
縁側の座卓に席を取る。
梅おろし蕎麦を頼む。
梅は紀州と品書きにあった。
冷水を三杯も呑んだ所に、女将さんがおろし蕎麦を運んで来た。
早速、持参した靴箆を差し出す。
「随分探しましたが、なかなか良いのが探せなくて。
これで我慢してくださいますか?」
女将さんはオドロイていた。
不思議そうな女将さんに、去年のイヴの顛末を話す。
「実は、去年のクリスマス・イブに、ここに来て、
おそばを食べて、
帰りに玄関で靴を履こうとして、靴篦を折ってしまったのです。
お嬢さんに話したら、『問題ない』と言われて、あっさり許して貰いました。
その場は、そのまま帰ったのですが?どうも、気になって。あれからデパートやアウトレットに出かけるたびに探したのですが、見つからなくて。やっと、先週、無印で見つけました。ただ、あまりにシンプルでお宅に合うかどうか心配だったのです。でも、玄関で同じ無印の短い方の靴篦を見て、ホッとしたところです」
「・・・・・・・?」
お嬢さんが内緒にしていたんだ。
玄関にある靴篦は、彼女が無印で買ったに違いない。
恐縮する女将さんに靴篦を渡すと、ボクは、長い間、提出そびれていた宿題を担当教授に受け取って貰ったようなホッとした気分になった。
さあ、梅おろし蕎麦を食べるぞ!
大根おろしは地の物だ。
刻み海苔もたっぷり載っている。
片側に貝割れ。
梅おろしと手打が実に相性がいい。
蕎麦の後に、蕎麦がき汁粉を食べた。
軒先の風鈴が、涼風に時折鳴って、
遠い少年の頃に戻ったような気分にしてくれる。
縁側のすぐ前は宿場の本通に続く路地で、
何処へも入らないで、
ぼんやりと座り込んでいる所在ない若い男女の姿が見える。
「君たち、こちらへ来て、ご一緒しませんか?」
と、声を掛けたくなる。
そんなことを言うと、客引きと間違えられるだろうか?
「余計なお節介だ」と言われるのが落ちか?
路地の向こう側に居る男女を見ながら汁粉を食べる。
汁粉の中の蕎麦がきは、
実にとろりとして歯触りが心地良い。
白玉や、餅とは違う上品な柔らかさだ。
食通の教授に、ぜひ勧めたい?
「石臼で碾いた蕎麦粉じゃないと、こんなに滑らかな歯触りにはならないのですよ」
座敷係の小母様が、説明してくれた。
女将さんが、ビニール袋に入った茹でた玉蜀黍を靴篦のお返しにくださった。
この玉蜀黍も、
帰りの車中で囓ったのだが、実に美味だった。
というより少年の頃によく食べた玉蜀黍と同じ味がした。
囓ると水が溢れるくらいジューシーだった。
午後3時半、石原屋を後にした。
イブの失敗を二度としないように、玄関の上がり框に座って、
靴ひもを解いてから靴を履いた。
そして、靴ひもを結べば靴篦を使う必要がない。
短い乳白色の靴篦に、ボクは触れないで去った。
帰り道に六面体の六地蔵にきちんと合掌して、
石原屋さんの田圃を先にある桜木姫の墳墓にもお参りして、
蕎麦道場の脇から県道を、汗を拭き拭き登った。
宿場からダム迄の坂は、すべて上り坂である。
石原屋でのんびりとした分、半時間の上り坂はつらかった。
ダムサイトの脇の県道で、
往きには休憩中だった擁壁工事が再開されていた。
玉蜀黍と地図を片手に、
ふうふう言いながら県道を登っている男に、
関心を示す通過車も、工事関係者も皆無だ。
氷玉峠の石畳をしばらく歩き。
石原屋の小母さんに勧められた宿に
電話を掛けようとしたが、
山の中は圏外だった。
そのまま直進して本郷町を抜けて会津若松駅に出た。
駅の先のホームセンターに駐車する。
午後5時丁度。
ナビで調べると午後9時過ぎには相模原に戻れると出た。