過ぎゆく時の中で・・・

自分を見つめ、一歩前に進みたくて始めたブログです。

仲良し姉妹

2013年10月18日 | 家族のこと

またまた前記の次の日の出来事でございます

 

10月13日・・・

早朝より車を飛ばし 高速の飯田山本ICで降り

一般道も 山の中を・・・ひたすら走り約3時間半。

愛知県豊橋から長野県上伊那郡辰野までを結ぶ飯田線の駅、

「中部天竜駅」で名古屋の儀姉と 豊田の儀妹を待ちました。

ここには佐久間レールパークという

列車を展示してある施設があるとの事。

予定より30分早く付いたので 楽しみに駅に行ったら

もう4年も前に閉館になっていました

 

待つ間、喫茶店もないし お店も無いし

駅には 売店もないし・・・何もする事がない(笑)

ひまつぶしに 散策したらニャンコと遭遇。

背中にハーネスが付いていたから

リードで お散歩でもするニャンかしら(笑)

「おいで」って言ったら 近づいてくれて 

ハイ、チーズ・・・ちゃんとカメラ目線。

 

駅員さんに 列車を撮りたいと言ったら 

自由に改札を出入りしても良いと言われ・・・暇つぶし。

飯田線は 本数が少なくて 急行ワイドビューは上下 1本ずつ。

ワイドビューで 儀姉達が到着。

 

 

お見舞い先の 施設に着くと 何やら音楽に合わせて

軽い体操をしていた・・・・曲は 「ズンドコ節」

「故郷」 が流れた時 何だか胸に染みた。

ここで儀姉は暮らし スタッフさんの介添えで

やっと生活が出来ている。

もう誰も分からなくなった 儀姉には 笑顔が無かった。

でも、一瞬 涙が滲んでいた・・・分かったのかな。

足首に触ったら 冷たく冷え切っていた。

名古屋の儀姉は 手を握り 豊田の儀妹は 顔を近づけ声を掛ける。

私は 黙って 冷たい足をずっと さすっていた。

 

長女だった儀姉は 家の事を全部やっていたそうだ。

大人しく我慢強く 儀母と一番似ている義姉が

儀母と 同じ認知症になるなんて・・・悲し過ぎる。

 

 

丁度、昼食の時間になってしまい

スタッフさんに あまり迷惑を掛けてはと

帰る事にしたけど・・・儀姉は 

名古屋の儀姉の手を力いっぱい握り 離さなかった。

主人も私達も みんな切なかったけど 後ろ髪を引かれる想いで

施設を後にした・・・「また来るね」 の 言葉を残して。

 

 

交通の便が悪いので 名古屋まで 儀姉達を送る事に・・・

田舎で食堂も見当たらなく 名古屋に向かう途中で遅い昼食を取る。

儀妹家族が 時々立ち寄るという お店に行く事にしましたが

儀妹が びっくりするような お店だけど 笑わないでねって(笑)

小さな村の 古い食堂で 室内は 醤油色・・・といったら

何となくイメージが湧くでしょうか(笑)

儀妹が勧めてくれた 五平餅セット。

五平餅と うどんが セットになっていて

味は 見た目より 遥かに美味しかったけど

食べきれなくて1本は主人に。

 

名古屋に着くまでは お利口さんのナビちゃん任せ。

田舎者が都会を走るって ドキドキの連続です(笑)

約3時間走り 無事に名古屋に到着。

 

その夜に・・・思いがけないサプライズが !!

主人も ワクワク・・・私も 久々に 血が騒ぎました(笑)

次回をお楽しみに・・・

 

もう少し コメントを閉じたままで・・・

 

 

 

 

 


消えぬ想い

2013年10月12日 | 家族のこと

前記の食事会の次の日・・・10月6日 日曜日。

妹の家族と 長野に行って来ました。

 

この日は 真夏の様な青空でした。 

 

行きついた先は 善光寺を見降ろす高台・・・妹のお墓です。

善光寺から 見上げると ビルマ戦没者慰霊塔がある すぐ近くです。

善光寺に行く機会があったら 山の方を見上げて見て下さいませ。

 

お墓参りを済ませ ちょっと足を延ばそうと

昨年に行った 戸隠の鏡池まで行こうと思ったら

1本道を間違えて・・・とんでもない所まで(笑)

姪のスマホで見たら どんどん離れて行くって・・・

ナビもあてにならない場合も・・・大笑いで済みましたけどね。

 

駐車場の脇に 1本だけ紅葉している木を

笑っちゃうけど 皆が写真撮ってました(笑)

 

鏡池・・・昨年は鏡になっていなかったけど

今回は 見事に鏡のように景色を映していました。

 

 

今日のニュースで 紅葉が始まったようです・・・ちと早すぎて残念 !!

 

食事は 戸隠と言ったら やっぱり お蕎麦でしょうか。

鏡池に行くまでに 沢山のお蕎麦屋さんが並んでいます。

適当に入った 「たんぼ」というお店ですが

自由に好きな おやきを何個でもサービスしてくれるようです。

 

主人が適当に持って来てくれて 私のおやきは

カボチャを上手に煮てあって とても美味しかったです。

 

キュウリとキャベツとミョウガの浅漬けも サービスで

とっても美味しく頂きました。

ちょっと涼しかったので 温かい とろろ蕎麦・・・いつもとろろ(笑)

儀弟と 姪は ざる 主人は 天ざる。

お天ぷらを 四人で頂きました(笑)

 

 

妹の家族は 妹が20年以上の闘病生活が続いたので

家族でドライブする事も 旅行に行く事もありませんでした。

だから、こんな ちょっとのドライブでも

凄く喜んでくれました。

 

松本の 妹の家族の住む家まで 送った時

豆柴犬の チョコが 待ちきれなくて 玄関に出て来ました。

いつも儀弟が言うのですが

「不思議なんだよね~ 他の人が来ると

凄く吠えるのに 全く吠えない・・・分かっているのかな」って。

私達が帰ろうとした時、帰るのが淋しかったらしく

「まだ帰らないで」って 目で必死に訴えるように悲しい顔をして

何度も  何度も 吠えるのです。

「まだ 帰らないで・・・」って

何だか妹とダブってしまいました。

 

 

入退院を繰り返している頃、 病院にお見舞いに行き

1時間もしない内に 

「電車の時間があるから 帰るね」と言う私に

妹は「もう帰っちゃうの ? 」・・・

妹は次に言いたい言葉を飲み込んだ。

当時、自営の仕事も忙しく 帰宅したら仕事も待っていて

長い時間を妹と過ごす事が出来なかった。

病室を出る時に 妹の視線を背中で感じながらも

妹の気持ちを 振り払うように 

そそくさと速足で 病院を後にした。

 

妹が 飲みこんだ言葉は きっと・・・

「まだ帰らないで・・・私を一人にしないで」

今でも時々思い出す言葉・・・帰らないで !!

 

車椅子になった妹の為に 家を建て直してもらい

バリアフリーの快適な家で 妹は最後の一年を過ごす事が出来ました。

高速を運転するが出来なかった私ですが

度胸を決めて 高速デビュー(笑)

食材を持って行き 新しい家で

お料理を作ったりしました。

 

不思議な事に あれほど入退院を繰り返していたのに

その家で過ごすようになってから 亡くなるまでの一年間は 

一度も入院しなかったんですよね。

 

居心地の良い場所で 思い切り家族に甘え

最後の時を過ごす事が出来たと思います。

 

今、妹には 初孫ができて 8月には お食い初めをしたようです。

来年は 孫の ゆうちゃんが お墓参りに行かれるかも。

今頃、首を長くして待っているだろうな。

 

10月は 色々と 行事が立て込んでいまして

ボツネタにしたくないので 頻繁に 更新するかもしれません(笑)

なので 暫く コメント欄を閉じさせて頂きます。

因みに・・・明日は 名古屋の儀姉達と待ち合わせて

静岡の 儀姉のお見舞いに行きます。

その足で 名古屋の儀姉達を 送りながら泊めてもらう事になりそうです。

 

いつも お世話になっていながら 勝手な私で申し訳ありません。

皆さんも、三連休を 楽しくお過ごし下さいね~。


ハッピースマイル

2013年08月30日 | 家族のこと

8月24日に 私の妹の家族がやって来ました。

妹は この世にはいませんが

居るかも・・・家族の身近に。

 

妹にとって初めての孫が4月に生まれ

我が家へ連れて来てくれる事になりました。

後になって考えたら 8月24日は妹の お誕生日・・・

 

居るかも・・・と いったのは

この日に来る事になったのは 妹家族の都合ですが

天国から妹が指示したかも・・・と、思ってしまった。

いつも そうだったから(笑)

 

前日から お料理を作り アタフタしておりました。

今年の5月に行った赤沢美林で買った木曽ヒノキの 寿司桶を初降ろし。

ちらし寿司を作り、寒天、唐揚げ 肉じゃがと・・・

妹が よく作っていたような 在り来たりのモノ(笑)

      ↑ 妹から教えてもらった 餃子の皮を揚げたお料理。

「ねぇ、これ 覚えてる ? 」と言って出したら

妹の旦那さんと二人の姪が 「あ~よく出て来たよね、覚えてる~」と

声を揃えて懐かしがってくれました。

 

全員で笑顔が絶えない楽しい一時。

 

主役の赤ちゃん・・・ゆうちゃんの お手手。

柔らかくて真っ白で 汚れの無い 澄んだ瞳。

可愛過ぎて堪らない(笑)

 

赤ちゃんって 家族の中心なんですね。

パパもママも、若いおばちゃんも おじいちゃんも

そして ・・・私達夫婦も

ゆうちゃんの笑顔に メロメロでした。

 

見苦しい私の部分はカットしようと思いましたが

抱っこが出来て 嬉しくてアップしちゃいました。

亡き妹の分まで しっかり抱っこしました。

 

私達に見せてくれた最高の笑顔。

この笑顔が 妹家族の宝物・・・

次に会える時には もう歩いているかもね。

 

輝かしい未来ばかりではないけれど

どうか健康で明るく 素直に育ちますように・・・と

心の底から願う ベルばあちゃんでございます。

 

 

 


輝ける未来に・・・

2013年04月26日 | 家族のこと

風薫る頃・・・8年前の5月22日に亡くなった妹が

あの世にいながらにして おばあちゃんになりました。

 

4月22日の夜8時過ぎに

妹の娘・・・長女のミキから 嬉しそうなメールが届きました。

「今、産まれたそうです・・・後で写メが来たら送りますね」

暫くして 

妹の旦那様から電話があり

見えなくても 電話の向こうで 笑顔で居る事が分かるような

嬉しそうな声で 「今、産んだ直後に 本人から電話があって驚いたよ」

 

生まれて初めて おばさんになったミキは

「呼ばせ方を考えなくっちゃ」って・・・(笑)

生まれて初めて おじいちゃんになった儀弟は

「明日、東京に 用事があるから ついでに顔を見て来ます」って・・・(笑)

用事って ? ついでって ? ・・・照れ隠しの言葉でしょ ?  (笑)

 

友達に話をしたら

「妹さん、見たかったでしょうね」って・・・

ふいを突かれた言葉に 思わず涙ぐんでしまいました。

顔を見て話すと 一気に涙が溢れて来そうで

見られないように 涙を拭いて

「妹が生きていたら きっと 口うるさい事を言って

世話を焼いているでしょうね」って

笑いながら言葉を返しました。

 

映画「ゴースト」のように

愛おしい人に触れる事が出来たならば

きっと妹は 生まれたばかりの赤ちゃんを

もう、とっくに抱っこしているかも・・・

そんな風に思ったら 

布団に入ってから涙が溢れ出し

切なさと 嬉しさとで 泣けて仕方ありませんでした。

 

桜 咲く頃に生まれた 元気な男の子・・・

まだ名前も聞いてきませんが 見てやって下さい。

写真に目隠しをしてないけど・・・ いいですよね。

 

結婚三年目にして やっとできた

生まれたばかりの 赤ちゃんです。

 

昨年の秋に 報告を受け 

みんなが ずっとずっと待ち望んでいた 私達の宝物です。

 

この子のママ・・・妹の娘、次女のヒロミは

東京の学校に行く頃に 母親が入退院を繰り返していたので

殆ど親の力も借りずに生活していました。

大学を卒業して アパートを引っ越す時も

吹奏楽部の後輩達に 全部手伝ってもらい

親に面倒を掛けることなく すべての事を済ませました。

しっかり者というか・・・

ちゃっかり者と言うか・・・

いつの間にか 自立心の強い子に育っていました。

 

小さな頃は 甘えん坊だったあの子が・・・

今、母親になりました。

 

 

 

輝かしい君へ・・・

 

家族一人一人の愛情を 一心に受け

この世に生を受けた 君の人生は

きっと輝かしい未来だと思います。

 

もしも荒波に揉まれたとしても 

凜として 前を向いて歩いて行ける筈。

 

だって ママが そうして生きて来たから・・・

パパも愛情豊かな素敵な人だから・・・

おじいちゃんも おばさんも 色々な想いを乗り越えて

頑張って生きて来た人達だから・・・

 

そして・・・天国に居る おばあちゃんが

君の事を 必死で守ってくれるから・・・

君の人生は 輝ける道へと繋がっています。

 

君に会えるのは まだ先だけど

いつか君に会える日を 楽しみに待っています。

 

 

 

 

私には子供がなく 血縁が途絶えてしまうかと思っていました。

私と同じ血を引いた 子孫で この世に繋がって行く事が

嬉しくて 嬉しくて・・・本当に嬉しくて

ふとした時に すぐに涙がじわじわと

何だか涙もろい日々を過ごしています。

 

これって やっぱ年を取った証拠でしょうか。

そう、年だよね~やっぱり・・・(笑)

だって 私は おばあちゃん代理だもんね。

 

 

 


思い出した父の事

2013年02月23日 | 家族のこと

2月23日は 父の命日。

もう 父が亡くなって38年になります。

 

2月は寒さの為か命日が多くて

母が8日、義母が14日、叔母が16日 儀姉が19日

そして父が23日。

それぞれの命日の朝、お香を焚く事にしています。

 

家の中が お線香臭くなるので 普通の お線香は苦手だったのですが

色々な お香と出会って 香の香りが大好きになりました。

 

年の初めに ブロ友のYUKIさんから頂いた

片岡鶴太郎さんの お香が 今の一番のお気に入りになっています。

鶴太郎さんが絵を書く時に この お香を焚くそうで

白檀の香りとも違い 甘く優しい香が何とも言えず 心が落ち着きます。

香皿の椿も鶴太郎さんの絵だそうです。

YUKIさん、ありがとうございました。

 

思い出した父の事・・・

私の父は とても器用な人でした。

障子貼りも 凄く上手で 襖はもちろんの事・・・

壁紙まで器用に貼ってしまう人でした。

そうそう・・・電気コロンなんて無かったけれど

自分でニクロム線を買って来て

レンガのような物を渦巻き状に彫って 

電気コロンまでも作っちゃいました。

 

お蕎麦も うどんも 手捌きは中々のモノ・・・

一番感動した事は 

パンの生地を スケッパーで 次から次へと カットして

計りに乗せると 殆どが同じ量でした。

その生地を 左右、それぞれの手の平で

同時に クルクルっと丸めて 天板に乗せて行くのです。

 

それから・・・

クリスマスケーキのデコレーションは最高でした !!

見る見る内に ピンクや白のバラの花が咲くのです。

子供の頃から そんな器用な父を見るのが大好きでした。

 

私と言えば 器用の前に「不」が付くのです(爆笑)

やってみる前に 自信が無いから 手が出ない。

器用な人が羨ましいと思えば思う程

自分が情けなくて恥ずかしくなるのです。

 

それでも 私は父の子・・・

「不」が付いても それはそれで 私なのです。

 

ふと・・・父に会いたくなっちゃいました。

今は どんな暮らしをしているのでしょうか ?

お父さん、お元気ですか ?

私は 元気で幸せに暮らしています。

 

61歳じゃ、早すぎましたよ。

だって教えてもらいたい事が

まだまだ 山のようにあるんだもの。

いつか・・・再会した時には 器用な私に導いてくだされ !!