チアノダ←RUI
==========================================
*
* 私は私を愛せないまま
* いつでも次のページを捲るから
* またひとつ季節を見落とす
* その途中に貴方がいた
*
* 呪文を唱えれば何かになれる
* 簡単なことはたくさんある
* 「そうだね」と小さく笑う
* その頬に誰が触れたの
*
* I'm Kissing you and kiss me baby
* magical man
* ひとのように振舞えなくて泣いてた
* I found you and you found me too in
* magical world
* 真っすぐに想うことはなぜ寂しいの
*
*
* 私は私を許せないまま
* シグナルを無視して生きてゆくけど
* この腕を掴んで放さない
* 貴方の手が大きかったり
*
* I kissing you and kiss me baby
* magical man
* 温かさには敵わなくて泣いてた
* I found you and you found me too in
* magical world
* 涙だけが雨のようになぜ溢れるの
*
―――ザァァ……
(のだめ、何でここにいるんデショ…?)
午後になって降り始めた大雨のせいで、ほとんど人影のない通りをゆらゆらと進む。
なぜか傘もさしておらず、なぜこうなったのかを思い出そうにも脳内に靄でもかかっているかのようにぼうっとして答えが出ない。
五月といえど、まだまだ気温は低い。
冷たい雫が絶え間なく頭上から降り注ぎ、髪、顔そして顎を伝い、下へと落ちていく。
最大限に水気を吸い込んだ衣服は、ベッタリと肌にまとわりついてのだめの体温を奪っていった。
けれど、それすらもどうでも良かった。
ふらふらと彷徨い続けるうちに、馴染みの噴水のある広場に出た。
普段なら爽やかさをもたらしてくれる噴水も今は、雨なのか何なのかの区別のつかない水をどぼどぼと流しているだけで、重苦しいねずみ色の風景に一層の重々しさを加えている。
そんな様をただぼんやりと眺めていた。
―――ここはイヤ。
他のトコに行かなきゃ。
でも、
どこに……?
噴水を眺めていると、なんだか落ち着かない気分になった。
上手く機能しないのだめの脳が、噴水によって何かを思い出そうとしているようだった。
しかし、それはのだめを酷く不愉快にした。
未だ掴みきれない答えから心は逃げようとするのに、体はその場から動こうとはしない。
ねずみ色の世界は、嫌がるのだめの心を力ずくでこじ開け始めた。
「もう、良いデス!!!真一くんなんか嫌いデスッ!!!」
派手なけんかの末に、そんな罵声を投げ捨てて千秋の部屋を飛び出したのはもう何週間も前のことだった。
どんな理由だったのかは、忘れた。
とても些細なことだったような気もする。
けれど、そのけんかは今までに類を見ないほど激しいもので、こんなに長く仲直りができていないのも初めてだった。
本当は、あの後すぐにでも謝りたかった。
謝って、許してもらって、のだめも許して、そうしてまた千秋の腕の中に戻りたかった。
しかし、漸く決心して訪ねた千秋の部屋は留守だった。
数週間の演奏旅行に旅立った後だったのだ。
それからしばらく、千秋からの連絡はなく、こちらからするのもためらわれてヤキモキして過ごした。
数日前になって漸く、ひどく無愛想な文面で数日中に帰ることが知らされた。
そのあまりの無愛想さに、少し慄いたものの勇気を振り絞って今日のディナーを共にする約束を取り付けた。
そして今日。
のだめが待ち合わせ場所である噴水広場に到着したとき、約束の時間はとうに過ぎていた。
昨夜、あまりの緊張でなかなか寝付けず、今朝起きたら待ち合わせの時間になる数分前だった。
それから大急ぎで家を飛び出して、待ち合わせ場所である噴水広場まで必死で走った。
休日の噴水広場には人が溢れていた。
人ごみの間を器用にすり抜けながら、目的の人物を探す。
「あ、発見デス!」
漸く見つけた千秋のほうに、さらに近づこうと一歩を踏み出したところで、のだめの歩みはぱたりと止まった。
噴水の周囲に沿って、十数メートル先に立つ千秋は一人ではなかった。
「………RUI?」
千秋の傍には、RUIが居た。
二人はのだめに気付く様子もなく親しげに話している。
だからと言って、のだめが躊躇する必要はない。
いつものように、飛び切りの笑顔で千秋に飛びつき、RUIに挨拶をすれば良いはずだ。
しかし、それができない。
のだめは、RUIが苦手だった。
嫌いなわけではない。
RUIは明るくて人懐っこい。
のだめに対しても、親しみやすい態度で接してくれる。
それなのに、なぜか苦手だった。
特に、千秋の近くに居るときは。
RUIが傍に居ると、千秋がとても遠い存在に思えてくる。
もう、ただの先輩後輩ではないし、最も深いところで愛される喜びも知っている。
それを教えてくれたのは誰でもない千秋で、そんな関係は今も続いている。
千秋の傍は自分の居場所であるはずなのに、そこにRUIが立つとそっちの方がよほど自然なのではないかという感じがして、自分なんかが割り込んではいけないのだという変な感情に苛まれる。
今日も例に漏れず早くものだめの胸中は複雑に入り乱れていたが、こうしていても埒が明かない、と二人のほうに歩を進めようと足を踏み出した。
「……ぇ…?」
しかし、それは失敗に終わった。
新たな視覚情報が、のだめの全細胞を凍りつかせたからだ。
それは、一瞬の出来事だった。
それまで千秋と楽しげに言葉を交わしていたRUIの手が、千秋の頬に添えられる。
そして、RUIは少し伸びをするようにつま先だち、そのまま千秋の頬に口付けた。
千秋は一瞬唖然としたように固まったが、RUIに何事かを言われると恥ずかしそうに顔をしかめた。
のだめが思い出せたのはそこまでだった。
一気に音と感触が戻ってくる。
のだめを取り囲む殆どは先ほどのままだった。
世界も未だ、灰色なままだった。
ただ、のだめの心は感情を思い出したように疼きだして、雨に打たれる体の疲労を色濃く感じさせた。
雨に濡れて、指先の感覚もなくなるほど体は冷え切っているのに、心臓が脈打つたびにずきんずきんという熱を孕んだ鈍い痛みが体内に響く。
ふいに視界がぐにゃりとゆがんだ。
全身からフッと力が抜ける。
急激に襲ってきた睡魔に身を委ねながら、遠くで誰かの声を聞いた……気がした。
* * * * *
少しぬるくなった手拭いを氷水で漱ぎ、固く絞ってから再びのだめの額に乗せてやる。
もう何度もこの作業を繰り返しているにも関わらず、のだめの表情は一向に和らがない。
土砂降りの中、噴水の前に佇むのだめの背中を見つけ、声を掛けた瞬間にその体が頽れたときには心底胆の冷える思いがした。
駆け寄って抱き起こしたのだめの体はひどく熱く、息も荒かった。
びしょ濡れの体を、自分が濡れるのも構わず抱き上げ、自室に連れ帰ったのはもう数時間も前の話だ。
それからずっと、付きっ切りの看病を続けている。
その傍ら、のだめがこうなった理由を考えていた。
―――雨の中、びしょ濡れで町を彷徨うという異常行動。
のだめは平素から一般常識の枠を大きく飛び出した部分があるが、これは変だ。
今日、彼女にそれほどの衝撃を与えた何らかの事件があったのだろうか。
しかし、抱き上げたのだめの体は記憶にあるソレよりも大分軽かった。
そうなると、のだめがおかしくなったのは何日も前だと考えるほうが妥当だろう。
そうなると…。
千秋に思い当たる理由となりそうな事柄は一つだけだった。
「けんか……か…?」
なにが原因で始まったものだったかは忘れた。
しかし、あの時はどちらもひどく感情的になってしまい、かつてないほど攻撃的になってしまっていた。
のだめが部屋を飛び出し、謝る前に演奏旅行へと旅立たねばならなくなり、それからは意地だった。
自分からは絶対に謝るものか、と心を鬼にした。
出会ってから今までのだめには、いつも負けているような気がしたから。
しかし、今回も結局折れたのは千秋で、精一杯気のないそぶりで帰国の報告をした。
それがきっかけで今日のディナーが決まった時には、正直ホッとした。
が、蓋を開けてみればこれだ。
取りあえず大事になる前に発見できて良かったと小さく息をひとつ吐き、再び温くなった手拭いを交換した。
「……っ、ぃ…。」
冷たく冷えた手拭いをのだめの額に乗せたところで、ただ苦しそうな呼吸を繰り返すだけだったのだめの唇が、何かを呟いた。
「のだめ?どうした?」
腰を椅子から少し浮かせ、のだめの顔を覗き込んだ。
千秋の呼びかけにのだめの目がうっすらと開いた。
熱のせいか、少し潤んでいる。
「のだめ、どうした?苦しいのか?」
再び問いかけた千秋の声に反応するように、のだめの焦点がゆっくりと彷徨い、千秋と重なった。
「し…ぃちくん…?」
「あぁ、俺だ。気分どうだ?何か飲むか?」
軽く安堵を抱きながら、気遣いの声を掛ける。
のだめの目から、つぅと一筋の涙がこぼれた。
驚いて、口を噤む。
「ゃ…デ、ス…。」
「え…?」
「ほかのひとと、ちゅ…しちゃ、やぁデス…。」
のだめの熱い手がそっと千秋の頬に触れた。
「…っ!!」
のだめがおかしかった理由を唐突に、全て理解した。
「お前、見てたのか?あの時…。」
RUIの悪ふざけだった。
いくらなんでも冗談がすぎる、と抗議しようとしたところをアメリカでは挨拶だと先回りされてしまい、随分気の悪い思いをした。
それでもやはり、のだめが気にするから今回限りにしてくれと重々言い聞かせた。
RUIは少し面白くなさそうに、それを了承した。
「努力はするヨ。」という言い添え付きで。
あの場に、のだめがいた。
そしてあの悪戯を目にしていた。
―――間が悪すぎる…。
あまりのタイミングの悪さに瞑目した。
「…ごめ、なさぃ…。」
「ぇ…。」
「ごめ…なさ……。」
「…んで…、なんでお前が謝るんだ…?」
何度も何度も謝罪の言葉を呟くのだめに、問いかける。
「キライ…なんて言って、ごめんなさぃ…。しぃちくんは何…にも悪くなかったのに…。のだめの八つ当たりだ、たのに……。」
かける言葉が見つからず、荒い息の傍から必死に言葉を紡ぐのだめを見つめていた。
「キラィな、てうそデス……ダイスキなんデ、ス…。うそ…つぃて、ごめ…なさぃ…。」
のだめは徐々に興奮してきているのか、息が更に荒くなってくる。
「ぅ…そデス。だから…キライにならな…ぃでっ。…っ、は…っ。ほかのひと…RUIと、ちゅーしなぃでぇ…っ。」
のだめの必死な訴えに何とも言えない衝動が沸き起こり、のだめの体をかき抱いた。
額に乗せてあった手拭いが音もなく上掛けの上に落ちた。
「…わかった。わかったから、もう喋るな…。」
耳元では、のだめの荒い息遣いが聞こえる。
「し…ぃちくん、すき…デス。」
「ああ、知ってる。だから、安心してもう寝ろ。」
ゆっくりと背中を擦りながらそう囁くと、のだめはふーっと息を吐き、体の力を抜いた。
それからしばらくそうしていた後、先ほどより幾分穏やかな寝息をたてるのだめを再びベッドに横たえた。
心配事を吐き出したからか、表情も緩んでいる。
「…ばかのだめ…。」
(心配ばっかせさせやがって…。)
こんなに手のかかる女は初めてだ、と胸中で毒づきながら、しかし、自分の顔が笑っているのは分かっていた。
「風邪が治ったら、覚えてろよ。」
眠るのだめにそう勝手に宣戦布告し、その白い額にチュッと唇を落とした。
窓の外の雨はいつの間にか上がり、黒い雲の切れ間から月が恥ずかしそうに覗いていた。
==========================================
久々のチアノダUPです!
なのに、こんなものですいません(汗)
鬼束さんの世界を全く持って無視してますよね↓↓
本当は、初めは千秋が弱っているお話を書くつもりだったのですが、
構想を固め始めた段階でこちらの設定を思いつき、結局こちらを採用しました。
こんなに長い文章を打ったのももちろん久しぶりで、手が軽く痙攣しかけてます(泣)
(いつにもまして)自己満率が高いお話ですが、ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
そして、大変図々しいのですが何か一言でも下さると、飛び上がって喜びますvV
本当です。
書いてくださった方には、もれなく、喜び勇んでテンションの上がったワタクシ紗羅からの感謝の言葉がつらつらと帰ってきますvV
では、長らくお付き合いくださり本当にありがとうございました!!
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* 私は私を愛せないまま
* いつでも次のページを捲るから
* またひとつ季節を見落とす
* その途中に貴方がいた
*
* 呪文を唱えれば何かになれる
* 簡単なことはたくさんある
* 「そうだね」と小さく笑う
* その頬に誰が触れたの
*
* I'm Kissing you and kiss me baby
* magical man
* ひとのように振舞えなくて泣いてた
* I found you and you found me too in
* magical world
* 真っすぐに想うことはなぜ寂しいの
*
*
* 私は私を許せないまま
* シグナルを無視して生きてゆくけど
* この腕を掴んで放さない
* 貴方の手が大きかったり
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* I kissing you and kiss me baby
* magical man
* 温かさには敵わなくて泣いてた
* I found you and you found me too in
* magical world
* 涙だけが雨のようになぜ溢れるの
*
―――ザァァ……
(のだめ、何でここにいるんデショ…?)
午後になって降り始めた大雨のせいで、ほとんど人影のない通りをゆらゆらと進む。
なぜか傘もさしておらず、なぜこうなったのかを思い出そうにも脳内に靄でもかかっているかのようにぼうっとして答えが出ない。
五月といえど、まだまだ気温は低い。
冷たい雫が絶え間なく頭上から降り注ぎ、髪、顔そして顎を伝い、下へと落ちていく。
最大限に水気を吸い込んだ衣服は、ベッタリと肌にまとわりついてのだめの体温を奪っていった。
けれど、それすらもどうでも良かった。
ふらふらと彷徨い続けるうちに、馴染みの噴水のある広場に出た。
普段なら爽やかさをもたらしてくれる噴水も今は、雨なのか何なのかの区別のつかない水をどぼどぼと流しているだけで、重苦しいねずみ色の風景に一層の重々しさを加えている。
そんな様をただぼんやりと眺めていた。
―――ここはイヤ。
他のトコに行かなきゃ。
でも、
どこに……?
噴水を眺めていると、なんだか落ち着かない気分になった。
上手く機能しないのだめの脳が、噴水によって何かを思い出そうとしているようだった。
しかし、それはのだめを酷く不愉快にした。
未だ掴みきれない答えから心は逃げようとするのに、体はその場から動こうとはしない。
ねずみ色の世界は、嫌がるのだめの心を力ずくでこじ開け始めた。
「もう、良いデス!!!真一くんなんか嫌いデスッ!!!」
派手なけんかの末に、そんな罵声を投げ捨てて千秋の部屋を飛び出したのはもう何週間も前のことだった。
どんな理由だったのかは、忘れた。
とても些細なことだったような気もする。
けれど、そのけんかは今までに類を見ないほど激しいもので、こんなに長く仲直りができていないのも初めてだった。
本当は、あの後すぐにでも謝りたかった。
謝って、許してもらって、のだめも許して、そうしてまた千秋の腕の中に戻りたかった。
しかし、漸く決心して訪ねた千秋の部屋は留守だった。
数週間の演奏旅行に旅立った後だったのだ。
それからしばらく、千秋からの連絡はなく、こちらからするのもためらわれてヤキモキして過ごした。
数日前になって漸く、ひどく無愛想な文面で数日中に帰ることが知らされた。
そのあまりの無愛想さに、少し慄いたものの勇気を振り絞って今日のディナーを共にする約束を取り付けた。
そして今日。
のだめが待ち合わせ場所である噴水広場に到着したとき、約束の時間はとうに過ぎていた。
昨夜、あまりの緊張でなかなか寝付けず、今朝起きたら待ち合わせの時間になる数分前だった。
それから大急ぎで家を飛び出して、待ち合わせ場所である噴水広場まで必死で走った。
休日の噴水広場には人が溢れていた。
人ごみの間を器用にすり抜けながら、目的の人物を探す。
「あ、発見デス!」
漸く見つけた千秋のほうに、さらに近づこうと一歩を踏み出したところで、のだめの歩みはぱたりと止まった。
噴水の周囲に沿って、十数メートル先に立つ千秋は一人ではなかった。
「………RUI?」
千秋の傍には、RUIが居た。
二人はのだめに気付く様子もなく親しげに話している。
だからと言って、のだめが躊躇する必要はない。
いつものように、飛び切りの笑顔で千秋に飛びつき、RUIに挨拶をすれば良いはずだ。
しかし、それができない。
のだめは、RUIが苦手だった。
嫌いなわけではない。
RUIは明るくて人懐っこい。
のだめに対しても、親しみやすい態度で接してくれる。
それなのに、なぜか苦手だった。
特に、千秋の近くに居るときは。
RUIが傍に居ると、千秋がとても遠い存在に思えてくる。
もう、ただの先輩後輩ではないし、最も深いところで愛される喜びも知っている。
それを教えてくれたのは誰でもない千秋で、そんな関係は今も続いている。
千秋の傍は自分の居場所であるはずなのに、そこにRUIが立つとそっちの方がよほど自然なのではないかという感じがして、自分なんかが割り込んではいけないのだという変な感情に苛まれる。
今日も例に漏れず早くものだめの胸中は複雑に入り乱れていたが、こうしていても埒が明かない、と二人のほうに歩を進めようと足を踏み出した。
「……ぇ…?」
しかし、それは失敗に終わった。
新たな視覚情報が、のだめの全細胞を凍りつかせたからだ。
それは、一瞬の出来事だった。
それまで千秋と楽しげに言葉を交わしていたRUIの手が、千秋の頬に添えられる。
そして、RUIは少し伸びをするようにつま先だち、そのまま千秋の頬に口付けた。
千秋は一瞬唖然としたように固まったが、RUIに何事かを言われると恥ずかしそうに顔をしかめた。
のだめが思い出せたのはそこまでだった。
一気に音と感触が戻ってくる。
のだめを取り囲む殆どは先ほどのままだった。
世界も未だ、灰色なままだった。
ただ、のだめの心は感情を思い出したように疼きだして、雨に打たれる体の疲労を色濃く感じさせた。
雨に濡れて、指先の感覚もなくなるほど体は冷え切っているのに、心臓が脈打つたびにずきんずきんという熱を孕んだ鈍い痛みが体内に響く。
ふいに視界がぐにゃりとゆがんだ。
全身からフッと力が抜ける。
急激に襲ってきた睡魔に身を委ねながら、遠くで誰かの声を聞いた……気がした。
* * * * *
少しぬるくなった手拭いを氷水で漱ぎ、固く絞ってから再びのだめの額に乗せてやる。
もう何度もこの作業を繰り返しているにも関わらず、のだめの表情は一向に和らがない。
土砂降りの中、噴水の前に佇むのだめの背中を見つけ、声を掛けた瞬間にその体が頽れたときには心底胆の冷える思いがした。
駆け寄って抱き起こしたのだめの体はひどく熱く、息も荒かった。
びしょ濡れの体を、自分が濡れるのも構わず抱き上げ、自室に連れ帰ったのはもう数時間も前の話だ。
それからずっと、付きっ切りの看病を続けている。
その傍ら、のだめがこうなった理由を考えていた。
―――雨の中、びしょ濡れで町を彷徨うという異常行動。
のだめは平素から一般常識の枠を大きく飛び出した部分があるが、これは変だ。
今日、彼女にそれほどの衝撃を与えた何らかの事件があったのだろうか。
しかし、抱き上げたのだめの体は記憶にあるソレよりも大分軽かった。
そうなると、のだめがおかしくなったのは何日も前だと考えるほうが妥当だろう。
そうなると…。
千秋に思い当たる理由となりそうな事柄は一つだけだった。
「けんか……か…?」
なにが原因で始まったものだったかは忘れた。
しかし、あの時はどちらもひどく感情的になってしまい、かつてないほど攻撃的になってしまっていた。
のだめが部屋を飛び出し、謝る前に演奏旅行へと旅立たねばならなくなり、それからは意地だった。
自分からは絶対に謝るものか、と心を鬼にした。
出会ってから今までのだめには、いつも負けているような気がしたから。
しかし、今回も結局折れたのは千秋で、精一杯気のないそぶりで帰国の報告をした。
それがきっかけで今日のディナーが決まった時には、正直ホッとした。
が、蓋を開けてみればこれだ。
取りあえず大事になる前に発見できて良かったと小さく息をひとつ吐き、再び温くなった手拭いを交換した。
「……っ、ぃ…。」
冷たく冷えた手拭いをのだめの額に乗せたところで、ただ苦しそうな呼吸を繰り返すだけだったのだめの唇が、何かを呟いた。
「のだめ?どうした?」
腰を椅子から少し浮かせ、のだめの顔を覗き込んだ。
千秋の呼びかけにのだめの目がうっすらと開いた。
熱のせいか、少し潤んでいる。
「のだめ、どうした?苦しいのか?」
再び問いかけた千秋の声に反応するように、のだめの焦点がゆっくりと彷徨い、千秋と重なった。
「し…ぃちくん…?」
「あぁ、俺だ。気分どうだ?何か飲むか?」
軽く安堵を抱きながら、気遣いの声を掛ける。
のだめの目から、つぅと一筋の涙がこぼれた。
驚いて、口を噤む。
「ゃ…デ、ス…。」
「え…?」
「ほかのひとと、ちゅ…しちゃ、やぁデス…。」
のだめの熱い手がそっと千秋の頬に触れた。
「…っ!!」
のだめがおかしかった理由を唐突に、全て理解した。
「お前、見てたのか?あの時…。」
RUIの悪ふざけだった。
いくらなんでも冗談がすぎる、と抗議しようとしたところをアメリカでは挨拶だと先回りされてしまい、随分気の悪い思いをした。
それでもやはり、のだめが気にするから今回限りにしてくれと重々言い聞かせた。
RUIは少し面白くなさそうに、それを了承した。
「努力はするヨ。」という言い添え付きで。
あの場に、のだめがいた。
そしてあの悪戯を目にしていた。
―――間が悪すぎる…。
あまりのタイミングの悪さに瞑目した。
「…ごめ、なさぃ…。」
「ぇ…。」
「ごめ…なさ……。」
「…んで…、なんでお前が謝るんだ…?」
何度も何度も謝罪の言葉を呟くのだめに、問いかける。
「キライ…なんて言って、ごめんなさぃ…。しぃちくんは何…にも悪くなかったのに…。のだめの八つ当たりだ、たのに……。」
かける言葉が見つからず、荒い息の傍から必死に言葉を紡ぐのだめを見つめていた。
「キラィな、てうそデス……ダイスキなんデ、ス…。うそ…つぃて、ごめ…なさぃ…。」
のだめは徐々に興奮してきているのか、息が更に荒くなってくる。
「ぅ…そデス。だから…キライにならな…ぃでっ。…っ、は…っ。ほかのひと…RUIと、ちゅーしなぃでぇ…っ。」
のだめの必死な訴えに何とも言えない衝動が沸き起こり、のだめの体をかき抱いた。
額に乗せてあった手拭いが音もなく上掛けの上に落ちた。
「…わかった。わかったから、もう喋るな…。」
耳元では、のだめの荒い息遣いが聞こえる。
「し…ぃちくん、すき…デス。」
「ああ、知ってる。だから、安心してもう寝ろ。」
ゆっくりと背中を擦りながらそう囁くと、のだめはふーっと息を吐き、体の力を抜いた。
それからしばらくそうしていた後、先ほどより幾分穏やかな寝息をたてるのだめを再びベッドに横たえた。
心配事を吐き出したからか、表情も緩んでいる。
「…ばかのだめ…。」
(心配ばっかせさせやがって…。)
こんなに手のかかる女は初めてだ、と胸中で毒づきながら、しかし、自分の顔が笑っているのは分かっていた。
「風邪が治ったら、覚えてろよ。」
眠るのだめにそう勝手に宣戦布告し、その白い額にチュッと唇を落とした。
窓の外の雨はいつの間にか上がり、黒い雲の切れ間から月が恥ずかしそうに覗いていた。
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久々のチアノダUPです!
なのに、こんなものですいません(汗)
鬼束さんの世界を全く持って無視してますよね↓↓
本当は、初めは千秋が弱っているお話を書くつもりだったのですが、
構想を固め始めた段階でこちらの設定を思いつき、結局こちらを採用しました。
こんなに長い文章を打ったのももちろん久しぶりで、手が軽く痙攣しかけてます(泣)
(いつにもまして)自己満率が高いお話ですが、ここまで読んでくださった方ありがとうございます。
そして、大変図々しいのですが何か一言でも下さると、飛び上がって喜びますvV
本当です。
書いてくださった方には、もれなく、喜び勇んでテンションの上がったワタクシ紗羅からの感謝の言葉がつらつらと帰ってきますvV
では、長らくお付き合いくださり本当にありがとうございました!!
これは千秋にも言える事だと思います。
紗羅様の小説は状況を想像しやすいです。
脳内で買ってにアニメ化なりドラマ化されてます(笑)
友達の多いのだめにとってRUIは唯一心を乱される存在なんでしょうね。
ピアノにしても千秋のことにしても。
でもそれはやっぱりのだめ自身が乗り越えなきゃいけない壁だと思います。
苦手だからこそ乗り越えなきゃいけないものがあって、それができたら自分も成長できる。
という感じでしょうか??
のだめはもちろんですけど、千秋には是非、乗り越えてもらはねば!デスよ。
でなきゃ、チアノダの危機です(泣)
★水城様
水城様にそう言ってもらえると、本当にホッとします。
私のチグハグ文章でそんなに想像できる水城様は、やはり素晴らしい想像力をお持ちだと思うのデスョ!
RUIは自分にそれなりの自信があって、物怖じせず、我が道を突き進む、ある意味のだめと似た種類の人間なのかも知れません。
だからこそ、敵になり得る、というか。
ここでしっかりこの壁を乗り越えて、更なるいい女(!?)&いいピアニストになってほしいです。
久しぶりにお邪魔したら、なんとあの「MAGICAL WORLD」ではないですか!前回コメントさせていただいたときぽろっと呟いたら、本当に書いてくださるとは…うれしいです。感想ですが、
のだめは今でもどこか音楽に対して正面から向き合えてないところがあって、それが次のページをめくってしまったり、シグナルを無視したりにダブってくるように私には思えます。そんな彼女にはすでにプロであるRuiが千秋と並び立っていると遠くに感じてしまうし、あまつさえキスなんかされてるのを見てしまったら逃げ出したくもなるかなと。でも、のだめに小さく笑ってくれたり、大きな手で彼女を引っ張ってくれる千秋のあたたかさには敵わなくて、だけど今のままの自分ではダメなことも漠然とわかっていて…涙だけが雨のようにあふれて噴水の前で立ち尽くしてしまったんだなあと、鬼束さんの詩を行間に感じとって読みました。素敵なお話ですね。また次回作を楽しみにしてます!
また来て下さってとても嬉しいです!!!
イエそれよりも、返事が遅くなってしまい、大変申し訳ありません…。
まるで詩の如き流麗な感想、ありがとうございます!!
この小説を書くにあたって、いくつかの設定を考えていたのですが、今回は「その頬に誰が触れたの」というフレーズを強調(?)したお話を書いてみました。
大好きな鬼束さんの詩ですし、変なものは書かないようにと一生懸命がんばってみたのですが、力及ばず…。
ですが、分かっていただけたようで、ほっとしました!!
鬼束さん、シリーズ化…。
なんてこともありえるかと言うほど、妄想してます。
まだ、どうなるかまったく分かりませんが、またご感想などいただけたら嬉しいです!
本当に、ありがとうございましたっ!!!!