1985年、ワシはアメリカはオレゴン州のUniversity Of Oregonという学校に、学部留学しておった。専攻は言語学。
ちょうどクリスマスの前後、早稲田大学からやはり留学してきてた友人を伴って、乗るはトレイルウェイズのバス。
オレゴン州ユージーンからまっすぐ南へ向かい、約20時間かかってロサンジェルスへ。
そこで乗り換えて、今度はひたすら東に48時間かけて、オクラホマ州タルサへ。
大学の寮にいても、クリスマス休みにはすることがない。なので、高校時代にお世話になった家族のところに、片道3日かけて会いに行ったのだ。
オレゴン、カリフォルニア、アリゾナ、ニューメキシコ、テキサスと横切っての旅だったのだけど、ロサンジェルスからタルサに向かうバスの中、前の席に座ってた黒人女性の親子がいた。当時ヒットチャートを賑わしていた、彗星のごとく現れた新人、Whitney Houstonの"Saving All My Love For You"を道中ずーっと口ずさんでいたのを思い出す。その後1987年ぐらいまでに;
Greatest Love Of All
I Wanna Dance With Somebody
Didn't We Almost Have It All
Where Do Broken Hearts Go
などヒットを連続したWhitney。ワシは1980年代後半のユーロビートのピコピコに(またそれが流行っていることに)嫌気がさして、しばらく洋楽を聞かないでいたのだけど、それでも1992年の映画"Body Guard"のテーマ、"I Will Always Love You"の
は、あまりの歌唱力にぶっ飛んだのを覚えている。
(叔母という説もあったが、実は従姉妹らしい)にDionne Warwick("Heartbreaker"やStevie WonderとElton Johnとの共演による"That's What Friends Are For"などをヒットさせ、1980年ごろには米国の人気音楽番組"Solid Gold"の司会もしていた)を持つ音楽一家に生まれた彼女。最近聞かないなーと思ってたら、どうやら元夫Bobby Brownとの間でいろいろと問題あったり、麻薬やアルコールで問題起こしてたりして、挙句の果てには自己破産寸前だったらしい。あれだけ売れてて、どうすれば自己破産できるんだろ?
それにしてもあまりにも急な訃報であったな。
彼女は1963年生まれらしい。あれまぁ、同い年じゃあーりませんか。
死因は今のところ不明ということなんだけど、何にしても早すぎるんじゃないかいな?と思うのだった。
【余談】
ところで、世の中最近Blogの勢いがずいぶんと弱くなったなーと感じるな。
もっと言えばmixiなどは最近衰退する一方なように思える。実際にユーザ激減らしいし。
FacebookとTwitterが今は「旬」なのだろうか???