この世日記 更年期女子の生き方思案

“中年女子”から“更年期女子”に昇格〜♪(笑) ・・・し、しかし・・・更年期で「女子」って・・・
・・♪~( ̄ε ̄;)

芙蓉部隊 美濃部少佐を知って・・・思ったこと

2014-05-28 00:33:18 | 世の中のこと

静浜航空祭に行った。
私も 主人がかつて乗ったという 初等練習機を見たいと思っていた。

 

静浜基地には 芙蓉部隊記念碑がある。

資料館もあったが ちらっとのぞいただけで見ることができなかった。

主人が 伊江島での芙蓉部隊の戦果や美濃部少佐のことを教えてくれた。

 

美濃部少佐は特攻戦法を拒否し夜間襲撃によって戦果をあげ、終戦時まで抗戦の態勢を維持していたようだ。

美濃部少佐のことも芙蓉部隊のことも全然知らなかった。

帰ってからネット検索・・・

 

 

美濃部少佐は沖縄戦戦略会議において 艦隊司令部が出した練習機での特攻案に対し
死刑になりかねないのを覚悟して反論している。

参考・「彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団」渡辺洋二著に書かれている参謀とのやりとり

芙蓉部隊、特攻せずPART2/2

 


戦争には どんな大義名分をつけようとも賛同したくない。
戦果がすばらしいといっても 戦果とは破壊と殺人に思えてしまう。
でも その時代にあって、命を懸けて戦ってくれた方々には感謝する。
みんな 必死で一生懸命だったに違いないとは思う。


しかし 練習機をも特攻機として?・・・・・・・静浜基地で見てきた初等練習機を思い出し・・・実際の戦時中の練習機とは異なるだろうけど 素人がみても 無理があり過ぎと思うのに。

思っても言えない時代だったんだよな。
死を覚悟しなきゃ言えない時代だったんだよな。

 

You Tubeで 美濃部さんの三女が言ってる 美濃部さんの後の言葉

>現代でも通用すること
>難しい事に直面した時
>上からの命令や周りの雰囲気に流されるのは簡単だけど
>自分でそれに迷いがないのか 迷いがあるときには
>・・・・・・
>たとえ難しくても困難があっても 自分が信じる道をいくようにと・・・

 

今は、自分の信じる事を言える時代になったと思う。 「死を覚悟して」なんてことまずない。

それなのに 私は自分の信じる道を行(生)けず 上からの命令や周りの雰囲気に流されがち。
自分の信じる道に迷ったりもする。
自分のこころを見失う。
自分のこころを信じられなかったり 信じられても行動には起こさないことも・・・



前々記事に書いた

「・・・・でももっと恥ずかしいのは自分の心を信じて行動できない事。」


この言葉の重さを改めて感じた。

 




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5 コメント

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こんにちは (69歳のラブレタ-)
2014-05-28 17:30:50
Yさん、お久し振りです。

素晴らしい報告書、有難うございます。

初めて知ることばかりです。
とても勉強になりました。
どの時代にも、勇気ある人がおいでに
なるのですね。
私も、沖縄のことについて、まだまだ
学びの途中ですが、Yさんのこれまでのブログから考えられないほど
真面目な報告書に、これがYさんの
文章力の本命だと思いました。
ご主人様も素晴らしい方なのでしょうね!
また、お伺いしますね。
Unknown (T@MON)
2014-05-29 08:38:37
神風特攻隊は片道分の燃料しか入れないから、出撃する時は「行きます」と言い、「行って来ます」とは言わなかった。

同時期、神風特攻隊よりも先に人間魚雷『回天』と言う1人乗りの特攻潜水艇があって、乗船したら中からは開けられないようにされる。

その人達の「生きて行く」は「死にに行く」ことって考えるとね………。

PS :
旦那さん、ひっ、ヒッ、飛行機に乗った事あるんじゃなくて、操縦していた………ってか!
飛行機に乗れない私としては、ピアノを弾ける人と同じ位に尊敬に価する。
69歳のラブレタ-さん コメントありがとうございます (ブログ主の Y です)
2014-05-29 10:40:42
読んで頂いてありがとうございます。

戦争に関しては思うことが山ほどあり・・・・・とても私の文章力では書き伝えられないです(汗)


これらに関してあちこち読みながら 
当時の軍の上層部が 机上の空論へと落ち込み、人間性の歪みを集団ヒステリーのように暴走させいく様を想像しました。
国を守る、国民の幸せのため、といった願いは見失われ ただ「戦っている、攻撃をしている」という体をなすことに囚われていったように思います。

命の求める幸せから逸脱してしまった行動のように見えます。

今の世でもこういった人間の特質は 現れ方は違えど変わらず今の人々の中にあるのだろうと思ってます。

でも、時代とともに私たちの意識は深まり 命、愛を感じそれに添って 愛に基づいた選択、生き方をするようになっていくのだと信じています。

千江さんのブログで伊江島の記事、写真を拝見していたので、主人から聞いた伊江島での芙蓉部隊の話をスルーせずに興味を引かれ、こうしていろいろ知ることができました。
千江さんに感謝です。ありがとうございました。


いろいろ教えてくれる素敵な?主人・・・・・↓ ですが
http://blog.goo.ne.jp/anatasukiko/e/7a5184899a861341ffd13b395f911c36
寝顔がもっとも愛しかったりする・・・・ってな感じー(笑) 

T@monさんコメントありがとうございます! (ブログ主の Y です)
2014-05-29 22:26:13
「十死零生」の覚悟はいかなるものだったか・・・
その命令を出す上官の思いは? 家族は?
戦果を鑑みて 軍事科学的な検証、検討はちゃんと冷静公平になされたのだろうか・・・・・

特攻隊員にしても軍上層部にしてもいろんな人がいたのだろうとは思うけど その気持ち、想いを想像すると・・・・・ネットでいくら読みまくっても 史実のほんのわずかな欠片をのぞき見る程度、それでも なんともいたたまれなくなっちゃいます。

その時代ですから 「戦争」に至るのはしかるべき道すじだったのかもしれませんが、その中であっても・・・というかその中であるからこそ 美濃部少佐の「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。ただ、一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。しかも、死にがいのある戦功をたてたいのは当然です。精神力一点ばりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい。」という言葉には 誰しもがひとりの人間として大事な命を生きている貴重さを思い知らされます。


・・・・と  
ところで・・・・・ 飛行機に乗れないのぉーーーっ!?
なぜに?
あたし 飛行機乗るの だーい好き♡

主人は戦闘機パイロットになるのをを夢見ていたようです。
結婚する前のことで よく知らないけど。
骨格?体質的に? なんかダメだったみたいよ。
航空祭で聞いたところによると、F2戦闘機パイロットは旋回で7Gの負荷がかかるそうよー
体重60kgだったら420㎏の負荷ってことかな?
ひょえ~~~! 戦闘機パイロットってすごいね。
Unknown (美濃部家当主)
2018-11-21 21:45:27
美濃部一族の事をいろいろと投稿していただき誠にありがとうございます。

我が一族の資料、系図などがあります。
全てをご披露することができませんが、少しならば構いません。

水口の天満宮での言い伝えは少し違うことがあり、いずれ話し合いをして訂正をしたらいいとは思っていますが地元の方々が信用していただけるかどうかわかりませんので、どうしたらいいのか判断がつきません。

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