ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

初めてのインド その4

2014年05月30日 | 日記
サットヤ・チャラン・ラヒリ

 3月4日、私は5時半に起床してホテルの室内でヨガの練習をしました。9時にはスールさんが私を迎えに来て空港まで送ってくれます。あの頃のインドの国内線の飛行機はインディアン・エアラインズと言い、私のジェット機は12時30分にカルカッタを飛び立ち、2時40分にはヴァラナシ(ベナレス)の飛行場に着陸しました。ヴァラナシ(ベナレス)ではラヒリ・マハサヤについて何か手がかりでも見つかれば良いのだがと私は思っていましたが、それは計画等と言うものでは無く、雲をつかむような夢想に過ぎませんでした。

 飛行場では色が黒くて痩せて小柄なおじさんが私を待っていました。マズムダールさんと言って、私の鞄(かばん)をホテル・クラークス迄運んでくれるポーターです。マズムダールさんは日本語は話せませんでしたが英語を話します。生まれて初めてヴァラナシ(ベナレス)の地を踏んだ高揚感からでしょうか、私はタクシー迄私の鞄(かばん)を運んでいるマズムダールさんに声を掛けました、「ラヒリ・マハサヤのお家を知っていますか?」。マズムダールさんは私に振り返って「知っていますよ」と答えます。「いやいや、私がお話ししているのは100年前の人の事ですよ」と私が言いますと「そうです」とマズムダールさんは普通に答えます。そして更にマズムダールさんは「4時には仕事が終わりますから、それからラヒリ・マハサヤのお家へ案内しましょう」と言います。

 何と言う事でしょうか。パラマハンサ・ヨガナンダの「ヨガ行者の一生(あるヨギの自叙伝)」に出て来る、職業を持ち妻帯して子供を育てながらヨガの深い境地に達した、あのラヒリ・マハサヤのお家をこのポーターが知っていると言うのです。「これは奇跡だ」と私は思いました。ホテル・クラークスにチェックインしますと現地ガイドのK・K・シンさんが私を迎えてくれました。聞いて見ますとシンさんはラヒリ・マハサヤの事を知らないようです。

 約束通り夕方の4時にはマズムダールさんが私の所へやって来て、私達はタクシーでガンジス河のガート(河岸の石段)の近くまで行き、それから歩きました。ヴァラナシ(ベナレス)のガンジス河の近くは迷路のような石畳の小路に色々なお店が連なっており、そしてやがてお店も途切れ、人気(け)の無い迷路の先にラヒリ・マハサヤのお家は有りました。

 建物の表は石造りの外壁になっており、鉄製の扉が1枚有りました。マズムダールさんが扉を開けて2人で中へ入りますと1階は正方形のお寺になっていました。2階は正方形の吹き抜けになっていて、吹き抜けの向こうには繁った木の枝で猿達が遊んでいます。お寺の床は石畳になっていてその正面には6角形の大きな祭壇が有り、祭壇の前に1人の老人が坐って居ます。そしてその老人を囲むように3辺の壁沿いに12、3人のお年寄り達が坐って居ました。祭壇の中央奥には大きな黒いシヴァリンガムが安置されており、その手前には白い2体の坐像が有ります。左側の坐像は丸っこい顔に丸っこい体でパドマアーサナ(結跏趺坐)の姿勢をしており、すぐにラヒリ・マハサヤだと分かりました。右側の坐像は体がラヒリ・マハサヤより一回り大きく、角ばった長方形の顔には立派な口髭とあご髭をたくわえて威風堂々としており、これはラヒリ・マハサヤの息子でしょう。そしてシヴァリンガムにもこの2体の坐像にもマリーゴールドの花環が掛けられています。

 マズムダールさんは床の中央に坐って居る老人の事をラヒリ・マハサヤの孫のサットヤ・チャラン・ラヒリさんで有ると言います。サットヤ・チャラン・ラヒリさんは私に手招きをして側に坐るよう勧めてくれました。私が自己紹介をしますとサットヤ・チャラン・ラヒリさんは「今日はシヴァの祭りの日だ」と言い、「ここにはドイツ人が来てフランス人が来て、外国人としては3人目にあなたが来た。日本人としてはあなたが初めてだ」と言います。サットヤ・チャラン・ラヒリさんは年の頃は62、3才に見えました(6年後に分かったのですがこの時77才でした)。マズムダールさんの話ではここは38年前に出来たと言いますから、ここはラヒリ・マハサヤが住んでいた家では無く、サットヤ・チャラン・ラヒリさんが造ったラヒリ・マハサヤを祀るお寺でした。

 サットヤ・チャラン・ラヒリさんの風貌はと言いますと縦長の角ばった顔なのでラヒリ・マハサヤよりもその息子に似ているようですが、態度に厳(いか)めしさは無く、厳格ながらも穏やかで優しい人のようでした。

 私はサットヤ・チャラン・ラヒリさんに私が東京の日本ゴーシュ・ヨガ道場でヨガの練習をしている事や、練習の前には道場の壁に飾って有るババジやラヒリ・マハサヤ等の肖像画に御挨拶をしているのだと説明しました。私はまたパラマハンサ・ヨガナンダの「ヨガ行者の一生(あるヨギの自叙伝)」に書かれているラヒリ・マハサヤの物語に深く感銘を受けている事もお話ししました。そして仏教とヒンドゥーイズムの関係についても、仏教とヒンドゥーイズムは別のものでは無く、仏教はヒンドゥーイズムの大きな流れの一環だと思っていますともお話ししました。

 私の手の平サイズの手帳にはサットヤ・チャラン・ラヒリさんの名前と住所を英語で書いて有ります。これは何かのカードに書いてくれたものを私が書き写したものです。そして残念ながら原本のカードをいつ何処で無くしてしまったのか、全く私の記憶には有りません。

 サットヤ・チャラン・ラヒリさんは私に「良かったらここで少し瞑想しなさい」と言ってくれ、私は祭壇の前でパドマアーサナ(結跏趺坐)の姿勢を取ってしばらく瞑想しました。

 目を開けた私はサットヤ・チャラン・ラヒリさんにお礼を言い、マズムダールさんと私はラヒリ・マハサヤのお寺を後にしました。マズムダールさんは、今度は私を久美子の家へ連れて行きました。久美子の家はガンジス河に面した宿泊所で、久美子と言う日本人女性と結婚したご主人が経営しています。マズムダールさんのお話ではこのご主人の妹がサットヤ・チャラン・ラヒリさんの息子と結婚しているのだそうです。

 久美子の家からホテル・クラークスへ戻る途中のお店で私はウイスキーを1本買ってマズムダールさんにプレゼントしました。ホテルに戻った私は今日の出来事の感激が治まらず、マズムダールさんをホテルのバーへ連れて行きました。マズムダールさんはバーには入れましたが着席は許されませんでした。身分の問題が有るようです。私達はスコッチ・ウイスキーで乾杯し、「ラヒリ・マハサヤのお寺を訪問出来たのは本当に本当にあなたのおかげです」と私がお礼を言いますとマズムダールさんも私と同じくらいの感激を見せてくれました。

 さて、インドのサーンキヤ哲学は二元論です。おおもとにプルシャ(精神原理)とプラクリティ(物質原理)の2つを立てます。プラクリティ(物質原理)はラジャス(激質)、タマス(暗質)、サットヤ(純質)と言う3種のグナ(性質)を帯びていて、この3種のグナ(性質)のバランスが崩れるとプラクリティ(物質原理)は活動を開始し、心、身体、環境世界へと展開します。

 サットヤ・チャラン・ラヒリさんの名前のサットヤはこのプラクリティ(物質原理)の持つ3種のグナ(性質)のサットヤ(純質)から取られたのだろうと考えた私は、それでも英語でうまく表現する事が出来ず、「ラジャス タマス サットヤズ サットヤ?」と聞いて見ますとマズムダールさんの向こうのカウンターの客が「そうだ、そうだ、その通り」と大きく頷(うなず)いてくれました。

 今日、ヴァラナシ(ベナレス)の飛行場でポーターのマズムダールさんに声を掛けなければ、私はラヒリ・マハサヤのお寺が有る事も知らずに普通の観光コースを回るだけで空しくヴァラナシ(ベナレス)を後にした事でしょうし、これを神秘体験と言えば神秘体験ですよね。

 パラマハンサ・ヨガナンダの「ヨガ行者の一生(あるヨギの自叙伝)」に出て来るラヒリ・マハサヤの物語は決してお伽話では無く実在したのだと実感出来ましたし、ラヒリ・マハサヤの血筋が現在も脈々と続いているのを知る事が出来たのはとても有意義な事でした。






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