ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

もう6時

2014年07月18日 | 日記
もう6時

 facebookで私は「いいね!」ボタンを押さない事にしています。「いいね!」は承認で有り、承認は上下関係のような気がするからです。会社では上司が部下の書類を承認する事は有っても部下が上司の書類を承認する事は有りません。「いいね!」を承認の上下関係だと感じるのは私の妄想かも知れませんが、人間関係の心理をfacebookにコントロールされているようで嫌です。部下が上司を承認する場合、facebookではその人のリンクをシェアする事がそれに相当するような気もします。ですから私は誰かの記事に賛同する時には「いいね!」ボタンも押さず「リンクのシェア」もせず、必ずコメントを入れるようにしています。

 facebookでは友達を500人も600人も持っている人が有るようですが、こんなに友達を持っていたら、自分が知りたい友人のタイムラインをどうやって探すのだろうか、不思議な事です。「自分の話は聞いて欲しいが人の話は聞かない」と言う人が会社には居ました。そう言う人は淋しい人です。自分を知って貰う事よりも人を知る事の方が断然面白いと私は思うのですが、どうでしょうか。

 facebookは友達の誕生日を知らせてくれます。「誕生日おめでとう」のメッセージを送りなさいよとfacebookに交友の仕方をコントロールされて居るようで嫌なものです。普通、私達は友達の誕生日に関心は有りませんし、もし知っていても、友達の誕生日にグリーティングカードを送ったり「誕生日おめでとう」のメールを送信したりしますでしょうか。女子中学生ではあるまいし、爺さんが爺さんに「誕生日おめでとう」は無いだろう、これは相当こっ恥ずかしいと思いませんか。

 私はfacebookの友達を出来るだけ増やさないようにしていますが、このあいだ不覚にも10人を超えてしまいました。友達のプライバシーを覗いて見たいと言う悪趣味が毎日1時間程私の暇をつぶしてくれていますが、基本的には悪趣味なこの行為も、時には友人の知らなかった一面を知る事になったりもして、これはブログでも同じ事ですが、長年の飲み友達の知らなかった青少年時代を知らされたりします。飲む時にはそんな話はしませんからね。そして友達の意外なユーモアのセンスを知るのも面白い事ですし、また私の知らない分野での深い造詣(ぞうけい)に感心させられる事も有ります。

 さて、このあいだ歌友達のTSさんと新橋のバーへ行きましたらカウンターに先客が有りました。プロのボサノバ・シンガーだと言うお嬢さんでしたが、その日はOFFだったので、彼女はポルトガル語のボサノバでは無く日本語の「涙そうそう」や「時の流れに身をまかせ」や「つぐない」を歌いました。ビブラートを使わずコブシも利かせない清潔で澄んだ声は、やはりボサノバに向いていると思ったものです。

 翌日、私はfacebookの自分のタイムラインに彼女とTSさんと私の映った写真を掲載してコメントも付けたのですが、「清潔で澄んだ声」と書くところを「清潔で済んだ声」と書いている事にあとで気が付き、タイムラインに「下記(済んだ)は(澄んだ)の誤りでした、済みません」と書き加えましたところ、写真付きの本文では無くそのあとの訂正文に「いいね!」を2ついただきました。こう言うのは恥ずかしいものです。

 また先日、facebookのホームを開きますと友達の1人がオードリー・ヘップバーンの言葉を紹介していました。なかなか良い言葉が有りましたので自分のコメントを書きましたところ、どうした事かその記事の上の段の安倍晋三さんを批判する記事のコメント欄に入ってしまいました。「これはいかん」と思ってコメントを削除しようとしたのですが削除の仕方が分かりません。そしてしばらくしますとその友達からfacebookメールで「何やってんだ」とからかわれてしまいました。

 私もいよいよ「もう6時(もうろく爺)」になってしまったのでしょうか。



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