ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

スヴァーハー

2012年10月19日 | 日記
スヴァーハー

 般若心経の最後のマントラについてはこのブログの「空海 般若心経秘鍵」でご紹介しましたが、もう1度おさらいしておきましょう。最後のマントラとは日本語で「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか」と唱える部分ですが、人文書院発行、佐保田鶴冶著の「般若心経の真実」と言う本の中で佐保田鶴治は「ガテー ガテー パーラ・ガテー パーラ・サンガテー ボーディ、 スヴァーハー!」と、「ぼじそわか」を「ぼじ」と「そわか」にはっきりと分離して「ボーディ、 スヴァーハー!」と表現しています。「ボーディ」とは女性の菩薩の事であり、ここではプラジュニャー・パーラミター(般若波羅蜜多)と言う名の菩薩を指しています。また、この菩薩は般若心経の始めに出てくるアヴァロキテ・イーシュワラ(観自在菩薩)と同じ方だそうです。そして最後に来る「スヴァーハー!」ですが、これはインドでバラモンがマントラを唱える時の最後に付ける慣用句だそうでして、「供物をささげますよ!」と言う、神に対する合図なのだそうです。

 「ガテー ガテー パーラ・ガテー パーラ・サンガテー」の4句は次の「ボーディ」に掛かる形容詞で、日本語に訳すれば「至りたもうた尊妃である 至りたもうた尊妃である 彼岸に至りたもうた尊妃である 彼岸に至り終わられた尊妃である」となって次の「菩提菩薩様」に掛かり、最後に「供物をささげますよ!」と締めくくります。ですから「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか」は、「至りたもうた尊妃である 至りたもうた尊妃である 彼岸に至りたもうた尊妃である 彼岸に至り終わられた尊妃である 菩提菩薩様、 供物をささげますよ!」と言う事になります。

 空海が違った解釈をし、また最澄は翻訳しなかったと言う、般若心経最後のマントラの意味が手に取るように分かる事について、今の時代に生きた事や、佐保田鶴治と言う人を得た事に、深い感謝の意が生じます。

 さて私はこのマントラの最後の1句である「スヴァーハー」について、「供物をささげますよ」と言う意味の、マントラの最後の慣用句とは理解出来ていましたが、「スヴァーハー」と言う言葉自体にどんな意味が有るのかは分からないままに日々を過ごして来ました。

 ところが最近、東京書籍発行、上村勝彦著の「インド神話」と言う本を読んでいましたら、スヴァーハーに関する説話が載っていました。マハーバーラタの中の、本筋とは関係の無い説話のようですが、面白いのでご紹介しましょう。お話にはカタカナの難しい名前が沢山出てきますので、出来るだけそれらを省いて抜粋してみます。

 スヴァーハーは造物主プラジャーパティの娘です。

 ヴァシシタたち7人の聖仙たちは祭式を行って、太陽から火神アグニを呼び出しました。火神アグニは家庭の炉の中に入りましたが、彼は7人の聖仙の妻たちを見て欲情しました。しかし、かろうじて自制し、炉の中で、いつも彼女たちを見て楽しんでいました。しかし、自制が難しいと思った火神アグニは炉を出て森へ入ります。

 造物主プラジャーパティの娘スヴァーハーはかねてより火神アグニに思いを寄せていましたが、火神アグニが森に入った事を知ると、彼女は愛に焦がれ、彼と交わる為に7人の聖仙の妻たちの姿を取り、火神アグニのもとに行って彼女の思いのたけを述べ、火神アグニは大いに喜んで彼女と交わりました。彼女は満足して彼の精液を取り、(1人は脱落した)6人の聖仙の妻たちの姿でシュヴェータ山へ飛んで行き、黄金の穴の中に火神アグニの精液を6滴落とし、その精液から1人の男児が生まれました。スカンダ(韋駄天)と名付けられた彼は、6回落とされた精液から生まれたので6面を持ち、12の耳、眼、腕、足を持つが、胴体は1つでした。

 生まれて4日目には完全な姿に成人したスカンダ(韋駄天)にブラフマー(梵天)は言いました、「あなたの父であるシヴァ神の所へ行きなさい。実はシヴァ神は火神アグニに入り込み、またその妃ウマーはスヴァーハーに入り込んで、全世界の人々の安寧の為に汝を生んだのであります」。このようにして、象の頭を持つ有名なガネーシャと並んで、スカンダ(韋駄天)はシヴァ神の息子だとされています。

 スカンダ(韋駄天)の母であるスヴァーハーはスカンダ(韋駄天)に言いました、「あなたは私の生んだ子です、私もあなたから喜びを得たいと思います」。スカンダ(韋駄天)が望みを訊ねると、彼女は答えました、「造物主プラジャーパティの娘である私は、子供の頃から火神アグニを愛しておりました。しかし火神アグニは分かってくれません。私は永遠に火神アグニと共に住みたいのです」。

 スカンダ(韋駄天)はその望みをかなえてあげました。こうしてスヴァーハーは、いつも火と共に住める事となり、その日以来、火中に供物を投ずるバラモンは、「スヴァーハー」と唱えるようになりました。

 さあ、このようにエロティックで奔放な説話が般若心経の神聖なマントラにまつわっていたとは驚きでしたが、私にはそれがかえって微笑ましく、また、ヒンドゥーイズムの層の厚さをも思わせてくれます。般若心経を読誦する時にこの説話を思い浮かべてみるのも悪くありませんよ。






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