ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

悪魔の位置づけ

2015年05月24日 | 日記
悪魔の位置づけ

 ある友人から下記のようなメールが来ました。

 何故アメリカ人はゾンビ(やその種のB級映画)が好きなのだろうか。ときどき、暇つぶしにムービーチャンネルで見ると、その下らなさにあきれつつ、理由が分からない。

 私は下記のような内容で返信しました。

 理由は2つ有ると思います。

①ローマ・キリスト教会(イエス・キリストでは無く)に性欲を抑圧された為に、歪んだ形で反発している事の現れ。日本人は宗教に性欲を抑圧された経験が無いのでこれを理解出来ない。

②「悪魔」の位置づけ
  日本では幽霊を心理の表れとして恐れますが、欧米では「人間とは違う化け物」を怖がります。
  日本人は「人間とは違う化け物」は怖がりません。その理由として、

  欧米では世界を「神と悪魔の対立」と見ます。

  神と悪魔の二元論です。

  つまり、世界は神の領分と悪魔の領分とに分かれ、

  良い事は神の領分、悪い事は悪魔の領分となります。

  一方、インド思想では悪魔もまた神の創造物で有り、悪魔には神の力を引き立てる役割が有ります。
  日本人はインド思想の影響を受けていますので、悪魔の領分を怖がりません。
  日本人にとって怖いのは心理の表れです。

 このようなメールのやりとりをした数日後、スワーミー・ニキラーナンダ著、日本ヴェーダーンタ協会発行の「スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの生涯」を読んでいましたら下記の表現を見付けました。

 ヒンドゥ教徒の心は、一概に善悪の道徳的区別をしない。両方とも現象界の事実であり、善悪を超越した絶対者がマーヤーに覆い隠されると、善悪が存在するかのように見えるのである。(ニキラーナンダ)

 「楽しみや歓びごとと同様、悪、恐怖、悲痛、絶滅のなかにも、直感的に『母』を認めることを学びなさい!」(ヴィヴェーカーナンダ)

 「『恐るべき者』を礼拝することによってのみ、『恐るべき者』を克服し、不死を勝ち取ることができる。死を瞑想しなさい!死を瞑想するのだ!『恐るべき者』、『恐るべき者』を礼拝なさい。『恐るべき者』を!『母』御自身がブラフマンであられる!『母』の呪いまでもが祝福である。ハートは火葬場とならねばならない。自尊心、利己心、欲望はすべて燃えて灰と帰するのだ。その時初めて『母』がいらっしゃるだろう」(ヴィヴェーカーナンダ)

 賢明な節理のなかに善、秩序、慰め、美だけを見るように教え込む西洋の信仰に育まれた西洋人の弟子達は、ヒンドゥの神秘家が呼び起こす『宇宙の実在』の台風に揺さぶられた。シスター・ニヴェディタは書いている。(ニキラーナンダ)

 「地震や火山噴火の際には心を神に向けることもなく、『優しい』神、摂理、慰めの神を礼拝することに潜む利己主義を語るスワーミージーに、聞く者達は圧倒されました。こうした礼拝が根底においてはヒンドゥ教徒が単に『商売』と呼んでいるものであることが理解されました。また善と同様に悪を通して神が示現されるという大胆極まる教えの真理を悟らされました。・・・」(ニヴェディタ)

 私のメールを、ヴィヴェーカーナンダが裏書きしてくれたようです。



コメント
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