阿南神召キリスト教会 礼拝メッセージ

徳島県の阿南神召キリスト教会の礼拝メッセージです

バルナバは慰めの子

2016-05-12 20:58:32 | Weblog

2016.5.8.バルナバは慰めの子

聖書: 使徒9:26-28、15:36-41、11:22-24

参照箇所 使徒11:22-24、Ⅱテモテ4:11

題   バルナバは慰めの子

暗唱聖句

使徒11:24「 彼(バルナバ)は、りっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。」

 

はじめに

 先週は四国教区のファミリーキャンプでした。60人ぐらい参加していたと思います。小さな子供から大人まで、仲良く遊びました。今年の素晴らしいことは子どもたちがキャンプをリードしたことです。各聖会の始まる前に、賛美したり、ダンスをしたりして、私たちを励まし、燃やしてくれました。メッセージは藤井敬朗先生(新中野キリスト教会の牧師)で、とてもわかりやすく、心の中にすっと入ってくるメッセージでした。慰められ、励まされました。藤井先生こそ、バルナバというニックネームで呼ばれても良い人ではないかと思いました。

 今日はバルナバというニックネームで呼ばれた人のお話です。本当の名前はヨセフと言うのですが、ほとんどバルナバと呼ばれており、本名を忘れていました。ですから、今日はこのバルナバの話をしたいと思います。来週は何の日かわかりますか。来週はペンテコステの日です。聖霊が降臨した日で、教会の誕生日です。その日から弟子たちが聖霊に満たされて活動しはじめました。その中にバルナバもいたのです。どんな人でしょうか。

1. バルナバは聖霊に満たされていました(使徒4:36、11:22-24)

 ヨセフと言う名前は、聖書の中に出てきますね。創世記に出てくる12 人兄弟の1人もヨセフです。このヨセフはエジプトに奴隷として売られ、やがて総理大臣になりました。それから、マリヤの夫のヨセフは有名です。イエス様の育てのお父さんに当たります。今日、みんなに紹介したいヨセフさんは、「バルナバ」って呼ばれていました。「バルナバ」っていうは「慰めの子」という意味があります。本名のように、バルナバと呼ばれるほど、この人は人々を慰め、励ますことが上手な人でした。このバルナバさんは、慰め主・助け主である聖霊に満たされた人だったので、人々を慰めたり励ましたりすることができました。

(使徒11:22~24)「11:24 彼(バルナバ)はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。」

「慰めの子」と言うのはギリシャ語で「パラクレーシス」という言葉で、聖霊の別名である「助け主」(ヨハネ14:16)の「パラクレートス」と同じ語源です。「パラクレートス」は、「援助のためにそばに呼ばれた者、とりなしてくれる人」のことです。(ヨハネ14:16)「 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。」

2.バルナバは、サウロを助けました(使徒9:26-28)

(使徒9:26~28)「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。9:27 ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。9:28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。」

かつてサウロはクリスチャンを迫害していた人だったので、みんなはサウロがイエス様を信じて弟子になったことを信じられないで恐れていました。しかし、慰めの子と呼ばれるバルナバは、サウロをみんなのところに連れて行き、サウロがクリスチャンを迫害する人からイエス様を大胆に語る人になったことを説明しました。その結果、サウロはみんなと一緒に神様の働きをすることができるようになりました。このサウロはやがてパウロと呼ばれて、世界中の人々にイエス様を伝えたり、新約聖書になっている手紙などを記したり、大きな働きをしました。そのきっかけとなったのは、聖霊に満たされていたバルナバが、サウロに対する誤解をといて、サウロを助けたことでした。

「サウロ」は、パウロのへブル名(ユダヤ名)のことで、「パウロ」はギリシア語名(ローマ市民名)です。使徒の働き13:9では「別名パウロ」と紹介され、それ以降は回想場面以外すべてパウロと呼ばれています。

 3.バルナバは、マルコを励ましました。 (使徒15:36-39、Ⅱテモテ4:11)

パウロとバルナバは、第2 回目の伝道旅行に出かけることになりました。バルナバはマルコを連れて行きたかったのですが、パウロは第1 回目の伝道旅行の途中で帰ったマルコを連れて行くことに反対しました。

(使徒15:36~40)「幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。『先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。』 15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい(第一回目の伝道旅行の時)、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。」

 このように、バルナバはマルコを見捨てることなく、マルコと一緒にキプロス島へ伝道に行きました。バルナバはマルコを励まして育てる働きをしたので、やがてパウロからも「マルコは役に立つ人(Ⅱテモテ4:11)です」と信頼される人に成長していきました。マルコ(ヨハネ・マルコ)はバルナバの従兄弟(コロサイ4:10)でした。このマルコは後にマルコの福音書を書いたマルコです。本当に、彼は、バルナバによって成長しました。クリスチャンになっても、主の為に役に立つことができるまで成長するには、誰か一緒にいて、励ましてくれる人が必要です。今、霊の親の勉強をしようとしていますが、まさにこのバルナバのような人になるための学びです。

4.結論 :聖霊に満たされている人は、人を慰め、助け、励ますことができます。

 神は愛です。ですから神の愛の中にいる者は人を愛するようになります(Ⅰヨハネ4 章)。同じように、聖霊は私たちを励まし慰め助けます。その聖霊に満たされるとき、自分自身が慰められる、励まされるだけでなく、人を慰め励まし助ける者になることができます。来週、聖霊待望会をします。皆さん、一緒に祈りましょう。 

証:藤井先生はまさにバルナバのような感じの先生でした。穏やかで優しい口調で語られました。小さな子どもにもわかるように人形や手品まで準備しておられました。

救いの証:藤井先生は18歳でクリスチャンになりました。お母さんがクリスチャンで教会に通っていました。ですから、小学3年の時に教会に1ヵ月行ったことがありました。しかし、日曜学校には女の子ばかりでした。ですから、行くのをやめました。それから、母親に反抗を始めました。神様はいないと反抗したのです。その頃、進化論を学び始めました。これにはまって母親をいろいろ困らせました。進化論はやればやるほどおかしいのですが、進化論を止めたら、神の存在を認めることになります。それをしないために進化論を支持していました。私は父母を敬いませんでした。なぜか、それは進化論的に考えると、父や母のほうが猿に近いからです。自分の方が猿より遠く、少し賢いと思ったからです。おかしいと思っても、そうやって反抗しました。

ある日のこと、目が見えなくなり始めました。だんだん視力が落ちて行きました。大学受験を目の前にした時のことでした。部屋が暗いと思いました。これはおかしいと思い、病院に行きました。すると、視神経が半分死んでいると言われ、やがて、失明するだろうと言われました。大學病院への紹介状が渡されました。大學病院で診てもらうまで2日間ありました。最初の眼科の病院から帰って、母にそのことを話しました。母は「そこに横になってごらん。お祈りするから。」と言って、私の目に手を当てて祈ってくれました。そして2日後、大學病院へ行ったのです。すると、先生が『おかしい』と言われました。私はもうだめかと思いました。しかし、そのお医者さんは「いや、何ともない。視神経は正常だ」と言われました。この2日間の間には誰も何もしていません。ただ、母が祈ってくれただけでした。

神様がいやしてくださったと言うしかないのです。

それから、しばらくして3月の終わり頃、バイブルキャンプがありました。そこに出席して、牧師の話を聞いていた時、突然、イエス様は神様だということが分かったのです。説教の途中で、神様を信じる決心をしました。それ以来、ずっと主を信じ、信頼して生きてこられました。

 藤井先生の背後にはお母さんとお母さんの教会の人たちの祈りがありました。母親の涙の祈りは必ず聞かれるのです。娘、息子のためにお祈りしているお母さん、希望を持って祈り続けてください。主は憐れみ深く、情け深い方です。 

5.適用

聖霊は、あなたをバルナバのように用いたいと願っています。助けてほしい、慰めてほしいと思っている人があなたの周りにはいないでしょうか。思い浮かんだら、その人の必要を考え、その人に近づいて、親切な行いをしてみましょう。「イエス様だったら、どうされるか」を考えると良い助けができます。

聖霊は、人を慰め、励まし、助ける力を与えてくださいます。今、私たちにその力が与えられるように一緒にお祈りをしましょう。


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