妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

すいませんがコメントはご遠慮いただいてます。選挙公約に関する記事はカテゴリから「野田聖子批判」を選択してください。

小菅刑務所を削って公務員住宅建設中の自民党など今度こそぶっ壊せ!

2009-07-22 00:01:29 | 野田聖子批判

ずいぶん久しぶりになってしまったが、あいかわらずこの国の政治のばからしさ加減には怒りを超えてあきれはてている。

言いたいことは山ほどあるが、今回は自民党は全く駄目だ。なぜ駄目か。東国原の件もあるがなにより自民党が民主党の政策を批判して財源がないとか言ってることには本当に頭に来てしかたがない。

確かに民主党の政策には財政的根拠が薄いと言えようが、自民党は自らが犯している税金をドブに捨てる自らの政策に対する反省の念はおろかこれを自慢のタネにしているようだから、盗人猛々しいにもほどがある。

確かに昨年秋の経済危機は乗り切った、と見る向きは多いだろうが、自民党はその世界金融危機を言い訳にしてとんでもない補正予算を組み無駄な公共事業をやりまくっている。そのひどさはたとえばここでもとりあげた荒川の土手のセメント無駄工事や小菅刑務所の敷地を一部削っての豪華公務員宿舎建設などに見て取れる。

これだけ民間が苦しんでいる間になぜあのような公務員住宅がさらに必要なのだろうか。ふざけるのもいい加減にしろ、と言いたい。

むろん、民主党がいいなどと言うつもりは全くない。自民党があまりにひどすぎるのだ。野田聖子を復党させ、公務員改革をさせないどころか消費者庁とやらを創設を決定し、無駄な公共事業をバンバカバンバカやりまくった税金無駄遣いモルヒネ中毒患者の自民党は消滅させればいいと思う。

先日細田が小泉改革は大学改革など進んでいるなどといっていたが、ばかも休み休み言え。法人化されても憲法違反の補助金漬けでしかも公務員でなくなっても首になる教授がいるわけでなし、定年が早まるわけでなし、いったい何が改革されたと言うのかふざけるな。

麻生が謝るべきなのは言葉遣いではなく政策が根本的に間違っていたことだ。
中川や森喜朗のような女性スキャンダルにまみれた野獣どもがえらそうな顔をして何を言ってるのかと思ったら今日には中川はころっと機嫌を直してしまった。

自民党は東国原をはじめ性犯罪者の天国なのか、こんな国にいなければならないみじみさにはらわたにえくりかえりつつも、共産党は候補者を半分ぐらいに減らすようだし、いったいどこへ投票すればいいのか。

共産党がいいと言うのではなく、とにかくもうこの国はおしまいだ。

久間にしろ野田聖子にしろいったいどの面さげて立候補するつもりなのか。

町村にしても東国原にすがろうとした元全共闘など恥知らずもいいところだ。

有権者をバカにするのもいい加減にしろふざけるなと全・前議員に怒鳴り散らしたい気分である。




野田聖子が大臣になって具体的に何をした?

2008-12-07 08:48:05 | 野田聖子批判

ずいぶんひさしぶりすいません。

とにもかくにも野田聖子がいまだに大臣でいるらしいということ、おそろしくてたまらない。
大臣や国会議員というのは一人当たり億単位の金が使われてしかも大臣が増えたり、新しく省庁を作ろうとまでしているのだから前回の選挙での野田の公約にあった財政赤字の批判はまったく反故にされたことは言うまでもない。

こんな馬鹿なことが許されて大口開けて給食か何か喰ってるところが新聞に写ってそれで大金をもらえるなんてむちゃくちゃな商売だ。

自分も立候補したいぐらいだ。


冗談はさておき消費者担当大臣とか少子化担当大臣とかできて問題が少しでも改善されたか。冗談じゃない。

これほど無駄使いしまくるあまりにバカげた国は滅ぶに決まっているから子供を作れなくなってるんだよ。

話は変わるが朝日は5日付けの社説で「教科書検定―密室の扉がわずかに開く」と題して教科書検定にかかわった者の名前を公表しろと言っている。

自分たちの社説などは一体誰が書いているのかまったく明らかにしていないではないか。

署名記事自体が全体の数パーセントに満たないぐらいではないのか。

あなた方こそ密室でこそこそ話して書いてるくせに何を言ってるんだ。


こんな馬鹿げたマスコミに国が右往左往していると十年後ぐらいには道にまで後期高齢者があふれ、うめき苦しむ生き地獄のような国になってしまうぞ。





自民党が野田聖子を公認するなら佐藤ゆかりや岐阜一区の選挙民に対する信義則違反になる

2008-01-19 13:36:19 | 野田聖子批判

新年明けましておめでとうございます。

最近あまりテレビなども見なくなり、ブログの更新もかなりサボっていますが今年もよろしくお願いします。

というか、今見たら元旦にも更新してたんですね^^;


報道によれば野田聖子が岐阜一区で自民党の公認を得ることになりそうだ。まだ本決まりかどうか分からないが、すでにこの動きは以前から顕著である、

もしこれが本決まりになれば、自民党はこのことに関して佐藤ゆかりだけでなく、選挙民をだましたことになる。

考えてみれば、前回の選挙では竹中は応援演説で「もうあの人に居場所はないんですよ」と言っていたはずだが、それを言っていた竹中は慶応大教授に出戻ってしまい、佐藤のほうが居場所がなくなりつつあるような情勢になっている。

政権が替わったから、とかいうことでこういう事態は許されるのだろうか。

佐藤の出馬に際してどういう口約束なりなんなりがあったのかは知らないが、もし佐藤が公認されなかったら、佐藤は何らかの手段をとって抗議すべきであろうと思う。

むろん前回の選挙で佐藤に投票した選挙民に対する露骨な裏切りであることも言うまでもない。

自民党はこの選挙区で「世論調査」を行なって野田が有利だと見たらしい。

はっきり言ってしまえばようするにこれは小選挙区制度の弊害の極端な例ではないだろうか。


たしかに前回の選挙で野田に逆風が吹いたのにも関わらず、野田が勝ったわけだから自民党はいわば野田に「ギブ・アップ」したということかもしれない。

しかし、自民党は自分たちがこういうことをすれば比例区でどれだけ票を失うかということは頭にないようだ。


前回の参議院選挙の敗北で自民党は少しは反省するかと思ったらかえって意固地になってしまってこれでは次回の選挙で政権を失うことになるかもしれない。


とはいえ、民主党の最近のざまはなんだろう。


小沢が何かしでかすたびに鳩山が謝るというあまりに馬鹿げた図式の繰り返し。


これでは鳩山も何のために学者から政治家になったのか分からない。学者もみじめかもしれないが、政治家もみじめなものだと思っているのではないか。

カメラに映るたびに鳩山は涙をこらえているようにさえ見えるが、弟も含め本当に情けないことはなはだしい。


だいたい前回の選挙で自民党が分裂したにも関わらず民主党は無名の若手新人をこの選挙区に出して全く対抗できなかったのはどういうことなのか。

あの候補でも勝てると思ったのか、それともどうせ勝てないと思ったのかは不明だがきっと後者であろう。


だいたいにおいて民主党に限らないが、有権者をひきつける候補がまるでいない。

芸能人がいいというわけではもちろんないが、あまりにも平凡すぎると言うか、知的な面においても体力的な面などにおいてもあまりにも力が無さ過ぎる一般人ばかりで一票を投じようという意識にさせる人は候補者にいない。

佐藤に関してはおそらく岐阜一区以外でも当選する可能性は高いし、そのほうがいいかもしれないが、やはり政治家になったのはマイナスの部分が多かったかもしれない。


自分の希望としてはいっそのこと今度は佐藤の方が自民党から離れて岐阜一区で野田と対決して雪辱してほしいものだ。

自民党も野田が選挙に強いことを確信しているなら、野田には重複立候補させずに正々堂々勝負すればいいと思うのだが、ぞれは無理だろう。


いずれにしても自民党が佐藤でなく野田を公認した場合の話であるが、これは非常に不当なことであるから、その場合には岐阜一区の選挙民が佐藤を当選させることによって自民党に反省を促してほしいという、自分の希望に過ぎない。



佐藤ゆかりは記者会見で全部自分で勝手に「支部長」という言葉を何度となく発したのだろうか

2006-12-14 02:01:32 | 野田聖子批判


最近色々と人様に抱いていた期待が裏切られたというかもろくも崩れ去ったというようなことが相次いでいるわけだが、自分を省みてみるともちろんそういうことはあったであろう。

はっきり言ってそういう自分だから人にも裏切られるのかも知れない。

自分が裏切られたと思っている人から言わせれば「お前こそ」ということになるんだろうと書いてきて、このことは前にも書いたな、と思い当たる。

よく考えてみるとここもだいぶ放置するようになってしまって申し訳ございません。

それといわゆる刺客候補の方にも失礼なことを書いてしまったかも知れないので自分もそうしたことなども含め色々な人のご期待を裏切っているかも知れないのだが、それでも安倍総理だけでなく、小泉元首相にも大変失望させられたということは言わせていただきたい。

小泉にしてもこれだけ造反議員の復党が世間的に注目を浴びているのから「使い捨ては当たり前」のようなことを「小泉チルドレン」の前で言ってないで、造反議員の復党に関してきちんと国民に対して説明すべきではないのか。

とにかく政治家であれ自分の周囲の人間であれあまり期待しないことだと感じる今日この頃。

先週あたりのワイド・ショーやそのダイジェストのようなものなどを見ているとあいかわらずテレビや週刊紙などというものはいとも簡単に世論操作というものをやろうとしているな、と感じられる。

何がまずいといってたとえば、ゲストのコメンテーターみたいな人たちに何か言わせるだけでなくて、岐阜一区の選挙民の声を聞いたりする場面がいくつか流れるが、たとえば「野田聖子に裏切られた」と怒る人がまずいないということである。

テレビに向かって思いっきりいかりをあらわにすることはさすがにできないという人が多いだろうが、街角のインタビューでそういう風に怒る人がいないと見てるほうまで、怒ってるのは自分だけで、きっと自分は大人気ない人間だ、あるいは怒りやすい人間だ、と思っておとなしくしなければ、あるいは政治家に期待しても仕方ないという、まさに「政治に対して無感心」な人をますます作りかねないのではないだろうか。


テレビではおもに選挙区調整と言った話しばかりが取り上げられているようだが、ようするに政策の中身は伝えられることはない。

早い話が、こういう政治風土、あるいはこうしたマスコミの世論操作によってこの国の政治というものは形づくられてきたと言っても過言ではない。

そのような政治風土をくずす政治家が小泉純一郎であり安倍晋太郎ではないかと思ったのは自分だけであったろうか。

最近佐藤ゆかりの記者会見で「支部長」という言葉がいくどとなく繰り返されたということが、これまたいくどとなくテレビで報道されている。

しかし、われわれが目にすることができるのは、「支部長」という言葉を佐藤ゆかりが口にしている場面ばかりであって、記者からの質問の場面などは全く映っていない。

他にも何度も繰り返された言葉があったはずだが、いずれにせよ、記者からの質問があったのか、無かったのかは記者会見の全てが流れたわけではなかったので判断はできない。

もし記者の質問に答える形で「支部長」という言葉を繰り返したのだとしたら、そのことにはもちろん触れるべきであろう。

佐藤ゆかりのほうでももしそういうことがあったならば自分のサイトで説明してもよいのではないだろうか。

もしかしたら何か書けば誤解される、あるいはねじまげられる、と思っているのかもしれない。

自分は佐藤ゆかりが支部長ということを繰り返しても問題はないと思うがテレビをみる限り、まるで佐藤ゆかりが威張っているかのような印象操作をしているように思えてならなかった。

もし支部長という言葉を引き出させるマスコミの質問があったなら佐藤ゆかりが「支部長」という言葉を繰り返すのは当然だと思う。

その事に関しては確かめようがないが、記者からの質問にこたえる必然性からというのではなく、自分一人で20回以上(たしかテレビの番組では「21回」だったように記憶している)もこの言葉を本当に発したのだろうか。


たしかに今は選挙期間中ではないからある程度の報道の自由はあるだろうが、あまりにも一方に不利な報道のしかたは明らかに問題である。

このように書けばすぐに「報道の自由」あるいは「言論の自由」などということを言い出す人もあるかもしれないが、たとえば週刊紙にかかげた写真にあまりよろしくない言葉を載せているあるところもあるようだ。

こうしたものを見過ごしていてはよくない。

政治家本人だけでなく所属する政党が全ての党員を守る立場にあるなら、しかるべき対応をしてほしいものだがもはやあの政党に期待すること自体が間違いであるようなので、どうしようもないという絶望の言葉で今日もこのブログをしめくくらなければならないのがとても残念だ。

最後になるが小泉が「チルドレン」の前で「使い捨て」云々まくしたてていたのもたしかその「演説」の一部であったと思う。

最近、政治に限らず何がなんだかわけが分からなくなってきたが、これもテレビに関して昔言われたところの「一億総白痴化」とかいう効果?なのかもしれない。




自民党および安倍晋三には完全に裏切られた!誓約書は郵政造反議員でなく安部総理が書くべきではないか。

2006-12-02 01:58:54 | 野田聖子批判

最近はニュースなどはあまり見ない。

なぜかと言うとはっきり言ってあまりにもばかばかしいからだ。

そんなことは最初から分かってはいたが、「ブログ」というものである程度意見をいうことができることの興奮を味わっていたのかもしれない、と毎日更新していた頃のことを思っている。


しかし最近嫌でも目や耳に飛び込んでくるニュースを見たり聞いたりしていると、どうも「自民党」という組織や安倍晋三という個人に関して自分はとんでもない思い違いをしていたような気がして残念でならない。

はっきりとは分からない、というより、信じられないことだが、この首相の座についたとされる人物は「郵政造反議員」の復党に関してGoサインを出したようだ。

一体どういうことなのか、この人の言い分を聞いてみないと分からないが、先の総選挙でこの安倍という人物はいわゆる造反議員に対して刺客候補を送る立場にあってその選挙手法を実行した人物であったはずだ。

こちらをご覧ください

自民党に投票した人はその選挙手法をも認めて投票したものと思われるが、首相になってまもなく、あの造反議員に対して恩赦のようなことをしているのは一体どういうことなのか。

はっきり言って選挙権を持つ国民の一人として言わせてもらえば、「誓約書」を造反議員に出させる前にまず安倍首相をはじめとする自民党幹部に誓約書を書いてもらいたいです。

というか、いわゆる刺客候補の方々も契約書のようなものをきちんと自民党と取り交わしておくべきだったと思うが、まさかこんなに早いとこ造反議員が戻ってくるとは自分も思わなかったし、「刺客候補」の方々も思わなかったということでしょう。

早い話が「世間知らず」というか、政治の世界が「一寸先は闇」ということが頭では分かっていても実感できていなかったのかも知れませんね。


安倍さんには国民に対して誓約書を書いて公開してほしいわけですが、その中身は自分で考えるか、それが無理なら昔の家庭教師だった平沢勝栄さんにでも考えてもらってくださいな。

こういう人が総理大臣とは全く情けない、というよりあきれますな。

こういう人は政治家ではなくてサラリーマンをずっとやっていたらよかったんでないですか?

すいません、サラリーマンのみなさんに失礼なことを申し上げました。

やっぱり「生まれつきの政治家」だということなんでしょうか。。。


この人が政治家にならなければ少なくとも自分はこんなにストレスがたまることはなかったでしょう。

なんつったってこの方のお父様が亡くなった時には本当に残念に思ったものの一人として、これほどまでに私を失望させてくださるとは思いませんでしたよ。

ようするに政治家というのはいわゆる世渡りというのは違うかもしれませんが、柳が揺れるようにあっち行ったりこっち行ったりするのが出世の秘訣なんでしょうか。

あるいはどんなに周りから批判されても全くおかまい無しの人たちの集まりなんですかね。



ちなみに最近安倍首相は全国の知事にお説教されたそうですね。


こちらをご覧ください

不祥事に関して述べたものですがこんなことをおっしゃってますね。

*********************************
政治家にとっての初心とは選挙で選ばれた時の民意だ。一連の不祥事が事実なら知事は民意に背き、選挙時の熱意や志を忘れたのではないか。
*********************************


やっぱり政治家の人とかテレビに出てる人というのは自分のことを棚にあげられる人がもっとも成功するということでしょうかね。

先ほどリンクで示したニュースのページの内容を少しでも覚えてる者には知事のみなさんに安倍総理が言った言葉はまず安倍総理が自分自身にいうべき言葉ではないかと思うのですが、ようするにこの人も自分のことは棚の上に上げて恥じることがない人だということのようですね。

「士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しと為す」(過ちがないことを重んじるのではなく、過ちを改めることを重んじる)という言葉も引用したそうですが、今ご自分のなさってることが「過ち」だと思ってくださるよう希望します。


このままもし野田聖子をはじめとする「造反議員」が復活するとすれば、国民から見ればいわゆる刺客候補の方々は「だまされた」ようなものではないでしょうか。

委員会採決に欠席したとかで、処分されかねない状況にある方も数名おられるようですが、まず今の自民党幹部がやろうとしていることから果たして本当に自民党のためになるのか、有権者を裏ぎることにならにのかよく考えてほしいけど、無理でしょうね。

造反議員が自民党にもどったら刺客候補の方々はそのうち政治家なんてやめてしまって評論家としてコメンテーターや講演活動などをしたほうがいいかもしれません。

政治家になるにはあまりに優秀な人が自民党のような組織でつぶされてゆくのはあまりにお気の毒な気もしてきました。


それぐらい自分はあきれてるということです。


自分も決して完璧な人間ではないですが、とにかく正直者が馬鹿を見る世界だとつくづく思う今日この頃です。




野田聖子の在宅秘書の障害者の方にも野田のサイト消去などについてきいてみたい

2005-10-09 23:02:20 | 野田聖子批判

野田聖子氏も法案賛成へ 「反対の政治主張、完敗」 (共同通信) - goo ニュース

どうも野田聖子がついに郵政民営化法案に賛成することを表明したようだ。

今さら何を言っても仕方がないが、選挙の結果民意が賛成だから自分は賛成ということらしい。

何でも「完敗」だそうだ。

では、あなたの当選はどういうことなのかね?といっても仕方がないな。何せサイトを消してるんだから。

そういう人に何を言っても仕方ないが、野田聖子にPCの操作を教えたとされる障害者の方は果たして野田のサイトが消されたことにかかわっているのだろうか。


この事に関する情報はこちらにああります。


今でもその人が野田の秘書かどうかは分からないが、ここを読むと県内の障害者グループの人でその人が野田にPCの操作を教えたらしいから、その人が今も野田のサイトの管理などをしていて、野田のサイトを消した可能性も否定はできない。

障害者だからどうとか言うわけではないが、その方にも今の野田がやっていることをどう思っているのか訊いてみたい気がする。

むろん今も秘書でこういうことにかかわっているのならそういうことをして全く疑問に感じないのだろうかということを訊きたい。


野田を支援している全ての人たちならびに援護しているマスコミの人にも言いたい。

自分たちがPCの手ほどきをした、あるいは支援した、あるいは一票を投じた人がこれほどいい加減な人間で恥ずかしくないのですか。

誰がやったにせよ、選挙公約を告示直前にアップしたり消したり、あげくのはてにサイト全体を消してみたり、野田だけでなくこういうことにかかわってきた全ての人間の卑劣な行為は私はきっと長く忘れることはできないだろう。


マスコミはぜひその障害者のスタッフの方を割り出してインタビューも取ってほしいものだ。

23:37追記:アップしてから少しずつ文体などを直しています。  
                       
                            文中敬称略



野田聖子がテロリストに理解を示しているかのような昔の講演内容

2005-09-25 00:09:49 | 野田聖子批判

これも消えるかも知れませんが、まずこちらのページをご覧ください。

野田聖子のサイトを見たときすでにここでも取り上げたこちらのページを見て、私はこの政治家は非常に問題がある政治家だとおもった。

かなり前のものだが、ここにまとめられた講演の内容は全体的なつながりなどが非常に分かりにくいのであるが、そこに示されたテロに対する認識、あるいは小泉のテロに対する姿勢を批判する考えは私のテロに対する考えとは対極に位置するもので、こういう政治家がこの国にいて未来の女性総理などともてはやされていることに国民として大変な危惧を抱いて今日まで至っている。

全体的な文脈などは上のページで確認していただきたいがいずれにせよ長めの引用になることをお断りしておく。野田はこの講演でテロに関して何度も否定してはいるのだが、同時にテロと戦うブッシュの姿勢を支持する小泉の姿勢に対しても疑問を投げかけている。以下青の部分が引用になる。


二つの面があるんですね。まず、日本国総理がアメリカと組んでテロに対応していくよという声明を出すということは、一つにはアメリカにテロを仕掛けた人が日本の敵になるということなんです。それはいわば日本がアメリカになるということですから、アメリカにテロを仕掛けてきた人たちがその瞬間、日本にも民間機を乗っ取ってビルにぶつけるというようなことをやっても、やむを得ないという状況を宣言したというふうに置き換えても間違いないと思います。だから、それなりの覚悟を私たちはしているの?ということを皆さんに問いかけたい


たしかにアメリカの味方をするということはテロリストにとって敵対勢力になることにもなるだろう。

しかしだからといってテロに対する姿勢として、日本がアメリカと協調してゆくということ以外に(野田は「アメリカと組んで」という言い方をしているが、こうした言い方にも私は反発を覚える)選択肢があるのかどうか私にはよく分からない。


野田は日本がテロの危険性にさらされる可能性をしきりにこの講演の中で強調しているのでじっくりよんでいただきたいが、以下のようなことも言っている。


私は政治家としてイスラム関係の人たちと付き合いがあるわけではないんですが、私自身は大学で宗教学というのを専攻しましたし、卒業後は社会人として帝国ホテルというところに勤務いたしました。そこで本当に痛いほど感じたのは、特にイスラム文化圏の人たちの宗教に対する形というのは、日本人の想像を絶するような世界なんだということです。


ここで野田はイスラム教文化一般に話を広げているが、こうした書き方からは野田がイスラム文化圏についていかにもよく知っているということをにおわせるものであるが、果たしてその中味はとなると非常に抽象的というかきわめて大雑把な事しか書かれていない。

たとえば以下の引用に見られるような日本人の宗教観とイスラム文化圏の「比較」を見るとき、これが大学で宗教学を勉強したり、帝国ホテルでイスラム文化圏の人たちに接することがなければ知りえない事なのか非常に疑問に思う。


私は、日本人の宗教観は日本独特のものであるということを認識しておかなければいけないと思うんですね。片やイスラム文化圏の人は、いろんな神様や仏様とお付き合いする私たちの人生と違って、たった一つのアラーという神に身も心も家族も何もかも捧げる。

 そういう国の人たちの集まりがイスラム文化圏なんだと。日本人の悪いところは、八百万の神を信じているから、身を捧げるまで、仕事を棒にしてまで一神を信仰する人のことを自分たちの間尺に合わないからおかしいと見なす傾向があるんですけれど、そこが日本の外交の誤りだと。それはそれで国として成り立っているということに、敬意は表さなくても理解していかないと、この先テロの問題で大きな誤解をしていくのではないかと思っています。その人たちが大切にしてきたものを何か踏みにじった行為がアメリカにあったのではないかということも、アメリカの友達であるならば日本は研究していかなくてはいけないと思います。



こうしたきわめて大雑把な文化論をテロと結び付けて論ずる野田の姿勢には非常な疑問を感じざるを得ない。

私は現代のグローバルな社会において、テロということを論じる際、テロリストの思想なり行動様式をイスラム文化一般の話しに埋没させることは非常に危険であると思っている。

別にテロというのはイスラムの専売特許ではなく、極端な話し、日本人でも国内・外でテロを起こした事はあると思う。

規模や性質は違うかもしれないが、地下鉄サリン事件や、かなり昔の事件だが、岡本公三らによるテルアビブ空港での銃乱射事件などがそれに当たるものだと私はかんがえている。


野田は上の引用の最後の部分で「その人たちが大切にしてきたものを何か踏みにじった行為がアメリカにあったのではないかということも、アメリカの友達であるならば日本は研究していかなくてはいけないと思います」と言っている。

私にはこれが具体的にどういうことを指すのか必ずしもよく分からないが、野田は以下のように言っている


中日新聞かどこかだったと思うのですが、テロの記事の片隅に、実はブッシュ共和党大統領はこれまで禁じていたイスラエルへの武器の輸出を認めることにしたという二行ぐらいの記事がありました。本当はそれが大きく出るべきではないかなと私は思うんですが、そういうものがきっかけになってたんじゃないか、と。ただ単に狂ったように人を殺したい集団ではないわけで、彼らにとってみると、そこまでに至る経緯というのが必ずあったんだということを、私たち日本人は、テロをなくすつもりであるのだったら考えなくてはいけない。新聞の小さい端っこのところにわずかに載った記事ですけれど、共和党はイスラエル、つまりイスラムの文化と対立している国に対して中立の姿勢を取らずに偏った姿勢を取った。それに対してある程度の怒りがあったのではないか。そこで何か交渉があったのではないか。その結果、決裂してあのような悲劇が生まれたのではないかというぐらい、やっぱり考えてやっていかないと。日本人というのは表面的な、せつなせつなで動く民族だなというまた新たな国際社会でのレッテルを張られることを、私は一人の国会議員としてとても心配しています。


どうも野田はイスラエルに対する武器輸出をテロの理由として考えているようだが、ここで具体的な証拠が挙げられているわけでもなさそうだし、この考え自体きわめておぼろげな形で示されているに過ぎない。

特にそこにある「交渉」とか「決裂」とかは一体何を根拠に何を指していっているのかかさっぱり分からない。


私は国際政治に関しても度素人であるのでよく分からないが、911のテロというのはイスラエルに対する武器輸出が原因で引き起こされたというたぐいのものではどうしても思えない。まずアルカイーダが911のテロを引き起こしたということは事件後すぐに報道され、定説になっているはずであろうから以下はその前提での話になる。

まず中東情勢全般に関しても私は野田の考え方は理解ができないが、イスラエルにアメリカが武器輸出をしたから911がおきたというのではなく、その前からアルカイーダはアメリカに対するテロを引き起こしていて、「武器輸出」などとは関係なくアメリカに対する大規模テロを計画していたと考えるほうが自然だろう。

第一、911の犯人たちはアメリカ国内などに長いこと住んでいて、飛行機の操縦訓練などもしていたのだから、このこと一つとっても、野田が言うような武器輸出というような「ニュース」がきっかけになってテロが起こったとは考えにくいのである。


野田の講演を読んでいると、イスラム文化一般とテロを結びつけ、さらにはアメリカの武器輸出とテロを結びつけるようだが、その考えが私には分からないが、私などには日本人も911で犠牲になった人もいるということが忘れられているような気がしてならない。

たしかによその国で起きている事ではあるけれども、このテロに関しては野田のような他人事のような論じ方ではなく、むしろ自分たちの国民も被害者になっているという当事者意識を持つべきではないだろうか。
この講演はかなり以前のものだが、私は野田が非常に危険な政治家であると思う理由はここで非常に明らかにされていると思う



明日(明日更新するかどうかも分かりませんが)からはたぶん普通のブログ?にもどると思います。


                           文中敬称略

このキャッシュを私なりに分析?すると。。。

2005-09-24 02:11:46 | 野田聖子批判

こちらのキャッシュのページは非常に分かりにくい。


自分は最初このページを見たことがないような気がした。しかしよく考えてみるとたしかにこのページはあった。

「政策提言」の目次みたいなものであった。

まるで虫食い算みたくなっているが、ようするに画像やロゴのようなものがはがれ落ちているわけである。


これを最初にみた人はなんだこれは?と思うだろう。


つまり上のほうに六つの段落があり、下に「私の主張」と題されたものが六つある。しかしこれらは順番ごとに対応しているわけではない。かと言って全く関係ないわけではない。


これはどういうことかというと、もともと「政策提言」というページは野田が選挙公約を発表する前からあったわけだが、「これが私の選挙公約です」の特に最初のものがあまりにもでたらめであったために、どうしても消さざるをえなくなったが、それだけを消して、そのままそのコーナーを維持するのは自分の誤りを認めることになるので、無理やりそれ以外の選挙公約を政策提言に押し込んだことを示すものであろう。


つまりもともとある程度政策提言のところにも「政策」は書いてあったわけだが、それと選挙公約を混ぜ合わせて編集するとこういうことになったということであろうか。

たしか憲法論議などは選挙公約のほうには書いてなかったはずである。


さてこのキャッシュのページで特に問題にしたいのは「財投債」の部分に関してである。


私は全くこうしたことにはうといのだが、こちらのページなどでにわか勉強?した結果、財投債をなくすことを野田が選挙公約に掲げていることには非常に疑問を感じていた。


このキャッシュのページそのものには出ていないが、野田は財投債の発行はやめて、自前の財投機関債を発行してそれで特殊法人を運営させるべきだと主張している。

しかし、少なくとも郵貯・簡保が財投債を買うという仕組みはあと2、3年で終わるのではないか。

そのことを実は野田自身書いている。

私はそれで財投債がなくなるということかどうかは分からないが、「特殊法人は自前の財投機関債を発行して運営してゆく」ということはすでに実行に移されている、あるいは激論の末、そうしようとして努力しているもののなかなかそれがうまく機能しないことではないないだろうか。


何年か前に書かれたものだが、たとえば
こちらのページなどをみると、財投機関債の発行では充分な財源が得られず財投債を発行してしまうという悪循環に陥っているといえるのではないか。


財投機関債自体が財投債の代わりとして機能しうると考えることに関して異を唱える論考などもあるようだが、現在の運用状況に関しては私は残念ながら分からない。

ただいずれにせよ、野田が選挙公約としてこれから未来にかけて「こうしていこう」という政策には少なくともなりえないものであるのではないだろうか。


たとえばすでにペイ・オフの実施が予定されていた段階でペイ・オフの完全実施といったことを公約に掲げるようなかきかたとは明らかに違うし、これはいわゆる2000年ごろの「財投改革」より前にありえた議論であって、今現在こういうことを選挙公約に掲げることはおかしいのではないか。


こういうことは全く詳しくないので、このような書き方をしていてもどれだけ自分の言っていることが当たっているのか非常に心もとないわけであるが、アップされた日付(年も入っていた)を入れて選挙公約として発表したものを、「政策提言」に入れて日付は一切示していなかったわけだかから、もしかしたら野田がこの「政策提言」をはるか昔に発表していたと思わせるようにしくんだ可能性はある。

しかし、それでもなんとも理解に苦しむのは野田が最後に選挙公約として発表した段階で最後に「郵政民営化6法案の対案として、私は国民の皆様に上記2案を提案します」とかいてあった部分が政策提言に引っ越されてもそのまま引き継がれていたわけであるから、最近発表されたものであることは明白であった。


そうしたことをもしかしたら誰かに指摘されて面倒くさいから全部消そう、ということになったのかもしれないが、これもあくまで推測である。

いずれにせよ、野田はサイト全体を消したわけであるから、その内容に疑問を抱いていたほうとしては自分の疑問があながち間違っていなかったのではないかと思うわけである。


ちなみに昨日示したページでも財投に関して触れているが、非常に分かりにくい書き方ではあるが、選挙公約にあったこととは全く違うことを書いていたようだ。

そちらに書いてあったことだと思うが、特殊法人を一つずつ廃止できればそれに越したことはないとは思う。

こちらのニュース

がそのような例ですが、今渦中の平沼はこれに対してどういう反応をして、石油公団がその後どうなったのかすみませんが、これまた不明です。(この部分などもあとで修正する可能性があります)


選挙公約に書いてあったことなどに関してはまだまだ疑問点はたくさんあるが、疲れたので、今日はこの辺で失礼します。

ちなみに財投債はそれ自体財投債と銘打って発行されるわけでなく、国債の一部が財投債に当てられるというのが正確なとらえ方のようであることをある議員の方の国会質疑の記録で見ました。そのページはまたあとではるかも知れません。

あと一回?でこのカテゴリーは完結??の予定です。


                        文中敬称略

政策研究大学院大学飯尾潤教授のコメントに関する疑問 自民党岐阜県連も松田岩夫を処分しようとした

2005-09-23 01:27:45 | 野田聖子批判
             
               きょうも同じような内容ですみません

一昨日の報道ステーションで飯尾潤という政策研究大学院大学?とかいう難しい名前の大学の教授がいわゆる造反議員に対する自民党の対応について批判しているところを途中から見た。

わたしの記憶が確かなら、1)郵政民営化法案の採決の前に反対票を入れれば処分することを知らせるべきであった2)欠席・棄権した議員との間で対応に開きがある3)小泉が記者会見で「個人によっても違うと思いますし」と言っていたが、具体的な中味はよく分からないということを言っていた。


まず1についてであるが、採決の前にどれだけの警告が自民党からそれぞれの議員に発せられていたか知らないが、小泉は、自分が目指す改革を自民党が邪魔するときは自民党をぶっ壊す、と言っているのでそれで充分ではないだろうか。

またかりに法案に反対なら除名されるということが分かっていれば投票行動を変えたのに何だ、ということであればそういう議員は政策よりも自分の身の保身が大事だということであり、もちろんモラルが問われるはずであり、採決の前に具体的な処分が示される必要はむしろ全くないであろう。

もっとも現在野田聖子を筆頭に多くの造反議員が今さらながら自民党にまつわりつくため政策を消したり変えたりしているわけで、この問題の根は深いと思う。

もちろん政策などどうでもいいというなら話は別であるが、いやしくも政策研究大学院大学教授という肩書きの人がまさか政策は二の次で、党でどのような扱いを受けるかが大事だなどとは考えてはいないはずだが、こういうコメントを聞いていると何のために今までマニフェストの比較・検討をやっていたのか首を傾げたくなる。


2に関しては、反対票と棄権あるいは欠席では法案の採否に関して影響力ははっきり違うのだから対応が同じではむしろまずいであろう。

3に関してはまだ党紀委員会は開かれていないのだから小泉が具体的なことを言うべきではないだろう。


というわけでわたしには全くこの飯尾という人のコメントが理解できなかったのであるが、特に3に関して、あるいは野田聖子および岐阜県連全体に関してくり返しになるが、野田を応援したものは全員除名とすべきことをここでも主張しておきたい。


まずここで押さえておくべきことは、岐阜県連はここへきて急に態度を豹変させているようだけれど、今現在自民党がやろうとしていることを自分たちがすでにやろうとしていたということをまず忘れてはならない。

たしか松田岩夫参議院議員のほかにもいたと思うが、それも選挙中だったと思うが、自民党岐阜県連は野田を支持しない松田岩夫らに対する処分の方針を明確に打ち出した。

たしか野田以外の候補を支援したので処分ということを発表したわけだから、自民党が今現在、自民党岐阜県連全体を処分しようとしていることに関して野田のようにこれを非道ということは自分たちが非道といってるようなものではないか。


しかも野田の場合、夫の鶴保庸介ら他の議員に対して郵政民営化法案に反対するよう働きかけたことは明確である。

しかも誰の応援かは分からないが、他のいわゆる造反議員の応援演説にも駆けつけていて、自民党に対して非常に不利になるようなことを数限りなくやっていることは広く国民が知っていることである。


またテレビなどに映る野田の姿はいかにも自民党が自分をいじめているというような姿を映し出すもので、自民党のイメージダウンをもたらすものであった。


選挙後に映し出された映像でも阿鼻叫喚のごとく泣き喚きながら、自民党本部から毎日嫌がらせをされている、などと泣き喚いていたが、その証拠や根拠などは示されていない。

このことの真偽はどちらもごまかすことなくはっきりさせるべきだと思うが、いずれにせよ「野田聖子を助けてください」とか、「野田聖子を殺さないでください」と叫んでいる姿を見てこれは最近大ヒットした映画『世界の中心で愛を叫ぶ』じゃあるまいし、あんなことを道端でしてるのは大醜態も大醜態、みっともないことこの上ないと思った。


そもそもこの演説にしてもテレビカメラが真正面からとらえていたのだから、非常に意図的なものを感じざるを得ないが、いずれにしてもああいう感情むき出しのようなことをする人間は政治家としても問題があるばかりか、もしこういう人間に子供ができたらどうなるのかとさえ思うほどの大失態のように私には思えた。

いずれにせよ「こんな党ではなかったのですがね」とも叫んでいたので、事実関係を確認して、しかるべき措置が取られるべきだと自分は思う。


さらに今回の選挙とは直接の関係はないが実は野田聖子は今回自民党岐阜県連による処分が取りざたされた松田岩夫の実名をあげて『私は、産みたい』の32ページから34ページのあたりで取り上げている。

体調を崩した翌日に松田の後援会総会があってそれにどうしても出席しなければならないとおもって挨拶だけしたといったことなどが書かれている。

詳細は本を読んでいただければ幸いだが、私はこうした書き方もご当人にとっては非常に迷惑な取り上げられ方であるように思えて仕方がない。

むろんこれは私個人の感じ方に過ぎないが、野田は『私は、産みたい』で実名をあげる場合と挙げない場合があるのでその区別をどのような意図のでやっているのか自分には分かりにくい。

ちなみに113ページに出てくる夫婦別姓に反対の首相経験者は、そこまで言っているのに、なぜか名前は挙げられていない。


いずれにせよ野田聖子という人物の感覚が分からないという点は多いので、また同じようなうなことを二回ぐらい書くかもしれません。



                  
                       文中敬称略

週刊文春はまさか今さら佐藤ゆかりバッシングをやめて野田聖子バッシングを始めるのではないでしょうが

2005-09-22 00:51:39 | 野田聖子批判

週刊文春を見たら野田聖子に関する記事があったが、またしてもわが目を疑った。

こちらに書かれているタイトルをご覧いただければわたしの驚きもうなづいていただけるかもしれません。

「野田聖子は県連幹部にも叱られフテ寝の日々」という記事はどうもさすがの週刊文春も野田聖子を批判せざるをえなくなったのか?と思わせるものであった。

週刊文春の選挙予測が全く外れたことに関してはすでにかなり批判されているし、いわゆる選挙妨害に関してもすでに佐藤ゆかり本人が法的処置をにおわせる発言をしていたと思うのだが、そうしたことと関係があるのだろうか???


また昨日は週刊文春が抱えていた他の長期間にわたる係争事項に関する和解のニュースも出た。

こちらの朝日のページをご覧ください。


これまでにもいくつか週刊文春は裁判に負けて、そのたびに小さな謝罪広告で切り抜けてきたと思うが、今回の和解では見開きカラー2ページにわたる掲載を年末までつづけるということだから、請求金額が莫大だったことに比べれば、これでつりあうのかどうかは分からないが、文春としてはかなり大規模な譲歩であろう。


佐藤ゆかりが週刊文春に対してこれから具体的にどのような対応をとるのかはまだ分からないが、今週号でも他の一年生議員らとともに大衆の耳目を引きそうだと文春が考えているらしい(当たり前か)記事が今週も出た。


しかし、これまでの週刊文春の記事と比べてみると明らかにその筆致は違っているように思ったのはわたしだけであろうか。


週刊文春は佐藤ゆかりに関してきわめて厳しい論評を下していたはずである。

全くいやみが抜けたわけではないが、それでも批判的トーンが今回はかなり薄まった印象がある。


私は週刊文春が佐藤ゆかりに対して行ったことに関しては今後司法の場で議論され、裁かれるべきものだとは思うが、もし週刊文春が自分たちがついこの間までやってきたことに関してきちんとした説明もなしに佐藤ゆかりに対する批判をやめて、今度は野田聖子批判を始めたら週刊誌とはいえこれまたひどい話だと思う。

さんざん小泉批判をしておきながら首班指名で小泉に入れたどこかの卑劣漢と同じ人間性しか持ち合わせていないことになるのではないか。



これと単純な比較はできないが、たしか10年ぐらい前にも林葉直子の告発をさんざん報道していながら、林葉が批判するのをやめたか何かで今度は文春が林葉に食ってかかったということが前にもあったと記憶する。

週刊文春に限らず何かの拍子に突然マスコミが論調を変えるということはよくあることで野村夫人も田中真紀子もそのような感じでバッシングされたと記憶する。


週刊文春も紙面で謝ってばかりいたら謝罪広告で紙面が埋め尽くされてしまう可能性もあるので、適当に批判をかわそうということか、あるいは週刊文春自体野田聖子のような無定見な政治家をそれとなくよいしょしていたらいい加減、自分たちまでおろかだと思われることに気づき始めたのか、耐え切れなくなったのか知らないが、いずれにせよ最近の週刊文春はひどすぎてお話にならない。

断わるまでもないが私は週刊文春が佐藤ゆかりバッシングを続けるべきだといっているのではない。

(追記:その点を誤解なきものにするため、22日午前一時半にタイトルを少し変えました。これでも誤解されるかもしれませんが、最後の「しょうね」を「しょうが」に変えました)


自分の持論に近い論調はマスコミであれ政治家であれ、それらしきものを見れば喜んだりはするが、何の説明なり釈明なりが全くなく方針転換した結果が自分の主張しているところと似たものになったと思えるようなものならひどく気分を害される話である。

自分たちの報道姿勢を自らかえりみることがないこの国の風潮が週刊文春に限らず実に歯がゆいということを言いたいので、ここで野田聖子について書き続けているのもそうした風潮に異を唱えるためにやっているつもりである。


                       文中敬称略

野田聖子は公明党との選挙協力をいましめていた

2005-09-19 22:16:56 | 野田聖子批判

現在の選挙制度はわたしのようなものには非常に分かりにくい制度であるが、どうも自民党の東海ブロックで比例単独で出馬して当選した人はいないようだ。

こちらの下のほうをご覧ください

もし岐阜一区で佐藤ゆかりが当選していたら自民党の比例単独の人が一人当選していたということであろうか?よく分かりませんが。

こんなことは当たり前かもしれないが、こういう事実がある以上、野田聖子だけでなく、野田を応援した地方議員や鶴保庸介もみな除名処分にすべきだと自分は思っている。


さて野田は選挙後、「小泉首相は選挙の天才」と述べたそうだ。

野田がこれをどういうつもりで言ったのかは分からない。

「選挙の天才」ということは他のことに関しても天才ということを言ったわけではないかもしれない。

野田の発言の真意を探るのはここでも難しいが、いずれにしろ小泉を持ち上げているような響きがあることは否定しにくいであろう。


さて野田はサイトを消してしまったので、どうしようもないのであるが、「自民党の終わりの始まり」と題された平成16年7月26日の「ひとこと」でこんなことを言っている。青い部分をご覧ください。

これも保存するなら今のうちかもしれません。

22:46分追記:すいません。もう消えました。なぜかよく分かりませんが、だんだんこわくなって自分が消えるかもしれません?!

政権与党として政策を実現していくには、公明党との友党関係の下に支持を得なくてはならないことは当然です。しかし、政策展開と党の基盤づくりは次元を異にする問題です。ここ数年、なし崩し的に深められてきた自公の選挙協力の結果、失われたのは自民党の存在意義ではないか、と断じざるを得ません。「選挙区候補は自民党、比例は公明党」という投票依頼の言葉に違和感を感じるうちに軌道修正を図らなければ、将来、どうなるのか。自民党が踏みとどまるべき時がきているように思います。


キャッシュも消される可能性があるのでやや長めの引用になるが、ここで野田は公明党との選挙協力に釘を刺しているわけである。

しかし野田は今回の選挙で公明党の協力を得たことがよく報道されていた。

こちらをご覧ください。

ここでは最後のほうに「野田氏陣営は『支持者に比例で公明への投票を呼び掛けるなど、協力していきたい』と話した」とある。

もっともこれには後日談があるようで、公明党のほうも軌道修正を余儀なくされたようだが、自分もこれ以上のことはよく把握していない。


しかし、野田が「『選挙区候補は自民党、比例は公明党』という投票依頼の言葉に違和感を感じるうちに軌道修正を図らなければ、将来、どうなるのか」と言っていた言葉は他の言葉とともにWEB上からも消されてしまったことは確かである。


自民党と公明党の連立自体、矛盾を含むものだったかもしれないが、いずれにせよ野田は言ってることとやってることがあまりにも違いすぎて、私には全く理解できない。

野田は郵政民営化法案に反対したことについて、自分のため選挙のために信念を曲げることはできなかった、などとと言っていた。

テレビなどでは自分のサイトを閉鎖していることは報道しないことになっているようだが今となってはこの人から「信念」と言う言葉が吐かれたことに矛盾を感じている支持者の人も多いのではないか。


わたしがこの政治家を信頼できないと考えている理由をこれまで示してきたつもりであるが、これからも批判するときは自分なりに理由をしめしてゆきたいと考えている。

最後までお読みいただきありがとうございます。




                       文中敬称略


田原総一郎、松原聡、草野厚は誰の回し者?鈴木宗男よりでかい声の草野にマイクはいらない

2005-09-18 23:22:05 | 野田聖子批判

今朝はサンデープロジェクト、サンデージャポン、NHK将棋講座と三またをかけていて、しかもビデオもないし、朝は(いつもか?)頭も起きてないからここにこれから書くことは正確ではないかもしれないということからまず今日もお断りしておくが、たまたま見た佐藤ゆかりに対する田原総一郎の質問の仕方はすごく悪意に満ちていた。

なにせ野田はサイトを一時閉鎖してしまったので、証拠を挙げることはできないが、田原は野田のパーティに出席したことがあって、その際の野田と写っている写真がサイトにあったはずである。

田原だけでなくスタジオ全体が佐藤ゆかりをとっちめてやろうという雰囲気に満ち満ちていた。


自分が見始めたときにはなんと鈴木宗男と出ていたが、まずこのツーショット自体非常に意図的なものを感じざるをえなかった。

そして、どうも鈴木宗男の話しに共鳴するかのごとき、「勝ち組」と「負け組み」の話しを田原などがする流れの中で、佐藤になぜあなたは収入もすごく高いはずなのに国会議員になろうとしたのか、と尋ね、佐藤は収入に関してあまり高くないというような謙遜をした後、「エコノミストは無責任に言っているだけになりがちなので、政治家として責任を持って現実を変えてゆきたい」というような発言をしていた。

いかんせんビデオがないので正確にこう言ったかどうかは自信がないが、そのようなことをいったあとに、松原聡東洋大学教授が今度は「佐藤さんはエコノミストでもあった(る?)からお聞きしたいのだけれども累進課税を高めようという議論や消費税を下げようという議論がありますがそれをどう思いますか?」ときいた。


私は唖然とした。

自分はひどい貧乏だし、経済などには全く詳しくないが、そういう議論は聞いたことはなかったからだ。


わが耳を疑うとはこのことである。本当にこういうことを言ったかどうかは自信がもてない。

累進税率が高すぎる、とか、消費税を上げよう、という議論なら理解できるが、それではあまりに普通の議論過ぎて、あえてエコノミストにきく必要もないことだろうが、累進税率を引き上げろとか消費税を下げろ(もしかしたらなくせと言う議論だったかもしれない)という議論はいまどき共産党でもしないのではないかと思いつつ調べてみたら、社民党は累進税率引き上げを公約に掲げているようだし、共産党も少なくとも議員の一人は消費税引き下げを主張しているようであった。


さてこれは松原が言ったことを自分が正確に把握しているとすれば、という前提に立っての話であるが、いずれにしろ松原は自分が累進税率や消費税に関してどういう立場に立っているのかは一切示さずにこういうことをきいたということは確かであって、その点において佐藤がエコノミストは無責任(これも自分のきいたと思えることが正しかったらと言う前提に立っているが)といっていることを裏打ちするような発言であったと思われる。

たくさんアルバイトをしている松原なら累進税率をあげられたらさぞかし困るだろうと思うが、そういう立場を超えた議論であれば、それはそれとして立派な説かもしれないが、いずれにせよ松原自身の意見は分からない。


松原のサイトも見たが、昔々、大学の先生方が自分でサイトを作るとそれだけで自慢していた時代の遺物のようなほほえましいサイトであったが、あまり見やすいものではないし、さほど行く価値のないサイトであった。


佐藤ゆかりのサイトの中味は残念ながら自分のような経済はまったくわからないものにはあまりに専門的で少しでも理解することは難しいのであるが、松原も一応エコノミストのようなものであろうから、累進税率とか消費税みたいなしごく大雑把な話をしないで、できるだけ佐藤のサイトにある政策を読んだ上で具体的な質問をすべきではないだろうか。


さらにひどく不快な感じがしたのは松原の質問に答えたかと思った瞬間、草野厚慶応大学教授が例の大声でしゃべりだしたのだが、この人は鈴木宗男よりも声が大きく、佐藤のか細い声を聞き取ろうとして音量を最大のままにしていたので草野が不意にしゃべりだした瞬間、頭が割れそうになった。

この人はマイクはどう考えてもいらないでしょう。

この人がしゃべりだすと、スタジオ全体にこの人の声が響き渡っているのがよく分かる。

マイクを通して聞えてくるのは、そのスタジオ全体の鳴り響き方であって、この人の声そのものではない。

しかもこの人が言ったことが「地元利益誘導型の政治家になるのではないでしょうね」という全く一般的礼儀を欠く質問の仕方であって、しかも鈴木宗男がそばにいたことを思えばテレビ朝日が仕組んだとんでもないいじめ番組だったと思われても仕方がない。


これに対する佐藤の答えは国から地方への税源委譲の話しなども交え、「今までは国が地方に指示していたが、これからは地方が自分で考えてゆく時代」などと言って、草野は「なるほど」などと妙に感心していたが、そういうことは佐藤のサイトに書いてあるし、いっちゃなんだけれども、至極当たり前のことを言ったに過ぎない。

それで感心したふりをするのは、これまたひどく人をバカにしているようできわめて失礼な人間だと思った。


さらに田原が佐藤に野田聖子のことをどう思うかきいたところ、佐藤は「特に意識はしておりませんでした」と答えた。

その瞬間、田原はすさまじく大きな声で「ウソだ!」と叫んでいた。

じゃ、何できくのかね。

自分で人がどう思うか決め付けた上で質問するのは非常に失礼でしょう。


こっちも勝手に想像してよければ、もうみんな大人なんだから、選挙公約を出したり消したりしてるような人を佐藤ゆかりが相手にするわけないってことわかってあげてもいいのではないかと思うのだけど、どんなもんでしょうね。


しかし考えてみると、あの週刊文春などは野田聖子が本命で、名前も忘れてしまったが民主党の若い人が対抗、と予測していたのではなかったかしらん。

そういう状況だと佐藤としてはみっともないぐらい票が入らないということも充分想像できたわけで、そういう状況下ではたしかに佐藤の言うように自分の政策を訴えてゆくということで精一杯だったかも知れない。

いずれにしても、老教授たちがよってたかって若い女性をアカハラ(アカデミック・ハラスメントの略)している場面を生中継しているみたいですごく気持ち悪い朝だった。


来週はぜひ野田聖子と鈴木宗男を一緒に座らせておなじことしてほしいけど、ま、無理でしょうね。


翌1:21分追記

当初、鈴木宗夫と書いてしまいました。どうもしんずれいいたしましました。

(19日さらに追記:題を直すの忘れてました。)

一応直したつもりですが、まだ直してなかったのがあったらごめんなさい。

あといろいろな人の名前でキャッシュされていたのに消された?のもありますが、中にはほめ殺しみたくなってしまったものもあるかもしれません。
すいません。

まだ何日かは(体の続く限り???)野田聖子批判が続きそうです。

長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

                     文中敬称略

野田聖子のスーダラ節はすでに社会党をぶっこわした村山富市や、末広マキコを超えている

2005-09-18 00:48:28 | 野田聖子批判

野田聖子は最近のインタビューで郵政民営化法案に対する態度をきかれて「環境が変わりましたよね」と言っていた。

そして賛成か反対か決めるまで、インタビューでその質問に答えないそうだ。


あれだけ偉そうにあちこちで演説やら旦那を説得しようとしたりしてんのに賛成か反対か決めてなかったのですか!

どっかのお寺でも郵政民営化の反対の理由を述べたらしいが、お寺でしゃべったことを今さら水に流すなんて、わたしみたいに全く無宗教の人間でもそんな話しうわさで聞いただけでもビックリ仰天しますだ!



いちいちわたしみたいにまじめに野田批判などと銘打ってこれだけ書いてきたほうが馬鹿だということでしょうね。

その馬鹿なわたしの記憶では野田聖子はこの法案に反対でなかったのでしょうか。


それにしても「環境」ってなんだろう。

よく分からない。これは選挙結果ということだろうか。

あるいは民意が変わった?ということなのか。。。

それで国会議員は民意が変わったらがらっと意見を変えなきゃならないのか。

それはおかしいよね。それだったら選挙の意味がないでしょう。

それぞれの政治家が私の意見はこうだ!と(選挙公約を)有権者に訴えて有権者はそれをもとに誰に投票するか決めるのだから、当選したら途端に態度を変えられたらそれは一種の詐欺だといっても過言ではないでしょう。


いちいち野田の話しをまともに聞いてるマスコミはよく飽きずにこんな人をかばい続けられるものだと感心する。

ひょっとしたらやっぱり考えに考えて、やっぱり反対!とかまた言い出すかもしれませんよ、こういう人は。


まさかわたしの意見を見て判断しようというのではないでしょうが、ある意味わたしがこの人は全く信用の置けない人だということを力説してきたことがあまりにもあたってきてるので自分でも怖いぐらいです?!


こういう言い方も正確ではなくて、さすがのわたしもいやしくも大臣まで勤めた人がここまで無責任オバサンだったとは正直全く想像もできませんでした。


これだけ無責任だから政治家がつとまるとは絶対思いたくないです。

とにかくこの人は例外でしょう

もしかして、とにかく目立ちたいだけの人なんじゃないかとさえ思えてくるんだけど、どうなんだろうか。


わざと選挙公約もでたらめを書いたり消したりして、わたしなどがどう反応するか見て、ゲラゲラ笑ってたりするんじゃないでしょうね。


こっちもまじめに野田批判?などしていること自体、ひどく馬鹿なことをしているのかもしれない。


選挙公約を出したり消したり、あげくのはてにサイト全体を消したりしてる人からすれば、首班指名で小泉に投票することや、郵政民営化法案に賛成することなど、「たいした公約違反じゃない」とでも言うのだろうか?


今日のブロードキャスターで、榊原が野田聖子は反・小泉でたたかったのだから、もし小泉に投票する(あるいは郵政民営化法案に賛成するだったかな、同じようなことだろうけれど)なら政治家をやめるべきだといっていた。

久保純子が「はい、はい」とかいって発言を止めようとしている雰囲気だったけど、もういい加減、マスコミも自分たち自身、野田をかばう自分たちの程度の低さに気づいたらどうか。


話は変わるが、愛・地球博が大成功裡に終わりつつある。

自分はこれに貧乏で行けないのは残念であるが、昔、末広マキコとか言う最初はたしか「無所属」のいわゆるタレント議員がいた。

この人はいつの選挙だったか忘れたが、地球博に反対だったのに当選したらいきなり「賛成」にまわって、自民党に入ってしまった。

そしてたしか四年前の都議選だったと思うが小泉が葛飾区内での応援演説にこの人もなぜか付いてきていたのでたまげたことがある。

その頃の末広マキコに対するバッシングはすごいものであった。マスコミも選挙民も面と向かってたたいている感じがあった。

その頃末広マキコがなんと言っていたかというと、たしか「時代はすすんでますよ~」であったと記憶する。


野田聖子の「環境は変わった」と言う発言と末広マキコの「時代はすすんでますよ~」は選挙公約(野田はそんなものはじめっからなかったようなものだが)を破り捨てたことを曖昧な言葉でごまかそうとする共通のハーモニーをわたしの心の中で奏でている。

末広は自説を180度変えて自民党にいることで自らの政治生活を破綻に追い込んでしまったのではなかったか。

野田がもし万が一このまま自民党にいすわり続けても野田のバックにはほとんどすべてのマスコミ様が控えているので、議席を失うようなことはないだろうが、それでは自民党が駄目になる。もちろん、野田を応援した地方議員も全員除名すべきだ。
          

             
                     文中敬称略



野田聖子は県議らのためを本当に思うなら自分の応援をさせるべきではなかったでしょう

2005-09-16 23:49:25 | 野田聖子批判

自民党が野田聖子だけでなく、地元の県議なども処分しようとしているらしいことに関して野田がコメントしていた。

こちらをご覧ください

選挙後、何度か野田は直撃取材に答えていて自分も二回は見た覚えがある。

上のリンク先では野田は自民党が県連を処分するのは「非道」と言い、自分が見たインタビューでは、「自分を応援していた人たちは何も悪いことはしていなので、それは体をはってでも止めたい」などといきまいていた。


この人の言い方ですっかり抜け落ちていると思うのは、自民党本部が処分しようとしているのは、自民党に所属している人たちであるということである。

自民党岐阜県連に所属する県議であれば、党の決定に従わなければ、処分があるのは当然ではないだろうか。

しかも野田は選挙中自分の処遇をめぐって自民党批判を公然と繰り返し、党の政策を批判し続けてきたわけだから、そういう人物を応援していた県議も党は当然処分すべきであろう。


野田であれ、地元の県議であれ、自民党に関係ある人間がこれだけのことをして処分されないとしたらそちらのほうがどうかしている。

もちろん鶴保庸介に関しても同じことが言えるであろう。

野田は県連が野田を応援したら処分されるなどということは想像していなかったとでも言うのだろうか。

しかしそれはいくらなんでも考えが甘すぎるし、野田がもし地元の県議のことを考える人間であったら、自分を応援したら迷惑がかかるということを理由に県議や夫の応援は断わるべきであったのではないか。


もっともこれも自民党が野田聖子ら造反議員に対する処分をためらっていたことにも原因の一端はあるのであって、自民党自身にも反省すべき点はあるだろう。


今回の選挙は「自民圧勝」という結果などから小選挙区制度の特徴が如実に出た選挙だということが言われているが、いわゆる自民党の「造反議員」たちが党の再三にわたる警告を無視して自民党を離党しないまま、しかも野田の場合「自民党岐阜県連公認」という形で選挙に出てしまったというのは、中選挙区制度時代の非常に悪い馴れ合い政治の側面がいまだに自民党に根強く残っていることを示すものでもあるのではないか。


中選挙区の時代には同じ選挙区に同じ党から、三人ぐらいの候補者が立候補して議席を争うということが通常であって、これが中選挙区のもっとも悪い点だというのが小選挙区制度に移行した最大の理由であったはずである。

いわば党内の身内同士で議席を争うということの理不尽さもさる事ながら、同じ党に属しているはずだから政策の違いはないはずなのに何を基準に選挙民は投票するのか定まりにくいという矛盾が中選挙区制度に関して指摘されてきたはずである。

しかし、今回の選挙では自民党の分裂選挙などとも言われたが、小選挙区においてもまたしても自民党が公認していないのではあるが、岐阜一区などの場合、結果として同じ党から候補者が二人出たことになってしまった。


こういう言い方もあまり正確ではなくて、自民党はもちろん一つの選挙区に一人の候補者しかたてなかったつもりであるのに、野田をはじめとする造反議員ばかりか、そうした人たちを応援する地方組織がこぞってその方針をこわす役割を果たしてしまったわけで、これで党からなんらの処分もなされないとしたら非常におかしなことになる。


野田は数年前から野党顔負けの小泉批判を繰り返しているが、今回の選挙の後は、自分のサイトをせっせと消して知らんぷりしている。


野田は選挙直前から選挙公約を出したり消したりしていて、マニフェストどころか、単なるひどい「どぶ板選挙」になってしまった。

しかも、公開討論も地元でのみ放映され、これだけ注目されている選挙区でありながら三面記事的な選挙活動のみがマスコミに取り上げられるまことに後味の悪い選挙になってしまった。


選挙中から自民党にも民主党にもマニフェストなどに関して書きたいことがあったが、野田批判ばかりしているためそこまで手がまわらない。

困ったものだ。


ここ数日アクセス数がすごく増えてますが、何かの拍子に誰かさんみたくバックれたらすいません



                      文中敬称略

報道ステーションの加藤千洋こそバランス感覚ないのでは。テレビ朝日や朝日新聞にはもともとないが。。。

2005-09-15 23:40:52 | 野田聖子批判

昨日の報道ステーションで野田聖子などが除名になる情勢であることを取り上げていた。

その中で、加藤千洋が野田聖子などは処分が検討されている一方で、中曽根弘文など参議院で反対した者は処分が今のところ取りざたされていないのは「バランスを欠く」旨の発言をしていた。


今に始まった話ではないが、これまたずいぶんおかしなことを言う人だと思った。

「バランス」と言ったって、比較するのがおかしいでしょう。参議院はまだ選挙を行ったわけではないわけだから。


もちろん衆議院で反対した段階でそれなりに警告は発しているわけだけれど、選挙になったわけだから、衆議院議員に関して警告を発する機会が増えるのは当たり前だし、野田などはそれを無視したわけだから処罰もとりあえずこういう人たちからするべきでしょう。


逆に、参議院も反対した人はみんな除名しましょうとなったら、それで平等になるわけでしょうか。

そうなったらなったで、加藤のような人たちは「小泉や武部は独裁者だ」などとますます怒るでしょう。


参議院は党の方針にそむいて反対票を投じたという段階なわけで、その段階で処分ということになれば、野田なども衆議院で反対票を投じた段階で処分しなければならなかったことになるのでしょう。


ある程度の警告は発してはいるけれど、この人たちは「公認されない」という程度で除名にはならずに選挙になったわけで、いわば反対票を投じた段階では少なくとも除名にはなっていないわけだから、参議院の「造反議員」も今の段階で除名となったらこれまた不公平になるでしょう。


野田をはじめとする造反議員らが党の公認候補に対立する形で立候補したり、自民党の公認していない候補を応援したりしているわけだから、党に対する損害の与え方ははっきり言って「スケール」が全然違うでしょう。

ちなみに私は野田を応援した県議を含む県連関係者や鶴保庸介らも全員除名すべきだと思っている。


この問題に関してはこれから週末にかけて決定がなされ、いろいろ反応も出るだろうから、またあらためて書きたいと思っていますが、今回当選した佐藤ゆかりを中心とした組織を公認するためにも、野田聖子を応援したものは地方議員でも全て、除名、廃止処分にすべきである。


自民党も自民党で、これだけ野田聖子などにつきまとわれるというのは、それなりに理由があるからで、これからいろいろ改革しなければならない点も多いはずだと思う。


ちなみにいろいろなところで野田聖子に関して「復党」などと言う言葉が用いられているようだが、野田も言うようにまだ離党していないのでこの言葉は不適切かもしれない。


選挙に当たっての武部幹事長のコメントで分からない部分もあったが、「造反議員」に関してはとにもかくにも離党すべきとしていたはずである。
こちらをご覧ください

いずれにせよ今回の郵政民営化法案に反対の議員は自民党を離党しなければ、選挙民にとって非常に分かりにくい選挙になったはずで、実際そうなってしまった部分もあるであろう。

きちんとした政策中心の選挙にすることを妨害したという点でも造反議員の罪は重いし、今後も政策中心の選挙や政党を目指すのであれば、造反議員に対して有無を言わさぬ処分をすべきである。

むろん中曽根弘文の父親譲りとも思われる風見鶏ぶりにも驚きあきれる。こういう人が文部大臣だったとか、今でも教育問題に取り組んでいるだなんて、考えてみるだにおそろしい。


                    文中敬称略