先日の観察会、昼休みの会話です。
「あなたは生まれていなかったかもしれない時の話ですが…、
鉛筆を削るのに、うちの子の時代は手回しの鉛筆削り器から電動に。
でも私はその前、黒くて折りたためる小刀で削っていました。
あれが今欲しいのですが、どこに行けばある?
○○○に行ったのですが、カッターは様々あってもあれは見当たらなかった」
『あれは何とか言う名前だったよね。何とかカミ…カミは守と書いてた。
何守…?そう、肥後守!』
「ちょっと物を削るのにカッターでは駄目で、肥後守が良いと思うのです」
『見つけたら買っててあげようか?サイズは?』
「小さくて良いのですが、分からないからお任せします」。
その話しを友人にしました。
『僕、たくさん持っていますよ。サイズもいろいろ。上げましょう』。
【①今日、頂きました。50年ぶりに鉛筆を削りました】
【②学生時代はずっとこれにお世話になりました】
【③「肥後守定駒」と彫ってあります】
【④昔、もらったまましまい込んでいた新品(?)の鉛筆を削ってみました】
右手のナイフを動かすのではなく、左手に握った鉛筆を動かして削ることを
すぐに思い出しました。
出来は、50年ぶりにしてはまあまあ。 合格!(笑)
急に頭が50年前に舞い戻ったのか、車で秋吉台に向かいながら、
その頃あった山口国体で歌った「山口県民の歌」が口に出ました。
「錦帯橋はうららかに 秋吉台はさやかなり。秀麗の地に偉人出で…」
こわ。古くさい歌詞を全部歌えました。
大丈夫かな…私…
1枚の画像で、久しぶりのブログでした。
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