さして大きい台風もなく、日照りで渇水の異常事態という事もなく、平成18年もなんとか穏やかに暮れようとしております。さて、前回の投稿よりかなり間が空きまして、このページを読まれている方には大変失礼をしております。みかんの収穫出荷最盛期、年末の慌ただしさでスタッフも少し手を抜かざるを得ず、お詫びいたします。また、狩江のお祭りについてのいろいろな建設的ご意見は、私たちのこれからの地域づくりに大変参考になるとともに、ふるさとを見守ってくださる温かい気持ちが伝わってまいりました。このページは地元はもちろん、ふるさとを離れておられる方々との心の交差点です。これからもできる範囲で狩江の伝統文化を中心に幅広く記事を集めてまいりますので、懲りずにアクセスしていただければと思います。これからの活動予定としては、来年2月の産業文化祭での、お祭り情報収集など。それではみなさま、いいお年をお迎え下さい。(写真は12月初めの風景)
当日に華やかさをそえるお船組の踊り。もちろんお祭りというものは賑やかさや華々しさはつきもの。こうやっていろいろなお祭り写真を見ていると、個々に色彩のあでやかさというものが見えてきます。牛鬼の黄、神輿の金銀、鹿の赤白黄、などなど。そして踊り子の着物。それぞれが裏方の存在なしでは語れません。当日は多くの着付け役の人たちの努力があってはじめて、賑やかなお祭りとなるのです。毎年大変ですが、よろしくお願いしたいと思っております。
お船の練りははっきりとした始まりがいつ頃なのかよく分かっていない。しかし少なくとも明治より以前からあったものと思われる。二そうの船に踊り子を乗せ、そこで舞台が始まる。なんと風流な出し物であろう、海があってこその独特な練りである。
本浦地区だと思いますが、どこら辺かはちょっとわかりません。時代も不明。牛鬼の面がどことなく現在のものと違うような気も。今も昔もこどもは牛鬼に付いてまわってます。なぜか引力みたいなものがあって、よく追っかけていましたよね。
おわかりでしょうか?つい少し前、と言っても40年ほど前までは、女性はお祭りには着物姿が普通だったのです。大人も子供も目一杯おしゃれしてお祭りを迎えました。それは年に一度の鎮守の神様への信仰の表れであったり、祭りという特別な日を迎える浦人たちの気持ちであったのでしょう。時代が移り、仕事などでお祭り気分でいられる時間が減ってきたように感じますが、昔は一ヶ月前から宿で準備に入ったと聞きます。また多少おおげさな話ですが、神輿を担ぐ人はそれまでの間、奥さんとは離れて、用事がある時は、誰かに事づけてもらって直接顔を見ないようにしたなんて話も聞きました(笑)。本当に特別な日であったんですね。
こちらも地味ながら、祭りの脇役として活躍するカブ、あるいはホタと呼ばれるもの。中学生の役割です。きれいに保管されており、一対は江戸中期のものだそうです。ことしは中学生の手が足らず、一人はベテランの方がされたようです。