
『悠久の美 -唐物茶陶から青銅器まで』
出光美術館 サイト ※6月10日(日)まで
青銅器は正直わからないので
、今回はパスしようかなと思っていた。
が、畠山でPick upしたチラシの天文茶碗と青磁花入
と割引券もPick upし、
金曜の開館延長を利用して行って来た。
牧谿の掛け物から唐物を「えぇわぁ~
」と鑑賞してたら、館内アナウンスが
そうだ。展示解説あるんだった
私に限らず青銅器に興味を持つ人は多くはないようで
せっかくの13年ぶりに青銅器を出すということで、親しみを持ってもらうために時代を逆流
身近な唐物から時代を遡りながら青銅器まで鑑賞していこう
という企画意図らしい。
まずは牧谿。
日本でこそ水墨画の神様のように珍重され、雪舟や等伯に大きな影響を与えたけど、
中国ではマイナー
地方のアマチュア画家でほとんど評価の対象になることさえなかったらしい。
だからこそ、日本に輸入しやすかった。
そして、その繊細な画風が日本人の好みに合い、大切に現代にまで残った。
中国には一枚も残ってないんだって~
同じように天目茶碗も。
でも、少し事情が違うかな。
南宋の陶磁器が日本に輸入されたのは鎌倉時代。
しかし、この頃に中国を支配していた国家は「元」。
↑実は以前から、疑問には感じていたんだよね
つまり、現代の電化製品と同じ。
新製品が発売されると型落ちして安くなる原理。
国家こと代わったのだから、前の国家の美術品はもはや流行遅れ
二束三文で外国に売り払ってしまえ~
てか
明治時代に日本の美術品が二束三文で海外に流出したのと同じ現象かしらん
というわけで、天目茶碗の逸品は中国には一つもない。
ちなみに茶入や茶壺、漆器も展示されていて嬉しかった
という感じで、興味を引いておいて、本題に入っていく。
南宋青磁に見られる機能的ではないけれど優美な形、
特に用途はないのにコチャコチャついている装飾物(←耳なんかのこと)
あれらは何故に、何処からきたのでしょ~
それはね、「宋」が久しぶりの漢民族による国家だったということに関係する。
(隋・唐は漢民族じゃなかったのぉ~
初めて知った
)
漢民族ならば儒教。 Come back儒教
でも、長いこと仏教文化が広がっていたため、儒教のノウハウがよくわからない
だったら、昔の遺跡(王墓とか?)を発掘して探ってみよー。
そうして、出てきたのは殷や周の時代の青銅器。
用途はわからないけど、とりあえず形状をコピーしてみよー。
青銅器そのまんまだとコストも高いし、手間隙もかかるから、青磁器で~
ということだったようで。
そういうことで、(商)殷時代の青銅器と南宋の青磁器が並べて展示してあって、「ナルホド
」と思う。
本当は蓋があるものなのに、破損して本体だけ出土すると、“そーゆーもの”としてコピー。
すると、花瓶になる。
本来は弦などを通す丸い「耳」も使い方を知らずに形状だけ真似るから、単なる装飾物に
香炉などによくある三つ足も、オリジナルは足の部分で火を炊いて、煮炊きするものだったらしい
それから、○と□を組み合わせた「算木手」(←青磁にもあるけど、織部焼でもさらに写した瓶あり)。
あれは中国の新石器時代に石で作られた祭器からきているとか。
おもしろかったのは、儒教
が目的なのに、参考にした青磁器は孔子よりはるかに前の時代のもの
孔子は春秋・戦国時代の人だから、華麗な青銅器は見たこともなかったのではないか、とのこと。
それで、孔子の時代の青銅器も展示してあったけど、えらくモッサリしたデザイン
さて、時代はさらに下って始皇帝の秦の時代。
“省エネ”を始めた
(←コスト削減をしたというべきか) それが兵馬俑。
つまり、それまでは王様が亡くなると本当に人間を埋めていた。
だけど、そうすると貴重な人材(兵力)を失ってしまう。
だから、土で作ったコピーで代用することにしよー。
漢の時代になると祭器なども青銅製だと割高だからと、土ものでコピーを造って埋めるようになる。
それが土器なわけで、前漢後漢と400年にわたって土器を造りつづけていくと技術も向上していくわけで、
それが唐三彩に発展し、白磁になり、青磁、赤絵、色絵(景徳鎮)へと変遷を遂げるわけで。
だから、陶磁器は遡っていくと起こりは青銅器に源を発するんですよー
という変遷が見えてくるノダ。
さすがは中国四千年の歴史だっ
と感心した。
中国の国家にとって「漢民族」というのは憧れであり、理想だったようだ。
だから、漢民族以外の国家になっても、「心は漢民族」みたいなことをアピールしたかったようで。
そうすることで、国家の正当性をもアピールしていたのかなぁ。
だから「元」の国家は漢民族ではなかったけれど、南宋の青磁をさらに発展させたわけだし、
「清」の国家も青銅器を真似した金属素材の似たような器を造っていた。
なんか奥が深いね。
そういう観点から見ていくと、ただワケわかんない~
の青銅器も違って見えてきそう
根津美術館にある青銅器のお部屋はいつも素通りしてしまうけど、次はもう少しゆっくり見てみようかな。
展示説明はとっても勉強になるけど、いかんせん時間がかかるのが玉にキズ
残り10分で急いで展示を見直して、隣の陶片室へ。
今回は壁際に高麗茶碗が一通り、完全な形で展示されているのがよかった。
三島、井戸、熊川、御本、金海。。。なかなか見応えあった。
茶室の展示はやはり見づらかった。
(床の間の花入は青磁。茶釜は浄清だったのに炉にはまって、ほとんど見えなかったのが残念
)
今日からゴールデンウイーク。
私はさほど恩恵ないし、用事も入ってるし、することあるけど
ちょこちょこと美術館めぐりもするつもり。
だって、楽しいもんね
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致しマス
★出光美術館バックナンバーリスト
2011.8月 『明・清陶磁の名品 -官窯の洗練、民窯の創造』
2011.1月 『酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―』
2010.12月 『やきものに親しむVIII 茶陶の道 ―天目と呉州赤絵―』
2010年9月『SENGAI Zen and Humaor 仙』
2010年4月『茶 Tea-喫茶のたのしみ』
2010年1月『麗しのうつわ』
2008年12月『陶磁の東西交流』
2008年4月『柿右衛門と鍋島』
2007年11月『乾山の美術と光琳』
※2009年3月『出光美術館コレクションの至宝「茶の湯の美」』 栃木県立美術館
出光美術館 サイト ※6月10日(日)まで
青銅器は正直わからないので

が、畠山でPick upしたチラシの天文茶碗と青磁花入

金曜の開館延長を利用して行って来た。
牧谿の掛け物から唐物を「えぇわぁ~


そうだ。展示解説あるんだった

私に限らず青銅器に興味を持つ人は多くはないようで

せっかくの13年ぶりに青銅器を出すということで、親しみを持ってもらうために時代を逆流

身近な唐物から時代を遡りながら青銅器まで鑑賞していこう

という企画意図らしい。
まずは牧谿。
日本でこそ水墨画の神様のように珍重され、雪舟や等伯に大きな影響を与えたけど、
中国ではマイナー

地方のアマチュア画家でほとんど評価の対象になることさえなかったらしい。
だからこそ、日本に輸入しやすかった。
そして、その繊細な画風が日本人の好みに合い、大切に現代にまで残った。
中国には一枚も残ってないんだって~

同じように天目茶碗も。
でも、少し事情が違うかな。
南宋の陶磁器が日本に輸入されたのは鎌倉時代。
しかし、この頃に中国を支配していた国家は「元」。
↑実は以前から、疑問には感じていたんだよね

つまり、現代の電化製品と同じ。
新製品が発売されると型落ちして安くなる原理。
国家こと代わったのだから、前の国家の美術品はもはや流行遅れ

二束三文で外国に売り払ってしまえ~

てか

明治時代に日本の美術品が二束三文で海外に流出したのと同じ現象かしらん

というわけで、天目茶碗の逸品は中国には一つもない。
ちなみに茶入や茶壺、漆器も展示されていて嬉しかった

という感じで、興味を引いておいて、本題に入っていく。
南宋青磁に見られる機能的ではないけれど優美な形、
特に用途はないのにコチャコチャついている装飾物(←耳なんかのこと)
あれらは何故に、何処からきたのでしょ~

それはね、「宋」が久しぶりの漢民族による国家だったということに関係する。
(隋・唐は漢民族じゃなかったのぉ~


漢民族ならば儒教。 Come back儒教

でも、長いこと仏教文化が広がっていたため、儒教のノウハウがよくわからない

だったら、昔の遺跡(王墓とか?)を発掘して探ってみよー。
そうして、出てきたのは殷や周の時代の青銅器。
用途はわからないけど、とりあえず形状をコピーしてみよー。
青銅器そのまんまだとコストも高いし、手間隙もかかるから、青磁器で~

ということだったようで。
そういうことで、(商)殷時代の青銅器と南宋の青磁器が並べて展示してあって、「ナルホド

本当は蓋があるものなのに、破損して本体だけ出土すると、“そーゆーもの”としてコピー。
すると、花瓶になる。
本来は弦などを通す丸い「耳」も使い方を知らずに形状だけ真似るから、単なる装飾物に

香炉などによくある三つ足も、オリジナルは足の部分で火を炊いて、煮炊きするものだったらしい

それから、○と□を組み合わせた「算木手」(←青磁にもあるけど、織部焼でもさらに写した瓶あり)。
あれは中国の新石器時代に石で作られた祭器からきているとか。
おもしろかったのは、儒教


孔子は春秋・戦国時代の人だから、華麗な青銅器は見たこともなかったのではないか、とのこと。
それで、孔子の時代の青銅器も展示してあったけど、えらくモッサリしたデザイン

さて、時代はさらに下って始皇帝の秦の時代。
“省エネ”を始めた

つまり、それまでは王様が亡くなると本当に人間を埋めていた。
だけど、そうすると貴重な人材(兵力)を失ってしまう。
だから、土で作ったコピーで代用することにしよー。
漢の時代になると祭器なども青銅製だと割高だからと、土ものでコピーを造って埋めるようになる。
それが土器なわけで、前漢後漢と400年にわたって土器を造りつづけていくと技術も向上していくわけで、
それが唐三彩に発展し、白磁になり、青磁、赤絵、色絵(景徳鎮)へと変遷を遂げるわけで。
だから、陶磁器は遡っていくと起こりは青銅器に源を発するんですよー

という変遷が見えてくるノダ。
さすがは中国四千年の歴史だっ

と感心した。
中国の国家にとって「漢民族」というのは憧れであり、理想だったようだ。
だから、漢民族以外の国家になっても、「心は漢民族」みたいなことをアピールしたかったようで。
そうすることで、国家の正当性をもアピールしていたのかなぁ。
だから「元」の国家は漢民族ではなかったけれど、南宋の青磁をさらに発展させたわけだし、
「清」の国家も青銅器を真似した金属素材の似たような器を造っていた。
なんか奥が深いね。
そういう観点から見ていくと、ただワケわかんない~


根津美術館にある青銅器のお部屋はいつも素通りしてしまうけど、次はもう少しゆっくり見てみようかな。
展示説明はとっても勉強になるけど、いかんせん時間がかかるのが玉にキズ

残り10分で急いで展示を見直して、隣の陶片室へ。
今回は壁際に高麗茶碗が一通り、完全な形で展示されているのがよかった。
三島、井戸、熊川、御本、金海。。。なかなか見応えあった。
茶室の展示はやはり見づらかった。
(床の間の花入は青磁。茶釜は浄清だったのに炉にはまって、ほとんど見えなかったのが残念

今日からゴールデンウイーク。
私はさほど恩恵ないし、用事も入ってるし、することあるけど

ちょこちょこと美術館めぐりもするつもり。
だって、楽しいもんね




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2011.8月 『明・清陶磁の名品 -官窯の洗練、民窯の創造』
2011.1月 『酒井抱一生誕250年 琳派芸術 ―光悦・宗達から江戸琳派―』
2010.12月 『やきものに親しむVIII 茶陶の道 ―天目と呉州赤絵―』
2010年9月『SENGAI Zen and Humaor 仙』
2010年4月『茶 Tea-喫茶のたのしみ』
2010年1月『麗しのうつわ』
2008年12月『陶磁の東西交流』
2008年4月『柿右衛門と鍋島』
2007年11月『乾山の美術と光琳』
※2009年3月『出光美術館コレクションの至宝「茶の湯の美」』 栃木県立美術館