Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

冬の日のニューオリンズ

2012-01-06 00:00:23 | ニューオリンズの旅
2009年のニューオリンズの旅、
この時は真夏だったゆえ、気温も湿度も高く、
日本よりも暑いと感じた。

年末のニューオリンズ、
東京並みとは言えないが、
着いた日から気温はどんどん下がり、
最後の日は街を歩く人にもダウンジャケットやコート姿を見かけた。

木々も落葉樹は葉が落ちているし、
夏の盛り青々とした大木に鬱蒼と茂っていたスパニッシュモス、
冬は見かけないと思ったら、たまに枯れた物がぶらさがっている。

年末年始のニューオリンズはたいへんな賑わいだ。
アメリカ各地からここで年越しをするために観光客がやってくる。
カウントダウンの時間帯、バーボンストリートの真ん中では立錐の余地もなく、
騎馬警官が並び、バーの二階席の人々がビーズを路上へと投げる。

またシュガーボールの時期でもあり、
特に1/1と2日にはユニホームを着たフットボールファン達が街中に溢れ、
互いにゲキを飛ばし合っていた。
それでもエッセンスの時と同様、繁華街ほどパトロール警官が巡回していて、
安全な印象がある。

ブログのカテゴリー、「ニューオリンズへの道」「ニューオリンズの旅」
で前回の旅の様子を記しているが、
今回再訪してみて新しい発見もいくつかあった。

行き方としては10時間近く国際線に乗った後、国内線でまた4時間近く乗るよりも、
国際線で13~4時間、国内線1時間余りの方が私には好みだ。
また乗換えは行きのロスの方が意外に移動距離が少なく楽だったのに対し、
帰りのアトランタの方がターミナルのAからEまで電車の移動があり、
ニューオリンズからの便が遅れたこともあり、かなり慌てた。
国内線は逃しても次の便があるが、国際線はそうはいかない。
やはり前回のコンチネンタル、ヒューストンでの乗換えが一番お薦めかもしれない。

入国審査でまたしても引っ掛かった。
2007年のヒースローの時は女性の強面の検査官に当たり、
一度通した後も「もう一度調べたい」
乳癌の検診かと思うほどのボディーチェックを並ぶ人々の面前でされて、
その上に持っていた少量の液体も試験紙で調べられた。

今回は別室に連れて行かれて、入口には女性警察官、
検査するのは空港の係員の女性二人組。
「こういう風に触るけれど、いいわね?」と事前に断りがあり、
もう一人がその様子を見守っている。

かつてダイアナ・ロスはロンドンの入国でセクハラを受けたと記者会見で話し、
そのために検査官が汚名を晴らすべくダイアナを訴えると反対に会見をして、
ダイアナが謝罪した一件があった。
立ち合いの女性がいるのは検査官がしていることの証人なのだと思った。

以前もアメリカ入国の際に別室で取り調べを受けたことがあるが、
その時とは違い、全く和やかな雰囲気だった。
理由は私が張り付けたホカロンだったらしい。
体に何かがくっついていてそこから熱を発している。
怪しまれるのも当然かもしれない。
用途を説明すると、
「それ、触ってみてもいい?」
「熱いのね?」などと珍しそうにされて、
「見せてくれてありがとう。」で検査は終わった。

ロサンジェルスからニューオリンズへの飛行機は満席だ。
ニューオリンズに着くと以前よりも、
空港内のショップなどが通路に並んでいた。
ハリケーンカトリーナ以来、観光地として衰退してしまったと聞いたが、
また少しづつ客足を取り戻して来ているのではないだろうか。

2005年にこの地域を襲ったハリケーンカトリーナの被害、
被災地と復興状況を2009年に続き再び今回も見学してきたが、
新しい家が増え、またガス、電気、水道が復旧していないために、
ゴーストタウン化してしまった地域も人が戻りつつある。
しかし家があっても住民が少ない地域というのは、
何となく治安が悪いような雰囲気が否めない。

被災者住宅として新しいアパートメント、
また新たに立てられた一軒家も多く見かけた。
被災者用住宅地として定められながらも未だに、
全く手が付けられていない地域もあった。
被災者に対して提供される住宅、補助金の出る住宅など種類があるようだ。

ブラット・ピッドが中心になって推進している復興住宅のプロジェクト、
2009年の時点ではまだ家の骨組みを作っていたレベルだったが、
もう既に住宅地となり、人々が住みつつ、新たな家も作られていた。
かつては平屋だったその地域、
もしまた水害にみまわれても大丈夫なように高床式というか、
2階、3階を住居にしてある。
斬新な建物ばかりでソーラーシステムを取り入れている家も何軒かあった。

前回のガイドさんも「年寄りには住みにくそうな家だ。
でもブラッドはやってくれている。
市は何もしてくれないのに。」と話していたが、
今回のガイドも「足腰が悪い人には上り下りがたいへんだろう。
それでもこれほどの住宅地を作ってくれたんだ」
東日本大震災の折に女優のサンドラ・ブロックが8000万近い金額を寄付していたことを、
最近知ったが、アメリカの俳優は収入も半端ではないが、
その報酬を惜しげなく社会貢献にも注いでいることに感心させられる。
税金対策などと言う人もいるが、そんな生半可なものとはとても思えない。

今回の旅ではプランテーションの中でも「ローラ」という場所を観てきた。
何代か受け継がれた農園だが最後のオーナーはアフリカ系とのハーフだったとのこと、
他のプランテーションとは違い、奴隷小屋の様子も見せていた。
一度火災で焼失して復元されたというオーナーの住む家も質素なら、
アフリカから連れてこられた人々の住んでいた家は
「小屋」という名称から想像していたのとは違い、
思っていたほど悲惨な住居ではなくて安心した。

奴隷としての値段が安いからとの理由でセネガルからの人々がここでは多かったとのことだが、
プランテーションとして収益が上がり、人々が暮らしていけるように維持していくためには、
様々な工夫をオーナーは凝らしていかなければならないという重責がある。
ローラはたいへん進歩的な才覚のある女性だったようで、
彼女の残したメモからおこされたという自伝本を購入してきた。
時間を掛けてこれから読んでみたいと思っている。

ローラがフランス移民の父とアフリカ系の母とのハーフだったことから、
農園内の公用語は仏語だったという。
また奴隷が解放されてからも、ここにアフリカ系の人々は留まって生活を続けたと聞いた。
ここには食べ物の蓄えがあり、生活の手段があり、独特の文化を営んでいた。
余所に行く理由もないし、ここを離れての生活が成り立つ保証もない。
おそらく居心地が良かったのではと推測する。

置かれている昔の道具類や手作りのロウソク、石鹸、
きれいに整えられた庭の様子などに、
映像や写真集で見たターシャ・テューダーの生活振りを思い起こす。
もっともあちらは雪の深い地域だが。

お土産に貰ったそこで取れたオレンジや林檎、
早速、車中で食べ始める若い人を見かけた。
今の日本の若者は不揃い、汚れもある果物を剥いたり、
あるいはリンゴを皮のままかじったりするだろうか。
果物自体も食べない人が増えている気がする。

オレンジは香りが豊かで美味しかった。
グレープフルーツはそのままで食べるには酸味が強過ぎたので、
その日の晩にホテルのお風呂に浮かべて、
柚子湯ならぬピンクグレープフルーツ湯に浸かった。

近くにあるオークアレイという豪華なプランテーションも
大きな樫の並木が続く美しい外観のみ、見学してきた。
こちらの方が敷地も広大だ。

その他にも近隣に2軒のプランテーションがあったが、
ハリケーンカトリーナ以降、観光客が減ったのと修復ができていないため、
閉鎖されているとのことだった。

ツアーはホテルのフロントに頼んで予約してもらったが、
前回はホテルコンシェルジュお奨めのツアー、
ミニバンで廻り、個人の人がやっているもので、
解説も思い入れたっぷりの名調子だった。
今回はどのツアー会社も満席状態でフロントの人が「それではこれしかないなー。
余りお奨めではないのだけど。」と引き出しからパンフレットを取り出す。
そのツアーは予約が可能だったが、
確かに集金や時間の段取り、説明や対応などの手際がかなり悪かった。

さて泊まったホテル、
ニューオリンズの中心部で空室のあったところから候補を5つほどに絞り、
その中でも2軒を散々迷った結果、繁華街バーボンストリートに近い方を選んだ。
中庭を囲むように建てられているので外の喧騒は全く聞こえない。
部屋の作りもゆったりとしていて、古い建物を活かしながら、
セキュリティーの面では改善されている。
ホテルからどこにも徒歩圏なのでとても便利だった。

フレンチクォーターを隅から隅まで歩き回ったが、
フレンチマーケットはアジアの市場を思わせる楽しさがあった。
またギャラリーや骨董街もあり、繁華街とは違った様子の街並み、
壁や鎧戸、プランターや装飾に独特の色使いがある。
この辺りにも居心地が良さそうな小振りのホテルをいくつか見かけた。

ニューオリンズの名物のカクテルにハリケーンやサイクロンがある。
マルガリータもこの地方のスタイルがある。
今回初めて知ったのはブラディーマリーが売りだったということだ。
お店ごとにそれぞれ香辛料や隠し味を加えてスパイシーなブラディーマリーを作っている。
ピリッとした味と南部のフレーバーが効いたブラディーマリー、
甘みのあるハリケーンよりもこの街らしいカクテルかもしれない。


コーヒー豆が高かった時代にチコリを混ぜたことから生まれたこの地のコーヒー、
チコリ入りでしかもカフェイン抜きのコーヒーも売っていたが、
これならますます健康的に違いない。

歩き疲れた時にフットマッサージ店の看板を見つけて、
足30分、肩腰10分の組み合わせを頼んだ。
期待していなかったのに中華系のオーナーの男性の腕はとても良かった。
自分の体がかなり疲れていることもこの時に気づくことができた。

音楽が好きな人、食べたり飲んだりが好きな人にとって、
ニューオリンズは魅力が尽きない場所だ。
喫煙者にとっても歩きたばこ、お店でも煙草が容認されているところも多く、
居心地が良いこと間違いなし。

ライブハウスで音楽を聴き、南部料理やシーフードを食べ、
ご当地物のアルコールを楽しむことができる。
ザリガニは夏が旬ということで、この時期に活け物はなかった。
ワニは通年メニューにある。

雑貨類も豊富でブードゥー教まがいの物やら、
マルディグラが名物なのでビーズやマスク、
フランス系の文化と融合した物も売っている。

日本で聴くとピンとこないデキシーもこの町で流れてくると、
しっくりくる。
音楽好きな方、街の探索や食べ歩きの好きな人には、
ぜひ一度訪れてほしい場所だ。

ところで年末年始、たいへんな人込みであっても人とぶつかることはなかった。
それでも接触してしまった場合は、お互いに謝りあう。
これはエッセンスの時にも感じたことだが、日本にもどってくると、
あたり前のように人が突進して来ることに当惑する。

また年始から街中にフットボールファンの白人の人達が増えた時に、
音楽のノリや態度などが普段、アフリカ系の曲を聴きつけている私たちや
ここに集うアフリカ系アメリカ人の人たちとはちょっと違うなと思った。

もともと観光客に優しい街だったと思うが、
カトリーナでの被災後に住民も減り、観光客も減った。
それだけに日本から来たというと皆、歓迎してくれる。
昨年の東日本大震災の一端を経験したことで、
住民たちのその気持ちを私たちも知ることになった。

アメリカでもこの街では決して日本人は浮かない。
いろいろな民族を受け入れてきた歴史と奥行きの深さがある。
せめて日本から直行便があればもっと多くの人が行けるのにと、
いつも思わずにはいられない。


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