Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

フランスの皆さーん、ほんとうにどうもありがとう!

2011-01-17 15:43:53 | 年末年始のPARIS
遅れて戻ってきたリンダのご主人、ほんとうにエリックに似ていた。
写真だと余りわからないが、とにかくカリスマティックな雰囲気がある。
家の夫など「あまりにカッコ良過ぎてドキドキして目を合わせられない。」
などと言いだす始末。
男でも惚れ惚れするほどのオーラがあるということだ。

ご主人にもご挨拶したのでそろそろ失礼しようかと思っていると、
皆でインド料理を食べに行こうということになった。

車で移動する途中、信号が赤になりふと見ると周囲に若者達がたむろしている。
その瞬間リンダは「膝の上のバッグを足元に落として!」
リンダも私に言うと同時に自分のバッグも膝の後ろに隠した。
「車のガラスを割られてバッグを取られることがあるの。
いつも危ないわけじゃないけど、用心に越したことはないから。」
リンダの家族と一緒だから安心していたが、危険な地域を通過しているのだと知った。

さてインド料理店に到着。
本店に行くと予約が入っているのは別館の方だと教えられる。
リンダは店のマネージャーと親しげに挨拶している。
行き付けの店のようだ。
「日本から友達が来たのよ。」と紹介してくれる。
エリック・べネイにそっくりのご主人、私の隣の席に座った。
このままでは緊張して食べ物が喉を通らなさそう。
リンダの次男が私の隣に座りたいと言ってくれてホッ。

日本のインド料理とは違うメニュー。
お店も賑わっていて楽しい雰囲気。
それぞれ料理と飲み物をオーダー。
小さな従兄達が「それを飲んでみたい。」というとリンダの子供たちは、
「僕のを飲んでいいよ。」と譲ろうとする。
なんて皆、優しいんだろう。

夫はほうれん草のカレーにチーズが入った物、
カレーの4種盛りを取った私に、タンドリーチキンやフライをオーダーした
リンダの子供達は「一つ、良かったら食べてみない?」と譲ってくれる。
ほんとうに良い子たちだ。
子供達は翌日から学校だそうで「お休みの最後の日としては、最高の過ごし方になった。」
と喜んでくれているので笑ってしまった。

食事が終わるともう10時を廻っている。
リンダのご主人がホテルまで車で送ってくれて妹一家も伴走してくる。
ホテルの前に着くと全員が車から降りる。
それぞれ挨拶、リンダは私の両頬にキスした。
それから私のことを強く抱きしめた。
その瞬間、涙が溢れてきた。
涙が流れているというよりもしくしく泣いてしまった。
リンダも泣いている。

その様子を夫やリンダの家族達が微笑みながら見守ってくれている。
リンダの妹が「二人とも泣かないで。」
車が交差点を過ぎるまで夫と手を振って見送る。
向こうも車の中からずっと子供達と手を振り続けてくれている。

部屋に帰ってからもその日の一日、リンダや彼女の家族達に良くしてもらったこと、
ひとつひとつが思い出されて、感動と興奮さめやらない。

飛行機の時間は翌朝11時。
二時間前、9時には空港へ着いていたい。
ホテルのフロントに相談に行く。
「9時に空港に着きたいんだけれど、8時にタクシーでここから出れば、大丈夫かしら?」
「もう少し早め、7時半の方がいいと思う。」と言われたので、
「飛行機は11時なのよ。」と話すと、「それなら8時で充分。」
「タクシーの手配をしようか?」
と言うのでお願いする。

翌朝、朝食後フロント前を通った夫に「タクシーがもうすぐ来るよ。」と声を掛けてくれて、
部屋にいた私にも「後5分でタクシーが着く。」と電話もしてくれる。
ネットではかなり叩かれていたこのホテル、とんでもない、みんな感じが良い。

30年前、最後にフランスを訪れた時、夏の終わりだったけれど何か冷たい印象が残っていた。
でも今回のフランス、気温は強烈に低く耳も手もちぎれんばかりだったが、
会った人達はみんな、気持ちの熱い人達ばかりだった。
それぞれに私達の訪問を自然に快く受けとめてくれた。

山下さんがテレビのインタビューの中で「根性ということば、根が張るとは頑張るとかではなくて、
風が吹いても耐えられるかということ」と作物の植え付けの話をしていたこと、
私は機中で思い出していた。

結婚して24年。
年始はそれぞれの実家を訪ね双方の身内と集い松の内が明けるのが恒例だったので、
今回、初めて留守にするにあたって出発前、帰国後と両方の実家を訪ねた。
母は寂しいような不満のような。
主人の父は「出掛けられる内に行っておいで。」
実家の父は「広い世界へ出て行きなさい。」と言ってくれた。

リンダの家へ

2011-01-16 12:34:00 | 年末年始のPARIS
帰りのタクシーの中でリンダからfacebookを通してメールが来ているのに気づく。
翌日の午後2時半にリンダの家のある駅、Quatre Cheminsの駅での待ち合わせと書いてあり、
地下鉄の番号も書かれている。
朝、リンダに電話して内容を確認。

午前中は休日でも開いているマーケット、近くのスーパーなどを冷やかし、
午後、フロントで行き方を再確認してから出発。
オペラ座近くのホテルの最寄駅からは地下鉄で乗り換えなしで一本。
約10分ほどだろうか。

改札に彼女の姿が見えなかったので、二人で地上に出てみる。
パリ中心部とは変わり、生活感がある。
交差点の前のドラッグストアでfacebookを通しリンダにメッセージを送る。
ほどなく電話が掛かってきて彼女は改札で待ってくれていたと知る。

リンダの住むアパートメントへと歩いていると、
街の雰囲気がどんどんと住宅地らしくなってくる。
学校があり、病院もある。
テイクアウトのお店、飲食店もあり、多民族が住む暮らしやすい下町という印象だ。

建物のセキュリティーはしっかりしていて鍵を開けて中へ入っていく。
滞在しているホテルのと似たような小人数用の手で開けるエレベーターに乗る。
こちらは3階位までなら階段が当たり前という感覚なのかもしれない。

ドアを開けるとリンダの二人の子供たちが待っていてくれた。
合気道を習っているとのことで、夫の名前に「先生」と付けて呼んでくれる。
夫はかつて習った柔道もどきで長男と稽古。
日本語も合気道を通していくつか知っていて挨拶してくれるのが嬉しい。
子供達なりに精一杯、もてなしてくれている気持ちが通じてくる。

日本の漫画、フランス語でもそのまま「マンガ」と呼ばれていた。
愛読書を二人はたくさん持ってきて見せてくれた。
日本の漫画にフランス語で台詞が入っていて面白い。

その後、二人と夫の任天堂のゲーム大会、一騎討ちが始まる。
子供達二人はやたら強い。
それではと、こちらでは余り知られてない野球ならと選択したものの、
夫はやはり負けている。

リンダは私達のためにチュニジアのお茶を用意してくれていた。
ミント、ブラウンシュガーと緑茶がブレンドされている。
そして地元のお菓子も。
夫と子供達がゲームをする間、二人で彼女のアルバムを見せて貰いながら、
いろいろな話をする。

ご主人が日曜大工が趣味で得意とのことで家の子供部屋などは手作り。
床も貼ってくれたそうだ。
キッチンがやはり広くて使いやすそうだ。
大きな窓があり、ランドリーも台所でできるようになっている。

ボーリングなら簡単と言われて、私もリンダもテレビゲームに参加。
フランス語の新しい教科書に「テレビゲームをする」という言葉があったが、
こんなに盛んだとは思わなかった。

子供たちはほんとうに良い子たちだ。そして礼儀正しい。
コーラのボトルを持ってきた長男、自分が飲む前に夫にも「飲む?」と聞き、
グラスに注いでくれている。
二人とも確か9歳と10歳。

部屋に置かれているアフリカンドラム、リンダや次男が叩き方を教えてくれて、
私も挑戦。
「今度、チュニジアに行った時はあなたの分もこの太鼓買ってくるわね。」とリンダ。

リンダの妹夫婦と可愛い2歳と一歳半のお嬢さん達がやってきた。
リンダは大人の女性らしい雰囲気だが妹さんはコケティッシュな感じ。
子供達も片方は巻き毛、もう一人はストレートヘアで年が近いせいか、
双子のようで愛らしい。
部屋にあった水煙草、3つの香りから何が良いかと聞かれて夫が選んだのはミント。
妹さんのご主人がセッティングしてくれている。
初めての水煙草体験。
香りが良くて煙草よりもアロマティックだ。

リンダの妹さんは夫に「あなたもエリック・べネイのファンなの?」と聞いてくる。
私が「そうなのよ。」と言うと「あなたが大ファンなのは姉から聞いてるけれど、
ご主人はどうなのかと思ったの。」
夫はもちろん自分もファンだと話している。

リンダの妹さんのご主人がテレビゲームに加わる。
彼は無敵でリンダの子供達も敵わない。
長男が夫にゲームコントローラーを譲ってくれるが、サッカーゲームでぼろ負け。
リンダのご主人もテレビゲームが大好きで、義理の弟と熱中して週末はゲームをするそうだ。
家の夫もかなりなゲームマニアだが、私はこれを今までは余り良く思っていなかった。
しかしこれからはもっとゲームの腕を磨いて貰うことにしよう。

リンダの親友のアンリから電話が掛かってくる。
仕事で私達に会えないことを詫びるので「次回はぜひ会いましょうね。」
リンダに私達にyouTube映像を見せるようにと言って来ている。
アンリもR&Bファンだ。

リンダに改めて「何でエリックのファンになったの?」と尋ねると、
99年のアルバムで知り、そのジャケットを見て最初は自分のご主人に似ていると思った、
と照れながら話してくれた。
もうすぐ帰ってくるご主人と会うのに緊張してきてしまった。

ラトリエ・ド・ジョエル・ロプション

2011-01-15 15:31:21 | 年末年始のPARIS
山下さんの農園を出発しパリ市内へと向かう。
走りながらCDで掛かったのはお嬢さんのEちゃんお気に入りのコニ―・タルボットのアルバム。
イギリス版アメリカンアイドルで人気が出た少女。
スタンダードなナンバーが入っている。
EちゃんはこのCDの曲の歌詞を全部、暗記していてずっと歌っている。
時々、CDなのか彼女の歌い声なのか区別がつかないほど巧い。
私も知っている曲ばかりなので楽しくバックアップコーラスをしていると、
ほどなく凱旋門付近のロータリーへ。

イギリスでもこういうスタイル、東京近辺では国立にもあるが、
信号がなくて車が回りながら進行方向へと道を選んでいく。
ふと見ると車だらけ。何の秩序もなさそうに見える。
ここから脱出できるのかと思ったら、山下さんはさすが。
見事に切り抜けて道を拓いた。

着いた場所、何と前日リンダとお茶を飲んだカフェの前だった。
今回、夕食をするのはその地下にある日本のシェフが抜擢され昨秋に再オープンした
"l'atelier de joel robuchon"とのこと。
1月1日、お休みのレストランも多く、予約が立て込んでいる中、
山下さんが予約して下さった。

ご一緒するのは山下さんのお知り合いの編集者の女性と
ワインのお仕事をされている女性、そしてその彼。
全部で8名の夕食会となる。
お食事はお任せメニュー。
韓流スターのようなイケメンのシェフ、ご挨拶にみえたが、あいにくこの日は、
休日のため、この後お店を離れられるとのこと。

最初に出たのが確か、これ。
中にスプーンを入れるとキャビアがぐさっと。

次にフォアグラのオ―レのような物を頂いた気が。
トリュフの前菜も。

そしてフォアグラとトリュフのサラダ。
フォアグラを包んだワンタンにトリュフが散ったスープ。

京都の懐石で松茸の時期に行くと松茸尽くしになるが、
今の時期、パリだとフォアグラ、トリュフ尽くしになるのだろうか。
フォアグラは好きだが、さすがにフォアグラのワンタンあたりで少しもたれてきた。

その後、ギンダラに木の芽と花穂が添えられ、
西京味噌ベースのソースに柚子のソースが散ったお魚料理。
う~ん、微妙だ。

次はチョイスできるので夫は小羊、私は鳩。
小羊は東京では食べられない味だと思ったが、さすがにもうお腹が一杯に。

デザート、最初はフルーツ風味のグラニテ、

次にアイスクリーム、

最後はムースショコラ。

この辺、ほとんど記憶があいまい・・・
デザートは別腹だから食べられると豪語している私。
お好みをチョイスの時はずうずうしく「全部を少しづつ。」と言っている。
しかし、最後のムースショコラ、完食には至らなかった。

全体的に和風を意識して懐石風に少しづつ、美しい物が運ばれてくる。
「よねむら」も似たスタイルだと思うが、同じ食材は使われない。
それに対しこちらはフォアグラ、トリュフの大盤振舞。

お店の人達はとても感じが良かった。
お値段は昨年、京橋のシェイノで食べたクリスマスディナーと同じ位でした。
旅行に出たら一度くらいはご当地で評判のお店でしっかりとしたディナーもしたい。
そういう意味では大満足。
満席で人気のお店の予約、
しかもレストランがお休みに入り、お席の取りづらい1月1日に取って下さった山下さんに感謝。
Eちゃんと山下夫人に「また会いましょう!」とご挨拶、
山下さんとは今年の2月の日本での再会をお約束してお別れした。

山下家の皆さま、楽しい時間をほんとうにありがとうございました。
フランスへ旅行される方はぜひ山下農園にいらしてみて下さい。
http://a.yamashita.free.fr/
なお山下さんはマイクロソフトオフィスのマック版コマーシャルにも登場しています。
http://www.microsoft.com/japan/mac/

山下家での元旦

2011-01-14 15:29:24 | 年末年始のPARIS
車を停めて降りると隣の石垣の上を太った猫が二匹歩いていく。
なついているので山下家の猫かと思ったら隣家の飼い猫とのことだった。
テレビで観た道が目の前に広がっている。
とうとう来ちゃったんだという想いで思わず顔が綻ぶ。

テレビでジョルジュ・サンクのシェフが門を開けて入っていった場所から、家へと進む。
ここはロシアの貴族の狩りをするための別荘だったそうだ。
白い漆喰の壁が周囲の風景に溶け込んでいる。
早速に出迎えてくれたのは二匹のレトリバー、12歳の優しくて落ち着きのあるハニーと、
どうして名前を忘れちゃったんだろう、もう一匹はいたずら盛りの2歳のお茶目なコギャルだった。
室内は昔のままの狩りの道具とかクローゼットのドアなどが古式ゆかしい佇まい。
外に向けて開かれる大きなガラス戸から下の畑と鶏小屋、ビニールハウスが見える。

バレリーナだったスタイル抜群の美しい奥様と7歳のお嬢さん。
フランスの女の子らしい雰囲気が可愛らしい。
「お正月だからお雑煮くらいご馳走させて下さい。」との言葉を本気にしていた私達。
奥のキッチンから良い香りがしてくる。
覗くとキッチンなんて物ではない、我が家の家全体ぐらいの広さがある。
映画に出てくるヨーロッパ貴族の別荘の台所。
広々とした二面に窓があり外の景色が臨める。

お雑煮、お餅は自家製、お米から米付き機で作ったものが焼かれて入っている。
出汁はしっかりと日高の昆布で摂られている。
その中に山下農園の京人参が。深くて濃い味がギュッと詰まっている。
カブは今は時期ではないとのことだったが、
トロっと煮てあるのに決して崩れずにしっかりとした触感を保っている。
赤カブのなます、酢の味が柔らかくカブの色が薄紅色に綺麗に出てさっぱりと口当たりが良い。
自家製のお味噌(これがまた絶品だった)に漬けて焼かれた鶏は旨みが強くジューシーだ。
その上に農園で取れた葱が炒めて乗せられている。
これもこちらのポロ葱ではなく日本のしかも京風の濃い葱。
鶏のレバーや肝を醤油ダレに漬け込み小麦粉を付けてコンフィした物、初めて食べる料理だったが、
日本酒にもワインにもぴったりな奥の深い味。
余りに美味しかったので、写真を撮り忘れてしまったのが残念。
フランスで東京にいるよりもお正月らしい料理、
しかもこんなに本格的なお食事ができるとは思ってもいなかった。
山下夫人、元旦に最高のお持て成しをほんとうにありがとうございました。

農園の窓から外を見ると夕方、5時半でも薄明るい。
朝は陽が昇るのが遅いが夕暮れは日本の方が早いのかもしれない。
ヨーロッパの丘陵地帯の陽が沈む様子はほんとうに美しい。
いつまでも観ていたいと思わせる瞬間だ。
東京だと黄昏時はどういうわけかもの寂しく感じられる。
ここの夏の景色や空気はどんなだろう。夏も来てみたいなぁと思った。
実現するだろうか、ワクワク。

ワンちゃん達、夕方になると落ち着きがなくなるのは日本の犬と同様。
お散歩タイムがやってきた。
リードを付けて近所を一回りというようなケチなものではない。
外に二匹を離す。
30分から一時間、好きなところを走って戻ってくるのだ。
頭の中のスケールが日本、しかも東京モードの私は「ちゃんと戻ってくるんですか?」と心配。
考えてみればヨーロッパには牧羊犬もいる。
自分が戻るどころか羊を追い羊舎に戻す犬もいるのだから、こちらの方が普通なのかもしれない。
好きなように野原や畑を走って生活できる、なんて幸せな犬達だろう。
これでこそ、大型犬に相応しいライフスタイルだ。
犬達がそれぞれ戻ってきた時にいち早く気づくのは山下夫人だった。
私も動物を飼ってきたからその気持ちはわかる気がする。

ハニーと☆

さてその日の夕食をパリ市内のレストランでご一緒することになっていた。
元旦に開いている店の予約を取るのはさぞかしたいへんだっただろうと山下氏に感謝。
車で凱旋門の近くのレストランへと出発する。

いざ、山下農園へ!

2011-01-13 16:51:32 | 年末年始のPARIS
リンダとの出会いはエリック・べネイのファン同士としてファンのサイト、
my spaceなどインターネットを通して知り合った。
その後、ニューオリンズでエリックのファンクラブの集まりがあり、その折に初めて会い、
やはりファンクラブのメンバーでヒューストンから来たリーサ、
ダラスから来たコミュラといきなり4人部屋で3日間を共に過ごした。
時間を掛けて少しずつこういう流れになったと自分では自然に感じていたが、
悠久の時の流れの中で地球上にいる数多くの人々の中から離れた場所にいる彼女と出会い、
一度ならずも二度も会うことになるとは「まるで奇跡のようなできごと。」と人に言われた。

そういう意味で山下さんとの出会いも不思議だ。
Hさんの紹介で知り合い、「じゃあ、今度、フランスの農園に遊びに行くから!」
と言って別れたのが昨年の2月。
約束してもそのままになってしまい二度と会わない人もたくさんいる。
それなのにその翌年の元旦に山下農園をしかもフランスまで訪ねるように物事が進んだのは
やはり縁と言うより他ない。
年末に佳境を迎える夫の仕事柄、羽田からのパリ便が開通したことも流れを変えた。

ホテルから山下さんに持参するとお約束した日本のサツマイモ二種、エレファントにんにく、
築地からの鮪とたらこ、リクエストのあった日本の煙草を持ち、
鉄道の駅までも充分歩ける距離だが寒いのですぐ近くのメトロの駅から乗り込む。
地下鉄からrerへと乗り換える。
ここで夫が山下さんへ発車時刻をiPhoneで連絡。

ところで私のdocomoの携帯、この日から通話可能になった。
ベルギーでも翌日から部分的に通じるようになったが、パリではこの日から完璧に復活。
この翌日、リンダとの待ち合わせ、地下鉄の駅で私たちは地上、
彼女は改札で待っていてくれた。
電話が通じなければ会えなかったかもしれない。
夫のiPhoneは無敵なので、やっぱりiPhone中心に変えた方が良さそうだ。

乗換えの駅で降りた時にもう一度電話すると、山下さんは既にその駅へと私達を迎えに
家を出たとのことだった。
改札から外に出てみる。
パリ郊外、ほんの30分位、東京では中央線なら国立にも達していない三鷹ほどの距離だろうか。
それでも寒さは深まり、先週降った雪がたくさん残っている。

近道の幹線道路ではなく、風光明媚な場所、住宅街の様子などを見られるように
遠回りして脇道を通って地元の様子を案内していただく。
山の斜面にお菓子の家のような可愛らしい住宅、または豪邸が点在する。
別荘地かと伺ったら、住宅地とのことだった。

山道から舗装されていない農道に入る。
広い土地に数軒の農家が点在している。
ようやく昨年、テレビで二回拝見した山下農園の入り口が近付いてきた。
http://a.yamashita.free.fr/acces.html

初めてのエッフェル塔

2011-01-12 15:21:14 | 年末年始のPARIS
夫にパリで何がしたいのかと尋ねると「エッフェル塔に上りたい。」
えっ、あんな物の上に行きたいの?と内心思ってしまった。
初めて行った時はたぶん観光バスのようなものに乗り車窓から。
次は雑誌の撮影でエッフェル塔をバックに写真を撮られているのだが、
上った記憶はない。
三回目に行った時はエッフェル塔、見もしなかったし存在も忘れていた。

1月1日、ルーブルに始まりほとんどの観光名所は閉まる。
元旦のお昼過ぎには山下さんの農園へ伺うお約束になっている。
ということは、朝一番で9時半の開場と同時にエッフェル塔へ行き、
ホテルへ戻って山下農園へのお届け物を持ってパリ郊外へと向かう列車に乗る、
ということになった。

時間を節約したかったのでタクシーでエッフェル塔の麓まで向かう。
開場前に長蛇の列ができている。
今日は他に行くところがないからなのか、それともいつもこんな感じなのか。
最後尾に付くと後ろは現地のツアー。
ガイドが4ヶ国語で説明をしている。
以前ブリュッセルで申し込んだツアーのガイドさんは六ヶ国語で説明をしていた。
ヨーロッパにはこういうガイドがいるんだなぁと思い説明を聞いていると、
「今日はエッフェル塔の頂上は閉ざされているので、行けるのは2階(三階)まで。
でももし上まで行けたとしてもこの天候では返って見通しがきかなくて、
何にも見えないと思う。」とのこと。

しばし並んで入場が始まった時に前方にチケット売り場のようなものが目に入る。
「もしかして、皆チケット持って並んでいるのでは?」と思い、
後ろにいたガイドさんに聞くと、「余分に持っているから定価で売ってあげる。」
ちゃんとお釣りもくれてチケットを譲ってくれた。

エフェッル塔、間近に下から見上げて、私はとんでもない認識違いをしていたことに気づく。
デコかヌーボーかは知らないがまぎれもない由緒ある芸術作品。美しく整った建築物だ。
東京タワーと同一視していた自分を恥じた。
外が見えるエレベーターに順番に乗り、若干斜めに傾斜する形で昇降していく。
高いところ、場所によっては苦手なのでもしかすると頂上はきつかったかもしれない。

三階からの眺めはちょうどいい。
セーヌ川に船が浮かび、パリの景色が一望にできる。
昨日、シャンゼリゼからみたエッフェル塔は頂きが霞んでいた。
これはもし頂上まで昇ったら風も強く寒さが更に厳しかったと思う。

観光客も多い。
写真を撮ってもらうのを頼むとこちらも頼まれる。
売店でも同じ人と一緒になった。
北欧から一人で旅してきた若い女性。

売店ではエッフェル塔にちなんだ数々の雑貨、
エフェッル塔のスノーボール、絵葉書、ボールペン、塔の形のボトルに入ったブランデー、
キーホルダーやトートバック、キッチングッズまで。
私は猫たちがエッフェル塔に上っている絵葉書のみだが、
雑貨好きの夫はここでも大人買いしている。

カウンターにアルコール入りの消毒薬のミニボトルが置かれている。
リンダがカフェでお茶を飲む前に取り出して手を清めていて、私達にも薦めてくれた。
この日の翌日会ったリンダの妹も持っていて、ブランドが違うと、
香り(ほぼ無臭だが)や感触が少しづつ違う。
フランスではお絞りが出ないので代わりにウェットティッシュをたくさん持っていくと良い、
などと書かれたガイド本を読んだが、現地に行ったら日本のウェットティッシュではなく、
ドラッグストアでもコンビニでもどこでも売っていますから、皆さまもどうぞ使ってみて下さい。

さて階下に降りて真下から、そしてすこし離れたところからまたla tour Eiffelを見上げる。
電波塔である東京タワーとは違いエッフェル塔はパリ人が誇るだけの美術品、
パリのシンボルとも言える。塔というよりも山に等しい。
登山好きの方は階段で登ることもできます。
世界的な観光名所として相応しい場所だったと深く納得したのだった。

リンダとの再会

2011-01-11 12:43:06 | 年末年始のPARIS
ホテルへ戻り荷物を置くとリンダとの約束の時間が迫っていた。

お土産に日本的な物で出発前に買った雑貨類、
それと最近は海外にいる人のプレゼントに今まで自分が集めてきた手持ちの日本の作家物の陶器で、
相手の雰囲気に合った物を持参している。
今回リンダにあげた器も京都の工房の作品で20年近く家の飾り棚に置いてあった物だ。
持っていた物を人に差し上げるのは失礼、買った物の方が礼儀にかなっていると以前は思っていたが、
今は慌ててお土産用に買った物よりも自分が大切にしてきた物、そして日本に来た人に壊れ物のお土産は、
相手の負担になると思うが、こちらが持っていく分にはむしろ気持ちがこもるし、
日本の自分のお気に入りの器が海外の人に使ってもらえると思うと嬉しい。
壊れないように厳重にラッピングして機内持ち込みで持ってきた。
そしてもちろん海外ではまだ購入できないK子M士君のサイン入りCDも。
リンダは12/26がお誕生日だったのでお土産だけでなく、バースデイプレゼントも兼ねている。

そろそろ約束の時間なのでロビーに降りて行こうとすると部屋の電話がなった。
今、地下鉄を降りたところ、10分位遅れると言う。
こちらの人は時間にアバウトなイメージがあるが彼女はいつも正確だ。
10分後にロビーに降りて行き、夫は外で煙草を吸い始める。
私はフロントの前の椅子に座り「友達を待っているのよ。」などと話している。

外を見ているとダッシュでやってきたリンダは夫とすぐにお互いが分かって、
話しがはずんでいる。「私、facebookとかで見たのと同じだった?」なんて会話が聞こえてくる。
そして二人はホテルの中へと入ってきた。
リンダとニューオリンズ以来、一年半振りの再会。
感無量で言葉もない。
着いてから何をしていたかを仏語で彼女が聞くので、話し始めるが時々文法に詰まると、
その都度、フロントマンが背後から仏語教師の如く正しい言葉をそっと小声で伝えてくれる。
「リンダ、英語にしよう。その方がお互いに楽だから(笑)」

「これから何をしたい?」と聞かれて、話もしたいし、
一緒にどこかに出かけるのも良し、と迷っていると、
翌々日は午後からリンダの家に行き、家族と一緒に過ごすことになっているので、
この日はリンダお薦めの観光スポット巡りということになる。

ホテル前にバス停があるので、リンダはフロントの人にバスの番号を確認してくれる。
42番のバスに三人で乗り込む。
海外から来た人をどうやって案内してあげればよいのかなぁと思うことがあるが、
何しろ一緒にバスに乗るだけでもう充分楽しい。
目的地までの間、お互い会わない間に起こった出来事の話、
あるいはほとんど女子高生のような「ねぇねぇ、エリックの今度のアルバム、どの曲が一番好き?」
なんて会話も。

コンコルド広場、ルーブルの入り口(まともに観ると二週間昼夜掛かるとのことなのでさわりだけ)
を抜けてシャンゼリゼ通りへ。
クリスマスから年末にかけての露店が並んでいる。
イルミネーションが美しい。
人気のマカロンのお店、ルイ・ヴィトンの大型店舗には外まで並ぶ人がいる。
しかし、寒い。
東京の寒さとは種類が違う。顔や頭が冷たくなり鼻が出てくる。手もかじかんで手袋は必須だ。

凱旋門の近くまで来て、コーヒーショップに入ることにする。
何気なく入ったように見えたがこのお店は今、お洒落で人気のある場所と後で知った。
そこをリンダは選んでくれたらしい。
いかにものフランス風のカフェは今時、観光客のみで現地では目新しくないのだろう。
リンダと私はショコラ・ショウ、夫はカプチーノ。
「今晩はどうするの?」と聞かれて、夫が「シャンゼリゼの夜明かし、エッフェル塔のライトアップを見たいから、
また夜、ここに戻ってくるつもり。」
と言うと「それならバッグは持たないで。コートのポケットにお財布も入れないで。
コートの中に全部入れてボタンを掛けてね。もの凄い混雑になってパリには悪い人もいるから。」

リンダとシャンゼリゼの地下鉄の駅で別れたのが、6時半頃。
人はどんどん増えてきている。
車の量も増えてきて渋滞している。
ホテルまで地下鉄を乗り換えて戻ることにする。
大晦日と元旦、正確に何時から何時までかはわからないが、
電車の料金は無料になり、地下鉄の入り口はフリーパス。
とにかく来た時よりもみるみる人が多くなってきているのを見て、
私は夜遅くにもう一度来るのはちょっとなぁと思い始めた。

ホテルの近くの駅で降りたのに真っ暗だと様子が違う。
迷ってしまって行ったり来たり。
そういう観光客が多いとみえて地図を広げたりしている人を数人見かけた。
寒さとお手洗いに行きたいのとで切羽詰まってきた。
カフェに入って何かを飲み化粧室を借り、そこでホテルの場所も聞いて戻ろうという私の意見は反映されず、
面倒だからタクシーに乗ってしまおうという夫の決断が勝った。
タクシーに乗ると「そのホテル、後方50メートル位なんだけど、ここ一通だから、一回りして戻るけど、
それでもいい?」とにかく寒かったんで何でもいいから、行ってくれということになり、
タクシーは200メートルほど迂回してホテルの正面に着く。基本料金を払って下車。

フロントでは若いヨーロッパ人のカップルが、これから花火を見たいし夜明かしの雰囲気を楽しみたいので、
どこに行ったら良いかと聞いている。
フロントの人はシャンゼリゼでもエッフェル塔前でもと話している。
「食事とかできる場所あるのかな?」と尋ねると「わからない。」
「それなら空いているピッツェリアかカフェでも捜すかな。」と二人は出掛けて行った。

「私達も夜のイベントに行ってみようかと思っているんだけれど。」と聞くと、
「シャンゼリゼがいいですよ。」
「その界隈で食事はできるかしら?」
「9時までにお店に入れば時間が過ぎてもお店にいられます。それ以降の時間だと入店できないと思います。
それに予約がとても取りづらくなっているから、好きなレストラン、食べ物の種類を言って下さい。
今、予約をいれますから。」と受話器を取り上げた。
「まだわからないから、少し考えたい。」と断り部屋に戻る。

部屋に戻ると一日歩き回った疲れも出てきた。
夫も「やっぱりシャンゼリゼはやめる。」と言いだしてくれたのでホッとする。
今回、30年振りとは言えども私は4回目、夫にとっては初パリだったので、
できるだけ夫のしたいことを一緒にするようにしようと思っていたのだ。

ホテルの隣にあるレストランで食事をしようと階下に降りて行く。
フロントの人に「隣で食べようと思っているんだけれど、どう?」
と聞くと「隣だけは行ってはいけない。5分も歩けばいいレストランがいくらでもある。」
「いいレストランってどこ?」
「隣以外ならどこでもだいじょうぶ。何しろ美味しくないのにやたら高いんだ。」
そこまで言われたら隣には入れない。
少し先まで歩いて比較的混雑しているレストランを選んで軽い食事をして、
その日は早めに休むことにした。

大晦日のボンマルシェ

2011-01-10 17:25:45 | 年末年始のPARIS
地下鉄を乗り換えて地上に出ると目の前に広場とも公園ともつかぬ空間が。
その後方にボンマルシェはそびえ建っていた。
目指すは食品館。しかしその前に本館もざっと見学するが、
ギャラリーラファイエットよりも作りがゆったりとしていて落ち着きがある。

ボンマルシェの食品館、そこはめくるめくワンダーランドだった。
時間が遅くなってきたせいもあるかもしれないが年末の買い物客でたいへんな賑わいだ。
その中で例えばエシレのバターは日本の四分の一の値段。
その他も日本にないブランドの美味しそうなバターがたくさん。
お惣菜コーナーでも欲しい物が次々と。
オリーブのマリネ、散々迷っていろいろある中から一つを選ぶ。
缶詰、瓶詰、袋詰め、チョコレート、マロンクリームのチューブ、バスケットにどんどん放り込む。

チーズのコーナーでは余りの豊富な種類と立ち上る香りにどうしたら良いかわからなくなった。
隣で物色していた人が「これがこんな値段で出ているとは信じられないわ。
フランスで冬季にしか作られないチーズなの。生でも焼いても美味しのよ。」
と言うので取敢えずそれをホールで二つ。
最も癖のありそうなチーズを4種パックしたセットをいくつか。

レジでは行列ができている。
目の前にあったエコバッグ、気になったがこれはパス。
チキンは色とりどりの羽が付いたまま、一羽単位。

魚売り場に関してはギャラリーラファイエットの方が充実していた。
そして牡蠣を大量に買い込む人が何人もいて、売り場でも食べられるテーブルが出ていた。
オーダーしようとすると試食コーナーはお昼からとのことだった。
ボンマルシェではここまで牡蠣の種類はそろっていず、イートインコーナーもなかった。

さてたいへんな荷物になったので帰りはタクシーに乗る。
セーヌ川を渡り右側にはノートルダム、正面にはルーブルが見える。ルーブルは巨大だ。
部屋に帰って冷蔵庫に乳製品類を放り込んだのだが、その匂いは最初は冷蔵庫周辺だったものの
その後、部屋全体へとまたたく間に広がっていったため、
翌日、慌てて一つ一つをジップロックで二重にガードしたのだった。

帰国後、このチーズ類をK子M士君に送ると「すごくいい香りがしている」(さすがヨーロッパ育ちは違う)、
「家族が揃うのを待って皆で食べます。」とメールあり。
私が買ったチーズはモンドール、日本でも人気がある季節限定品だと教えて頂きました。
有名だったんですね、知らなかった。
たぶん翌日と翌々日にデパートが休館になるゆえ、破格の値段で出ていたのでしょう。
アンチョビが日本のお寿司屋さんでたべる新子(初夏に出る小肌の稚魚)のようで
これもとても良いお味でした。

12月31日のパリ

2011-01-08 18:50:07 | 年末年始のPARIS
12時間余りの航空時間の後に着くのは早朝のパリ。
朝からばりっと動けるように機内では睡眠をしっかり取りたい。
しかしまた悪い癖が出た。映画をせめて一本、そして後もう一つぐらいならと見始める。
いよいよと眠くなってきたが話のオチ、あるいは犯人が分かる前には眠るわけにはいかない。
日本未公開に終わったりすると永遠に結末を知ることができない。
着陸寸前に朝食とのことだったが、離陸して間もなくクロックムッシュ、またその直後に和風蒸しパン2種。
断る予定だったのにお摘み代わりに完食してしまう。ちょっと自分が情けなくなった。

冬の朝のパリが明るくなるのは8時半ごろからだろうか。
真っ暗な中、ホテルへと到着。
ほぼ同時に着いたイタリアからの女性達のグループがある。
チェックイン、少しでも早くできないかと尋ねると午後1時には部屋に入れると言う。
夫がエクストラチャージを払っても早く入りたいと言ったが断られた。
それまでロビーの奥で荷物を預かってくれるとのことなのでスーツケースを置き、
夫は煙草を吸いに外に出る。

フロントデスクの前の椅子に座ってしばし待つ。
「ルーブルって開くの9時半でしょ?」
"Oui"
「ギャラリーラファイエットも開くの9時半よね?」
"Eh...ouais..."
「私達、どうしたらいいのかしら。どこか時間をつぶせるカフェ、この近くにある?」
フロントマンは無言でパソコンの画面を見つめている。
「このホテルに3泊するんだね?」
「そうよ。」
「わかった。一部屋空いているから入っていい。」
「えっ、今?」
「そうだ。」
「追加料金はどれくらい?」
「いらない。」
1泊ならともかく3泊もするのなら特別に配慮してあげようということのようだ。
最も私にずっとフロント前に座りこまれてはたまらないと思ったのかもしれない。

30年前、パリで泊まったホテルは窓がなかった。
その次の年はコンコルドラファイエット、団体旅行で良く使われる大型ホテルだった。
その二年後、泊まったホテルは家族経営の10室余りのホテル。
浴槽はあったがお湯が途中から水になった。
今回のホテル、部屋数は30室余りスタンダードなタイプだが下町の風景を見下ろす窓とバルコニーがある。
三階の部屋から目の前のバス停が見える。
エレベーターは手で開けるタイプで約3人乗り。
ベッドとバスルーム、カーテンが掛かった小さなクローゼット、その下には小型の冷蔵庫だけの部屋。
壁やドアを素人が塗ったような跡がある。
冷蔵庫の横には先人が置き忘れたと思われる下着の入った袋があった。
確かに清潔とは言えないかもしれないが簡素で
何しろ部屋に入れただけでもありがたいという状態だったので、
文句のつけようもない。
最初、寒く感じたのだがすぐに来てくれたメードさんがスティームのハンドルをひねると
暖かくなってきた。
これはエアコンほど乾燥せず、そしてとても柔らかく暖かくなるので日本でも欲しくなる。
念のため、エクストラの毛布も頼む。
ホテルの悪口をずいぶんネットで読んだので覚悟していたが、皆感じがいいじゃないの。
拍子抜けした。

早速リンダに電話しようとドコモの携帯を取り出すと圏外。
ブリュッセル、ニューオリンズ、と続きまたしてもドコモが役に立たないのか。
海外でドコモの携帯メールは日本人のドコモを使っている同士でしか意味をなさない。
しかし電話までしかもゲントとかブリュージュでなくパリで使えないなんて。
夫のiPhoneは通じている。
帰国して毎回、どうにもならないと思いつつ取敢えず苦情は伝える。
が今回はもうdocomoにほとほと愛想が尽きた。
現地で慌てないようにと東京からリンダと山下さんにこの電話から連絡しておいたのに。

部屋の電話からリンダに電話することに。
携帯に入っていた国際電話の番号、国番号を取り地域番号に0を足すが通じない。
階下のフロントに聞きに行くと電話の仕方を丁寧に教えてくれた。
部屋に戻って電話するがやはり通じない。
するとフロントから電話が掛かってくる。
「ごめんなさい、部屋から外線に通じるようになっていませんでした。
もうだいじょうぶです。」
リンダは3時にホテルに来てくれることになる。
リンダが来るまでの間、取敢えず今日しか開いていないデパートに繰り出すことにする。

9時15分頃、フロントに降りて行きギャラリーラファイエットの場所を確認する。
歩いて10分ほどだと道を教えてくれた。
歩き始めても人通りは少ない。
そしてまだ薄暗い。
ギャラリーラファイエット、本館をざっと見て食品館もチェック。
外も中も年末のディスプレイが綺麗だ。
しかし食品館を見たものの今一つ、しっくりこないので、有料の化粧室を使った後、
やはり皆に薦められたボンマルシェへと地下鉄で移動することにする。

年末年始のPARIS

2011-01-07 20:10:50 | 年末年始のPARIS
私とリンダはそれぞれ相手を想う気持ちが強い余り、
フランスに年末から年始に掛けて行くと連絡したものの
その後の計画が決まらないままになっていた。
リンダがもしずっと私と行動したいと思っていたら・・・
リンダも私が彼女と一緒に過ごすつもりでいるのかもしれない、そんな風に思って
お互いに相手の予定を聞いたり、自分の都合を言いだせないままに出発10日前になった。

このままでは滞在中の計画も立たないので1月1日はパリ郊外の山下さんの農園を訪問することを伝えて、
「12月31日と1月2日はどちらが都合がいい?」そして年末や新年は家族や友人との集いもあるだろうから、
私のために無理をしたりしないで欲しいとメールする。

両日、共に私と会うつもりだと返事が来るがそれぞれの日の「午後」と書いてある。
日本では午前と午後に分かれると思うがフランスだと「朝」「午後」「夜」
ということは夕食は一緒にはできないということだろうと解釈した。

出発は12/31の午前1時半。
家から羽田まではタクシーで10分強。
成田と較べると格段に楽だ。
往復のチケット、エコノミーが取れないので諦めようと思ったら、
JALのこの路線はプレミアムエコノミーがあることを発見。
2007年にベルギーに行った時に英国航空のプレエコを利用したが
その時プレエコは英国航空とバージンアトランティックしかなかったと思う。
今はヨーロッパへ向かう飛行機の多くにあることを知る。

英国航空のプレエコは確か荷物が10キロ増量された記憶があったので、
今回もてっきりそうだと思っていたら、エコノミーと同じ20キロ。
前回の旅行で利用したデルタはエコノミーでも23キロ、
またキャセイは帰りの便のみ30キロの特典がある。
確認の電話を入れると1キロ越えるごとに9,000円の超過料金を取られるとのこと。
手持ちのスーツケースの重さ7・5キロはいよいよネックになってきた。
冬物の衣類はかさ張る。20キロなど簡単に越えてしまう。
荷物を詰めては体重計で確認。
行きの荷物の重さは18・5キロ。

山下さんからさつま芋2種、そしてエレファントニンニクを持ってくるようにとミッション。
お芋は夫と二人で5キロずつ持つつもりだったが、それぞれ3キロに減らす。
心配しているのは行きではなくて帰り。
重さのあるチーズやバター、ジャムを買い込むことが目に見えているからだ。
帰りに油断したらあっという間に重量を越える。
その場合に手荷物として持ち込めるためのバッグを用意。

12/30の夜、10時半に羽田に着く。
もっとゆっくりでも良かったのだが新空港に興味があったのと家で待ちくたびれてしまい出発。
今回のJALのプレエコ、さくらラウンジ使用の特典もある。
夜遅いこともあり、ほとんどのお店がクローズになっている中、
さくらラウンジで暖かい食事のビュッフェとアルコールもたっぷりと頂けたのはありがたかった。

欧米系のエアラインでは季節を問わず凍える思いをしてきた。
日本航空、全日空の機内は適温だ。
目的地、パリは雪も前の週に降り、かなりな寒さだと聞いている。
また年末年始、1/1に空いているのはエッフェル塔とユーロディズニーぐらい。
1/2は年始ということではなく日曜日に当たるため、デパートを始めお店も軒並みに休み。
12/31のレストランは混み合って事前に予約しておかないと食事ができないかも、
とも脅かされた。
事前に泊まるホテルの評判も投稿を読むと、不潔、感じが悪い、いい加減と散々に書かれている。

飛行機が朝、6時20分にパリに着いてしまうのに部屋のチェックインできる時間は15時。
美術館もデパートも開くのは9時半、
それまでの時間はホテルに荷物を預けて通しで開いているカフェで時間をつぶす、
あるいはノートルダムやサクレクールなどの教会は早朝でも入れるだろうか。

帰国が1/3の午前11時の飛行機なので
1/1,2は閉まってしまうギャラリーラファイエットやボンマルシェで買い物、
午後はリンダと会って、夜はシャンゼリゼの年明けのイベントに参加。
そんな風に漠然と着いてからのスケジュールを考えていた。