生活之音楽ピース社

~そしてピアノとすこし猫~

映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』、そしてパフォーマティヴな言葉を求めて

2014年09月22日 | 音楽
 そうだ、もっと詩を読もう! 映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』を試写会で拝見させていただき、最初に感じたことです。アルゲリッチは記者のインタビューには応じない人だそうで、その意味でも娘がまわし続けたカメラに向けて彼女が言葉少なに語り、魅惑的な表情を見せる姿、繊細さも陽気さもありのままに映し出しているこの映画は、とてもドラマティックなものに受け取れました。
 昨今の音楽家の方は、とてもお話が魅力的で、ご自身の音楽作りなどについて本当に見事に語られ、音楽ばかりでなく言葉でも、インタビュアーなり、トークコンサートの聴衆なりを魅了しています。とはいえ、アルゲリッチほどではないとしても、最終的には言葉やロジックでは説明しきれないものを内包しているのが音楽家。ときに、彼らとのコミュニケーションを深めてくれるのは、あるいは記事としてよりよく収めることができるのは、ほとんど詩のような言葉による働きかけかもしれない……アルゲリッチの映画を観終わったとき、そんな直感が湧いて来ました。
 言葉には二種類あると思います。一つは対象をスペシフィックに、説明的に、なるべく精度高く意味しようとする言葉、もう一つはパフォーマティヴで、多義性を秘め、受け手の創造性を刺激して引き出すような言葉です。使い分けが必要ですが、両方を効果的に使おうと試みることは、私が日頃翻訳をしたり文章を書いていて面白いと感じる点です。それぞれにはリスクもあります。前者はやりすぎると読み手の創造性を奪い、冗長で不粋な文章になってしまうこと。後者は読み手の誤読をいたずらに誘発したり、ひとりよがりで理解不能と思わせてしまうこと。
 書き手・読み手の「好み」の問題はありますが、私はどちらかというと、スペシフィックよりはパフォーマティヴ、説明的よりは誘発的なものの方を好みます。場合によって、「正確でない」「読み手を混乱させる」とお叱りを受けることもあるかもしれませんが。
 たとえば、です。映画の中で、オーケストラとのピアノ協奏曲のリハーサルで、アルゲリッチは指揮者に対して、「ここは、こう弾きたい」と弾いて伝えようとする場面がありました。その際、彼女の口から出ていた言葉は、“I don’t know.”
 もしこれを文字通りスペシフィックに直訳すれば「私はわかりません」ということになる。でも、あの場面のこの言葉を「直訳」ではなく「翻訳」するとしたら、例えば「なんて言ったらいいかしら……」などとできると思います。
「わからない」というと説明能力に欠けているような、伝達を怠っているような印象を与えかねませんが、「なんて言ったらいいかしら」なら、「言葉を探っているんだけれども、出て来ない、あなたにはどう捉えてもらえるかしら」というような、言葉そのものが受け手の創造性を触発するようなパフォーマティヴな力を宿すのではないかと考えられます。
 翻訳作業はこうしたことの連続ですし、日本語のインタビューをして記事にまとめる作業も、私は広義での「翻訳」だと思っています。そんな中で、力強い創造的な言語選びに役立ちそうなのは、今、詩のような気がしてならないんです。なんというか、広い意味での。アルゲリッチの仕草、目線、それら全てに、詩があったようにも思う……。とりあえず、今家にある詩集、宮澤賢二の「春と修羅」からじっくり読もうかしら。秋だけどw

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