続・せっちゃんの明るいガン日記

どこから見ても元気な乳ガン患者の日記♪
http://blog.goo.ne.jp/aika760_2006←前作

取り急ぎご報告です

2017-06-13 00:51:37 | 日常のこと

通夜、告別式を終え、

パパとママの結婚記念日の本日(日付変わっちゃったけど)

6/12に母、せっちゃんはお骨になっておうちに戻りました。

多くのお友だちにご会葬いただけ、

ママもきっと嬉しかったと思います。

流石に家族を始めみんなへとへとになってしまい、

もっと書きたいことはあるものの私ももう休みたいので

取り急ぎご報告とさせていただきます。

来てくれたかた、これなくても連絡くださったかた、お手紙くれたかた…

本当にありがとうございました。


母は亡くなりました

2017-06-06 09:41:15 | 日常のこと

2017年6月4日 深夜0時1分 せっちゃんは亡くなりました。

 

家族代表として長女が報告させていただきます。

 

ママは酸素チューブを鼻につけていて、おむつをして介護ベッドに横になっている生活だったんですが、

おむつに用をたすのは嫌だといつも家族が体やチューブを支えて、トイレに行っていました。

当日もパパに支えられながらトイレに行こうとしたようです。

支えていた時に突然ママが目をひん剥いて、そのあとすぐ呼吸が無くなって

本当に一瞬だったと言っていました。

全く苦しくなかったと思います。

 

遺体を見ても、触れて冷たいことがわかっても

ママの友人やご近所さんがうちに来てママをみて泣いてても

まだ死んだんだと実感がわきませんが、少しずつ受け入れていこうと思っています。

 

ママはわがままでガンコで明るくて正直で純粋で愛情深くて、少女のような人でした。

だから友達も多いしブログでもこんなに多くの方がママを好いてくれたのだと思います。

今までママのブログをご愛読くださり、ありがとうございます。

そしてこれからも、たまにはママのことを思い出してくださいますと幸いです。

 

ブログにコメントを残してくださった方、贈り物をくださった方、ブログを読みに来てくださった方

本当にありがとうございました。

せっちゃんは先に天国に行きます。また会えると思うので、それまではご自愛くださいませ。

 


ラリパッパだっただっ私

2017-05-25 16:20:26 | 思うこと
先日までらんぱっぱだっせっちやんほんにんです。

なんか生き死をさ迷っちゃってたらしいのですが本人全く自覚なく。すこーし、浦島太郎です。

履けるパンツをはいてひがなベットにいる以外は以前とは大きく違いません。

四角いシュコーちゃんと一緒なもんで。体力が落ちちゃったので毎日とはいきませんがまたブログ再開します。

沢山の応援とか励まし、祈りありがとうございましまた。またよしね!♥

母は生きてますby長女②

2017-05-22 03:14:42 | 病気のこと

せっちゃんの娘、ボケレッド(長女)です。

先程の記事、とにかく早く投稿せねばと思っていて見直さなかったのですが、

最新の母の様子がほぼありませんでしたね…

 

たしかに健康な人ほど量は食べられていませんが、きちんとご飯を三食食べて、寝てても暇だからと起き上がって家族と話したり、

今日は映画見てました。

足はどうしても浮腫むので家族でマッサージをしたりしています。

やばかったときは水もじょうろみたいなやつ(水差し?吸い口??)で数滴しか一度に飲めなかったのに

今はマグカップを自分で持って珈琲とかオランジーナとか飲んでました。

会話も普通!全然ボケてない!

でも手とかは震えてて、歩くのはヨタヨタです。

やはりずーっとベッドにいた人だったわけなので…

元気だけどちょっとヨボヨボという感じです。

あんなどん底から回復したならこの勢いで全快しそうとさえ思いますが

油断は禁物ということで

無理をして一人で何かしないように!と釘も刺してあります。。。

酸素ボンベのチューブも、泣いてるときに鼻かむから…と普通に外してましたが特に苦しくはないとのことでした(笑)

 

今回の超絶回復は、本人の生命力はもちろん、

家族や親戚のサポートがあって起きたと思っているので、

 

いまボケレッドはまた自宅に戻ってますが、

今後毎週実家に戻りサポートを続けるつもりです!

 

せっちゃんと私たちの応援よろしくお願いします!

 

改めて、いつも母の支えになってくださってありがとうございます。


母は生きてますby長女

2017-05-22 02:43:58 | 病気のこと

お世話になっております。

読者の方々にご心配をお掛けしているかと思い、

本人でなくて申し訳ございませんがせっちゃんの娘(長女 ボケレンジャーレッド?)よりブログ書かさせていただきます。

私も1ヶ月ほど帰省していなかったため詳細な体調の変化はまた後日本人からの投稿になるかと思います。

私は5/19、母の53回目の誕生日に帰省しました。

一ヶ月ぶりに見た母は介護ベッドで

オムツをしていて、酸素ボンベのチューブを鼻につけて

立てた膝を痙攣させながら私を迎えていました。

起きているのか寝ているのか

意識があるのかないのかもよくわからず

呼吸のためなのか、痙攣だったのか

口のなかでベロを一生懸命動かしていました。

見たことのない生き物のように思えてしまいました。

おばあちゃんもおじいちゃんも

最後の時ですらこのような状態ではなく

もうあの元気な母には会えない。

それどころかこの暖かい母ともそのうち別れることになるんだ。

おばあちゃんたちみたいに冷たくなるんだと感じました。

本人は頑張って生きようとしていたのに、

こんなに辛そうなら楽にしてあげたいなどと思ってしまうほど、見た目は辛そうでした。

可哀想で沢山泣いてしまいました。

 

何度も意味のわからない、意味のない言葉を呟いたり、大きな声で言ったり。

見たことがない母でしたか、もう声を出してくれることが嬉しくて愛しくて

途中からはとても穏やかな気持ちで見ていました。

誕生日のお祝いを家族全員と、

母の兄夫婦とでして、

父は自分のご飯後回しで母にご飯やケーキを食べさせていました。

(いつもは自分のご飯の用意もしない!)

 

たくさんキスをして抱き締めて、愛してると言って

(後から、父も同じことをしていたことを母から聞く。これもいつもは絶対しない。)

5/19の夜?

誕生日のお祝いをした後から徐々に元気になっていったようでした。

まだ意味のない言葉を言ったりはしていましたが、会話ができたり、

小さく笑ったり。

 

翌日、母は昨日のことが嘘のように

自分でベッドから起き上がり、

トイレにも行けるようになり

しまいには母の兄夫婦に車を出してもらい、大好きなPARCOへ…

ドトールで豆乳ラテをのんで、チョコも食べて

とにかくたくさん!食べてました

 

5/21

父が部屋にDVDプレーヤーを設置してくれたので映画を見ていました。

椅子に腰かけて。

珈琲のんだりおやつを食べながら。

看護師さんが来て驚いていました。

「もうだめかと思っていたのにすごい」と言われ

母は自分が死にかけていたことを改めて知り、たくさんないていました。

嬉し泣きなのか、怖かったのか、本人もわからないとのこと。

でも本当に、みんなの愛情で蘇ったのでは…と錯覚してしまうような3日間でした。

 

実は、家族からちょくちょくくる連絡で、母がかなりボケていることは知っていました。

直接電話で話したのは少し前でしたが、そのときも意味のわからない話をずっとしていて。

とても母とは思えないような

文書にしづらいですが、知らない人のようだったのです。

また明るい元気な母に会いたい。

母には会いたいけどボケてる母を見るのは怖い。

そう思っていかなきゃいけないのに勝手に参ってしまって

寝込んだこともありました。

 

もう元気な母には会えないんだ。

会社の愚痴を訊いてもらうこともできないんだ

頼むから急激に回復してくれと思っていて

そしたら叶えてくれました(笑)

 

本当にうちの母はすごいと思いました。

こんな生命力のガン患者ありだろうか。

そりゃ主治医も余命割り出すの諦めますわ。

ニュータイプ過ぎる。

 

とにかく、長くなりましたが最新のせっちゃん情報でした。

 

ご心配お掛けして申し訳ございません。

でも、うちの母

せっちゃんはおそらく、いままでのどの武勇伝よりも今回皆様へ勇気を与えられるような武勇伝を確立したのでは…と思いました。

 

今後ともよろしくお願いします。

 

Byボケレンジャーレッド(長女)