お世話になっております。
読者の方々にご心配をお掛けしているかと思い、
本人でなくて申し訳ございませんがせっちゃんの娘(長女 ボケレンジャーレッド?)よりブログ書かさせていただきます。
私も1ヶ月ほど帰省していなかったため詳細な体調の変化はまた後日本人からの投稿になるかと思います。
私は5/19、母の53回目の誕生日に帰省しました。
一ヶ月ぶりに見た母は介護ベッドで
オムツをしていて、酸素ボンベのチューブを鼻につけて
立てた膝を痙攣させながら私を迎えていました。
起きているのか寝ているのか
意識があるのかないのかもよくわからず
呼吸のためなのか、痙攣だったのか
口のなかでベロを一生懸命動かしていました。
見たことのない生き物のように思えてしまいました。
おばあちゃんもおじいちゃんも
最後の時ですらこのような状態ではなく
もうあの元気な母には会えない。
それどころかこの暖かい母ともそのうち別れることになるんだ。
おばあちゃんたちみたいに冷たくなるんだと感じました。
本人は頑張って生きようとしていたのに、
こんなに辛そうなら楽にしてあげたいなどと思ってしまうほど、見た目は辛そうでした。
可哀想で沢山泣いてしまいました。
何度も意味のわからない、意味のない言葉を呟いたり、大きな声で言ったり。
見たことがない母でしたか、もう声を出してくれることが嬉しくて愛しくて
途中からはとても穏やかな気持ちで見ていました。
誕生日のお祝いを家族全員と、
母の兄夫婦とでして、
父は自分のご飯後回しで母にご飯やケーキを食べさせていました。
(いつもは自分のご飯の用意もしない!)
たくさんキスをして抱き締めて、愛してると言って
(後から、父も同じことをしていたことを母から聞く。これもいつもは絶対しない。)
5/19の夜?
誕生日のお祝いをした後から徐々に元気になっていったようでした。
まだ意味のない言葉を言ったりはしていましたが、会話ができたり、
小さく笑ったり。
翌日、母は昨日のことが嘘のように
自分でベッドから起き上がり、
トイレにも行けるようになり
しまいには母の兄夫婦に車を出してもらい、大好きなPARCOへ…
ドトールで豆乳ラテをのんで、チョコも食べて
とにかくたくさん!食べてました
5/21
父が部屋にDVDプレーヤーを設置してくれたので映画を見ていました。
椅子に腰かけて。
珈琲のんだりおやつを食べながら。
看護師さんが来て驚いていました。
「もうだめかと思っていたのにすごい」と言われ
母は自分が死にかけていたことを改めて知り、たくさんないていました。
嬉し泣きなのか、怖かったのか、本人もわからないとのこと。
でも本当に、みんなの愛情で蘇ったのでは…と錯覚してしまうような3日間でした。
実は、家族からちょくちょくくる連絡で、母がかなりボケていることは知っていました。
直接電話で話したのは少し前でしたが、そのときも意味のわからない話をずっとしていて。
とても母とは思えないような
文書にしづらいですが、知らない人のようだったのです。
また明るい元気な母に会いたい。
母には会いたいけどボケてる母を見るのは怖い。
そう思っていかなきゃいけないのに勝手に参ってしまって
寝込んだこともありました。
もう元気な母には会えないんだ。
会社の愚痴を訊いてもらうこともできないんだ
頼むから急激に回復してくれと思っていて
そしたら叶えてくれました(笑)
本当にうちの母はすごいと思いました。
こんな生命力のガン患者ありだろうか。
そりゃ主治医も余命割り出すの諦めますわ。
ニュータイプ過ぎる。
とにかく、長くなりましたが最新のせっちゃん情報でした。
ご心配お掛けして申し訳ございません。
でも、うちの母
せっちゃんはおそらく、いままでのどの武勇伝よりも今回皆様へ勇気を与えられるような武勇伝を確立したのでは…と思いました。
今後ともよろしくお願いします。
Byボケレンジャーレッド(長女)