今は「立候補制」の是非は横に置くとして、
メンバー側が立候補するしないについて構え過ぎだ。
重く受け止め過ぎである。
たとえAKB48が未開の土地を切り拓くことを信条に掲げたとしても、それはあくまでエンターテイメント領域の拡大であり拡張という話だ。
愉快でなければ、もしくは愉快に繋がらなければダメだ。
メンバーにとってもファンにとっても。
もし、そうなっていないのであれば、ひとえに運営のコミュニケーションの失敗であろう。
ステークホルダーに解釈の幅を与えることは既定路線なれど、その方向性がズレてる時は何らかの手段で補正することも必要だ。
(『AKB48の戦略! 秋元康の仕事術 (田原総一朗責任編集)』の中でも、やすす先生は「いいコンテンツは深読みされる」と説明している。)
コミュニケーション・デザインである。
不作為も過ぎると罪であろう。
言われるまでもない話だと思うけれど。
最近では、中心メンバーが「大人」になったことも大きな影響を与えていると思うが、AKB48全体にシリアスさが増してきている。
関わる問題の難しさが変化していることはよくよく認識するべきことだ。
AKB48が挑戦している難しい問題 ~社会的複雑性(多様性の高まり)~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/81af48ec44ccac04b031909ccd3327c3
私達が置かれている世界や社会や組織というものは、とても複雑なものなのだ。
動的で因果関係が複雑怪奇にこんがらがっている。
紛争問題の解決に関する世界的なファシリテーターとして有名なアダム・カヘンは、その著書『手ごわい問題は、対話で解決する』の中で物事の複雑性には3つの種類があると述べている。
・物理的複雑性
原因と結果が時間的にも空間的にも離れているかどうか
・生成的複雑性
過去の経験で解決できないくらい変化が激しく、未来が予測不可能かどうか
・社会的複雑性
問題に関る人たちが価値観や認識、見解が大きく異なるかどうか
私は、AKB48から弾けるネアカ(根明)さが失われていると感じている。
シリアスさがあるのよいが、明るさがなければだめだ。
そういうこともあり、研究生でスピンオフ・チームを作って独自活動でもしてみたらどうかと提案もした。(理由はそれだけではないが)
研究生でチーム8を作ったらどうか?
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/a8dc7ad391013fd4ab6644a69075a5bd
話がそれたので、立候補を重く受け止め過ぎという件について。
そもそも、AKB48に在籍すること自体が「立候補」なのであるからして、その時点で一つの「踏絵」を踏んでると考えるべきだ。
AKB48に在籍している時点で「踏絵」を踏んでいて、その上で「立候補」でもう1つ踏絵を踏ませるのか?
そうではない。
立候補は「踏絵」ではない。
AKB48は未来の正統派である ~ 「踏絵のアイドル」と「焚香のAKB48」 ~
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/1ac77147ea4e33f6ceef3a40ff34b0c5
もし、「AKB48のメンバーであることの踏絵」で解決できない問題を、「立候補という踏絵」で代替解決しようとしているのだとしたら、本質論に立ち戻るべきだ。
そうやって問題が起きる度に次から次へと踏絵を差し出すようになると、がんじがらめになって近い将来、身動きが取れなくなる。
巧い回避策に頼り続けると、いずれ基礎体力は落ち、根本的な変化があった時に適応できずに崩壊するのが歴史の必定である。
(私は、そもそも「AKB48のメンバーである」ことも「踏絵」であってはならないと思っている。「焚香」であるべきだ。)
なので、ここで「選抜総選挙の位置づけ」を明確にしておくべきだ。
まず「立候補」するのに理由はいらない。
宣言する必要すらない。
なぜ立候補するのに理由が必要なのか?
たしかに衆議院議員になろうと思ったら理由が必要だろう。
それなしに誰も支持してくれないからだ。
それと同様に「立候補宣言」しなければならないとすれば、それは選挙を有利に進めるためだけだ。
だが、根本的にAKB48の選抜総選挙に立候補するのには理由は不要だ。
なぜか?
AKB48グループのメンバーというだけで立候補するための条件が揃っているからだ。
その条件は何か?
それを理解するためには、逆に「なぜ立候補するのに理由がいるのか?」を考えるのがよい。
順位が落ちることを恐れない覚悟が必要だからか?
結果が圏外、負けだとわかっているからなのか?
やる気を誤解されてはならないということなのか?
ファンに無理をさせたくない、ということなのか?
総選挙の主旨にそもそも反対ということもあるかもしれない。
コマーシャリズムに反対など。
AKB48に対する批判を気にしているなど。
だが、それらに総じて言えることは、「結果」を気にしているということだ。
「結果」を気にするから、立候補の理由を考える。
それが、そもそもの誤りだ。
理念に立ち戻るべきだ。
「AKB48は一塁に向かってヘッドスライディング」だろう?
なぜAKB48は一塁に向かってヘッドスライディングなのか、イチローがその答えを教えてくれた
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/7e0acb731f2860261a35e5be769bb353
このやりとりには、AKB48に関する重大な論点が出てきていない。
結局「なぜAKB48は一塁に向かってヘッドスライディングなのか?」という問いに答えられていないということだ。
「マジ」や「ガチ」に人が惹き付けられるから、ということだけが理由なのだろうか。
違う。
もっと哲学的、思想的なものなのである。
上で述べた番組の終盤で、番組スタッフから「野球選手としての終わり方(理想の完成形)は何なのか?」について質問されてイチローは次のようなことを述べた。
人間としての円熟期はもっと先にあると思う。
しかし、物事というのは、たいていそれを辞めてから(野球選手なら引退してから)理解することが多い。
僕は、現役の間にそれをわかりたいと思う。
それが僕の挑戦。
それがどういうものか見えてるものがあったりしますか?
何もわかっていない。
でも、それがわかっていないから、ありったけの気持ちを込められるのだと思う。
それをわかりたいから。
わかっていたら、ありったけは有り得ない。
これが、答えだ。
一塁に向かってヘッドスライディングをする理由だ。
なぜ、高校球児は内野ゴロで一塁にヘッドスライディングして、プロ野球選手はしないのか?
「マジ」や「ガチ」だからではない。
結果がわからないからだ。
いや、言い方を換えればこうなるだろう。
「可能性を信じているから」
「内野ゴロでアウトになるって誰が決めた?」という話である。
内安打を大量製造するイチローに聞いてみるといい。
「なぜ、あなたは内野ゴロでも一塁に全力疾走なのですか?」と。
選挙の結果を気にして「選抜に入れないから」とか「順位が落ちる」とか「どうせ私なんか」などというのは、AKB48ではない。
「そこに山があるから」やるだけだ。
AKB48のメンバーである限り、立候補するのに理由はいらない。
「大人の事情に振り回されるのがいや?」
気持ちはわかる。
だが、では何を考え、どうすべきであろうか。
拒絶するべきか。
立候補せず不買運動で拒絶の意思を表明するべきか。
それも選択肢としてあるだろう。
それは自由だ。
だが、眼前に全力を出すためのステージが用意されてる。
選抜総選挙はAKB48にとって最高の舞台だ。
その機会を、どう捉えて、どういう形でモノにするのか、どうよいモノにするのか、それは初めに決まっているものではなく、それに参加する人々が決めることだ。
自分に何ができるかを考えた結果、初めから諦めて、選挙拒否ならそれならそれで仕方がない。
東京・横浜では今週で桜も見納めだと思うが、桜を見ていると選挙による栄枯盛衰、それもよきことかなと思う。
桜の「はかなさ」について
http://blog.goo.ne.jp/advanced_future/e/e2cad56815e1fa4ea20c71aa755335d6
「桜のはかなさ」とは何であろうか。「はかなさ」とは、桜の花が散る様を見て語られるものだが、果たして、桜の花が散る様は「はかないもの」なのだろうか?
桜は1年を通して「休眠(秋)」「休眠打破(冬)」「生成(早春)」「開花」というプロセスを辿る。桜が美しく咲くために、冬の寒さと春の暖かさが重要な役割を果たす。つまり桜の美しさと四季の移ろいには深い関係がある。日本人が桜、四季、そして人生を重ねたとしても不思議ではない。
だが、桜のプロセスを理解すれば、桜の違った側面が見えてくる。桜の花が咲くのは昨年の夏につけた花芽の成長の結果であるが、桜の花が散るのは、次の花を咲かせるための準備である。桜の花が散るのは1つのプロセスの終わりであると同時に新しいプロセスの始まりでもあるのだ。そしてそれはより大きなプロセスの一部でしかない。
今回の立候補制はグループを二極化してしまう可能性があります。
一度分裂してしまうと元に戻すのは大変でしょう。
そうならないための提言だと思いますが
第一志望の大学は不合格でしたが、お陰様で無事受験戦争から引き揚げることが出来ました(笑)
立候補に対するメンバーはじめ48グループの受け止め方についてですね。
シリアスさが増した原因として、人々のいわゆる言葉狩りや過剰反応があると思います。
メンバーも全力でぶつかっていきたいけど、人々の反応を気にしてそれが出来ていないのかなぁと思ったり。。
しかし主さんのおっしゃる通り何がなんでもぶつかっていく全力さ、タフさがAKBグループの本質なので、もともとそのような不毛なネガキャンは切り捨てていくべきだと思います。
そのためには、有事の際に運営は何か弁明するのではなく開き直ることで、メンバーにも常に恐れず突っ走る気持ちを持つように促していっても良いくらいではないでしょうか(笑)
まずは運営側がネガキャンだと認識したものは切り捨てる方針を見せるような事があっても良い気がします。
踏ん切りをつけさせるとか。
おひさしぶりです!
大学生活はじまりましたか?
高校生→大学生の遷移は人生の中でも大きい変化点ですよね。
これほどドラスティックに環境を変えることはそんなにないですからね。
新しい生活、新しい環境、新しい考え、
・・・とまぁいろいろ考えるところはありますが、とにかく楽しんで!くらいしか言えない大人です(笑)