枯野

写真の楽しみ

会社への貢献度

2005-05-14 | 雑文



                              会社への貢献度
                        
 先年亡くなられた日本の商法学の泰斗、鈴木竹雄先生が、監査役制度が話題になったとき、「利益処分で計上している役員賞与は、取締役だけで、監査役は含めるべきではない」と語っておられたが、この持論は、雑誌(商事法務)の論稿中でも書かれていたように記憶している。
 この考え方の根拠は、監査役は、取締役と違って会社の業務を執行しておらず、その監査の仕事は、会社が利益を挙げるのになんら貢献していない性格のものであるからということにある。
 いうまでもなく会社は、営利を目的とした社団法人であり(商法52条、54条1項)、同じ社団法人でも民法上の社団法人が公益を目的としているのと、その目的の点において、大きく相違しているわけである。従って、利益を挙げようとして会社の役職員の全員がそれぞれの部署においてその担当の職務を日々行っているわけで、もし、利益を挙げるのにいささかも貢献しない仕事をしている者がいると分かれば、以後その仕事は即刻やらないこととし、その者は、他の利益を挙げるのに貢献する仕事をしている部署に配置換えすることになろう。すなわち、現に会社で何かをやっている者は、必ず利益を挙げるのに貢献する仕事をしている筈である。
 監査役の監査の仕事が、会社の利益を挙げることにいささかも貢献しないという鈴木説からすると、普通ならそういう無用な仕事をすることは、取り止めて、そのような仕事をしている者は、配置換えするとか、場合によっては解雇、整理するとかすべきことになるが、監査役の設置は、法律が強制していることから不可能であるため、涙を飲んで置いているということになる。
 ところで、監査役のことは、少数の者だけの話で、かつ、従業員には関係なく、大勢に影響はないが、しかし、もし監査役が行う監査の仕事が会社の利益を挙げるのには貢献しないという考え方を進めると、会社が監査役とは別に内部統制機構として「監査室」とか「監査部」とかいったような部署を置いている場合(大会社にはそういう部署が置かれているところも多いようである)、このような部署でも監査役が行う監査の仕事と大同小異な仕事がなされているから、こういう部署の社員は、やはり利益を挙げるのには貢献していないということになりはしないだろうか。そして、通常の給料は仕方がないとしても、やはり利益の配分の性格を持つ「ボーナス」を支給することは、適当でないとうことにも発展しないではすまないのではあるまいか。
 もっと簡単にいえば、監査役が何人もいて、それらの監査役の執務のために「監査役室」が会社のなかの一室として用意され、その監査役の便宜のため社員が配属になっているような場合(大会社にはそういうところも多いようである)、同様な見地からその社員には、「ボーナス」を支給すべきでないということになろうか。
 こういうことを言い出すと、きりがなく、株主総会の招集通知の作成などの仕事に従事している社員などにもやはり「ボーナス」を支給するのは、適当でないということになってこよう。ただし、このような考え方は、あくまでも前記の鈴木説に立脚してのことであって、鈴木説をとらなければ、そういうことにはならなず、どの社員の会社でのそれぞれの部署での仕事は、すべて、会社の本来的な目的である利益を挙げることに貢献しており、従ってすべての社員に「ボーナス」を支給することはいうまでもなく適当であるという常識的な考え方が成り立つわけである。
 こういう常識的な立場に立つとしても、次の問題は、会社の利益の獲得に、各社員がそれぞれの仕事の成果に応じて貢献度が異なると考えて、それに対応する、「ポーナス」の支給額等に差等を設ける場合、従来各社においてそういう各社員の会社への貢献度の査定基準、査定方法について苦心してきていることである。売った自動車の台数とか投資信託の数量といったようなセールスマンのノルマ達成率や研究所の研究者が発明した貴重な特許とかいったような明確なものがない社員の仕事の場合、実績に応じた報酬体系を確立するための会社の利益獲得への貢献度の査定は、大いに難しい問題であろうが、こういう問題に入ると、もう全く専門外のことなので、何ら述べる資格も能力もないから、簡単ではあるが、この辺で終わりとしたい。