abyman の折り紙と日記

折り紙、本、旅の日記

折り紙と希望についての日記

2017-07-06 20:31:37 | 日記
希望を持つということは必要ないと思う。

今が楽しければ希望は意味をなさないんだと思う。
希望の希はまれなことであり、望は死んだ王が野望を抱いたことを達成したい
と思うことだという。
親や先祖の思いを達成することが希望なのだ。

今の希望は期待することだと思う。
希望と期待は違うものだとも思う。
期待することが希望だと勘違いしてるんじゃないか?
良くなることが必要ではなく、今がベストの状態だと思うこと。

成功することを夢見たり、
意味もなく自分を認められたいと思ったり、
特に親や身内に認められたいと思うのは愚の骨頂だと思う。

人の幸せを祈ったり、願ったり、安らぎを得るために沈黙すること。

幸せになりたいのであれば、まず幸せになればいいと思う。
そしてそれを人に分け与える。

もしパンドラの箱の最後に「希望」という文字があったのなら、
それは「祈り」という文字だったんだと思う。

ぼくは親の希望や期待から少なく育ってきた。
それはありがたいことだと思う。

人が幸せであって欲しいと思うことが、ぼくの希望だとしたら、
それが「まれなのぞみ」なんだろうと思う。

今日、仕事先のキッチンのタイル貼りの壁に、小指の先ほどの雨蛙が張り付いていた。
きゃーと叫ぶ利用者やスタッフ女子たちの要望に応えて、ぼくは雨蛙を捕まえた。
何でこんな場所に雨蛙がいるのだろう?
希望ってそういうことなのかもしれない。

C女史は、
「何で連れて帰えんなかったの?」
と言った。
ぼくはやっぱり嬉しくなる。