■これは酷い!まさに女性の敵!この人間性は!?
都知事選候補者で最も田母神としお氏に肉薄していると思われるのが
舛添要一
(朝鮮飲みも披露)
かつて自民党に所属していた舛添要一だが
あの悪夢の民主党政権が誕生し
マスコミの自民党ネガキャンにより
まさに「虫の息」となっていた
自民党のもっとも苦しい時期に
党に
後ろ足で砂をかける
かたちで飛び出し、除名された人物。
こんな舛添要一もどうかと思うが
こんな除名した人間性の欠片もない人物を
公認してしまう自民党も何なんでしょうかね。
実は舛添要一の現在の奥さんが
公明党の市議会議員と蜜月関係いうことで
自民党と手を組む公明党の意向が強く働いたのでしょうか?
さて、こんな舛添要一ですが、
この人間性からか、問題は枚挙に暇がない。
全部書いてると膨大になるので
既にまとめられているブログを見て頂きたい。
<正しい歴史認識様より>
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5327.html
いや、上記のブログを見て頂ければ分かりますが、
怖いですね。
「鬼畜」
という言葉が浮かぶ程です。
そして
「女性の敵」
という言葉もぴったりに思います。
一部抜粋
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舛添氏の最初の結婚は1978年、相手はフランス人女性だった。
だが、プライベートも順風満帆とはいかず、1981年に破局を迎えている。
1986年に再婚した相手はというと、いまや政治家として全国区の知名度がある片山さつき・参院議員だ。
そんな片山氏は結婚生活について、最近のインタビューでこう振り返っている。
<舛添さんと結婚したことがそもそも間違いであったと思います。愛のない結婚をしてはいけないということ。私の人生における大変大きな間違いだった>(『婦人公論』2013年2月22日号)
そう振り返る結婚生活はわずか2年3か月で終わりを告げる。離婚の理由を片山氏はこう打ち明けている。
<慌しく始まった結婚生活でしたが、「平穏」だったのは最初の数週間だけ。「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒鳴り始めたんです>(『週刊新潮』2010年5月6・13日号)
一旦怒り始めると、舛添氏は怒鳴る、手当たり次第にモノを投げつける、そして、ある時にはいくつものサバイバルナイフを片山氏の目の前にズラーッと並べたこともあったという。
<彼は、ナイフの収集が趣味だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。(中略)結局、結婚から3か月ほどで、弁護士に離婚を相談しました。すると、弁護士の調査で彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることも分かった>(同前)
その「妊娠中の愛人」を仮にA子さんとしよう。A子さんが東大の学生だった時、舛添氏が指導教官という立場で知り合った。すぐに「もう妻(片山氏)とは別れるから」と舛添氏がA子さんに猛アプローチ。押されるまま付き合い始めたA子さんは1988年、男児を出産した。A子さんの知人が当時の状況を振り返る。
「A子さんの存在を知って激怒した片山さんが、バッグに包丁を忍ばせてA子さんと舛添氏がいた部屋に怒鳴り込んできたことがありました。真っ先に部屋を飛び出した舛添氏が逃げ込んだ先は、もうひとりの愛人B子さんの部屋だったそうです」
A子さんの子供を舛添氏が認知したのは1990年。認知するまでの2年間に、B子さんが女児を出産、さらに同時期に他に2人の女性とも交際していたことがわかったという。目まぐるしい女性遍歴の末、舛添氏が15歳年下の現在の夫人である雅美さんと再々婚したのは1996年だ。
なお、その前年にB子さんは2人目の女児を出産した。もちろん父親は舛添氏。その後、雅美夫人との間には、2000年に長女、2003年に長男が生まれている。振り返ると、結婚は3回、離婚は2回。2人の愛人が産んで認知した子3人と、雅美夫人との間の子2人を合わせると、舛添氏には計5人の子供がいることになる。
※週刊ポスト2014年1月24日号
週刊新潮」2010年ゴールデンウィーク特大号
『片山さつきインタビュー 総理期待度No.1「舛添要一」という男の正体』
1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚をし、2児をもうけている。
しかし、二人の女性に出産(婚外子が計3人)させたものの入籍はせず、婚約不履行で訴訟を起こされてもいる。
片山さつきの告白によると、結婚しても仕事を続けたかった彼女は、舛添とのお見合いの席で、帰りが遅くなることもあると伝えた。
「自分の同期や教え子には官僚がたくさんいて、生活パターンは熟知している。
いくら遅く帰ってきても構わない」と、言ってくれた。
しかし、彼は2ヶ月で「約束」を反故にした。
「遅く帰ってきやがって!」
いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。
一方的にまくし立てて、彼女の言うことは一切聞かない。
手当たり次第に投げつける。
炊飯器の上蓋が割れていたこともあるという。
またあるときは、サバイバルナイフなどいくつものナイフを彼女の目の前にズラーッと並べた。
舛添要一は、ナイフの収集が趣味だった。
そのうちの一つを彼女に向けたことまであった。
結局、片山さつきは結婚から3ヶ月ほどで、弁護士に離婚を相談した。
すると、弁護士の調査で舛添要一には愛人がいて、その彼女が妊娠中であることも分かった。
「愛人ができたから、早く私を追い出してしまいたかったんでしょうね。完全に向こうの都合です」と、片山さつきは語る。
正式に離婚が成立したのは、結婚の2年3ヶ月後だった。
実際はのべ半年も同居していなかったという。
片山さつきによると、舛添要一は、『公私ともに人は利用するだけのもの』と思っている。
例として、このようなことを挙げている。
「最初は小泉さん(純一郎・元総理)を評価していた。ところが、小泉人気が一時カゲりを見せた02年頃に一転して批判するようになる。安倍さん(晋三・同)の時も、参院選(07年)中から支持率が落ちると徹底的に非難した。つまり、弱き状況にある人に強く出た。かと思えば、その安倍さんに厚労相を打診されると喜んで引き受けたりもしている」
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一部抜粋しましたが
本当にとんでもない○○です。
さらに、舛添要一は
タレント業も相まって相当な収入があり
さらに管轄の厚生労働大臣も務めていたというのに
姉が生活保護を長年受けており
一切の援助もしなかったという。
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週刊文春2007年10月4日号 42-45p
姉の生活保護についての記事の内容
・舛添要一氏が母親の介護を始めるのは平成八年(1996年)から
・4人の姉のうち4番目の姉が生活保護を長年受けていた
・平成四年(1992年)、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添氏の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。
・当時の舛添氏はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。
・北九州市は生活保護率が全国一だったこともあり、当時は生活保護の適正化に一生懸命だった。
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これ、河本とおなじじゃん!
さてさて、もう本当にキリが無い、
舛添要一
こんな人間を東京都知事に任せられます?
(特に女性の方)
もう、本当にどっからどう考えても
まともな候補は
田母神としお
ただ一人でしょう。
そもそも、
今回の有力候補の中で
恐怖の「外国人参政権」
に明確に断固反対しているのは
田母神としお
ただ一人!
もうこれだけでも、
田母神としお
以外あり得ないでしょう。
▼舛添要一・まとめ▼
<正しい歴史認識様より抜粋>
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5327.html
●昭和61年(1986年)、片山さつきと2度目の結婚。
2ヶ月後、「遅く帰ってきやがって!」などと怒鳴り、手当たり次第に物を投げつける。 多数のナイフを彼女の目の前にズラーッと並べ、一つを彼女に向ける。
片山さつきが結婚から3ヶ月ほどで弁護士に離婚を相談したら、妊娠中の愛人が居ることも発覚。
平成元年(1989年)に離婚。
「週刊新潮」2010年ゴールデンウィーク特大号
『片山さつきインタビュー 総理期待度No.1「舛添要一」という男の正体』
【ナイフで威嚇!片山さつきが舛添要一との過去を告白】より
●結婚3回(離婚2回)、不倫愛人多数(うち、子を産ませて渋々認知した不倫相手2人)、子供5人(うち、不倫相手2人に産ませて渋々認知した婚外子3人)
(「噂の眞相」1994年5月号、「週刊ポスト」2014年1月24日号など)
●平成4年(1992年)、生活保護を受給している姉について、市役所から仕送りを依頼されたが、断る!
北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添氏の家を訪ねたが追い返された(元市職員談)。
当時の舛添氏はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。
(週刊文春2007年10月4日号)
●平成8年(1996年)3月放送「朝生」【ホンネ激論! 日韓共生の道はあるか!?】で、「 サッカーなんてたかが球ケリですよ。そんなので日韓関係が壊れてはいけない!ぜひ2002年のワールドカップは韓国で単独開催すべき!!」と発言
●北野誠「僕が全日空のカウンターで並んでいる時に、舛添が横入りしてきて、僕が「並んでもらえますか」と彼に注意すると、ギッと睨み返された。」
「おまえが言うな。私的ニッポン改造論」北野誠・竹内義和著
●外国人参政権推進派
(公式ホームページ、国会議事録:平成14年12月04日)
●平成21年(2009年)12月13日、公明党の日野市議くぼた知子後援会「激励する会」に駆け付け大激励。
妻の舛添政治経済研究所代表・舛添雅美は公明党のくぼた知子候補の推薦人に!
▼公明党(創価学会)とズブズブの舛添要一夫妻▼
公明党の日野市議くぼた知子後援会「激励する会」に舛添大臣(当時)
http://www1.hinocatv.ne.jp/t-kubota/k_web/t_020.pdf
●平成21年(2009年)12月22日、「私が総理大臣になったら、閣僚の7割は民主党から選ぶ」と発言。
■動画
舛添要一:総理大臣になったら閣僚の7割は民主から選ぶ
http://www.youtube.com/watch?v=w1oeYBvshfs
●平成22年(2010年)2月、在日韓国商工会議所セミナーにおいて、「金融機関は低利で在日韓国人らにも融資すべきだ」と強調
●平成22年(2010年)4月23日、「新党改革」の旗揚げ記者会見で卓上に置かれた日本国旗について「邪魔でしょ、これ」などと言いながら、どかした。
■ニコニコ動画
邪魔だから、退けて!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10507367
●平成23年(2011年)9月16日(金)、国会の代表質問の際に【朝鮮飲み】を披露!
■動画
9月16日(金)新党改革 ますぞえ代表 参議院代表質問
http://www.youtube.com/watch?v=jOwibG88mfQ&noredirect=1
(舛添要一の朝鮮飲みは、0:27~0:30)
●靖国神社参拝否定派
●反日史観(日本は支韓に謝罪しろとの考え)
●自由党時代は、親韓の小沢一郎のブレーンだった。
●尊敬する政治家として野中広務を挙げるリベラル派
●政治資金を自分の株式会社に入れる。