今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「生誕100年 岡本太郎展」(東京国立近代美術館)

2011年04月30日 14時18分51秒 | 美術館/博物館/展覧会

最近さぼりがちだったので、書きたいものがたまっています。
この「岡本太郎展」は4月6日に見に行ったもので、「開催中に書けばいいや」なんて後回しにしていたら、この展覧会も5月8日までなのであと一週間ほどで終ってしまいますね。
月日の経つのがやたら早くて、なかなか追いつけない今日この頃です。

今年は岡本太郎さんの生誕百年ということで、一月あたりからはもう、大きな書店ならばどこでも岡本太郎さん関連のコーナーが置かれていたほどに盛り上がっていましたよね。
なにせ作品集はもちろんですが、岡本太郎さんの名言集がとても良いですから!!
人生や恋愛に関しての名言もさることながら、私はこの方の芸術に関しての名言には、書店で思わず涙ぐんでしまったほどに勇気付けられて励まされました。
って、つまり立ち読みだったりするんですけど(笑) 純粋に芸術に立ち向かった人の言葉は、そのままに「自分を生きる」言葉でもあると思いました。

そんなこんなで、この「岡本太郎展」は開催の前から楽しみにしていました。
とは言うものの、私は、この人の作品が好きかどうか?という話になると、実を言えば微妙です。
ほんとうを言えば、「嫌いではないけど、特に好きでもない」といったところ。
あの原色を多用した数々の作品には強いエネルギーを感じるものの、「好きか?」と聞かれれば、「どうもねぇ…」と首を傾げたくなります。
それを言えば、ここ数年で見たシャガールにしろ、上村松園さんにしろ、私は彼らの作品の全部が好きなわけではありません。
けれども展覧会のたくさんの作品の中で、ほんの一枚か二枚、ずっと立ち止まっていたい作品に出会うので、それを目的にこうして出かけているのかもしれません。
美術に疎い私が見たいのは、たぶん「人」であり「物語」なのでしょう。
そうして考えてみると、岡本太郎さんの作品には彼の「人」が強く現れてはいますが、あまり物語性はありません。
ですから、私の好みとはちょっと外れていますが、1947年の作品「夜」と、1948年の「夜明け」はとても好きだと思いました。
「夜」という作品は、絵の一部に女性の後姿が描かれているのですが、彼女はその背中にむき出しの短刀を後ろ手にして握っています。そして彼女が眺める夜の世界は精神世界の「夜」であり、孤独な抽象の世界です。
「夜明け」のほうは、さらに抽象的で、暗闇と、暗闇だけではない混沌とした夜の世界の向こう側に、眩しい明日の光を見るような作品で、その闇にも光にも、どちらにも強いエネルギーが感じられました。

ところで、今年に入り、版画家の友人と雑談した折に話したことですが、
彼女の作品は形あるモチーフがあったりするので、自分の作品は「抽象と具象の合間にある」そうなんですね。
私はこの言葉がいつまでも頭に残ってまして、創作でいずれ私の書きたいものも実はそこにあるのだな、という気がします。
だから、私は彼女の作品にも惹かれるのかもしれないなぁ…などと思っていましたが、岡本太郎さんの作品は「抽象的だが、必ずしも抽象とはいえない」ものなので、その彼の、精神にある形無き抽象の世界に出没し、または混じり合う、具象の現れ方はとても興味深いと思い、大きな刺激になりました。

……とかね…
そういった私自身の下手な創作についての想いなんかは、このまま続けて人に語るのも恥ずかしいのですが、だから岡本太郎さんの名言集にはほんとうに背中を押される気がします。

『うまかったり、まずかったり、きれいだったり、きたなかったりする、
ということに対して、絶対にうぬぼれたり、また恥じたりすることはない。
あるものが、ありのままに出るということ、 まして、それを自分の力で積極的に押し出して表現しているならば、 それは決して恥ずかしいことではないはずだ。』

うん。そうは思うんだけど、でも正直言えば、ちょっとくらいはうぬぼれてみたいような、そんな作品をひとつくらい創ってみたいよなぁ…。
とかも、思うけど…(笑)

常にアグレッシブに何かに対決してきた岡本太郎さんの作品は、それだけに強烈であり、学生時代には民俗学や哲学を学んだということもあってか、深い人間に対する愛情や、芸術や命に立ち向かうこと、孤独、人生への問いかけ…、どれをとっても圧倒的な力を感じずにはいられませんでした。

全部見終わってから、改めて、「岡本太郎の作品を好きか嫌いか」と聞かれたら、もしかしたら私は、「好きでもなく、嫌いでもない」ではなくて、「好きであり、嫌いでもある」のかもしれないと思いました。

そう思える男性は魅力的だわ。

岡本太郎さんはとても魅力的な方でした。


「明日の神話」(渋谷駅 連絡通路)


「欲望という名の電車」

2011年04月17日 20時38分29秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

昨日スーパーにまともな時間に行ったら(笑)、なんと!納豆がたくさん棚に並んでいました!!
卵も牛乳もお米もちゃんと普通に買えるようになったし、東京の流通はひと頃に比べてかなり回復しつつあるようですね。
朝に早くから並ばなければお米が手に入らなかった時期は、私のような勤め人にはとても不便でしたが、こうして普通にモノが買えることは有り難いです。
なんて、無駄話をしている暇はないんだった!
今夜から大沢たかおさんのドラマ「仁」が始まるじゃないの! 
あと、一時間だわ。それまでにこれを書かねば!

木曜日は前に載せたチャリティー・アート展に行ったので、次に書くのは金曜日に観た舞台の感想です。

「欲望という名の電車」

【演出】松尾スズキ
【出演】秋山菜津子/池内博之/鈴木砂羽/他

な~んか、やけに気持ちの悪いものを見ちゃったな~、って感じ。
…なんて書くと、面白くなかったのかと思われそうだけど、そうじゃないです。
面白かったですよ。
気持ちが悪いのは、このブランチという名の女性を見ているとね…というか、あの延々とした長いお喋りを聞いているとね、なんかどこかしら同類嫌悪なのかもしれないけれど、「うわ~、やだな、こうなったら」という感じがしてくるのよね(笑)
それに、舞台が暗転するたびに、暗い背景に、気持ちの悪いものが映ります。
どわっ~と、蛾がパタパタした映像が映って、気味の悪い鱗粉(りんぷん)が体にこびりつきそうだったり、かと思うと、不気味な一つ目がたくさん映り、人が隠しておきたい心の内側を覗かれているようであったりと……
なんか、松尾さんには、「この舞台、わざと気持ち悪く創ったでしょ?」って言いたくなっちゃった。

ブランチは社会不適応者で、両親が亡くなったのちに財産も使い果たし、荒んだ生活を続けていました。そしてとうとう元の町に住めなくなり、妹の家に転がり込みます。
それで、このお芝居はその秋山菜津子さんが演じるブランチのとてつもない長台詞の連続で進められるのですが、その彼女の話す内容は「口から出任せ」ばかりなんですよね。
自分がいかに知的で魅力的で価値のある女であるか、お嬢様気取りのブランチの話は、彼女からすれば嘘をつくつもりはないのかもしれないけれど、すべてが虚構で彼女の都合の良いように捻じ曲がっています。
その頭のオカシイおしゃべりが、延々と続きます。延々と。

そして、結局は決定的に精神が壊れてしまい、最後にはクワイエット・ルームへ行くのでしょうけど、もうそこまでいってしまったからには、私は、
「もういっそ、真実と嘘の区別が彼女自身にもわからなくなるまで、徹底的に狂ってしまったほうが彼女は幸せなんじゃないか」と思いました。

ああ、なんだかなぁ……。

ブランチの妹の夫、スタンリー役の池内博之さんも凄かったです。
粗野で野蛮な男ですが、その乱暴で危険な色気が生々しくて、半端ないです。

なんだか、とんでもないものを見てしまったような、そんな気がした舞台でした。


「新・日の丸レストラン」

2011年04月17日 18時17分32秒 | 観劇(ストレートプレイ/人形劇)

月曜日は新宿でいさらいさんのミニ・ライブ、火曜日は渋谷で親友と飲んだくれ、そしてこの水曜日には池袋の「あうるすぽっと」で、岡本貴也さん脚本・演出の「新・日の丸レストラン」という舞台を観てきました。

ああ、それでね、その火曜日に会った仲良しの友達に、
「あなたは女じゃないのよ」と言われまして(笑)
なぜなら彼女いわく、「男にひたすら尽くし抜くのが女」だそうでして。
男に尽くそうと思わない私は、「女じゃない」のだとか。

へぇ~っ、そうなの? そうだったの? それは初耳だわ。 
だけど、前に、「もしも私が男に生まれていたら、きっとあなたは私に惚れていたかもよ」と言ってみたら、少し考えて「そうかもしれない」って彼女は言ったものね(爆)
残念ながら私は女だけど、男だっていろいろいるんだし、世の中はケース・バイ・ケースで、だから見方や感じ方次第で悲劇になったり、喜劇にもなったりして、この私の人生はいったいどちらで幕を閉じるのかしら…?

そんなこんなは、ともかくとして(笑)
水曜日に観た「新・日本レストラン」では、「もしも第二次世界大戦で、日本が戦争に勝ってしまったら!」という発想の舞台でした。
「勝った」ではなくて、「勝ってしまった!」という言い回しが、この物語の方向を如実に語っている感じよね。
「欲しがりません、勝つまでは」と、耐え忍びながら戦ってきた日本が戦争に勝ってしまい、この国はアメリカの国で「欲しがりましょう!勝ったから!」とばかりに、占領下のアメリカを自国の価値観で教育・改造しようとします。
ブラック・コメディーというわりには毒は控えめだった気もするけれど、随所で笑えて面白かったです。
役者さんたちの、ひとりひとりの動きがところどころで面白いんですよね。
あれは演出なのか、それとも役者さんたち個々のキャラクターなんだか分かりませんが、一人残らず良い味出てて、楽しかったです。
セットも良かったわ~。

それにしても、ヒロインの女性はアメリカの日本語教師で、とても美しい日本語が身についている人なんですけどね、それでアメリカ人が「よろしかったでしょうか?」とか言うと、「正しくは、よろしいでしょうか? です。」なんて逐一正しい日本語を教えるシーンがあって、今の妙な日本語に違和感を感じる私も、「そうそう、そうなよ!」と言いたくなりました。
だけど、彼女が思いがけなく恋した相手には、「全然、大丈夫」なんて言ってるのよね(笑)
本来は否定的な言葉を続ける「全然」に「大丈夫」という肯定的な言葉が続くのは、戦後の現代の慣用になりつつありますよね。
「よろしかったでしょうか?」も日本が戦争で負けたからこその、いい加減な国語教育の産物なのかも。
だけど、時代の流れで言葉も変わるんだし、人やその考え方も変わり、世の中の大多数の人間が「全然、大丈夫」ならば、きっと大丈夫なのよね。
これもまた、ケース・バイ・ケースで良いのかも。

って、なんだか舞台そのものの感想になってないような気がするけれど、ま、いっか~、女らしくない、こんな女が書く、こんな感想記があっても。

ある意味「日本は戦争に負けて良かったのかもしれない」と思わせてくれたこの舞台に、笑いながらも、少しだけ「今」を考えさせられました。


いさらい香奈子inシャンソニエ

2011年04月17日 14時46分09秒 | ライブ/コンサート

今宵も誰かが聞いている。

世界中で。
どこかの町で。
ひとつに繋がる星空の下で。


月曜日は新宿の、シャンソニエ「音ステージQui」というお店へ、いさらい香奈子さんのミニ・ステージを聴きに行ってきました。
ゲストは女優の堀ひろこさんです。

いさらいさんとお会いするのは三ヶ月ぶりくらいかしら?
いさらいさんは、大震災があったその時、西巣鴨の中学校の体育館で「十二夜」の本番中で、ちょうど盛り上がっていた芝居はやむなく中断したそうですが、それから一ヶ月も経つというのに今だ大きな余震が続く毎日のあれこれした四方山話などができて嬉しかったです。

やっぱり久しぶりに会う人とは、どうしても地震にまつわる話が出ますよねぇ…。
昨日の大きな余震の時に、お互いどこで何をしていたとか…。
そうやって人と話をして、同じ話題を共有することでほっとしたりしますよね。
特にこの震災のについてはそんな感じがします。

そういえば、昨日ある若手女性ジャズ・ヴォーカリストの方のブログを覗いていたら、「無力だ」という言葉があったんですけど、いさらいさんも某所でそんなことを呟いていました。
この大震災での甚大な被害や今なお被災地で辛い目に会われている方々の様子を目にすると、誰しもが一人の力の限界を感じずにはいられませんよね。

だけど、歌手は無力なんかじゃないです。
その力が目に映らないだけです。
歌手は「心を伝えるスペシャリスト」じゃないですか、私は羨ましいです。
私などは僅かな募金しかできませんものね。
それでも、その私たちの僅かな募金にしても、無力ではないと信じたいです。
一人の大金持ちの出す100億円はとても有り難いものですが、一億人が出す小額の募金には一億人分の心が込められていますものね。
たとえ小額であっても、お金だけではなく、「なんとかして力になりたい」という目に見えない心も一緒に届けば、それが被災地の方々の力になるかもしれません。
歌手はその目に見えない力、人を想う心というものを届けるスペシャリストだと私は思います。
今はまだ被災地の方々が直接にその歌声を聞けないにしても、こうして東京の私たちが耳にすることで癒され元気をもらい、私たちはそれを心の糧にすることで他者への優しさを思い出し、また明日には僅かでも募金をしようと思ったりします。
ですからその歌は必ずしも「頑張ろう!」とか、そういった勇気付けの歌ではなくても良いんですよね。
人生や青春を歌う歌でも、恋の歌でも、楽しい歌でも悲しい歌でも、なんでも良いです。
そこに心があれば、歌を聞くと何がしかの心の糧になりますもの。

…って、なんか、すごい脱線してますけど(笑)

この日のゲストの堀ひろこさんは、たしか去年に観た「オセロ」に出演していた女優さんです。
歌手というよりは、いかにも「女優さんの歌」という感じで、歌の中に自然に入り込んでいく方ですね。
私は堀さんの歌では、ピアフの「自転車」が好きだわ。
べつだん物語があるわけでもなく、ただ自転車を走らせる少年(青年?)の歌なんですけど、心地良い風が肌に感じられたような気がしました。

いさらいさんの歌は、三文オペラからの「バルバラソング」が特に良かった~!
この歌は、ぜひまたどこかで聞かせて欲しいです。

素敵な歌を聞かせてもらい、楽しい時間を過ごさせてもらって、こうして始まった私の一週間ですが、実は月曜日から土曜日まで毎晩遊び歩くことになりました。
それでも、朝は五時半に起床、通勤時間が片道一時間50分ですもんね。
よくぞ一日も寝坊しなかったものだわ!
そのかわり、さすがに感想記が書けなかったので、休息日の今日は一気に書いてしまいたいと思います。
書けたらいいな~。


「東日本大震災チャリティー展」アートコンプレックス・センター

2011年04月14日 23時50分42秒 | 美術館/博物館/展覧会

迷子の子猫ちゃんじゃなくても、道に迷ったときには、おまわりさんに聞くのが一番!!

四谷のアートコンプレックス・センターという素敵な洋館で開催されている「東日本大震災チャリティー展」へ行って来ました。
ちゃんと辿り着けて良かった~(笑)
実は私、超方向音痴で地図が苦手、動物的な感も全くないので、初めての道はいつもドキドキよ。
アートコンプレックス・センターは静かな住宅街の中にひっそりとあって、お写真でみた昼間の佇まいもステキだけど、夜は屋根の上に月が昇り、まるで絵本の中の建物のようでした。

チャリティーですから、どの作品も普段よりもぐっと手に入りやすい価格に設定されていたようです。
なので、前から欲しいと思っていた、亀本みのりさんの版画絵「ai」と、もう一作品、滝沢莉音さんというアーティストの「新しい明日」という、幻想的なデジタルアートの絵を買わせて頂きました。

                            
              亀本みのり「ai」  

「ai」は前にもご紹介した版画絵ですが、「鬼は指が三本しかない」といいます。
足りないのは「心」と「知恵」です。
恋をした鬼はその手を見て泣いています。
けれども、いつの間にかハートは赤く脈打ち、背中に小さな羽根が生えました。

私はこの版画絵を寝ながら見られる場所に飾りたいと思います。
不思議な夢を見られそう。
              

                        
             滝沢莉音「新しい明日」

「新しい明日」の左上が光って見えるのは、額縁が光ってしまったのではなくて、その部分が明るい朝のような、そういうイラストなんです。
色彩がとても綺麗で、鳥や羽、草花があり、よく見ると空が見え、その中心の輪は時計です。
これは玄関に飾ることにしました。

なお、これらの収益金は全額日本赤十字に義援金として寄付されるそうです。

「東日本大震災チャリティー展」
4/12(火)~4/17(日)
11:00~20:00 最終日は17:00まで
入場無料
会場 アートコンプレックス・センター
地下ホール・2階ACT1
03-3341-3253
アクセスその他詳細は
http://www.gallerycomplex.com/jishin_act/index.html


いつかどこかで(15)ちょこっと観劇記

2011年04月10日 03時37分05秒 | いつかどこかで(雑記)

こんばんは、おおるりです。

いつもの方も、初めましての方も、私の感想記をご覧いただきましてありがとうございます。

あの~、私、コクーンの「トップ・ガールズ」は観る予定がありません。
なんて、「いきなり何よ?」ってな、お話ですけど(笑)
だってぇ~!
去年の暮れに、小劇場で観た同じ演目の観劇記を書いて以来、ずーっと毎日必ず「初めまして」の方達が「トップ・ガールズ」絡みで検索してここをご覧下さっているのよね。
あの12月4日に書いた「トップ・ガールズ」が、いまや私の観劇記の中では最もたくさんの方々の目に入っているんじゃないかしら?
その方たちを集めれば、コクーンで貸切できたりしてね(笑)
いや~、だけど本当にありがとうございます。
でもって、ご、ごめんなさ~い!
私の感想は常に独断と偏見に満ち溢れているし、脱線してるし、そもそもあの「トップ・ガールズ」は演出も女優さん達も別の方のものなんだもの。
私はその小劇場での舞台を満足して観たので、コクーンの舞台のほうは予定していませんが(予算もないし)、これからの方はもうちょっと常識人の観劇記を探してご覧いただいたほうが良いと思います(笑)
ちなみに、友人の感想によると、ガールズトークが面白そうです。

さて、かの大震災以来、職場のキャプテン(先輩)が災害対策室に支援に行ってしまい人手が少なくなり、私はとても忙しくて、忙しいなりに遊んでいましたけど、気持ち的に感想記を書く余裕がなかったので、ここはちょっと放置していました。
そして、来週はキャプテンとバトンタッチして、いよいよ私が都内某所へ支援に行きます。
残業はそれほど多くはなさそうだけど、朝のラッシュ時のノロノロ運転や、電力不足からして、往復通勤時間、約四時間だったりして! 
四時間…よじかん…、ヨウカンでなく、イヨカンでもなく、クドカンでもない、ヨ、ヨジカン…
きゃははは~っ!!
って、もう笑うしかないもんね。文句言えませんから。
けれども、その都内への交通費はモチロン会社負担よね?、そりゃそうに決まってます!
つまり、仕事帰りにちょっと足を伸ばして遊べば、交通費の節約になるのでは?
…ん?…遊び代を足したら、なんかトータルで計算が変だけど、ま、いっか~!

というわけで、慣れない仕事と通勤時間のストレスを解消するために、追加した予定が「トップ・ガールズ」…ではなくて(笑)、支援先に近い場所で上演される「新日の丸レストラン」と、もうひとつは「欲望という名の電車」です。
この二つは、すぐその後から「Underground Parade」が始まるので、感想を書く暇がないかもしれません。
書くとしたら、通勤電車の中で携帯で「ちょこっと観劇記」になる模様です。
たとえ数行でも書けたら良いんだけど…。

だから、その「ちょこっと感想記」の練習として、最近観た舞台の感想です。
つまり、ここまでが「前置き」なのよ~ん。長っ!

◆3月26日「華鬼」◆

これは演出が岡村さん、じゃなくて!(笑)、お肉が好きな岡本貴也さん。
出演は、林明寛、葉月あい、久保翔、長谷部恵介、小澤亮太、三田村春奈ほか
ですって?!
うん、だから、全然知らない若い方たちばかりで、客席も20代のお客さんが多いのかな。
つまり私にはアウェーな舞台です(笑)
アウェーだけど、鬼の物語は好きだし、岡本さんだし、で、観に行きました。
岡本さんのは去年の「消しゴム」や「源氏物語」が良かったので。
それで、この「華鬼」は私は知りませんでしたが、人気ファンタジー小説が原作だそうです。
鬼がヒロインにの手にキスをする「鬼の刻印シーン」が、なかなかの萌えどころで(笑)
そのヒロインは髪の長い大人しい少女で、いかにも男性の庇護欲をかきたてるタイプです。
それで無自覚に男を魅了してしまうから人生がややこしくなる…という、基本的に少女マンガの世界よね。
それにしても、時折挟まれるアレ(謎)には、私には最後まで耳慣れなくて、やっぱり自分はターゲットから大きく外れていたかも。
前説には、いつもなら「携帯の電源は切ってください」というのに、この舞台では地震情報を気にする方のために「マナーモードで」と言い、非常口を念入りに説明していました。
そんな中で、かなり派手なアクションもあり、セットを走り回る男子達にはちょっとハラハラしたけど、そのアクションの見応えがあってカッコ良かったです。

◆「陰陽師~Light and Shadow~」

【出演】
泉見洋平 加藤和樹 良知真次 菊地美香 東山光明(Honey L Days) 細貝圭 
澪乃せいら 柿弘美(劇団クロックガールズ) 吉見一星 柴一平 西川卓 秋月淳司 木下あきら 他

泉見洋平さん、私は久しぶりに見ましたけど、相変わらず、お目々がキラキラしてるのね~!
でもって、年齢不詳的に若いし、どんな場面でも存在感的に「陽」の人で、熱いです!
そして歌がね、泉見さんだから意味不明に嬉しいです(笑)
 
陰陽師といえば、やはり漫画やライトノベルでは出没率高し。
西洋で言う、魔法使いみたいなものよね。
だから、術を唱えるシーンがたくさん出てくるんですけど、陰陽師三兄弟の末弟が殺されてしまって、二人のお兄さんが弟を生き返らせようとするわけ。
その禁忌の秘術を私欲のために使うのはどうなのよ? というアレコレに拘らなければ、これは「激動の時代を駆け抜ける人物たちの、悲しき運命を描く抒情詩がロックミュージカル」として楽しめます。
それにしても、出演者が皆さん熱く歌ってくださるので、こんなご時勢だから、そこに込められた思いが、ことごとくこの大震災の、まさに「激動の時代」を生きる被災地の方や私たちに対するメッセージのようにも聞こえました。
見かけよりもずっとベテランの泉見さん率いる若者たちが活躍するこの熱い舞台は、公演の収益金の一部が東北関東大震災への義援金となるそうです。
500円のブロマイドは全額を義援金にしてくれるらしいです。
たしか「華鬼」でもそうでした。


そんなこんなで、今なお余震が続き、被災地ではこのような娯楽とは縁遠く、桜が咲いてもいまいち全国的に盛り上がりませんが、そのぶん不況の波も二次災害のようにじわじわと押し寄せてきています。
この復興は長くかかるかもしれませんね。
先行き不安で、お金を使うのも躊躇われるし、何よりも、大っぴらに遊んでいると、苦しい思いをしている被災地の方々に申し訳ないような気がしますものね。
それは無理もないけれど、このままだと一層に悪循環のループから抜けるのに時間がかかりそうです。
この先、どの舞台でも「収益金の一部を義援金にまわすのを基本にして、今だけではなく長く義援活動を続けて欲しいと思います。