今宵も劇場でお会いしましょう!

おおるりが赤裸々に綴る脱線転覆の感想記!(舞台やライブの感想です)

「MA」の井上芳雄くん

2006年12月09日 21時46分20秒 | 観劇(ミュージカル/音楽劇)
「マリーアントワネット」の観劇二回目。
特に井上芳雄くんのファンでもないのに、
なんでこのタイトルにするかねぇ?(^^;)

先日初めて観にいった友人が言いました。
「MAの芳雄くんがステキだって言ってたから、
いつその場面になるんだろう?とずっと期待して見ていたら
一幕が終わっちゃったんですけど?
それで、二幕になってもなかなか芳雄くんのステキな場面がないから、
ああきっと終盤にそうなんだ~と思ってたら、
最後のシーンはフェルセンの出番なかったよね?(^^;)」

‥‥はいぃ?もしもし?
私、井上フェルセンは最初の登場シーンからずっとステキだったって言いませんでしたっけ?
違うの?
おっかしいなー! ま、いいけどね(笑)

今回、原作を読んでいったので、登場人物が頭の中で何となく原作のそれと対比されて面白かったわ。
そもそも小説の解釈なんて、全ての読者にとって共通する100ハーセントの正解なんて有り得ないと私は思うの。舞台もそう。
だからこの「МA」のキャラに対するアレンジも、それはそれで面白いじゃない?

原作では最後までアントワネットを憎んでいたマルグリットは、「МA」じゃ、幼い頃同じ歌を聞いて育ったというささやかな共通を見出して、そこで始めてアントワネットが同じ一人の人間だということに気がつくし、ラストでは倒れた彼女に手を差し伸べたりしている。
戦う修道女といった感のアニエスも、貧相で山師なはずのカリオストロも原作とはずいぶんと違った役割を与えられているのよね。
でも私はそういう原作と違うところが許せないとか、気持ち悪いとか、そういったきちっとした性格じゃないから、逆に興味深いとか思うわ。

だけど、唯一原作に近いのは井上フェルセンじゃないかな。
遠藤周作の原作では、フェルゼンは純情で生真面目な外国貴族で、アントワネットとは肉体関係なんてなくて、ひたすら敬愛と献身をささげていると私は読んだ。
でもって、アントワネットは始め彼のことを姉のように見守って、フランス宮廷でうまくやっていけるように気にかけたり手を貸したりしているわけよ。
それがやがて恋愛感情になったとしても、王に対する貞操は守っているのね。原作じゃ、この二人、キスもしない。手を握って見つめるだけ。
他の文献じゃそうはいかないし、フェルセンの人物像もだいぶ違うみたい。
でも、私は好きだな、こういうのも。

で、アントワネットが最初姉のような気持ちになったフェルセンと思えば、井上くんはハマり役じゃない?
前回観た時は若いツバメに見えたけど(笑)、今回は「まあ有りだわね」と納得。
清く正しく美しい、を貫いた井上フェルセンはステキだ!

ま、そういうことですね(笑)