山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

夕刊オペラのコラム

2007年10月03日 21時10分55秒 | Weblog

赤川次郎のコメントは、回を追うに従い、最初は処女の如く、最後は脱兎の如くの様相の気配がしている。連載は慎ましい言い方から始まったが今は結構言いまくってる感じだ。今日はFranco Bonisolli について記されている。コラムのとおり彼は大声でHiCも出た。HiCを出さない歌手が多い現在では、劇場で喜ばれるかもしれない。彼が死んだ日はキシクモ同じ名前のFranco Corelliと同じ4年前の10月30日で、ニュ-スはその影に隠れてしまった。奇行でも有名らしく、アラ-ニャと同じく舞台投げ出しwalk out。カラヤンとのリハ-サルもwalk out。カンッオ-ネもレパ-トリ-、ここで偲ぶために、Non ti scordar di me「忘れな草」を聴こう。歌は最後に持ち味が出る。追記 パヴァロッティも三テナなど大コンサ-トでよく歌っていた。この曲が好きなんだろう。作曲はCrutis。帰れソレントへ、泣かないお前、孤独、夜の声、君を愛す深く深く、ナポリの歌などヒット連発。訳詞は以下。

燕は太陽のない寒い地を離れてんれ行った。菫咲く春を愛と幸せの巣を求め。私のかわいい燕も行ってしまった。くちづけも別れの言葉もなく行ってしまった。忘れないでくれ、私のことを。私の命は君あってのことだ。前にもまして愛している。今も夢のなかに君がいる。忘れないでくれ、私のことを。私の命は君あってのことだ。私の胸にはいつも君を迎える巣があるのだ。忘れないでくれ、私のことを。忘れないでくれ、私のことを。

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オペラの舞台と感動 (Unknown)
2007-10-04 22:12:54
改めて朝日新聞のお夕刊を読んでみた。今まではチラッと目を通すだけで余り気にも留めていなかったけど、なるほど、今回の内容は同感!と思わず膝をたたいた次第。

一流歌手のCDを聞いてうっとりすることも多いが、オペラはやはり舞台を見るのが醍醐味だと感じている。余り期待していなかった歌手の思いがけない声に感動してみたり、世界的歌手のアリアに失望したりと
なかなか予想通りに行かないのが舞台というものだろう。

圧巻だったのは、新国のアンドレア・シェニエで主役のマッダレーナ役が風邪を引いた?とかで帰国してしまい、それまで母親役を歌っていた日本人歌手が代役として出たときのことだ。

その公演は6回だったと思ったけど、確か5回までは予定通り歌って最後の回だけをすっぽかされて、急遽、代役の出番となったものだった。代役を予定の歌手は今まで母親役をやってきたのだから母親に感情移入もしていただろうし、さぞかし驚いた交代劇だったのだろう。

代役のマッダレーナはシェニエ役とのラブシーンもありで舞台の端から端までを使って演技するはずなのだが、舞台の前寄り中央から離れようとしない。シェニエが腕を取ったり肩を抱いたりして舞台の袖の方に誘導するのを払いのけていた。

そうプロンプターの傍から離れなかったのである。

多分、リハーサルの時には、マッダレーナの控えとしての演技を練習もした、承知をしていたとは思うが、まさか最後の回で代役が来て、昨日までの身に染み付いた母親の演技とは歌とは全く違う妙齢の恋する娘役を果たすことになったのだから無理も無いだろう。

アリアを歌っているときには、その必死さが伝わり、いつ立ち往生してしまうかもしれないとハラハラ・ドキドキしながら注視していた。

彼女の歌も演技も残念ながら酷いものだったけど、何とか無事にオペラの幕が下りたときには、夢中で手をたたいたものだ。

そう、かく言う浪人も珍しく感動したのである。

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