4月21日付けの『朝日新聞』の「声」欄(投書欄)に、「すたれないで 美しい日本語」と題する京都市在住の60歳の主婦の投書が載っている。
書店で店員に「おつかい物にしたいので、図書カードを二つお願いします」と言ったところ、意味がわからないと言われたので、「人さまに差し上げたいのですが」と言ったところ、「それならプレゼントですね」と言われ、「ええ、そうそう、プレゼント、ギフトです」と、ようやく意味が通じたとのこと。
《この女性はどんな環境で育ったのだろうか―と思ったが、「いや、いや、この国の閣僚の方々もやたらと横文字をお使いだ」と思い直した。》
私も、「おつかい物」という言葉は知らなかった。
Googleで、「おつかい物」で検索してみると、1310件がヒットした。
「おつかいもの」で検索してみると、38200件。
「お遣い物」では、30900件。
「お使い物」では、109000件。
結構広く使われている言葉らしい。
しかし、私はン十年生きてきたが、聞いたことがない。
私は、「どんな環境で育ったのだろうか」と思わせるほど異常な環境で育った覚えはないのだが。
妻に聞くと、「お持たせ物」のことをそう言うのではないかと思うが、あまり聞かない言葉だという。
しかし、調べてみると、「お持たせ物」は持参する手土産のことを言うそうだから、ちょっとニュアンスが違うような気もする。
あるサイトによると、「東京ではよく耳にする言葉」だそうだが、この情報もこのサイトでしか見つからなかったので、地域的にどうなのかよくわからない。
『東京おつかいもの手帖』という本が2005年、『京阪神おつかいもの手帖』という本が2007年に出ている。Amazonで「おつかいもの」で検索すると、2004年に出た本が最新だ(「お遣い物」「お使い物」「おつかい物」ではヒットしない)。もしかすると、比較的最近になって、はやりだした言葉なのかもしれない。
ところで、投稿者の文はこう続く。
《そういえば、最近は「全然大丈夫です」とか「すごいうれしいです」など、全然文法になっておらず、すごく気になる言葉が、電波を通じて流されている。》
「全然」は、下に打ち消しの言葉を伴って「全然・・・ない」のように用いるのが正しい用法だと思っておられるようだ。
たしかに、近年はそういう用法をよく見るが、元々は必ずしもそのように用いられていたわけではない。
『大辞林』が提供している「goo辞書」によると、「ぜんぜん 【全然】」の項にはこうある。
《一(副)
(1)(打ち消し、または「だめ」のような否定的な語を下に伴って)一つ残らず。あらゆる点で。まるきり。全く。
「雪は―残っていない」「金は―ない」「―だめだ」
(2)あますところなく。ことごとく。全く。
「一体生徒が―悪るいです/坊っちゃん(漱石)」「母は―同意して/何処へ(白鳥)」
(3)〔話し言葉での俗な言い方〕非常に。とても。
「―いい」
二(ト/タル)[文]形動タリ
すべてにわたってそうであるさま。
「実に―たる改革を宣告せり/求安録(鑑三)」》
大辞林は副詞としての意味を(1)~(3)に分けているが、これらは結局「全く」の意味で同じものだろう。敢えて分ける必要があるのだろうか。
「全然大丈夫です」は文法的に「全然大丈夫」だ。
「全然」が否定的な語を伴うものとして認知されていることへの違和感は、高島俊男が「お言葉ですが・・・」で取り上げていたように思う。私も昔の小説で、肯定的な用例をいくつか見た覚えがある。
「おつかい物」を知らないだけで「どんな環境で育ったのだろうか」と疑いつつ、「全然」の用法は自らの感覚を信じて疑わない、そんな人間が、美しい日本語がすたれると嘆いている。そしてそれを掲載する朝日。朝日が掲載したことにより、「全然」を肯定的ニュアンスで用いるのは誤用であるとの認識がさらに広まることだろう。
どちらが、日本語の破壊者だろうか。
書店で店員に「おつかい物にしたいので、図書カードを二つお願いします」と言ったところ、意味がわからないと言われたので、「人さまに差し上げたいのですが」と言ったところ、「それならプレゼントですね」と言われ、「ええ、そうそう、プレゼント、ギフトです」と、ようやく意味が通じたとのこと。
《この女性はどんな環境で育ったのだろうか―と思ったが、「いや、いや、この国の閣僚の方々もやたらと横文字をお使いだ」と思い直した。》
私も、「おつかい物」という言葉は知らなかった。
Googleで、「おつかい物」で検索してみると、1310件がヒットした。
「おつかいもの」で検索してみると、38200件。
「お遣い物」では、30900件。
「お使い物」では、109000件。
結構広く使われている言葉らしい。
しかし、私はン十年生きてきたが、聞いたことがない。
私は、「どんな環境で育ったのだろうか」と思わせるほど異常な環境で育った覚えはないのだが。
妻に聞くと、「お持たせ物」のことをそう言うのではないかと思うが、あまり聞かない言葉だという。
しかし、調べてみると、「お持たせ物」は持参する手土産のことを言うそうだから、ちょっとニュアンスが違うような気もする。
あるサイトによると、「東京ではよく耳にする言葉」だそうだが、この情報もこのサイトでしか見つからなかったので、地域的にどうなのかよくわからない。
『東京おつかいもの手帖』という本が2005年、『京阪神おつかいもの手帖』という本が2007年に出ている。Amazonで「おつかいもの」で検索すると、2004年に出た本が最新だ(「お遣い物」「お使い物」「おつかい物」ではヒットしない)。もしかすると、比較的最近になって、はやりだした言葉なのかもしれない。
ところで、投稿者の文はこう続く。
《そういえば、最近は「全然大丈夫です」とか「すごいうれしいです」など、全然文法になっておらず、すごく気になる言葉が、電波を通じて流されている。》
「全然」は、下に打ち消しの言葉を伴って「全然・・・ない」のように用いるのが正しい用法だと思っておられるようだ。
たしかに、近年はそういう用法をよく見るが、元々は必ずしもそのように用いられていたわけではない。
『大辞林』が提供している「goo辞書」によると、「ぜんぜん 【全然】」の項にはこうある。
《一(副)
(1)(打ち消し、または「だめ」のような否定的な語を下に伴って)一つ残らず。あらゆる点で。まるきり。全く。
「雪は―残っていない」「金は―ない」「―だめだ」
(2)あますところなく。ことごとく。全く。
「一体生徒が―悪るいです/坊っちゃん(漱石)」「母は―同意して/何処へ(白鳥)」
(3)〔話し言葉での俗な言い方〕非常に。とても。
「―いい」
二(ト/タル)[文]形動タリ
すべてにわたってそうであるさま。
「実に―たる改革を宣告せり/求安録(鑑三)」》
大辞林は副詞としての意味を(1)~(3)に分けているが、これらは結局「全く」の意味で同じものだろう。敢えて分ける必要があるのだろうか。
「全然大丈夫です」は文法的に「全然大丈夫」だ。
「全然」が否定的な語を伴うものとして認知されていることへの違和感は、高島俊男が「お言葉ですが・・・」で取り上げていたように思う。私も昔の小説で、肯定的な用例をいくつか見た覚えがある。
「おつかい物」を知らないだけで「どんな環境で育ったのだろうか」と疑いつつ、「全然」の用法は自らの感覚を信じて疑わない、そんな人間が、美しい日本語がすたれると嘆いている。そしてそれを掲載する朝日。朝日が掲載したことにより、「全然」を肯定的ニュアンスで用いるのは誤用であるとの認識がさらに広まることだろう。
どちらが、日本語の破壊者だろうか。
「おつかいもの」なんていう日本語は、その新聞投稿で初めて知りました。
この御仁、「おつかいもの」が通じず、プレゼントが通じたとして、日本語の乱れを憂いているのですが、その前に、「贈答用」とか「贈り物」と言えばよいのであって、そういう基本単語を知らない婆さんが知ったかぶりのご高説を垂れるご時世を憂います。
「全然」を肯定文で用いる際の夏目漱石の引用も有名ですしね。そんなことも知らないのかと。
それから「すごいうれしいです」は最近の言葉などではなく、関西では普通に使いますよ。むしろ「すごくうれしい」などと聞くと、ひっかかりを感じます。
「えらいしんどい」というのも同じ用法ですが、関西会話では頻出します(「うれしい」も「しんどい」も形容動詞です)。
京都在住と言っても、年をとってから関西に引っ越して来たなんちゃって関西人なのかな。
30代半ばの元接客業ですが、プレゼント、ギフトを扱うことが多々ありましたので、言葉は知っています。個人の感覚であり、客観的なデータがあるわけではありませんが、東京の裕福な初老以上の女性から聞くことが多かったような気がします。
件の京都市在住の60歳の主婦の方にとっては、「おつかい物」はそれまでの人生で通じなかったことがないくらいの常識的な言葉だったのだろうと推測しますが、それが通じなかったからといって「異常な環境」は言い過ぎですね。
自分が普通だと思いこんでいること(言葉遣いに限らず)を相手が理解できなくて衝撃を受けることは誰にもあることだと思いますが、その時にどう思うか、どのような対応ができるのかには、人としての器量が現れるのでしょうね。
#自分の知識にないこと、常識外のことに遭遇した時にどうするかも同様。
その点、この方はちょっと残念な人といったところでしょうか。
それと、もし私が件の書店員の上司だとすれば、「図書カード」を注文され、「おつかい物」という謎の言葉を聞いた時点で、プレゼントではなかろうかと推理するくらいの血の巡りが欲しいところですね。まあ、わからなくても仕方がない言葉なので、怒りはしませんけど。
また、自分の無知を棚に上げて「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかった=知らないと決めつける静流氏を憂います。見下しはしませんがね。
>また、自分の無知を棚に上げて「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかった=知らないと決めつける静流氏を憂います。見下しはしませんがね。
わたしは「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかったからその御仁がそれらの言葉を知らなかったと述べているのではありませんよ。
それと「自分の無知」というのが「おつかいもの」という言葉を聴いたことが無いということを指すなら、私は「だからおつかいものという言葉を使うな」と言っているのではないですよ。
ほかにももっと一般的な用語があるにもかかわらず、あえて「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いているのです。
何を言ってるんだ。自分の書いた文章を見てみろ。
>その前に、「贈答用」とか「贈り物」と言えばよいのであって、そういう基本単語を知らない婆さんが知ったかぶりのご高説を垂れるご時世を憂います。
と書いてるじゃないか。「贈答用」とか「贈り物」という基本単語を知らない婆さんだと決めつけてるじゃないか。
> 「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかったからその御仁がそれらの言葉を知らなかったと述べている
ように読めましたが、私の読解力に問題があるのでしょうかね。
#それとも、「基本単語」は「贈答用」「贈り物」ではなく、「「全然」を肯定文で用いる際の夏目漱石の引用」や「「すごいうれしいです」の関西での一般的な使用」を指すのですかね。だとしたら文章構成に問題ありと判断しますね。
> ほかにももっと一般的な用語があるにもかかわらず、あえて「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いているのです。
はじめに「おつかい物」という言葉遣いをしたことは、それが一般的な表現(「贈答用」「贈り物」等と同じ程度に)だと思っている方なら仕方ないのではないでしょうか。それすらも許容できないというのでしたら、「おつかいものという言葉を使うな」と言っているに等しいですね。
件のご婦人は、「人さまに差し上げたいのですが」とこれ以上ないくらいの一般的な表現で言い換えて、意思の疎通を図っておられるわけです。その点において、
> 一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いているのです。
は言い過ぎではないでしょうか?「「全然」を肯定文で用いる際の夏目漱石の引用も知らない自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆く」のでしたら、まだわからなくもありません。(賛同はしませんが)
>静流さん
ちょっと筆がすべりましたかね。
>あえて「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いている
という点では私も同じです。まあ私は、60歳を老婆と呼ぶことには抵抗を覚えますが。
あと、細かいことですが、「うれしい」も「しんどい」も形容動詞ではなく、形容詞だと思います。
>ysdさん
>東京の裕福な初老以上の女性から聞くことが多かったような気がします。
そうですか。やはり東京で主に使われているのでしょうか。
私が昔から愛用している小さな国語辞典(初版が1969年)にも出ているので、かなり昔から使われている言葉なのは確かなようです。
>その時にどう思うか、どのような対応ができるのかには、人としての器量が現れるのでしょうね。
耳に痛いです(苦笑)。本当にそうですね。
>「うれしい」も「しんどい」も形容動詞ではなく、形容詞
あうっ、そうです。おっしゃるとおりです。すみません。
*******************************
ysdさん
確かに仰るとおりですね。今見直したら書いてましたよ、自分で。
びっくりしました。ysdさんの私に対する指摘が正しくて、
私が間違っていました。ご迷惑おかけしましたね。
以下のように訂正します。
「おつかいもの」という言葉が通用せず、カタカナ言葉が通じるという経験をもってして言葉の乱れを憂いている昔のお嬢さん。しかしちょっと待ってほしい。「おつかいもの」を表す「贈り物」という立派な日本語もある。まさか彼女も「贈り物」もやはり通じなかったはずとは思うまい。「全然」を肯定文に使うことを知らないところから見ても、若者の日本語の乱れを云々するのは僭越ではないだろうか。京都在住らしいが、関西ではごく普通に使用する「すごいうれしいです」が不自然に聞こえるところからして、「娘さん」と呼ばれるには老い過ぎた年になってから関西に越して来たのかもしれない。以前の土地では「おつかいもの」が一般的だったのだろうが、老い先短いその命を大切に、地元の言葉に馴染んでいただければ、すごいうれしい。
東京では当たり前に使います。ただし主に女性が使う言葉です。
お使い物が通じなかったのを憂うのは、上品な日本語が失われていくことを心配したのでしょう。
>「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いている
そこまで言うと、自分の無知をさらけ出すよいうか、知らなかったことの方が当たり前という言い訳にしか聞こえません。
この女性にとっては、お使い物が当たり前の日本語言葉であり、
>「おつかいもの」を表す「贈り物」という立派な日本語もある。
とは言えないでしょう。
>お使い物 普通に使う言葉です。
東京では当たり前に使います。ただし主に女性が使う言葉です。
そうなんですか。私は日暮里近くと世田谷に都合12年ぐらい住んで、三田に通っていましたが、一度も聞いたことがありませんでした。orzもちろん贈り物、御贈答品、プレゼント、ギフトは数限りなく聞きましたが。やはり自分の経験だけではわからないものですね。
贈り物だと、単なる贈り物。お使い物だと、贈る相手のことを考え、贈る物を厳選した、そんなニュアンスが含まれます。
ですから、女性が「おつかいもの」と表現し、それが伝わらないときにがっかりしたんだと思います。