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昭和戦前期の政治に学ぶとすれば(後)

2009-08-28 22:37:39 | 日本近現代史
(前編はこちら

 井上の言う「教訓」についても、疑問がある。

3.国民が求めているのは、「民・自+αの連立政権」?

 
第1に、二大政党制よりも連立の枠組みの重要性である。当時と類似した「非常時小康」下において、国民が求めているのは、非常時の再来に備えてあらゆる政策の実行を可能にする強力な国内体制の確立である。民主党の単独政権に任すわけにはいかない。そうだとすれば、民・自+αの連立政権を構想すべきである。


 これも国民が求めているという根拠がわからない。
 いわゆる「ねじれ国会」の中、私は自・民大連立という選択肢はアリだと考えていた。しかし国会議員においても世論においてもそれが多数派とはならなかったはずだ。昨今の世論調査でもそうである。

 そもそも、「非常時の再来に備えてあらゆる政策の実行を可能にする強力な国内体制」は、自・民の大連立、あるいは挙国一致内閣によって確立できるものなのか?
 まずそこがおかしいのではないか。


4.基本政策の共有?

 
第2に、主要政党は基本国策を共有しなくてはならない。複数政党制の成立は、基本国策の共有が前提条件となっている。昭和戦前期の政党は、政権獲得のために政策の違いを過度に強調することで自滅した。


 まず、
「共有しなくてはならない」
 誰がそんなことを決めたのか。
「前提条件となっている」
 どこにそんな条件が規定されているというのか。
 いいかげんなことを言うもんじゃあない。

 「基本国策」とはあいまいな言葉だが、では非核3原則の見直しはどうか。集団的自衛権の解釈変更はどうか。自民党がこれらを変えたくとも、民主党と「共有」しなければ変えられないというのか。
 これらが「基本国策」でないというなら、日米安保体制の見直しはどうか。徴兵制の導入はどうか。死刑廃止はどうか。
 憲法改正はどうか。女系天皇の問題はどうか。いやいっそ天皇制自体の存廃はどうなのか。

 自由意志による多数派が形成されれば、何だって変えていいのである。それが自由主義社会というものである。
 井上の言う「前提条件」など、存在しない。

 さて、戦前の政党は、政策の違いを強調しすぎて自滅したのだろうか。

 戸川猪佐武は、前掲の引用部分に続けて、こう述べている。

 
政友、民政、国民同盟、無産党とも、おしなべて、
 ――挙国一致体制の確立。
 を、スローガンにかかげた。それ自体、政党、議会政治の否定につながっていったが、それを謳わざるを得ないほどに、時代は変わっていたのである。わずかに野党政友会が、
 ――挙国一致性において、岡田内閣は弱体である。
 と、政府批判を行った。それに、
 ――官僚主義を排除せよ。
 ――国防と産業を両立せよ。
 と、論じた。これに対して、与党的な民政党は、
 ――挙国一致か、政権争奪か(政友会は挙国一致を否定し、政権争奪に終始する党利党略本位である)。
 ――兵、産、財の三全主義をとれ。
 という主張を繰りひろげた。他に国民同盟は、「国防、外交の一元化」、昭和会(政友会脱党、除名組)は「挙国一致を破るもの(政友会)を葬れ」、社会大衆党は、「まず国内改革を断行せよ」というスローガンで闘った。このうち、野党的な社大党が、「重要産業の国有化」「民衆富んで国防危うし」など、他の党とは異なった主張をかかげたものの、これもまた当時の軍部、新官僚に迎合するものであった。政党のほとんどが、軍部、新官僚に圧されつつあったのである。


 この選挙に限らず、政友会と民政党など、現在の自民党と民主党ほどの違いもなかったのではないか。

 井上は上の文に続けて言う。

 
今も総選挙に向けて、同様の誤りに陥りかねない状況が生まれている。必要なのは、政権交代によっても変わることのない、外交・安保の基本国策の共有である。


 おや、「基本政策の共有」がいつのまにか「外交・安保の基本国策の共有」になっているなあ。
 結局はそれが言いたいのか。民主党は外交・安保が頼りないと。

 現在の自民党と民主党の基本政策の差は、かつて長年野党第1党だった社会党と比べて、はるかに接近しているのではないか。


5.「国民は代表民主制への信頼を失うことがなかった」?

 第3に、代表民主制への信頼の回復である。日中全面戦争勃発の直前まで、国民は平和と民主主義を求めていた。平和と民主主義は、政党政治をとおして実現する。国民は代表民主制への信頼を失うことがなかった。

 今日の私たちも、代表民主制への信頼を回復すべきである。国家と国民をつなぐ政党の政治への信頼回復は、国家と国民の一体感の再形成をもたらすだろう。そうなれば国民国家日本の再建が可能になるはずだ。


 代表民主制への信頼が失われていなかったのなら、政党内閣に戻せという声が上がらなかったのは何故だろう。五・一五事件の被告に対して減刑運動が巻き起こったのは何故だろう。

 岡田内閣では天皇機関説事件が起こった。美濃部達吉は議員辞職を余儀なくされ、内閣は国体明徴の声明を発せざるを得なかった。統治権の主体は天皇にあり、機関説は国体にもとると言明した。
 天皇主権が何で代表民主制なものか。
 そもそも「民主」という言葉すら用いられていなかったというのに。

 岡田啓介は回顧録で、政友会の国体明徴運動のような政府攻撃のやり方は、その後社会が議会政治否定の方向へ動いていったことを考えると、「政党人が自分の墓穴を掘るような心ないことだったと思う」と述べている。

 現代の我々が昭和戦前期の政治から何かを学ぶとすれば、まずは、政争に狂奔するあまり、政党人が自ら代議制を否定するかのような振る舞いをしてはならないということではないかと私は考える。
 井上とは違って私は、「代表民主制への信頼を回復す」るもなにも、こんにち、代表民主制への国民の信頼は失われていないと感じている。
 だからこそ、自民党に変わりうるものとして、民主党が支持されているのだろう。

 怖いのは、自民党もダメ、民主党もダメとなって、代表民主制の下ではもうどうしようもないとなった時だろう。
 そういう意味でも、民主党にはしっかりしてもらいたい。


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