トラッシュボックス

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井上ひさしの死に寄せて

2010-04-12 23:39:34 | マスコミ
 井上ひさしが死んだ。

 私は小説をほとんど読まない。井上ひさしの作品も読んだことがないし、関心もない。

 私が井上ひさしと聞いて思い浮かべたのは、小谷野敦が紹介していた次のような信じがたいエピソードである。

井上ひさしの三女石川麻矢の『激突家族』(中央公論新社、1998)を読んで、井上がさらにひどい人だと知った。井上が前妻を殴っていたのは知っていたが、編集者も、井上が殴らないと仕事ができないと知っていて「好子さん、あと二、三発殴られてください」と言ったという。信じられない世界である。さらに井上は、新しい恋人、つまり米原万里の妹から、「井上家は子供の育て方を間違えたわね。せめて、きちんと学校だけは出しておかなきゃダメヨ」と言われ、井上はそれを娘たちの前で嬉しそうに話したという。

 いったい、井上ひさしというのは、どこまで人間として低いのだろう。むろん、過去の文豪には、人間として最低な人が何人もいた。夏目漱石だって、幼い子供を杖で打ちすえている。しかし現代において、こういうことが公表されて、なお大作家でいられるというのは、周囲の人たちは何を考えているのか、私は疑問である。


 私も疑問である。




 訃報を伝える今日の朝日の夕刊は絶賛の嵐だ。

 梅原猛の次のようなコメントが載っている(太字は引用者による。以下同じ)。

無名のころからの付き合いですが、弱者へのいたわりの心は私よりも強かった。歴史を被害者の側からみる姿勢が徹底しており、軽くやわらかいと見せかけた作品の中に、戦争批判とピリッとした社会風刺があった。〔後略〕


 DV夫の「弱者へのいたわりの心」「被害者の側からみる姿勢」などというものを私は信じない。

 肉体的な優位性をもって弱者を支配するというのは、軍や警察といった暴力装置を用いて民衆を弾圧する権力者と何ら変わりはない。
 そうした人物による戦争批判だの9条擁護だのに、私は何の価値も見いだすことはできない。


 小谷野のブログを井上の名で検索してみると、さらにいくつもの興味深い記述が見つかった。
 二三挙げておく。


井上ひさしを追撃

 仙台文学館から『井上ひさしの世界』のパンフレットを送ってきた。石原千秋、大江健三郎、樋口陽一、小森陽一らが寄稿している。見れば見るほどムカムカする。誰も「天皇」の「天」の字にも触れない。

 私は『紙屋町さくらホテル』を褒めた(このパンフレットでは「神屋町」と誤植されているところがある)。しかし、純粋な観劇というのはないのであって、作者が天皇の茶会に行った時に、この劇は愚劇になったのである。

 一時の気の迷いで行ってしまったなら、懺悔すればよろしい。しかるに、今度は藝術院賞恩賜賞を貰ったのである。恩賜賞である。いったい誰からの恩賜だと思っているのか。「恩賜上野動物公園」という不思議な正式名称のあの恩賜である。なくなってしまった恩賜の煙草の恩賜である。「あおげば尊しわが師の恩」の恩師ではない。

 藝術院会員を辞退した大岡昇平を礼賛したのは誰か。小森や大江はどの口でこんな文学者を礼賛できるのか。いや、最近は潮匡人が井上を罵倒していたが、それがおかしいのだ。「左翼」こそが井上を罵倒すべきだろう。

 紫綬褒章を決然と断った唐十郎がいかに偉大であるか。先見を誇るわけではないが、私はもう20年も前から、唐十郎は偉大だと思い、井上ひさしは下らんと思っていた。

 黒古一夫は、井上が天皇の茶会に行ったことを知らなかったと言う。では文化功労者になったことも知らなかったのか。黒古の周囲には言論統制でも敷かれているのか。加藤周一や木下順二が死ぬと、こんなことになるのか。ところでそのパンフレットの最後の「協力」のところに「佐藤優」とあったのは、あの右翼佐藤優だろうか。何しろ米原万里と仲が良かったからなあ。



伝記は電光石火で

『ユリイカ』は米原万里特集、『考える人』は須賀敦子特集だが、私はこの二人とも、それほどすごい人だとは思っていない。ところで米原のほうは、若い頃は美人だったと聞いていた、というより、男にもてた、というから美人だったのだろうと思っていたが、そうではなくてむやみとケバい人だったことが分かった。

 米原さんは、私の本を褒めてくれたこともあるから好感を持っていたのだが、『嘘つきアーニャ』が、エッセイであってノンフィクションではないし、描いている事柄と文体が合っていないと思い批判的に書いてから私の側では心理的距離ができ、さらに井上ひさしとの関係を知って、それであんなに次々と賞をとったのだと分かり、また小森陽一とクラスメートだったと知ってどんどんイメージが悪化し、さらに佐藤優の友人だったと知って、もう私にとって米原万里は、好意をもって見られる人ではなくなった。



事実は一つである

今回の『ユリイカ』にも佐藤が書いているが、売れっ子佐藤が一枚千円で引き受けたのも米原なればこそ、ではあろうが、言論封殺魔の友人だったということは、確実にこの雑誌において米原の印象を悪化させるのにひと役買っている。

 ついでに言うとこの桐原というのは、今では日本文藝家協会の書記局長をしていて、2001年に『井上ひさし伝』を上梓している。生きているうちから伝記が出るなどというのは、さぞその人物は権力者で、書いた人はその権力者の腰巾着なのだろう、と、知らない人でも思うだろう。


 論説委員・山口宏子による「評伝」を含む朝日夕刊の絶賛ぶりも、そうした視点からなら理解しやすいように思える。


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