「反日ブログ監視所」のブログの3月1日のエントリに、「ドグラマグラと嫌安倍厨」というものがある。
そこに寄せられたコメントの一つに、次のようなものがあった。
《夢野久作氏の本業は精神科医でして、そちらの業界でも名の知られた人でしたが、「ドグラ・マグラ」を発表したときは「ミイラ取りがミイラになった」と話題になったそうです。
静流さんもお気をつけて。彼らはかなりの割合で本物です。
Responded by ゲスト at 2007-03-02 20:20:59 》
私は、もうかなり前のことになるが、「ドグラ・マグラ」をはじめ、夢野久作の主要作品は読んだことがある。三一書房版の全集も持っている。
しかし、夢野久作の本業が精神科医だったというような話は聞いたことがない。
そこで私は、このゲストさんの発言に疑問を呈するコメントを付けた。
また、「反日ブログ監視所」の篠原静流氏も、ウィキペディアやはてなダイアリーの記述を元にした久作の経歴を示し、いつ精神科医だったのかと疑問を呈している。
その後のやりとりの詳細は同エントリのコメント欄を参照すればわかるので省略するが、このゲストさんは次のように述べている。
《引用されている夢野久作氏の経歴は公式のものではあるものの、「夢野久作」名での著作は作品そのものだけでなく著者のプロフィールもフィクションです。(ある程度は事実を基にしているようですが)》
《夢野久作の公式プロフィールは1988年に公開された映画「ドグラ・マグラ」の制作前後に創作されたもので、その過程は当時の文芸誌に関連の記事を追えば自ずから判ることです。》
私は88年の映画も見ていないし、当時の文芸誌でどのような記事があったのかも全く知らない。
しまいこんでいた三一書房版の全集(初版は1969~70年刊)を出してみた。
7巻に久作の年譜が掲載されているが、精神科医云々の記述はない。前述の篠原氏が挙げているのと同様の経歴だ。
公式プロフィールは88年の映画「ドグラ・マグラ」の制作前後に創作されたとの説が虚偽であることがわかる。
やはり7巻に収録されている、久作の妻クラ夫人及び子息の龍丸氏と、編者の1人である谷川健一との対談では、久作が「ドグラ・マグラ」の取材のため九州大学を訪ね、精神科の病棟を回ったとのエピソードが挙げられている。
ネットで調べてみると、そのころ九大にいたという榊保三郎という精神科医が、「ドグラ・マグラ」に登場する精神科医のモデルであるとの説があるらしい。
仮にそうだとしても、それはあくまでモデルであり、その人物が「ドグラ・マグラ」を書いたわけではあるまい。
映画公開当時の文芸誌の記事に上記のゲストさんが言うような説があるのかどうか。
あるいは、そのほかにでも、夢野久作は精神科医だったというような説があるのかどうか。
ご存知の方がおられたら、御教示いただけたら幸いです。
上記の私のコメント中、「ドグラ・マグラ」について、
《昔々読みましたが、最初と最後の時計の音とか、「オニイサマ、オニイサマー・・・」と繰り返し呼びかけられる箇所ぐらいしか覚えていません。》
と書いていたが、久しぶりに読み返してみたら、「お兄さま、お兄さま」又は「お兄様、お兄様」と、ひらがなと漢字だった。
カタカナだったように思っていたのは、夢野久作独特のカタカナの使用法が印象に残っていたためのようだ。
《・・・・・・お兄さま。お兄さま。お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま。・・・・・・モウ一度・・・・・・今のお声を・・・・・・聞かしてエ――ッ・・・・・・・・》
《それは聞いている者の心臓を虚空に吊し上げる程のモノスゴイ純情の叫びであった。臓腑をドン底まで凍らせずには措かないくらいタマラナイ絶体絶命の声であった。》
ほかにもいくらでも例はあるのだが、私はこれほどカタカナを印象的に多用した作家を知らない。
そこに寄せられたコメントの一つに、次のようなものがあった。
《夢野久作氏の本業は精神科医でして、そちらの業界でも名の知られた人でしたが、「ドグラ・マグラ」を発表したときは「ミイラ取りがミイラになった」と話題になったそうです。
静流さんもお気をつけて。彼らはかなりの割合で本物です。
Responded by ゲスト at 2007-03-02 20:20:59 》
私は、もうかなり前のことになるが、「ドグラ・マグラ」をはじめ、夢野久作の主要作品は読んだことがある。三一書房版の全集も持っている。
しかし、夢野久作の本業が精神科医だったというような話は聞いたことがない。
そこで私は、このゲストさんの発言に疑問を呈するコメントを付けた。
また、「反日ブログ監視所」の篠原静流氏も、ウィキペディアやはてなダイアリーの記述を元にした久作の経歴を示し、いつ精神科医だったのかと疑問を呈している。
その後のやりとりの詳細は同エントリのコメント欄を参照すればわかるので省略するが、このゲストさんは次のように述べている。
《引用されている夢野久作氏の経歴は公式のものではあるものの、「夢野久作」名での著作は作品そのものだけでなく著者のプロフィールもフィクションです。(ある程度は事実を基にしているようですが)》
《夢野久作の公式プロフィールは1988年に公開された映画「ドグラ・マグラ」の制作前後に創作されたもので、その過程は当時の文芸誌に関連の記事を追えば自ずから判ることです。》
私は88年の映画も見ていないし、当時の文芸誌でどのような記事があったのかも全く知らない。
しまいこんでいた三一書房版の全集(初版は1969~70年刊)を出してみた。
7巻に久作の年譜が掲載されているが、精神科医云々の記述はない。前述の篠原氏が挙げているのと同様の経歴だ。
公式プロフィールは88年の映画「ドグラ・マグラ」の制作前後に創作されたとの説が虚偽であることがわかる。
やはり7巻に収録されている、久作の妻クラ夫人及び子息の龍丸氏と、編者の1人である谷川健一との対談では、久作が「ドグラ・マグラ」の取材のため九州大学を訪ね、精神科の病棟を回ったとのエピソードが挙げられている。
ネットで調べてみると、そのころ九大にいたという榊保三郎という精神科医が、「ドグラ・マグラ」に登場する精神科医のモデルであるとの説があるらしい。
仮にそうだとしても、それはあくまでモデルであり、その人物が「ドグラ・マグラ」を書いたわけではあるまい。
映画公開当時の文芸誌の記事に上記のゲストさんが言うような説があるのかどうか。
あるいは、そのほかにでも、夢野久作は精神科医だったというような説があるのかどうか。
ご存知の方がおられたら、御教示いただけたら幸いです。
上記の私のコメント中、「ドグラ・マグラ」について、
《昔々読みましたが、最初と最後の時計の音とか、「オニイサマ、オニイサマー・・・」と繰り返し呼びかけられる箇所ぐらいしか覚えていません。》
と書いていたが、久しぶりに読み返してみたら、「お兄さま、お兄さま」又は「お兄様、お兄様」と、ひらがなと漢字だった。
カタカナだったように思っていたのは、夢野久作独特のカタカナの使用法が印象に残っていたためのようだ。
《・・・・・・お兄さま。お兄さま。お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま、お兄さま。・・・・・・モウ一度・・・・・・今のお声を・・・・・・聞かしてエ――ッ・・・・・・・・》
《それは聞いている者の心臓を虚空に吊し上げる程のモノスゴイ純情の叫びであった。臓腑をドン底まで凍らせずには措かないくらいタマラナイ絶体絶命の声であった。》
ほかにもいくらでも例はあるのだが、私はこれほどカタカナを印象的に多用した作家を知らない。
それで大阪市の中央図書館(西長堀)にでも出かけて調べてみようと思っていて、実際に別件で中央図書館にまで行っているのに、この件のことをすっかり忘れてしまっていました・・・。
かのゲストさんの説が、全くの独創によるヨタだとも思えないのです。何かしらの根拠はあるのではないかと。
夢野久作が精神科医だったという説ですが、このような説を聞くのははじめてで、非常に疑問に思いました。
まず、医師になるには医師免許を取得する必要がありますね。戦前には国家試験はなく、医学部等を卒業すれば医師免許が取れたようです。これは私も初めて知りました。
(参考)
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post_690e.html
<戦前、日本では医学部・医大・医専で教育を受け、各学校を卒業しさえすれば、試験なしで医師免許が貰えました。戦後これはGHQに改められ、1946年には早くも第1回医師国家試験が施行されています。>
経歴上そういった学校を卒業していれば精神科医になる可能性もありそうですが文学部出身では。無免許医ということもないでしょう(もし、そうならそっちの方が問題)。
私は1988年の映画『ドグラマグラ』も公開時に見ていますが、当時、夢野久作の経歴がねつ造されたものという説が流布していたという記憶もありません(神奈川在住で、見に行ったのは東京の映画館でした)。なお、ゲスト氏が小説中の精神病院を九州大学の精神科ではなく、東京の松沢病院と混同されたのは、映画のパンフレットに松沢病院が紹介されていたからではないかと推測します。パンフレットには、かつて松沢病院の院長であった東大教授の呉秀三が入院患者の待遇改善を行った他、作業療法を導入する等、作中の正木教授のモデルとされていることや、主人公呉一郎の名前の由来でもあることが掲載されていました。残念ながらパンフレット自体は昨年処分してしまったので詳しい内容を転載できません。
以下は憶測ですが、ゲスト氏も『ドグラマグラ』ファンのようですので、映画も見に行かれ上記のパンフレットも読まれたかして、作中人物のモデル(呉秀三)と作者(夢野久作)を混同されてしまったのではないかと思われます。また経歴に謎が多いとしている箇所は夢野の父で玄洋社社員の杉山茂丸と混同しているのかもしれません。
おそらく作者と作中人物のモデルを混同した書き込みをして指摘を受けたので、経歴はねつ造と開き直った、というのが妥当なところではないでしょうか。
いろいろと御教示いただきありがとうございます。参考になりました。
なるほど、ゲスト氏の主張については、そうだとすると納得がいきますね。