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太平洋戦争の開戦目的は資源確保にあった

2010-10-25 00:56:44 | 大東亜戦争
 以前にも書いたように、わが国の対英米蘭戦は資源獲得のための戦争であった。欧米諸国による植民地支配からの解放とは後付けの理屈にすぎない。
 こんなことは開戦前の日米交渉の経過を考えても、開戦後の占領地におけるわが国の政策を考えても自明のことであり、いわば常識だと思うのだが、こんにちでもブログなどで戦中期のわが国のブロパガンダを真に受けたような記述を見ることがままあるのは残念だ。

 古雑誌を整理していると、『文藝春秋』2009年12月号に、司馬遼太郎の「日本人の二十世紀」という論文が再録されているのを見つけた。これは同誌の通巻1000号である1994年4月号に掲載されたものが初出で、『司馬遼太郎が考えたこと15』(新潮社)にも収録されているという。
 「「坂の上の雲」のあとさき」という副題が付いている。このころNHKのドラマ化などで『坂の上の雲』が見直されていたのだったか。

 前述のわが国の戦争目的をはじめ、昭和戦前期のわが国についての見方において、おおむね同意できる記述が多い。
 私の駄文よりも簡潔かつわかりやすいので、ここで一部を紹介しておきたい。
 (ルビは一部の難読と思われるものをカッコ書きで示した。太字は引用者による)

 昭和初年の狂気は、昭和六年(一九三一)、関東軍一部参謀の独走と謀略によってひきおこされた満洲事変によって出発します。ノモンハンと同様、出先機関が勝手に起こした戦争を、やむなく東京が追認するかたちで、国家を冒険へと駆りたてたのです。ノモンハンより八年前のことで、日本国という機械は、あきらかに狂気によって歯車が組みかえられようとし、げんにそのとおりになりました。
 “満洲国”を独立させ、やがて長城線の内部の華北五省に対し、“満洲国”に似た政権をつくろうとし、中国の反発を受け、ついには日中戦争に拡大しました。

 このように、国内機関(いわゆる軍部)によって積みあげられてゆく積木が、時代の気分の肯定を受けなかったとはいえず、批判や冷静な意見は、つねに小声でした。歴代の内閣は、国家の運営に万全の責任を持つという権能と威厳をうしなっており、関東軍の独走に対し、この幻影のような積木を追認したり、糊塗したりするだけでした。軍部の“謀略”は多分に子供じみていましたが、それを亡国の遊びだというふうに根底から批判しつくすという意見が大展開されたということは、なかったのです。
〔中略〕
 “子供”が積んでゆく積木を、いいトシをした大人たちが感心したり、当惑したりしながら、賛美したり追認したりするうちに、戦争の規模は拡大して、仏印(ヴェトナムなど)に進駐し、そのことによって、ヨーロッパの既得権に挑戦することになります。“大東亜共栄圏”などは、むろん美名です。自国を亡ぼす可能性の高い賭けを、アジア諸国のために行うという酔狂な―つまり身を殺して仁を為すような―国家思想は、日本をふくめ過去においてどの国ももったことがありません。かといって、当時の人達は、日本が帝国主義とは思っていなかったのです。このあたり、じつにあいまいに考えていました。考えを深めようにも、事態が事態を生んで、そのころはたれもが多忙でした。いまからみれば滑稽だし、自他の死者たちのことを思うと、心がいたみます。


 そのころのアメリカの新聞読者からみれば、日本は中国をいじめるとほうもない悪者ですが、日本の新聞読者からみれば、日中戦争は“聖戦”でしたし、アメリカは憎むべき大悪党だったことになります。四年後の敗戦によって、日本国民は、日本そのものが、日本史に類を見ない非日本的な勢力によって“占領”されていたことに気づくのですが、一九四一年当時は、政府を信じていました。
 明治後の日本人ほど政府を信じてきた国民はいないに相違ありません。〔中略〕国家や政府が過ちをおかすことはないとどこかで信じていました。これが近代化が遂げられた最大の理由だと思います。その日本近代の国民的な習性を、軍部その他の勢力が、うまく利用して亡国に追いこんで行ったのです。むろん、軍部としても、それが愛国と思っていたのですが。


 占領期に国民はGHQによって洗脳され、わが国が全て悪かったという贖罪意識を植え付けられたとは、こんにちしばしば聞く話だ。
 私はその宣伝工作だけで戦中期に対する批判的見解がわが国に定着したとは思わないが、GHQによってそのような工作がなされていたことは事実だろう。
 ではその洗脳を脱してわが国は戦中期に戻るべきなのか?
 戦中期においてもわが国においては別種の“洗脳”がまかりとおっていたのではないか?

 占領期には確かにわが国に言論の自由はなかった。
 だからといって戦中期において言論の自由があったわけではない。
 占領期の宣伝に誤りがあったからといって、戦中期の宣伝が全て正しいというわけではないということを強く訴えたい。

 さきに、第一次大戦によって陸海軍が石油で動くようになってから、日本の陸海軍そのものが半ば以上虚構になった、という意味のことを言いました。
 むろん、そのことは、陸軍も海軍も、だまっていた。やがて昭和になって、陸軍が、石油もないのに旺盛な対外行動をおこす。それが累積して歴代内閣が処理できないほどの大事態になり、事態だけが独り走りする。ついにアメリカをひき出してしまう。
 それで、日本は戦争構想を樹(た)てる。何よりも石油です。勝つための作戦よりも、まず一路走って石油の産地をおさえる。古今、こういう戦争があったでしょうか。
 日本の海軍は、全艦隊が数ヶ月走るだけで備蓄がなくなるという程度にしか石油をもっていません。軍艦は動かなければ、単に鉄のかたまりです。
 南方進出作戦―大東亜戦争の作戦構想―の真の目的は、戦争継続のために不可欠な石油を得るためでした。蘭領インドネシアのボルネオやスマトラなどの油田をおさえることにありました。
 その油田地帯にコンパスの芯をすえて円をえがけば、広大な作戦圏になる。たとえばフィリピンにはアメリカの要塞があるから、産油地を守るためにそこを攻撃する。むろん、英国の軍港のシンガポールも、またその周辺にあるニューギニアやジャワもおさえねばならず、サイパンにも兵隊を送る。
 それらを総称して、大東亜共栄圏ととなえました。日本史上、ただ一度だけ打ち上げた世界構想でした。多分に幻想であるだけに―リアリズムが希薄なだけに―華麗でもあり、人を酔わせるものがありました。
 石油戦略という核心の部分は、むろん隠され、多くの別な言葉につつまれて窺うことができません。この構造を裏づけるに十分な経済力も戦力も日本にないということまで、さまざまなことばによっておいかくされ、人々に輝かしい気分を持たせたのです。〔中略〕
 なにしろ、いまでもこの幻想を持続している人がいます。この幻想のもとにそこに参加して生死した数百万の人々の青春も死霊も、浮かばれない、という気持ちがあるからでしょう。しかし、自己を正確に認識するというリアリズムは、ほとんどの場合、自分が手負いになるのです。大変な勇気が要ります。この勇気こそ死者たちへの魂鎮め(たましずめ)への道だと思うしかありません。
 あの戦争は、多くの他民族に損害を与えました。領地をとるつもりはなかったとはいえ、以上にのべた理由で、侵略戦争でした。ただ当時、日本が宣戦布告したのは米英仏蘭であって、その諸領土のなかの油田を奪おうとし、また英国のシンガポール、米国のコレヒドールなどの要塞を攻撃したのです。この点では欧米との戦いだと当時の日本人は思っていました。
 しかし土地に現実にいるのは土地の人々であって、その人々が、日本軍の作戦によってひどい目にあいました。
 あの戦争が結果として戦後の東南アジア諸国の独立の触媒をなした、といわれますが、たしかにそうであっても、作戦の真意は以上のべたように石油の獲得にあり、獲得したものを防衛するために周辺の米英の要塞攻撃をし、さらには諸方に軍事拠点を置いただけです。真に植民地を解放するという聖者のような思想から出たものなら、まず朝鮮・台湾を解放していなければならないのです。
 ともかくも開戦のとき、後世、日本の子孫が人類に対して十字架を背負うことになる深刻な思慮などはありませんでした。昭和初年以来の非現実は、ここに極まったのです。
 地域への迷惑も、子孫へのつけもなにも考えず、ただひたすらに目の前の油だけが目的でした。そこから付属してくる種々の大問題は少しも考えませんでした。


 私がいわゆる大東亜戦争肯定論に与することができないのは、こうした見方を支持しているからだ。
 


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4 コメント

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目的と結果論の違い (あさかぜ)
2010-11-07 15:15:09
いわゆるアジア解放は結果論であって少なくとも当初の目的ではなかった(後から付け加えた)といったところでしょう。その点は同感です。

ただ、資源確保も実は怪しいです。たとえ資源確保にせよ何らかの明確な目的があればある意味で諦めもつきますが、当時の意思決定過程を見ればそれほど明確な目的はありません。石油戦略というほどの「戦略」であればいいのですが、「ここまできた以上止められない」的な判断の方が大きかったのではないでしょうか。政治の迷走の行きついた先だったという以上の意味が見出せないことこそ、考えるべきだと思います。

こうした意思決定過程は今でもなんら変わっていないことこそが憂慮されます。
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Re:目的と結果論の違い (深沢明人)
2010-11-07 23:53:04
そうですね。戦略ではなく、場当たり的な対応だったと思います。
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Unknown (Unknown)
2011-08-08 17:33:18
実質朝鮮の独立は無理だったんではないでしょうか?
あの時点で独立をさせてもロシア、中国に奪われるのが落ちだったと思います。
実質朝鮮は大国と結びつくことで生きてきてますよね。
ロシアや中国と密約をかわし、日本とも併合してます。
私は朝鮮が独立出きるだけの力がなかったから、日露、日清は引き起こされたと考えております。
そもそも満州は中国のものではありませんし、勝手にロシアに売っていましたよね。そもそも支那人は立ち入り禁止区域でしたが。日露で破れたロシアが北満州に去る。
の前提も無しに侵略戦争の議論をするのはおかしいのではないでしょうか?満州事変の裏側をもう少し見てみるべきだと思います。
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Re:Unknown (深沢明人)
2011-08-14 20:47:35
 私はこの記事で、朝鮮の独立が可能だったかとか、満洲事変は侵略だったかなどという話はしていません。
 自分なりのご意見をお持ちなのは大変結構ですが、他人のブログにコメントするなら、まずはそのコメント先の記事の内容について論じていただきたいものです。
 あなたは私がここで紹介した司馬の主張について、あるいは太平洋戦争の目的はわが国の資源確保にあり植民地支配からの解放とは美名にすぎなかったという点についてどうお考えなのですか。

 あと、満洲を

>勝手にロシアに売っていた

これはどういう歴史的事実を指すのでしょうか?

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