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インドの核開発は非難する一方中国は不問の朝日社説

2010-06-28 23:49:58 | マスコミ
 23日の朝日新聞社説が、わが国のインドへの原子力協力を牽制している。以下全文を引用する(太字は引用者による)。

原発輸出―インドへ?「非核」が泣く

 原発輸出を成長戦略のひとつにあげる菅直人政権が、インドへの原子力協力を検討している。原発1基で数千億円のビジネスである。関連企業にとって大きな商機と映り、政府内には景気・雇用対策としての期待もある。

 だが、これは経済的視点だけから判断するべきではない。日本は非核外交を看板にしている。核不拡散条約(NPT)に入らないまま核武装したインドに、原発やその関連技術・部材をおいそれと輸出するわけにはいかない。

 NPTの規定を厳格に守れば原子力の平和利用への協力を得られる。それが、NPTを支える原則のひとつだ。被爆国としてNPTに基づく核軍縮・不拡散を主張してきた日本までが、NPTに背を向けるインドと安易に協力すればどうなるか。ただでさえ、北朝鮮、イラン問題などで弱まってきたNPTの信頼性が、さらに空洞化する。

 原子力関連の輸出管理を論議する原子力供給国グループ(NSG)は2年前、インドへの輸出を例外的に認める決定をした。経済成長するインドとの関係強化をはかる当時の米ブッシュ政権の外交攻勢の結果だった。その後、米国、ロシア、フランスがインドと原子力協定を結んでいる。

 原子力業界では国際的な再編が進み、日本の大手メーカーも米国、フランスの企業と提携を進めてきた。インド原発の受注拡大をめざす米仏の企業は、日本の優れた部材を必要としている。日本もインドと原子力協定を結んで日本からも輸出できるようにしてほしい、との強い要請がある。

 日本政府も新興国インドとの関係を重視し、4月に訪印した直嶋正行経済産業相が原子力政策について意見交換する作業部会の設置で合意した。

 日本の非核外交の原則を崩さずに、インドと原子力協定を締結できるのか。政府内で検討中だが、菅首相は所信表明演説で、「核のない世界」に向けて先頭に立ってリーダーシップを発揮すると宣言した。その言葉とインドへの原子力協力に、どうやって整合性を持たせるか。

 「核のない世界」に一歩でも近づくには、できるだけ早く、インドも加わる核軍縮交渉の場をつくる必要がある。その道筋も示さず、そのための外交戦略も詰めないまま、インドと原子力協力を急ぐのでは、のっけからリーダーシップに疑問がわく。

 今週末にカナダで開催のG20の場でインド側に、日本の基本姿勢を伝え、改めて核軍縮を迫るべきだろう。

 成長戦略なら、すでに原子力協定がある中国の市場を重視すべきだろう。沿岸部に集中する中国原発の安全性を高めるためにも、耐震性、信頼性の高い日本の関連部材の輸出拡大を目指す。その方が日中双方の利益にもなるのではないか。


 私は、NPT体制堅持よりも、文中に述べられている列国の動きに同調することも重要ではないかと思うが、まあそれはいい。
 驚いたのは、末尾で、中国に対する輸出拡大を目指すとしていることだ。

 私は、原子力の国際協力についてほとんど何も知らない。
 しかし、中国がかつてNPTに参加していなかったことは知っている。

 1949年、ソ連の核兵器保有が判明。
 1952年、英国も核兵器を保有。
 1960年、フランスも。
 1963年、米英ソが部分的核実験禁止条約に調印。地下を除く大気圏内、宇宙空間および水中における核兵器実験を禁止。フランス、中国は反対。
 1964年、中国が核兵器を保有。
 1968年、国連総会で核拡散防止条約(NPT)採択。フランス、中国は不参加。
 1974年、インドが核兵器を保有。
 1992年、フランスと中国がNPTを批准。

 後発核開発国であるフランスと中国は、米英ソによる核兵器の寡占を許さず、独自に核兵器の開発、配備を進めた。
 今のインドと何が違うのか。

 朝日社説は、

成長戦略なら、すでに原子力協定がある中国の市場を重視すべきだろう。


という。
 私は、日中間に既に原子力協定が結ばれているとは知らなかった。
 では、その原子力協定はいつ結ばれたのか。

 検索すると、高度情報科学技術研究機構(RIST)という財団法人が運営している「原子力百科事典 ATOMICA」というサイトに次のような記述があった。

日中原子力協定〔中略〕

<概要>
 日中原子力協定は、1983年の第3回日中閣僚会議の合意以来6回の協議を経て1986年7月に発効している。
 協力の条件として平和目的への限定、核爆発利用の禁止、IAEA保障措置の適用、核物質防護措置の実施等が定められている点は、例えば日仏間、日英間の原子力協定の場合と同様である。
 この協定の下での具体的な協力内容としては、専門家の交流、情報交換の他、中国の商業用第1号炉の秦山原子力発電所の運転開始に伴う安全分野の協力が今後期待されている。

〔中略〕

<本文>
1.協定締結の経緯
 1983年9月の第3回日中閣僚会議において、原子力分野での政府協議を行うことで、両国政府の意見が一致した。これを受けて、同年10月26日から第1回政府間協議が東京で開催され、その後、北京、東京において交互に合計5回の協議が行われた。1985年7月5日に北京において交互に仮署名が行われ、同年7月31日、第4回日中閣僚会議の際に、わが国の安倍外務大臣、中国の呉学謙(ウーシュエテエン)国務委員兼外交部長との間で署名が行われた。その後、所要の手続きを経て、1986年7月10日に発効した。
2.意義
 中国は、自国の経済開発を最重要課題の一つとしており、この関連で原子力エネルギー開発計画を推進し、諸外国との原子力平和利用分野での協力を積極的に進めるとしている。本協定の締結は、原子力分野における日中関係の安定的発展の基盤となるものである。 また核兵器国である中国との間で、国際原子力機関(IAEA)の保障措置の適用に関する規定を含む協定を締結したことで、核不拡散体制の面からも本協定の意義は大きい。




 中国がNPTに加わる前の1985年に署名され、1986年に発効したとあるではないか。
 ならば、現在NPTに不参加であるインドと同じ条件下にあったことになる。

 NPTに不参加であった時に結んだ原子力協定を理由に中国の原発への関連部材の輸出強化を説くのなら、現在のインドとの原子力協定締結に反対するのは筋が通らないだろう。

 朝日がNPTを理由にインドとの原子力協定締結に反対するのは朝日の自由だ。
 しかし、中国の核開発の歴史も顧みずに、ここに中国への輸出拡大を持ち出す感覚は理解しがたい。


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